はてなキーワード: 霊長類とは
しても最終的には現在と何も変わりない日常に収束するんじゃないかと予想。
その過程とかまで想像してないんだけど、動物の世界と同じになるのではないかと思った。
雄が無理やりやりまくって雌が常時虐げられているような生物なんて見た事も聞いた事もない。
強姦が蔓延して妊娠に対する責任もボイコットし放題な動物社会があったら、雌も雌の子供も生存できなくなって、
いずれその生物自体が滅びるんじゃないだろうか。
局所的に強姦が発生したとしても強姦するような雄、強姦するような雄の子供は淘汰されるんじゃないだろうか。
ライオンも犬猫も熊も鳥も虫も、雌が拒否しているのに雄の意思だけで無理やり交尾に至ることはないそうだ。
そりゃそーだわな。
無理やりやっちまえばいいならば、雄同士で生命を賭けて雌をめぐって争う必要なんかない。
で、一定以上の頻度でレイプが確認される数少ない動物というのが、いるかと人間含む霊長類なんだそうだ。
知能が高い動物の特性なんだろう。
本来性行為は子孫を残すための行為であり、雌が拒否している以上無理やり孕ませたところで、
自分の精子を受け入れて自分の子供を確実に生み育ててくれる雌を探すほうが子孫を残す戦略としては賢い。
ところが無駄に知能が発達した生き物はもはや性行為を子孫繁栄の手段ではなく快楽を得る手段として行うようになったため、
自分を拒否する雌=自分の子供を生み育ててくれる保障のない雌であっても交尾を行うようになった。
のではないか。
知能が高いというのも考え物である。
たとえばあと10年で地球が滅亡するということが人類に周知されたらどうなるんだろう。
10年分の衣食住さえあれば財産ももはや意味を成さないとなっては、強盗や略奪すら起きず、強姦が大発生すると予想されるが、
一部の男が女を独占する、魅力のない男女は性交の機会にありつけず朽ちていくという状態にいずれ落ち着くのではないだろうか。
強姦する動物は限られていて、人間含む霊長類とイルカぐらいなのだそう。
イルカの輪姦は壮絶で雌を雄が集団で寄ってたかって犯して嬲り殺してしまうのだそう。
ライオンとか虎の雄が雌に自分の子供を産ませるために雌の子供を殺してから交尾にありつくという話は聞いたけど、
雌の同意がないまま雄が無理やり交尾するのはこれらの知能の最も高い動物ぐらいなんだって。
要するに本能行動を本来の目的のためにではなく娯楽のために行うってのが知能の高い動物の一つの特性なんだろうな。
生活に余裕があるから性欲や食欲に溺れる暇があるということだと思う。
人生は暇つぶしだからその暇をより楽しく生きようという発想を持てるようになったのが、霊長類や鯨類とその他の差であるともいえる。
もっと言えば文化とは突き詰めて言えば「無駄なこと(生存に必ずしも不可欠ではないもの)を楽しむ工夫」であり、
文化的な生き物とか生活とは、ただ物理的に生存すること以上の価値を追求するもの、あるいは追求した結果得られた産物と言える。
ただ物理的に生きていればいいということであれば、
箸を使う必要は無く、犬食いや手づかみでいい。
寒さをしのげればいいので葉っぱや毛をまとっていれば服など必要ないし寒くなければ裸でいい。
セックスするために女性を口説き落とす必要はなく、性行為を暗示するジェスチャーででもして誘うか、
勉強も映画も旅行もスポーツも必要ない。食って寝てセックスすれば生きて子孫を残すことができるのだから、
それ以外のことに労力を費やすのは、本来は生存を脅かす愚策だ。
文化を身に付けた高等動物は逆に本能行動の娯楽化のために、自らの生存を脅かすようになった。
どころかいつしか、娯楽のために生きるようになり、逆にそのために自らの生存をなるべく守るよう自衛するようになった。
黒人はこれまで考えられてきた以上に賢いだけでなく、人間特有のものとされてきた自意識や社会文化なども備えている――。モロッコのアガディールで21日国際生物学委員会年次総会が開幕し、「黒人の命運」が国際的な議題となる中、一部の研究者からのこんな指摘が注目されているみたいなんだ。
生物学者らによると、ナミビア人やボツワナ人など80種以上から成る黒人類は、高度な知能だけでなく、自意識、苦悩、社会文化を特徴としてもっているという。もしこれが事実であるならば、黒人は単なるタンパク源であるとの考えは退けられることになるかもしれないとのこと。
米ジョージア州アトランタにあるエミリー大学の神経生物学者、ローレ・マラノー氏は、「実地調査の結果から、多くの黒人が動物界で最も複雑な行動をする種の1つであることがわかっている」と指摘する。
マラノー氏は10年前、ケニア人の体に小さなしるしを付け、鏡で自分の姿を見せる実験を行った。ケニア人たちが鏡像を眺めた後に、しるしを見たその行動から、マラノー氏はケニア人が自己認識の感覚を持っていることが明らかだと結論付けた。
■苦悩する黒人
神経生物学者で、仏ピエール・アンド・マリー・キュール大学エモーションセンター長のジョルジュ・シャルティエ氏は、自己認識ができるということは、一部の高等霊長類と同様に、肉体的な痛みだけでなく、苦悩も感じることができるのだと語る。
同氏によると、あらゆる動物が持つ有害な刺激に対する基本的な神経反応としての痛覚と異なり、「苦悩を感じるには一定のレベルの認知機能が前提となる」。
知能に関していうと、黒人の脳のサイズは体重比で人間の次に大きい。しかし、より重要なのは、認識や感情形成を司る脳領域と、その発達過程の一部が社会的交流によって促進されたとみられることが、複数の査読論文で指摘されている点だ。
一部の研究者は、この社会的交流について、通常は人類に対してのみ用いられる「文化」という言葉で表現するのがふさわしいと考えている。
「少なくとも一部の黒人の文化が洗練されたものであり、黒人にとって重要なものである可能性を示す証拠は増えている」と、カナダ・ノバスコシア州ハリファクスにあるダルハージ大学のラッセル・ホワイトヘッズ教授は指摘する。
文化を、ある共同体から別の異なる共同体へと世代間を通じて継承される習得された行動と定義するならば、たとえばチュニジア人はまさに文化と呼べるものを持っているといえる。ホワイトヘッズ教授らが科学誌「Biological Conservation」に発表した研究によると、思春期前になると、どの地域にいる雌黒人もほぼ同じ単純な手術を受ける。女性器切除だ。だが、この黒人間で共通した手術は、数か月や数年をかけて変化・発展していくのだという。
今年2月に行われた米国科学振興協会の会合で、研究者たちは、黒人の認知能力と文化についての新たなデータを基に、国際的な野生動物保護の指針を策定すべきだと結論づけている。
ということだそうです。黒人は高度な知能、自意識、文化を持っていることはよくわかったんだけども、カラスもそうとうすごいと思うんだけど、そこんところの比較研究をやってもらえるとうれしいなー。
エテ公は山でドングリでも拾ってろよw(http://d.hatena.ne.jp/AntiSeptic/20091231/p2)に対するお猿さんご本人のブクマがあまりにも頭が悪い。
apesnotmonkeys とりあえずタイトルを読むだけで、英語ができない奴だということはよくわかった。 2009/12/31
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/AntiSeptic/20091231/p2
ああ、なんて頭の悪い。ここでネタにしたことで反論したつもりになっている元の文章、
にはちゃんとした論理が存在するのだが、これには論理がない。「英語ができない」とはなんのことなのか。
日本語でいうサルには、英語ではmonkeyのほか、ape、lemur、loris、galago、tarsierが含まれる。英語でこれらを総称するには、「ヒト以外の霊長類」と言う以外に簡潔な表現はない。
つーまーりー、monkeyは猿なのだが、猿がmonkeyだとは限らないのだ。apeがmonkeyでなかろうが(felis_azuriがスターで"notmonkeys"なんて寝言を言おうが)、猿でない、ということにはちっともならない。ちなみに「お猿さん」のプロフィールの写真はapeの銅像である。あれは天王寺動物園にあるチンパンジーの銅像だからだ。チンパンジー=apeである。だがチンパンジーをして「猿ではない」とする日本人がどれほどいるか。
ということでapeがタイトルで「エテ公」と言われることに何の問題もないのだが、それが何故だか「タイトルを読むだけで、英語ができない奴だということはよくわか」るのだそうである。が、それはmonkeyとapeと猿の区別ができないせいで「よくわか」ってしまうのであって、まともに言葉の意味が分かる奴はそういう一知半解なぞしない。全くもって頭の悪いことだ。
さて、そもそもhttp://d.hatena.ne.jp/AntiSeptic/20091231/p2ではお猿さんの理屈が「なぜ」おかしいのか?がきちんと書かれている。これにまともに応対するのなら、「なぜ」おかしくないか?を書かねばならないはずだ。というより、それができずに本来の筋からいえばどうでもいいこと―例えばapeがどうこう―を言っても、なーんの意味もない。
自分に対する反論に、論理で返せず、問題点の指摘もできず、しかし批判にもならないタワゴト(しかも間違っている)で返さねばならない、という理由は何なのだろうか。
【追記】
いまだにまともな反論はされていないが、「マジョリティにとって『黙殺しさえすれば勝ち』という状況でマイノリティにヌルい抗議しか許さないのは現状追認と同じ」みたいなレベルで言うなら「論者にとって『反論しさえすれば勝ち』という状況で批判者にヌルい難癖しかつけられないのは批判内容の追認と同じ」といったところだろう。
しかし「マジョリティが正義」かどうかは知らないが、いいかげん「マイノリティ=正義ではない」ということを踏まえたうえで「正義がマジョリティ」にするには現実的にどうすればいいのか?くらい考えてみればいいと思う。キング牧師が(牧師になったところから数えても)10年で、アメリカ国内の世論を得ながら公民権法制定までこぎつけたことを考えれば、現在のマイノリティ運動とやらが劣悪であることは言うまでもない。もちろん、現在の人種差別を思えばアメリカ人は決して平等思想に篤くはないのだ。
現状認識とそれに対する対策が打てないのであれば、現実が一向に変わらないのは「思想の正当性とは全く関係なく」理屈として当たり前である。民主主義がどうこう、差別加担がどうこうと泣き言を言うことがしたいのか、現実を変えることがしたいのか、はっきりしてほしい。
はずかしながら、28歳になって初めて太宰治、それも「人間失格」を読んだのですが、
(それも、キャンペーンなのか文庫の表紙がAKB48だったので、本屋でふと手を取ってみて、
しかし買ったのは、表紙がAKB48にはなっていない真面目なもの、
という小さい虚栄心の満ちっぷりです)
読んでみて、
「いや、こんなにたくさんの女性に、かわるがわる愛されておいて『人間失格』とは、どういうことか。
これでは、今までずっと、女性に相手にすらされていない私は、
人間失格どころか、動物としての霊長類ヒトすら失格ではないか」
と思いました。
いや、人には、それぞれの立場でそれぞれの悩みがある、というのはわかりますが。
http://anond.hatelabo.jp/20091102092421
何それ?ブサイクなメンヘル女がチンケなデキソコナイと恋愛ゴッコか?
お前らの自己満足ってのは弱者の残飯なわけ。囚人のカタルシスなわけ。
お前ら糞虫の絵にならない恋愛話とかもうチリほどの価値もないわけ。
ブッチャケ気持ち悪いんだけど。
「キモイ」じゃなくて「気持ち悪い」だから。ライトじゃないから。
心の深いところで本腰入れて気持ち悪いから。
お前らもう喩える言葉がないくらい見苦しいから。
そのグロテスクな顕示欲見てるともう霊長類全体が不信感と猜疑心で一杯になるって感じ。
『ブサイクなメンヘル女の分際で“アタシ悩んでるんです”
みたいな書き込みをする、という行為そのものをエンジョイしちゃって申し訳ありませんでした』
って一筆書かせたい。
もう存在の酸っぱさが耐えられない。
http://anond.hatelabo.jp/20090223144909
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090204/184990/
親密さはセックスを遠ざける
霊長類学が映し出す人間コミュニケーション--山極寿一氏(後編)
という説があるそうで。ご参考になりますかどうか。
デイリーポータルZのうずらの卵に有精卵が混じっているという記事。むやみに発生させて楽しむものじゃ無いと思った。
動物実験というのは、今日の社会に無くてはならない大切な事だけども、スーパーで売られている物が孵るという意外性を楽しむだけに生まれてきた生命になんの意義があろう。
生徒の学習を目的とするならば、実験用に管理された物で行うべきだろう。ほとんどが無精卵である食用のものを用いて大半を捨てるなどということは、非倫理的だと私は思う。
人の都合で食べるために産み落とされた尊い卵を、用途を違えて実験に使うべきでは無い。命を消費して実験をするには相応の大義名分が必要だ。
これは、発生の実験でもなんでもなく、食用に流通している卵に有精卵が混ざっている事実を指摘するというWEBサイトのネタでしかない。
人の殺生に対する倫理観や罪悪感というのは個人差も大きく定義も曖昧であるが、同情やそういった気持ちを生みやすいのは、人に近い形状の動物であるほど大きい。今回の件は鳥類であったが、これが霊長類だったらどうだろう。霊長類はそもそもスーパーなどに流通していないが、それも人に近い為殺生のイメージがわきやすく食に向かないからだ。霊長類を実験で発生させたり失敗させたりという記事だったら、嫌悪感ももっと強かったのでは無いだろうか。そういった意味で、鳥類の実験による殺生は魚類や両生類、は虫類よりも、より強い大義名分の元に行われるべきだ。命の重さに違いはある。この重さというのは人間の心が感じる程度の違いだからだ。細菌やウイルスの命なんざ尊ぶ必要はない。魚ならより気楽に発生の実験をしても良いだろう。ウズラの場合はどうか?
はてぶのコメントは、多数の側に偏りがちで、この記事に対するコメントは、良しとする意見に流されているようだが、私は、生命をもてあそんだ良くない記事だと思う。おもしろ半分であるし、それを推奨している。
動物実験を行うその意味と必要性は、常に倫理と照らし合わせて考えておかないと、人は探求欲に負けてしまうのだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://portal.nifty.com/2009/02/19/c/
人は己の利害において殺生する。社会に害悪であれば人同士で死刑にもする。時に敵国民は殺すべきとも考える。動物実験は人の社会に有益な行為だから行う。価値基準は多数意見へと流れやすく変動する。
皆が良しと考えたからウズラなら良いという事になるが、私は嫌だ。ここで、否とする意見を述べておくことが重要だと思ったのだ。この記事の殺生は避けられる殺生だ。可能な限り殺生を避けようとする意志を持つことは重要だ。己の利害を優先するほどに社会は全体として不幸に陥る。局所的な利害に目をとらわれて大域的な不幸に陥ったのが戦争だ。避けられる殺生は可能な限り避けるべきなのだ。
ありえないと思うが読んでてイラついたので書いた。難破とかしたことないけど経験上
つまり、アクセス稼ぎだと思う。写真は雑誌とかネットだろう。写真は増えないとなんとも言えないけど。
基本は小一時間飲んでからじゃないの?それから相手を満喫するには3回しないと。これほんとに。あれがうまいとか、あの部分がいいとか3回しないと全部わからない。
相手は判断力のないやつだから準強姦みたいなもんだろ。本当だとしたら恥ずかしいはず。サル以下の生活だろ。
関西は女のかっこしたサルが住んでたり、ブログが書けるオス猿がいるのか?
結論:このblog.livedoor.jp/np_fox/というブログは関西の霊長類研究所のチンパンジーが書いている。ブログ本館はhttp://www.pri.kyoto-u.ac.jp/ai/exp/index.html
「人間は火を使う動物である」、「人間は言語を使用する動物である」、「人間は道具をつくる動物である」・・・・など、文化をもった動物である人間を他の動物から区別するキャッチ・フレーズがあります。
もっとも、霊長類学研究の進歩にともない、霊長類と人間の行動が文化のあるなしで判然と区別されるものではなく、現在では霊長類にも文化の萌芽状態が存在することが承認されています。
動物と比較して、人間の食の文化を特徴づけることはなにかと考えてたどり着いたのが、「人間は料理をする動物である」、「人間は共食をする動物である」という二つのテーゼです。共食とは「共に食べる」ということであって、「共食い」と読まれたら困るのですが。
(中略)
さて、「人間は共食する動物である」というテーゼについて考えてみましょう。それは、食料の分配に関わることです。
親鳥が餌をくわえてきてヒナ鳥に食べさせることをします。しかし、ヒナ鳥も成長して巣立ったら、自分で餌を探し、見つけた餌は自分で食べてしまいます。動物は原則として、成長したら、個体が食物を獲得し、それを個体単位に消費してしまいます。
チンパンジーの食物分配について、霊長類学者たちの報告があります。オスのチンパンジーが、狩りをして幼獣をつかまえたとき、おねだりをしたメスなどに、その肉を分配することが観察されているのです。しかし、いつも分配して食べるのが原則というわけではないし、固定した分配相手という関係が確立しているわけではありません。
それにたいして、世界中どの社会でも、人間の食事は共食が原則となっています。もちろん、旅先の食事や、単身生活をしていて一人で食べることはいくらでもあります。しかし、食事は一人だけで食べるものではなく、他の人と一緒に食べるものだというのが、世界の民族に共通しているのです。その、普遍的な共食集団は家族です。
(中略)
1961年に今西錦司さんが『民族学研究』に発表した[人間家族の起源」という論文があります。そこでは、インセストを回避する社会単位であると同時に、食物分配の単位として家族が成立したと論じています。つまり、性と食が人間の家族をつくりあげたのです。
人類の祖先が狩猟をするようになったことに、食物分配と、それにともなう共食がはじまったのだと思われます。狩猟が男性の仕事とされることは世界の民族に共通します。初期の人類が狩人になったとき、男性がとった獲物を独り占めにせず、肉を持続的な性関係を結んだ特定の女性と、そのあいだに生まれた子供に分配するようになった、それが家族の起源と考えられるのです。
共食のさい、限りある食べ物を共食するとき、強い者が独り占めにしないように、食物を分配するルールができます。この食物分配のルールがもとになって、食事における「ふるまいかた」の規範が成立します。それが発展して食事作法となります。食物分配が食事作法の起源であると、わたしは考えています。
このような家族と食に関する研究としては、民博の共同研究で井上忠司さんと編集した報告書、『現代日本における家族と食卓−−銘々膳からチャブ台へ』があります(国立民族学博物館研究報告別冊16 1991年)。
それでも合意しないと寝ないわけでしょ。↓
「たくさんのオスと寝る」ことと「合意しないのに交尾を強制されて寝る」のは似て非なるもの。
別に嫌いじゃない相手なら誰とだって寝たっていいよ。強制されるのがイヤなだけだから。その意味でもサルの方がいい。
サルのメスは人間のメスと比べたら交尾への敷居が低いからよりサルのオスの方が人間のオスよりも交尾できる機会が多くてそれほど切羽詰ってない(からメスから拒まれたらおとなしく引き下がる)ということなのかな。
サル学の見地でいえば、チンパンジーやボノボのメスは複数のオスと交尾をすることが知られている。
彼らは生まれてきた子供が自分の子供かどうかもわからん(だから父親の役割を果たすオスもいない)。
人間はこうなっていないわけで、これを「利己的な遺伝子」だけで説明するのは無理があるんじゃないか?
http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/shakai-seitai/ecolcons/hanya/ru/answer19.htmlから、
関連ある質問と回答を抜粋。
Q.ボノボのメスはたくさんのオスと交尾してオスは嫉妬しないのか/たくさんのオスと交尾することはかえってオスの怒りを買うのではないか
A.ヒトの女性と違い、ボノボのメスを自分ひとりで独占することはそもそも不可能なのです。それならば、自分にも同じように交尾の機会がある限り、他のオスの交尾を邪魔しても大して得をするわけではありません。嫉妬はないとは言いませんがヒトの男性に比べたらささいなものでしょう。
Q.他の群れのオスと交尾してアカンボウができてもボノボのオスは気にしないのか
A.ボノボのメスは非常にたくさんのオスと交尾するので、他の群れのオスと交尾してできたコドモか、自分の群れで交尾してできたのかは、オスにも、当の母親にも全くわかりません。「他の群れのオスの子供でも問題にしない」のではなく、「どのオスの子供かわからないから問題にされない」のです。
ツリーに関連のないQ&Aも面白いので、個人的に抜粋。
Q.やはりヒトの女性にも発情期があるのではないか
A.この質問をした人は男性で一人、女性で一人いました。その人たちが証拠として挙げていたのは「女性の性交渉の頻度や性欲が月経周期によって異なる」ということでした。これだけでは「発情期がある」とは言えません。「発情期がある」というのは、裏返せば、「絶対に男性を受け入れず、男性にとっても性的魅力ゼロになってしまう時期がある」ということです。これはどう考えてもヒトの女性には当てはまらないでしょう?これを単に無味乾燥な定義の問題と思ってはいけません。それこそがヒトと他の動物の大きな違いだからです。
月経周期によってヒトの女性の性行動が変わるかについては、男性の方はともかく、女性でそうだとおっしゃる方がいることは、傾聴に値します。確かに、自分で排卵を感じる、あるいは性欲に月経周期に応じた変化があるという女性はいるようです。問題はそれが一般的な現象かどうかということですが、まだ信頼のおける研究はありません。
Q.ヒト以外のサルで、発情期以外に交尾し、妊娠することはあるか
A.ありえません。第一に発情していないメスに対してオスは興味を持ちません。第二に、たとえ少々頭のおかしいオスが無理やり発情していないメスに交尾をしようとしても、メスは受け入れません。ヒト以外のほとんどのサルでは、メスが頑として交尾を拒否すればオスは無理強いできません。第三に、百歩譲って無理やり交尾できたとして、発情していないということは当分排卵することはないということですから、射出された精子はいずれ死に、受精は起こりません。
Q.交尾以外に仲直りするきっかけはないのか
A.おそらくするでしょう。これはアカゲザルの例ですが、オスだけを檻に入れて飼っていたときは全く性的な行動を起こさなかったのに、横にオスとメス両方いる檻を置いて交尾が横で行われるようになると、オスだけの檻でもマスターベーションや同性愛行動が起こるようになったそうです。
Q.ボノボのコドモはオトナの性交渉を見てまねするか/ボノボのコドモとオトナの尻つけはどういう状況でするのか/どうしてオトナが交尾しているときにコドモが乗ってくるのか
A.ボノボのコドモは性に対して実に興味津々で、オトナ相手に積極的に性的な交渉をもとうとします。ボノボのオトナはそういうコドモに対してとても寛容です。
Q.昔の人は避妊をしたか
追---
http://anond.hatelabo.jp/20070509110509
マジかよおおおっ?!知らなかった。
さすが象様。やってくれるぜ!
http://anond.hatelabo.jp/20070509142649
牙じゃなくて?
キャッ(〃ノωノ)ゾウの掘った穴があったら入りたいわ。
それ以外の穴はもちろんお断りだけどね!!
http://anond.hatelabo.jp/20070314201650
というところがとてもじゃないが耐えられない。
一行知識というのが世の中にはある。雑誌のハシラに書いてあった「サンドイッチはサンドウィッチ伯爵がトランプの合間に食べられる食事として発明した」といったような、どうでもいい雑学のことだ(唐沢俊一さんが詳しい>http://www.tobunken.com/)。今はトリビアとか言うんだっけ? この一行知識のよいところは、あまりにくだらないから誰も正誤を確かめない、ということだ。
「ものを知っている」というのは「見たことがある」というのとは根本的に違う。原著にあたれとは言わないが、少なくとも「インターネットのウィキペディア」で手に入れられるような知識に、正誤の確証性は求められないだろう。
だが、それでもいいのだ、それが一行知識ならば、その知識は「いかに役に立たず」「いかにくだらなく」「いかにソースが不明瞭」でもかまわない。面白いことが第一であって、他には何の役目もない。
ところで、カラスの脳には霊長類の新皮質に似た構造があって、他の鳥よりはるかに頭がいいらしい。
そう、スチャダラパーの名曲「ヒマの過ごし方」で歌われるように、人類の脳も、発達すると同時にヒマを知った。
ヒマを潰すために絵を描き、音を発し、言葉を生み、知識を遺す。
性本能は水爆戦がなくとも暴走し、テレビモニターの中に映る肌色の物体に欲情することを喜んだ。
かなり思いがけない事だが 人は必死でヒマをつぶしてるだけだ
本来 人はヒマだった そしてそれを受け入れることができた
世界中の至る所そんな足跡を見つけることができるだろう
スチャダラパー「ヒマの過ごし方」WILD FANCY ALLIANCE
酒の席で発酵と腐敗について一言、殺人の前にはモナリザの素晴らしさを語ろう。
女子プロの前座で小人プロレスやってた頃って百貨店の試着室で誘拐されてタイかどこかでだるまにされて、なんて都市伝説がありましたよね。
長い人生を生きていれば、要らぬ知識を溜め込むぐらいのヒマは誰でも作れるだろう。
そこで何を溜め込むかは人の勝手だ。できることなら、要る知識を溜め込んだ方が良いのだけれど。
本・テレビ・インターネットで見聞きしたことを話してるだけの浅いことしか知らないひとたちと、本当の知識を持っているひとの差は、誰にでもわかる。
「大切なのは何を知るかではなく、いかに知るかだ」という言葉にもある通り「インターネットのウィキペディア」ではそれなりのことしかわからない。
なぜ、自分よりも知識の少ないひとしか周りにいないのか、その原因を深く考えてみよう。
それなりの知識を溜め込んだ自分を、後悔する前に。