はてなキーワード: gtaとは
元増田だけど、興味はあるんだよ。
いや、違うな。
説明が難しい。
誤解が生じると思うけど、ゲームは凄い好きだった時期があって、今も多分楽しめるのではないかと思う。
ただ、30代になって、子供も出来るといろいろやることもあって『ゲームするのめんどくさい』てなるんだね。
娯楽なのに。
図書館から面白そうな本を数冊借りて、返却日までに読み切れないとき『借りた本読むのめんどい』てなるのに似ている。自由意志で、好きな本を無料で借りて、また暇が出来たら借りて読めばいいのに。
・
面倒でも家事をこなすとか、育児をするとか、仕事に行くとかやると、残った自由な時間なんてほとんどなくて、深い世界観とか自由な操作とか尻込みしちゃう。
子供がアンパンマンに食いついている間に週チャン読むくらいがせいぜい。それも、一冊を2週くらいにまたがって読む。
ただ、今は没頭する事が煩わしいというか、時間は有限なのでやり込めないぶつ切りのゲーム体験が幸せか、わからんのでおっかなびっくり、手を出しあぐねているのです。
商業ビデオゲームの祖であるPongのノラン・ブッシュネルはユタ大学工学部、
更に源流を辿るとスペースウォー!のスティーブ・ラッセルはMIT。
日本ビデオゲームの父とも言えるスペースインベーダーの西角友宏は東京電機大学。
ポピュラスのピーター・モリニューは大学二つ卒業してるみたいだし、
GTAのダン・ハウザーはオックスフォード大学。
大学が知性を保証するわけじゃあないけど、面白いゲーム作ってる人は
木の棒を伝説の剣に見立てるとか「風の声を聴いていれば事故は防げた」
と同じセンスを感じる。
実際に作ってる人は経験とセンスに裏打ちしたうえでしっかり考えて、
受け手が既存のゲームで積み上げてきたものから逸脱しないよう、
それでいて新しい面白さを生み出そうとしてる。
あと日本のゲームがつまらないと思うのなら、単に買わなければ、遊ばなければいい。
昨今なら目立つタイトルはそこそこにローカライズされるようになったし、
日本人が日本のゲームを惰性で買ってるから、作る側も安い作りのゲームを出してくる。
買わないで潰れるなら仕方ないけど、こっちも詰まらないものを遊ぶくらいなら面白い方を選んだ方がいい。
買わないでいれば、もしかしたら潰れる前に冒険して復活するかもしれない。
togetterが見難くて仕方ないのでまとめてみた。
昔書いた記事→問題多いTVゲーム「有害指定」』 完全版は左記リンクから購入できますが、5年前の記事ですが、この後どうなったのか、これからのことを考えるのに有用だと考え、僕が書いた本文だけは公開しちゃいます。
今年5月、あるテレビゲームソフトが神奈川県で「有害図書類」の指定を受けた。地方自治体の条例で規定される有害図書類指定とは、悪影響となる恐れがある書物・映像作品を、18歳未満の青少年に販売することを禁止するものだ。
主に成人誌など性的な表現を扱う媒体になされてきた措置で、テレビゲームソフトを指定したのは、神奈川県が全国で初となった。
「有害指定」を受けたのは、米国のロックスター・ゲームス社が開発した「グランド・セフト・オートⅢ」(GTAⅢ)。日本国内ではカプコンが「大人のエンターテインメントの形成を狙い」、
プレイステーション2用のソフトとして2003年に発売した。世界で1000万本売れている大ヒット作で、国内での販売数は35万本とスマッシュヒットとなっている。
ゲームは、マフィアやギャングの依頼で盗みや殺人、破壊工作を含むさまざまなミッションをこなすというストーリーで、「バイオレンス・アクション・ゲーム」というジャンルに属する。
GTAⅢが「有害」とされた理由は、これまでのような性表現ではなく「暴力・残虐表現」なのである。
テレビゲームは通常、ゲームの本筋から外れる動きはできない。モンスターを攻撃することができても、それ以外の対象を攻撃したり、商店を襲って商品を強奪することは不可能だ。
しかし、GTAⅢはプレーヤーの自由度が非常に高く、本来マフィアと戦うはずの主人公が、意味もなく通行人を射撃したり、バットで殴りかかったりすることができる。究極的な高いリアリティーを誇っており、そのゲームシステムは当時高く評価された。
家庭用ゲームの業界団体であるコンピュータエンターテインメント協会(CESA)は毎年、優れたゲームソフトを表彰しているが、GTAⅢは03年度の優秀賞3作品のうちの一つに選ばれたほどだ。
ところが、過激な暴力表現を含むその内容は倫理観などの観点から物議を醸し、青少年がこうした内容のゲームをプレーすることで、何らかの犯罪を誘発するのではないかとの声が一部で囁かれ始めた。
これらの声は、GTAⅢのヒットとともに大きくなり、主に児童保護団体などが自治体に規制を呼びかけ、神奈川県による有害図書類指定へと結びついたのである。
〝残虐ゲーム規制〝の動きは各地へ波及している。神奈川県に続いて埼玉県が9月にGTAⅢを有害図書類に指定。東京都や大阪府、京都府などもテレビゲームの規制について検討に入った。
GTAⅢは、ゲーム業界関係者などの専門家を含まない児童福祉審議会のメンバーによって、「あんな酷いものを子どもにさせるのは良くない」という、非常に観念的な基準に基づいて「有害認定」されたといえるからだ。
しかもテレビゲームが与える影響について、科学的な根拠が提示されたわけではない。残虐・暴力表現を含むテレビゲームが、青少年に悪い影響を与えるか否かは、諸説飛び交う微妙なものであり、とても十分な議論を経たとは言えない。
また、わざわざ行政が規制を行うことの必然性もきちんと議論されていない。
家庭用ゲーム業界は、コンピュータエンターテインメントレーティング機構(CERO)という特定非営利活動法人(NPO法人)により、ゲームの内容によって、対象年齢別にソフトを分類する「レーティング」を行っている。
レーティングによって、ゲームソフトは「全年齢対象」「12才以上対象」「15才以上対象」「18才以上対象」の4種類に分けられ、現在ほぼすべてのソフトのパッケージに、その年齢以上の表現が含まれることを示すシールを貼っている。
しかし、CEROのレーティングはあくまで、その年齢層への〝推奨 でしかなく、対象年齢以外の顧客に販売することを規制するものではない。
神奈川県をはじめとする行政サイドは、この点を突き、「有効性に乏しい」として規制に乗り切ったわけだが、こうもあからさまに家庭用ゲーム業界の自主努力を無視しては、反発を招くのも当然だ。
経済的な影響もどこまで考慮されたかは疑問だ。家庭用テレビゲーム市場は、国内だけで4000億円規模の巨大なマーケットである。
「規制される恐れがある」という事実は、これまで、ある程度自由にユーザーのニーズを追ってきたメーカーの大きな足かせとなることは明白である。
任天堂のファミリーコンピュータ(ファミコン)以来20年間、家庭用ゲーム業界が年月をかけて模索してきた「面白いゲーム」が制作しづらくなるのだ。
「CEROのレーティングで『18才以上対象』の指定を受けることは大ダメージ。
一部の大手量販店では、『18才以上対象』のソフトは最初から仕入れないところもあり、それだけで当初の見込みより販売本数が大きく落ち込むこともあり得る」。大手メーカーのマーケティング担当はこう本音を語る。
「推奨」に過ぎない自主規制の枠内ですらこうなのに、行政のお墨付きで規制が行われたら、どのくらいの機会損失が発生するかは想像もつかない。
拙誌の『隔月刊ゲーム批評』(05年11月号)において、お茶の水女子大学の坂本章教授は、テレビゲームの有害図書類指定について、以下のように問題点を指摘している。
「第一に、表現の自由を侵害する。第二に、クリエーター育成の障害になる。自分の仕事が法律違反と背中合わせの状況では、クリエーターは十分に創造性を発揮できないであろう。
第三に、思考停止をもたらす。法的規制によって、『ゲーム悪影響問題』は法律で解決するものと捉えられるようになり、多くの人々がこの問題にどのように取り組むかについて考えたり、議論することを止めてしまう」
特に注目すべきは、3点目の「思考停止」である。坂本教授は「ゲームに限らず、さまざまなメディア・作品とうまく付き合えるようにする『メディアリテラシー教育』を重視すべきだ」と続けている。
法規制に伴う思考停止は、こうした教育の機運も損なわせる恐れがある。もう一度考えておきたいのは、「暴力・残虐表現のあるテレビゲームをプレーすることは、本当に青少年に悪影響を及ぼすのか」ということだ。
「ゲームの悪影響」を叫ぶ動きはファミコン時代からあった。凶悪な少年犯罪が発生するたびに、テレビゲームはマンガやアニメなどと共に槍玉に挙げられてきた。
容疑者の部屋からは、残虐表現を含むテレビゲームが発見され、さらにそのゲームを好んでプレーしていたという「事実」がマスコミで報道される。
GTAⅢも今年2月の大阪府寝屋川市で起きた教職員殺傷事件で逮捕された少年が好んでいたとされる。
だが、ゲーム機を所有していない子どもは一体どのくらいいるのであろうか。家庭用ゲーム機の世帯普及率は70%以上ときわめて高く、持っていて当然である。
GTAⅢと同様、残虐表現を含むとして問題視される「バイオハザード」シリーズは、各作品とも国内だけで100万本クラスのヒット商品だ。
家庭用ゲーム機所持者の大半は、バイオハザードシリーズのいずれかの作品をプレーしたことがあると言っても過言ではない。本当にテレビゲームソフトが子どもに悪影響を与えているのなら、少年犯罪はもっと増えることになる。
技術の発展によりテレビゲームの表現や描写は、現実と見まがうほどリアルになってきた。それが現実とバーチャル世界の混同を招き、ゲーム世界を模倣した凶悪な犯罪を発生させる引き金となることは、可能性として否定できるものではない。
ゲームを制作するメーカーは、こうした点も憂慮し、確たる倫理意識を持って青少年に有意なテレビゲームを提供する責任について、考えていかなければならないだろう。
また、今回の行政による規制が家庭用ゲーム業界の危機感を煽り、大きな問題提起となった側面もある。
CESAといった業界団体は、GTAⅢの有害図書類指定を受けて、明らかに18歳未満とわかる購入希望者には「18才以上対象」ソフトを販売しないなど、より強制力の強い自主規制プランを発表し、その実施を販売店各社に要請した。
今後、行政と家庭用ゲーム業界の間で共に「テレビゲームの有害性と規制」について、大いに議論がなされるのであれば、今回の規制は良い結果を生むことだろう。
ただし、「臭いモノには蓋をする」だけの場当たり的な規制でしかないのであれば、やはり強制的な法規制はあまりにも問題が多い。
表現・言論の自由の尊重という観点や、ユーザーのニーズを満たせずに産業として衰退する可能性という、経済的な視点からすれば危険ですらある。
そして議論の場に、「悪影響」を受ける対象者である青少年の声を反映させなければならない。
今回の論争は、筆者のような「大人になったファミコン世代」と「ゲームを知らない世代」ばかりが熱い論争を繰り広げ、肝心の対象者が置いてきぼりになっている。
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090724/1248440858
コメント欄より
>tikani_nemuru_Mさんは今回の記事の前半で性犯罪と凌辱表現を直接結びつけて論じているけど、性犯罪以外の問題についても同じ意識を持っているんですか?
例えば「暴力が蔓延する社会において、純然たるフィクションとしての暴力表現はありえない」とも主張しますか?
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全くその通り。地下猫は
「チラ裏に何を書いても自由だが、それを他人に見せるのはいけない。なぜならそれが社会に存在することにより傷つく人がいるから」
と言ってるんだろう?(違うってんならわかるように説明しろよw)
とすると、必然的に「暴力により傷ついた人がいる」から「暴力の含まれる表現は、他人に見せる事は許されない」となる。
GTAはもとより、007も西部劇も時代劇も、あらゆる暴力表現は許されないということになる。
それがおかしいと言ってるんだよ。007を見た人間は他人に暴力を振いたくなるのか?そんなことはないだろう?
何かおかしな点があるか?
フィクションだって、ミステリーやサスペンスなんて人が死ななきゃ話にならない。
単純に重みで考えれば殺人の方が当然重いんだが、
個人的には不良マンガの方がイヤなんだけどな。
http://anond.hatelabo.jp/20090514181650
メガテンなんかが人間の敵キャラも出てくると思ったが、そいつら倒して(=殺して)鬱になるのか?
ハリウッドのアクション映画なんてどんだけ人が死ぬ?怪我する?
主人公とヒロインが悪の組織から逃げ回ってる時の被害、あれはヒドイぞ。
鬱なんてもんじゃないぞ。
でも鬱にならないだろう。
・・・と、ここまで書いて思ったんだが、
世の中にはそりゃいろんな害悪になるフィクションが溢れているわけだ。
ベタな話になるが、ミステリーなんて人殺しの教科書みたいなもんじゃないか。
結局「性」という特殊性が問題なんじゃなかろうか。
車かっ飛ばしたいっていう欲求よりも、
不良になって暴れたいって欲求よりも、
人殺したいっていう欲求よりも、
女とヤリたいって欲求の方が、一般的でリアリティがある。
最古の職業は売春婦だっていうくらい、セックスってのは人間と切っても切り離せない欲求なわけだ。
三大本能って言うくらいだしね。
どんなものでもより先鋭化、過激な方向に進んで行くわけだ。
過激になりすぎたら、そりゃあ議論が起きる。
今がそこなんじゃないの。
自由度が高いと勧められてfallout3を買った。
確かに良くできているとは思う。が、個人的にこれを自由度が高いと言いたくはない。
理由としては3つ、
・選択肢の幅は広いが、それに対する回答が用意されているだけ
・自分の選択が遠くに波及しない
・人間が復活しない
ということ。
1つ目はよくある話なんだけど、選択肢がその直後ぐらいにしか影響しない。
こういう形式をやるなら、せめて全部の選択肢に「無言で撃つ」ぐらい欲しいところ。
2つ目が何だかんだで一番気に食わない点。
自分で選んだ選択の効果が感じられない。
「あ~、あのときあれを選んでなければ」ってのが欲しい。
3つ目は賛否両論あるとは思うけど、ゲームなのに遊びで殺せないってのは嫌だな。
せっかくいろいろ動けるんだから、GTAみたいに面白く遊びで殺せるシステムにして欲しかった。
まぁ、これをやると全然ゲーム別物になるから、やらなくても良いけど。
結局、個人的には自由度が高いというからには、
ルールを用意してその中で自由に遊べるぐらいにして欲しい。
「何コレ・・・俺には全然理解できないんですけど」
的な空気だしね。
思っているほど現状は見えてないんでしょう。
まぁ個々の良し悪しは追いとくとして。
今にして思うと発売前の大騒ぎの時にはほとんどが
ギーク、ガジェオタとして使っててどうかって話ばっかで、
どう引っ張っていくか、そういうコンテンツ獲得に誰か
積極的に動いているのか、あるいはそれらを乗り換えさせる
キラーコンテンツを用意できるのか、って話をしなかった、
っていうか出来なかったのが穴だったんだろうなぁ。
ギークよりそっちなんだから。
話題に挙がるのが開発環境とか参入条件とかそんな話
ばっかりで肝心の「ドラクエは? FFは? GTAは?どうなるの」
ってハナシを誰もしない、出来ないようなもんなんだよなぁ。
最近PCでエ@ュを動かして色んなゲームをさわりだけプレイしながら思ってるのは、やっぱりゲーム機の性能が高いほど面白いゲームが作れるということ。レトロゲームも面白いけど、実際はともかく、論理的には新しいゲームのほうがもっと面白いはず。
ハード性能の向上による恩恵は、目に見えて進化がわかるグラフィックのクオリティアップではなくて、目には見えないゲーム内部で行われる様々な演算をより多彩かつ複雑なものにできることに真価があるのでは、と思うようになった。
ゲームマニアとしてレトロゲームに物足りなさを感じていたのは、グラフィックではなくプログラムが原因。ハード性能という制約によってシステムに味気なさを感じてしまう。もしくは実際に理想形から若干間引いて妥協をしているのかも。
一見シンプルに見せ実際シンプルに動かせて楽しめるものを、内部では超複雑な計算によって成立させ、内部構造を隠し半ばブラックボックスになってるようなゲームこそが本当に面白いんじゃないか。ゲームの進化はグラフィックの進化ではなく、システムの進化。
それはシェンムーやGTA、オブリビオンやFableみたいな、大きな仮想空間を用意してそこで色々と楽しむゲームじゃなくて、Wii MusicやSPOREだって、現代のハード性能とプログラム技術じゃないとできなかったゲームだと思う。ハード性能の向上をグラフィックではなく、システムで目には見えない進化をこれから示していって欲しい。
そう思ったら、一見進化を止めて閉塞し手詰まりっぽくなっているようなゲームにもまだまだ進化の伸びしろがあるな、と感じられた今日この頃。自分にはその理想像は、まだ見えてこないけど。
あー。そのとおりだ。
「女子高生のリアリティが云々」言ってるのも「思いつきの実際」だしな。
どっかで別の増田が書いてたけど、アレはハイティーン向け少女漫画を文字起こししたものに非常に近い。ヒーローはDQNだけど純愛とか。でもマンガでは絵によって担保される表情とか情景描写が致命的でつらい。まさか自分が200p前で断念してしまうとは思わなかった。おおますだよ しんでしまうとはなさけない!てな感じ。HP0になったのでGTA:SAでテリトリー2つほど占領したら寝ます。