ネスカフェの「違いの分かる男」も、
いつの間にかやらなくなってる。
もしかするとこういう風に親父ギャグって出来上がっていくのかもしれない。
長年これらのCMに親しんだ我々は
これからもお馴染みのネタとして会話の要所に差し込んでいくのだろう。
もはやそれは癖だ。
しかし2000年以降に産まれた世代はそんなCMなど存じないと感じる者も多いはずだろう。
2010年前後の産まれになれば完全に通じないネタだと思っていい。
とみなされ遠巻きに見られるわけだ。
我々も若い頃に、なんだかよくわからない決まり文句ではしゃぐおじさん集団を見たことがあるだろう。
そんなおじさんに冷ややかな目を向けこうはなりたくないとも思っていただろう。
おじさんたちはギャグセンスに乏しいわけでも若者の生活に無関心だったわけでもないのだ。
おじさんたちにとって変わらないはずだったものがあっけなく消えてしまったのだ。
おじさんたちは幼い頃から親しんできた故に、
それがなくなることなんて思いもよらず、
消えゆくことにすら気がついていなかったのだ。
やっぱり顔なんじゃね?
何を言ってんだ
死人が出たら管理してる側が責任を取らされるのは当たり前の話だろ
たとえ誰にも気づかれない巧妙ないじめであっても、死人が出た時の責任の問題は別だ
んで、いじめの被害者が同性の親を持つ子供であった場合、法的責任はないが社会的な責任においてお前にもその一端はあるからな
覚悟しておけよ
頑張らないで来た結果、今の自分のような状態になっているという実感がある(だから頑張らないといけん、頑張れるやつは凄い)。
一方で昨今の頑張らない教の伸張を見ると、頑張りすぎてるなという人の方がそれだけ多いということだろうか。
どうも人の意見を聞いて自分の意見の間違いを修正することができないタイプの人らしいのでこれで終わりにします。
ただ「産んだら不幸になる子はいてはいけない」というのであれば、幼くして両親を亡くした子供や病気の子供、経済的に恵まれない子供は学校に入れ社会に出すのは差別にまみれた世の中に放り出す残酷な行為なようなので粛清するしかなくなりますよね。
なんかデジャブるなあ
ちょっと前にあつあつゴハンがどーたらって増田がバズってたよね
https://anond.hatelabo.jp/20170518204136
これだこれだ
まあ、もし普通に生まれていたら、多くの普通の人が思っているであろう「単なるホワイトカラーでは無く、自分のやりたいやりがいのある(あるいは楽して多くの金の儲かる)仕事に就きたかった」と思っていると思うよ
で、それは多くの普通の人と同じように大抵適わない
他のやつは知らんが俺は別になんかしてないよ
他のケースと同じように、同性が親の子供はいじめられるってだけ
そして、そのいじめられる子供を作ろうとしてるのが同性の親の元の子供を認めようとしてる人たち
いじめを防ぐ為の努力なんて言ってる時点で、単なる理想主義者だな
いじめには何もできない
見つかった時に逃げるか、加害者に罰を与える以外できることはない
勝手に同性の親が子を持つことを支持するのは自由だが、その子供が苦しむことは事実
それをなんとかできるなんて思うな
ひとつ目としては、人は自分が理解できないことを他人がしてる時にそれをバカと呼ぶ傾向がある。
バカでない人は違う。理解するし、分からなくても考えて理解しようとする。
ふたつ目として、当たり前のことながら、人をバカと言う事は失礼な事である。
みっつ目。そもそも賢い人は一般的にバカと呼ばれるラインが分からない。
バカと言う人は、自分より知性が低い人をバカと呼ぶことが多い。
偏差値で考えると、偏差値40〜60の間の人たち、だいたい70%くらいの人たちが、
偏差値40未満の人たち、下の15%を指してバカと言っている感じ。
だからさあ。
今現在全くいじめ被害はなくて、そこに同性カップルの子供が入ると不幸になることが予測できるとかいう話じゃないでしょ。
既に日本の国内には陰湿ないじめがあって、その理由は家庭環境だけじゃなくてさまざまな理由があるわけ。
そこで「同性カップルが子供を持ったらいじめられる」といって別扱いするのはおかしいって言ってるの。
他の増田も言ってるけど、マイノリティの子供がいじめる側になることだってよくある話だし。
ハーフや外国人が大人になって「いじめがつらかった」と言うことはあるけど、それは母子家庭とか両親がいない祖父母家庭とかでも同じように「いじめがつらかった」という人はたくさんいる。
要するに何が言いたいかというと、「同性カップルに育てられる子供は不幸になる」という意見を主張する人のほとんどは実際には子供のことなんてこれっぽっちも心配してなくて
自分の周りに同性カップルが生活して子供を育てるとか、自分の子供の同級生にそういう子供ができることを偏見で怖がってるだけだっていうこと。
大人が「なんかやだからやだ」という差別意識をさも子供のためを思って言ってるかのように偽善的に装うのがなんだかなあと思うわけ。