はてなキーワード: 不当判決とは
暇空茜が堀口英利に侮辱され訴えていた件は、被害者である暇空の訴えが棄却されるという不当な結果に終わった。
一方的に侮辱された後で暇空は堀口に多くの反論をしたが、反論の数が多すぎるために最初の堀口の侮辱が相殺されるという奇妙な判決だった。
それでは、「殺すぞ」と言われて「イヤイヤやめてやめてやめて」と言えば、「殺すぞ」より長く多く話しているので相殺されるという理屈になる。
そんな道理が通るはずがない。
藤岡は裁判官になる前、弁護士を務めアストレア法律事務所勤務だった。
アストレア法律事務所代表の青木信昭は、かつて東京法律事務所に勤めていた。
http://www.astraea-law.jp/index.php?%E9%9D%92%E6%9C%A8%E4%BF%A1%E6%98%AD
https://www.tokyolaw.gr.jp/60th_site/history.html
この東京法律事務所、悪名高き自由法曹団に与する、カルピスの集まりとして有名なところだ。
http://www.jlaf-tokyo.jp/danin_katsudo/kakujimusho.html
判決なんてどちらが勝つか五分五分なのに堀口が「傍聴にきてほしい」などと勝利を確信していたのが怪しかった。
あれは裁判長がカルピスで、「あなたを勝たせますよ」と事前に教えていたからこその余裕だ。
完全に裁判長と堀口がつるんでいる。
そもそも、裁判官は多くいるのに何故カルピスが裁判長に選ばれたのか。
色んな人が「本土の人は基地問題にずっと無関心だったのに、急に不正確とか言い出すのはおかしい」と指摘しているが、それは間違いだと思う。
本土の人間は、基地問題に多少関心を持ち続けてきたように私には思える。
ただしそれは、基地反対派が期待するであろう「現地の人がんばって」という肯定的な関心ではなくその逆、「めんどくせえなあ、必要なんだから基地を受け入れててくれよ」という否定的な関心である。
だがこの本音を表に出すのはお行儀が良くないことはわかっているので、一部の右翼・ネトウヨ系の人をのぞき、普段は隠している。
それでも基地反対運動への反感は人々の心の中にあったので、ひろゆきの悪ふざけで心の鍵が開き、彼のおちょくりに乗っかりたくなる人たちが少なからずいるのである。
もしかしたらひろゆきはそれがわかっているから意図的に、人々が隠してきた本音をくすぐったのかもしれない。
とはいえ現状では「必要なんだから基地を受け入れてろよ」と言い放つほど反対運動を嫌っているわけではないし、反対運動側にも理があるのを理解しているので、ひろゆきもそれに乗っかる人も、直接的には看板の誇張を批判して、反対運動自体へは間接的な悪印象を匂わせるにとどまっているが。
増田の『基地反対の沖縄県民から見たこの騒動(anond:20221008001255)』では、
と語られているが、実際は本土の人間はチラッチラッと沖縄を見ていたのだろう。
「反対運動、うっとうしいな。それにニュースやネットで映像を見ると、ああいう運動って盛った表現とか大袈裟なスローガンとか使ってるよな……言わないでおくけどさ」と本土人は思っていた。
それをひろゆきがはっきり口にしたから「あ、言ってもいいんだ」となったのだ。
もしかしたら増田は、基地反対運動を内心で嫌っている層も指して「SNSでネトウヨみたいなのが増えてて悪化してる」と表現しているのかもしれないが、それらはネットやSNS以降に発生したものではないと思う。
そしてこの反対運動への否定的な関心というのは、沖縄基地問題だけでなく、反原発デモや護憲デモ、平和教育などへの冷ややかな眼差しとも似ている。
沖縄やそこに住む人といった、地域に対しての悪印象があるわけではないと思う。
だが、「なるほど、全共闘の失敗以降の日本人の左派嫌いか」とまとめると、それはそれで取り落としがある。
左翼全体への悪感情は確かに影響しているのだが、それが全てではない。
たとえば裁判などで「全面勝訴」とか「不当判決」とかを墨書きしたものを出す瞬間が冗談のタネにされることが結構ある。あれは、大袈裟さや表現の盛り方が面白がられているのである。
主張の内容によらず「活動家」的なアピールの仕方が胡散臭いと思われている面もあり、きっかけがあると反感が噴き出るのであろう。
(右翼の集会も当然嫌われているが、あれらは活動家的な嫌われ方というより、暴走族やヤの字的な嫌われ方だと思う)
また、本土内にも米軍基地はあり、反対運動をしている本土人のグループもいて、それを別の本土人たちは否定的に見ていることからわかるように、普遍的なNIMBY(Not In My BackYard)問題としての衝突という面もある。
話をまとめる。
本土の人間は基地問題に対して無関心ではなく、そこには否定的関心があった。
NIMBY的に地元には基地のない状態を保ちたい自己保身、左派嫌い、活動家的誇張嫌いなどなどが絡み合った、否定的関心を本土人は基地反対運動に対して隠し持っており、今回の騒動はその一端が露わになったと考えた方がいいのではないだろうか。
「関心がある」という言葉は、修辞技法的に使われて、ただ興味を持っているだけでなく、賛同しているという意味を含むことも多い。
「理解がある」という言葉が、知識が有るだけでなく、心情的な賛同もしていることを含みやすいのと近い。
(余談だが、このような修辞には、ある物事に十分な知識や興味があれば当然それに肩入れするはずだという、人間の楽観性があって面白い。
また、「犯罪者心理に詳しい」だと犯罪者を冷徹に分析するプロファイラーのようだが、「犯罪者心理に理解がある」だと支えたりカウンセリングする人のようなニュアンスが漂うのは不思議でもある)
今回の騒動における関心という言葉もまた、賛同を修辞的に含んでいたり含んでいなかったりするだろう。
なんなら同じ文章の中で、基地反対運動に賛同していないという修辞的用法で「本土の人は基地反対運動に賛同していない、つまり無関心だ」という言葉を使い読者に受け入れさせたうえで、関心を興味や知識を意味する用法にさらりと切り替えて「本土の人は基地反対運動に無関心だ、つまり興味もないし無知だから勉強しろ」という主張に繋げる人もいるように見える。
まあ、このような、修辞的な用法と素朴な用法を繋げることで何らかのイメージを与えるやり方は、意図的というよりも無意識的なことが結構あり、私自身も文章をまとめようとするうちに自分のレトリックに自分で飲み込まれてズルい書き方をしてしまったことが結構あるので、強く非難するのは躊躇われる。
あるいは逆に、ある言葉がレトリック的に使われているのをわかっていながら、素朴な使い方として受け取って反論する、というズルさもよく見るし、これまた私自身やったことはある。
なんにせよ、文章を書く側でも読む側でも、ある意見を主張する側でも反論する側でも、ある言葉を修辞として使ったり素朴に使ったりすることで印象を誘導していないか、というのは気をつけた方がいいと思う。
少なくともその判決が不当であるといった主張は判決文を精査しその論拠を明確にした上でなされるべきであって事前準備するようなやり方で行うべきではない。
裁判所でお互い主張を出しつくしているし、裁判の経過で裁判所の気にしている論点も分かっているし、そういう「不当判決」の紙を準備するような裁判では複数の弁護士が関わって予想される敗訴のパターンはだいたい整理しているし、判決文を精査して論拠を明確にしないと「不当判決」と出せないような状況ではないんだよ。
まあ、あなたみたいにそういうパフォーマンスが嫌いな人もいるけど、出す側はあなたみたいな人に嫌がられるリスクより、メディアが取り上げてくれる確率が高い判決当日に「不当判決」とアピールするメリットの方を重視しているということ。
安田純平さん、旅券再発給されず 審査請求か行政訴訟へ:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASM7J53V5M7JUTIL02M.html
向こう十年大人しくしていたら旅券発券されるんじゃないですかね(超テキトー)
「欧州やインド、北米への家族旅行が目的」と言いつつ、また誘拐されそうな地域に行って誘拐されたらタマッタモンジャナイ(意訳)、って誘拐開放に当たって尽力した政府が思っても当然だし、それを防ぐ意味合いで旅券発行しないという結果には個人的に合理性を見出せる。
「審査請求か行政訴訟」を起こすなら、そこでの判断を受け入れることを希望するけど、当人が納得する結果(=旅券発行)が出なければ「不当判決or判断!!」と騒ぐ事を予想しておくwww