地震に遭ったのはアンラッキーだけど、「リスクヘッジです」って宣言して逃げて地震に遭ったら「リスクヘッジ(笑)」ってなるのは当たり前じゃん。
それはつまり関東のヤバさ(推定)にだけ捉われていて、逃げた先には本当にリスクがないかってこと確認するの怠った(っていうかありゃ無意識的にその必要性を無視したんだろうな)ってことの証明になっちゃったんだからね。
つまり恐怖に捉われて論理を放棄し感情的に行動したってことだ。
無理からぬことだと擁護するのはもちろん可能だし実際無理からぬことなんだけど、モノ論じて食ってる人間がやるにしてはあまりにも喜劇的なバカ行為過ぎて笑われてるし軽蔑されてるだけ。
>「…と感じてるボクって」とか人に言いたくてしょうがないとこで
本当にそんなこと考えている奴は増田なんか使わないでTwitterやFacebookや普通のブログでやってると思う。
特に中二的な動機があるとは考えられないな。
避難した先で地震に遭ってるあたり、「リスクヘッジ(笑)」の一言に尽きるよね。
リスクヘッジってのは情報がある程度出揃って何がどれだけリスクかの判定ができて初めて意味があるものなので、
判定不能リスクをデカく見積もって行動するのは勝手だけど、失敗したら笑われるしダメだなって言われるよ。
だってそれってバカのやることだもん。
ああ、やってんならいいんだ
もうなんか大型資格目指して頑張っちゃえよ
間違ってもやめたりすんな
そこでグチャグチャ他人を恨んでるだけで何もしないカスと
自分の置かれた状況を最大限利用して目標立てて好き勝手やれる奴と
この差は大きい
増田です。
これみよがしにご指摘のようなことはやってます。
これみよがしに休まずに出勤してどうどうと。
でもなんにもいってこないの。
こんなところにいる自分が情けないよ。
「俺も中学生の頃は…」とか言う奴がいるけど、だいたい、この手の作品は人類を裁こうとする理由みたいなものがテーマで、人類の敵に共感させるようにつくられてあるので、中二病的な何かじゃない。
さあ、そういう作品もあるだろうけど元増田が言ってるのがそういうのなのかね?
作品がどっちであるにしても元増田は中学生だと認定できる理由は
「…と感じてるボクって」とか人に言いたくてしょうがないとこで
正確には中庸が苦手なので極端に逃げると言ったところだろうか。
世の中で真実と呼べるもののほとんどは、中庸というか、程々というか、どっちつかずな場所に存在するということが、ここ最近になってようやくわかってきた。
「やり過ぎも、やらなさ過ぎもダメ」とも言い換えられる。当たり前っちゃ当たり前だけど。
なぜなら中庸や程々というのは、その場における最適解を現物合わせで編み出すことを意味する場合が多いが、この「現物合わせ」というのが、とても苦痛だからだ。
現物合わせの何が苦痛って、かなりの注意力と機転を求められ、簡単なセオリーやパターンで解決できないところ。しかも曖昧でハッキリしないから難しいのだ。
もちろん複雑なセオリーや無数のパターンを覚え、ほとんど全て納得ずくでこなすのも手だが、自分はそれが出来るほど頭良くないし、現物合わせの本質を外していることには変わりない。
こう書くと「極端に徹底するほうがキツくね?」と思う人がいそうだけど、むしろ自分にとって極端志向はルールやセオリーが明確になっている点で、とても楽だったりする。
やらなきゃならないことがハッキリしているなら、あとはどうやり込むか・やり抜くかだけだし、こういうのはパターン化できるので頭痛の種は何もないし。
むしろ現物合わせなんて、あんな難しいことを、世の中の大半の人がごく自然にこなせることが驚異的でならない(少なくとも自分にはそう見える)。
なんでそこまでパッと分かるの?なんでそこまで頭が回るの?という感じ。
いやいや、東は職場に拘泥されない立場だし、金も十分にあるわけで、
当方事務職。社内ニート君。
自分でやらないと全体会議で説明できないから仕事を振ってこない可能性
どれも当て嵌まるな…
いずれにせよ、部門長としての職務職責を果たしているとは言いがたい。
ニートは甘え
社内ニートも?
うん、社内ニートも同じだと思う。
そんなの関係ない?
侍ジャパンに日本一頭脳が加わった。日本野球機構(NPB)は、侍ジャパンのスタッフとして巨人・橋上秀樹戦略コーチ(47)が新たに加入したと発表。来年3月の本大会終了まで巨人での職務を離れ、WBC3連覇へ向けて戦略面から侍ジャパンを支える。
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/11/06/kiji/K20121106004492110.html
「人間同族で殺し合うし子どもレイプしたり虐待するしロクなもんじゃない」くらいだったら鼻で笑う。
その「ロクなもんじゃない」感覚もまた人類のものであり、敵の正体は人間性そのものが「人類の敵」の皮かぶってるだけだとわかるから。
「できるわけがない」にこだわってるけどそれは一旦捨てろよって言ってるだろ。しつこいぞ。
で、義母の言うとおりにして旦那が太って病気になったらどうすんの?「それも義母の責任だから義母を責めればいい」?
配偶者病気にされたってのに張本人責めた程度で済むわけないじゃん。
でも「食費も浮くし炊事の手間が省けるし、義母が直接食事作るんだから文句も言われなくなるし」で受け入れた結果それじゃあ
病気にならないのが最善であり、かつ今病気じゃないんだから、現状維持に努めるのがベストだってのは明らかじゃん。
それを目先の金と手間対価にしてわざわざ崩しにいってどうすんだよって話。
>何の対価もなくよその家に毎日食事を運ぶなんて大仕事を長く続けられるわけがない。
「よその家」ならね。
小便は立ってするか座ってするかを男性に聞いた方が良い。
立ってする派は、100%尿まみれだから注意。
どんな便器であれ、立ってすると飛沫が掛かっている。
立ち派のズボンには大量の尿が付着している。
ということで、設置のコスト的な話もあるだろうけど、
お前が言ってることってさ、火葬場で棺桶が今まさに炉に入れられようとしてる段階で「もし生き返ったらどうするんだ」と難癖つけてるようなもんだよ。
仮にお前の懸念の通り元増田の義母が毎日かいがいしく旦那のために食事を運んできたとしようか。
元増田にとっては食費も浮くし炊事の手間が省けるし、義母が直接食事作るんだから文句も言われなくなるしで万々歳じゃん。
それで旦那が義母の希望通り太れば義母も満足だろうし、もし太らなくてもその責任はすべて義母にあるんだから元増田が責められることはないだろ。
それに常識的に考えても、何の対価もなくよその家に毎日食事を運ぶなんて大仕事を長く続けられるわけがない。
何の問題があるんだ?