はてなキーワード: trainとは
「卒業式で桜ノ雨」「お昼の放送でボカロ禁止」といった話題がネットに上がってから3年~5年、
ニコニコ動画におけるVOCALOID初期作品の『みくみくにしてあげる』や『メルト』からおよそ6年半。
青春の音楽=ボカロって層はまだ学生だろうけど、大学くらいでボカロに触れて楽しんだ人が教職に進んでクラス担任を受け持っていることはありえると思う。
すると生徒とくだけた話もするタイプの教師なら、ボカロ好きな生徒との会話を試みて
「先生が学生のころは〇〇Pを聴いてたんだよー」「そんなP知らなーい」「えっ」
といったシチュエーションがあるかもしれない。
でも私が中学校の頃はどんなに若い教師でも、私たち(のものと思っている)の娯楽にすり寄られるとウザいと感じた。
むしろ私たちだけがその娯楽の面白さを知ってればいいとさえ思っていたから、
冒頭で挙げたネタで出てきた「自分の好きなものを否定されて辛い」って感情は
否定してくる相手が同級生なら共感できるけど、教師だとできない。
モーニング娘。・嵐・浜崎あゆみ・宇多田ヒカル・aiko・椎名林檎・19・ポルノグラフィティ・Dragon Ash・BUMP OF CHICKENは私たちのもので、教師が入ってくるのを拒んでた。
「二宮くん可愛いよねー」より「私の1番は今でもかーくんなの!」という女性教師の方が誠実そうに見えた。
吹奏楽部が定期演奏会で『ザ☆ピ〜ス!』を下級生のダンス付きで披露したとき、飛び入りでダンスに参加した副顧問の男性教師にはかなり白けた。
一方で自身の思い入れのある曲・歌手・娯楽を紹介できる教師は、ちゃんと青春を謳歌して大人になったんだなと好印象だった。
『TSUNAMI』、『波乗りジョニー』の大ヒットで当時40代の教師たちがサザンオールスターズや桑田佳祐を熱く語った。おかげで男子に『マンピーのG★SPOT』が大流行した。
ドラマ『人にやさしく』でTHE BLUE HEARTSを知った子も多かった。体育教師は持久走の授業で『リンダリンダ』『TRAIN-TRAIN』をBGMに流して生徒が関心を示すと、どこか満足気だった。
一番印象に残ってるのは卒業式とは別にあった、教師のくだけた訓話と生徒の出し物がメインのお別れ会。
男子生徒のバンド演奏で2人の男性クラス担任がボーカルの子と並んで歌った、スピッツ『チェリー』。
『桜坂』は大ヒットしてたけど、後発の桜ソングはまだなくて桜ソング=卒業ソングというイメージもまだなかった時代。
それでも春と旅立ちのイメージで選ばれたんだと思う。
『チェリー』のCDリリースは96年。私たちは小4で、大流行してたJ-POPを主にテレビからどんどん吸収していた。
歌った先生たちは教員になったかならないか、でも『青い車』『ロビンソン』なら学生だった世代。
男子生徒たちは普段Dragon Ashを体をくねらせながらコピーしていたせいか『チェリー』だとかっこつけきれず、はにかむような顔を見せた。
先生たちは学生のころの気持ちに戻ったと言いながら、ノリノリで歌い終わったあと赤面してた。
お互いの照れがとても印象的だった。
これがスピッツではなく19だったら、あるいは尾崎豊だったら、生徒と教師が一緒につくった思い出としては今の私に強く残らなかったと思う。
前の「学歴」騒ぎのときもぼんやりと思ってたんだけど(こっちは記事読んでないので誤解があったらごめんなさい)、やっぱりこの人学歴とか学問とかに対してコンプレックスがあるんだろうな。
この人は野菜が放射能に汚染されているのではないかと不安がるおばさんに対し、「あんたは放射能汚染についていったいなにを調べたんだ」、どうせ知りもせずに怯えているだけだろう、と考えているようだ。
そのおばさんが放射能汚染についてどれだけのことを調べたのかは分からない。実際、原爆やチェルノブイリ事故などの影響で漠然と「放射能はこわい」というイメージを持っているだけかもしれない。
過去の言動を見るに高等教育を受けたことがないようだが、放射能汚染についていったいなにを調べ、なにを知っているというのか。どのような根拠で不安に感じる必要はないと考えているのか。
専門家の言を信じただけ、というのであれば、それは信仰の対象が違うだけのオカルトでしかない。専門家の言の根拠を調べその妥当性を検証するだけの能力を、コンビニ店長は備えているのか。私にはとてもそうは思えない。
結局のところ、おばさんもコンビニ店長もオカルトなのだろう。私はそれが悪いことだとは思わない。人は誰もが専門家になれるわけではないし、専門家になれる者もあらゆる分野において専門家であることはできない。そして専門家でない者が「本当に」科学的に考えることは、多くの場合困難であるからだ。
しかしコンビニ店長はそうは考えないのだろう。学歴や学問に対する憧れ、それを持たない自分に対する怒り。そうしたものが形を変え、おばさんに向かった――件のエントリは、あるいはそういう構図なのかもしれない。
個人的な経験で言うと、スキルは仕事の外で身につけるものであって、仕事はそれを(直接的又は間接的に)裏づける実績を出すところ、という感じ。
投資銀行屋がM&Aのノウハウを身につけるとかだと仕事を通してしか学べないかもしれないが、そういう仕事に就いてる奴は大抵「誰でもできる仕事だから」と言う。
これはおそらくそういう意味(ノウハウであってスキルではない)だと思う。
例えば俺は仕事で線形代数とかバリバリ使うんだけど、これは教えろと言われてもとても難しい。
教科書に書いてあることは教えられるけど、使いこなすにはそれじゃ全然足りなくて、学生時代から数えて10年以上、様々な状況で実際に使ったり失敗したり、より抽象的な理論(関数解析とか量子力学とか群論とか)を何度も勉強して開眼したり、やっぱり勘違いだったことが分かったり、無数の経験を通じて脳内のニューラルネットが構築されていい感じに枝刈りされた状態が今なわけだ。
こういうものは恐らく「スキル」と言っていいんじゃないかと思う。
そして、仕事だけではこういうプロセスを経ることは基本的にできないと思う。
ニューラルネットというのは極めて複雑な構造物で、ループバックがあったりフリップフロップみたいな記憶構造があったりで、straightforwardなシーケンス処理としては絶対に記述できない。対して「ノウハウ」というのは、それがどんなに複雑であっても、本質的にシーケンスとして記述できる処理の集まりのことを言うのかもしれない。
そうそう、ジャンプのマンガの「トリコ」に出てきた話で「プロは考えない」というのがある。
これはほんとにそういうところがあって、要するにニューラルネットが十分にtrainされているから、論理的に考えなくてもニューロンに情報をぶっこめば適切な答えが得られるということ。
俺程度でも、数式が書いてあるのを見ると意味を考えなくても何となく間違ってるのが分かったりする。よく考えないと何で間違ってるのかは分からないんだけど、何となく違和感があって間違ってるっぽいなと分かる。