その理論で行くと、人口の少ない島根やら鳥取やらの票の重みを増やさなきゃいけないし、年収が1億円以上の人口はもっと少ないのでより票の重みを増やす必要があるな。LGBTも少ないから増やさなきゃならないし、障害者も健常者より多く票をもつ必要があるな
限界集落のじいさんばあさんとか見てると、やたら皆元気に働いてるんだよな
自力で何とかしなきゃ死ぬ環境で働いてると人は元気になるのかただの生存バイアスなのかはわからないけど、どっちでも結果は変わらないからいいと思う
選挙制度が人口の年齢比率を考慮してるとは思えないポンコツ制度なわけだが、
そもそもその制度を変えることに現政治家にはメリットがないわけでそんなとこを改革するとは
けどこれが仮に投票率が10%切ったらさすがに選挙制度が機能していないと認めて制度改革せざるえないと思うのだがどうだろう?(30%でもあるいは?
平野とか団藤もいた。
平成時代からは教育レベルも低下して、受験問題も小手先のテクニックで受かるような改悪が行われた。
ただ、そうは言っても平成時代の東大教員も、自分達の頃より学力の低下した学生が大勢入ってきても、何とかレベルを引き上げてあげようと教育を頑張ってくれている。
平成になって一番レベルが低下してひどいのは東大ではなく、実は警視庁や特許庁、法務省など各省庁・国の組織。
自分達の悪政のことは棚に上げて、被害妄想で増田さん達を見せしめに逮捕したりしている。
ということかな。
2003年の東大教授には、自分と同じにならなくても合格させる度量があった
他面、国家のゴミカス公務員は、怒っている自分と同じような女にならない限りその意見を採用しないし
自分は神である、自分に従わない者は分からない、ないし、自分の言葉でなくても、瞬時激怒して死んだ俺の世界
に入ってきた殺害予告などの文言は犯罪である、逮捕していい、などと考えているのが、今のクソ検事や裁判官だからな
東大教養学部や法学部などには、まだまだ善意が残っているが、国家にはない。単なる犯罪者の巣窟。
だから東大はあるが、国家は無い。国家公務員は全員、犯罪者。死んでいて生産性がないのに自分は神だと思っているクズの集合体。
そうすれば、いろんなコストが抑えられるのではないかと思うのです。
お年寄りにとってキツイのは、いつまで生き長らえるのかが全くわからないこと。
見通しが立たないから散財できないし、結果お金は若い世代に回らないし。
それでは姥捨て山じゃないですか、と言われるかもしれませんが、居心地が良ければ、それでいいじゃない。
政治家の皆さん、どうですかね?
なんとなく、嘘ついたのも会見しないのも、会社が言ってるんじゃないかな、というのはうすうす思ってたけど、まさかの内容だった。
場所だけ用意してたら、人が勝手に集まってきて勝手に育ってくらいの勢いで、かなり野生に近い牧場みたいなのが、吉本のいいとこでもあるけど、そこを、どうやったら、会社が凄かったと勘違いできるのか。芸人がすごいから、適当な経営と適当な方針でも、なんとかなってるんじゃないの。「クビにできる力がある」とか腹しか立たない。
闇営業して皆に嘘ついたのは自分たちなのに、論点すり替えて吉本を悪にしているの笑える。
吉本社長としては、人の噂は風化するし、会見なんてせずにとりあえず静観しとけってことだったんだろうな。
そして、稼ぎ頭も多いし、失われるものが大きいから、解雇はせずビジネス上そう判断したんだろうな。
一度嘘ついたやつらに会見させるなんてリスクが大きすぎるし、謝罪会見は勝手にするな(言い方には大分問題あったが)と釘を打ったんだろう。
で、その思いも分からない奴らが自分らの弁護士出してきたり、新たなフライデーとかされたりしたら、そりゃあ喧嘩にもなるし、
見せしめとしてのクビも当然だろう。
きっかけは単純で、野次った人が強制的に連行される映像を見たから。
周りの人たちは、薄ら笑いを浮かべながらそれを見ている。
何かおかしいと思った。
怒りも感じた。
このままだと異質な意見を述べるだけで排除されるんじゃないかと感じた。
彼らと連帯しなきゃ!、今日、秋葉原まで行ってきた。野次るために。
秋葉原に着いたのは18時ぐらいだったと思う。
電気街口を出ると、いたるところに自民党支持者がいた。あと、警官も。
twitterを見ると同じ目的で来ている人もいそうだったが、とにかく目に入るのは日の丸の小旗と丸川氏や武見氏の選挙ビラを持つ人々で、ここで野次るとみんなにタコ殴りにされたり、写真動画撮られたりしそうだなとビビっていた。
とりあえず1時間ぐらい時間があったので、UDXへの歩道橋を上っていくと、ようやく途中のコンコースにおなじみ「アベを許さない」の紙を持った人がいた。でも、たった5人。
UDX前まで行くと、また2人、反安倍っぽい紙を持ったおじさんがいて、ちょっと安心した。
ただ、明確に反安倍っぽい人をみかけたのはその7人だけで、他はみんな自民党の支持者っぽかった。
かっこよく「彼らと連帯せねば!」と意気込んできたものの、その頃は野次る気もなくなっていた。
そのままUDX前でなんとなく安倍の演説を待っていた。19時20分ごろ、麻生の演説が始まり、観衆も熱狂していた。
僕はその後ろで、ビビッていた。
札幌もこんな感じだったんだろう。周りは日の丸の小旗を振る支持者たち。自分ひとりだけが違和感を覚えている状態。
この状況で野次ったのだろう彼らは本当に勇気があるなあと思った。
声を上げようにも上げられず、なんとなく周囲をきょろきょろしながら同じ目的の人を探したが、見当たらなかった。
さっきまでいた反安倍っぽい2人のおじさんもどっかいっていた。
結局、僕は何もせず、安倍首相が登壇したあたりでむなしい気持ちを抱えて帰路に就いた。
僕にはできなかった。野次ることも、反安倍のメッセージを紙に書いて持つことも。
後でtwitterを見ると、UDXと反対側の駅近くにカウンターの人たちがいて、麻生辞めろ!安倍辞めろ!とガンバっていたらしい。
残念ながらその声はUDX前の僕まで届かなかった。わずか100mほどなのに。
一人で、声を上げる。それはとても勇気のいることだと思う。僕にはその勇気がなかったわけだ。
周りから認められたいという人生相談に対してそういうあなたはは自分に何かのメリットがありますか?周りに認められるには周りに対して認められるような自分でなくてはいけないし、周りに認められるために何かしている事すら相談文に書かない人が多いと回答者の人が言っていました。
それを見て相手にとって価値がないのに認められたいとだけ思っていた私はハッとしたと同時にそのことに気づいたからと言ってどうしようもないということに怒りと悲しみを感じた。
どうしようもないというのはどういった人の集まりでも大抵格下扱いを受けるしそうされたくなければ自分のレベルを上げなければいけなくて、そのための能力や能力つけるための努力の才能があまりないないとかんじたことです。
でも能力もなくて努力する才能もないのなら周りから雑に扱われたり、コミュニケーション能力が異常に低い人などとしか関われないのは仕方なのないことでそういった状況に悲観せず認め当然だと思うことが努力の一歩だと思い、今した失敗もあーあと言いながらしゃーない次は気をつけよと自分を慰めた。