はてなキーワード: 鬼嫁とは
といっても30年近く前の話。もうおっさんだ。
小さい頃は女の子の方がませてるよね。その子は7歳、自分は12歳。
親戚が集まったときに、人気のない老化でキスをねだってきたんだ。
そのときはしなかったんだけど、家も近いし、しょっちゅう合うし、お泊りで寝るときは一緒の布団に寝るから、そこでキスした。
初キスはその子とだ。可愛かったしね。初めての時はドキドキするよね。たとえ親戚の子でも。
それからは、合うたびにチュッチュッするように。
最初は、下の方は触らせてくれなかった。触ろうとすると、弟に言いつけようとするんだ。
でもそのうちだんだんと緩くなっていく。
キスは舌を絡めるようになり、同じ飴を交互に舐めたり、自分の硬くなったアレを触らせたり、その子のアソコを触ったり、、、
その子の家に泊まりに行って、その子を素裸にしたんだ。もちろん全然嫌がらない。
おっぱい吸おうと思ったんだけど、ペッタンコだし乳首もないから口をつけて真似しただけ。その子はくすぐったそうに笑っていたけど。
足は、恥ずかしかったのか、開かなかった。
もし、あの時に戻れたら、全身くまなく舐めてやって、おっぱいは舌でチロチロ舐めて、足を開かせてアソコをペロペロ舐めて、四つん這いにさせたり、裸エプロンにしたり、服を着せてからパンツだけ下げたポーズにさせたり、、もし濡れたら、、入れちゃうな。
でも、11になって膨らみかけたころからキスとかお触りとか嫌がられるようになった。
それでも、膨らみかけのおっぱいを触っていたけど、段々できなくなって、ついに終わった。嫌われたってことじゃなくて、そういう関係が終わったってこと。
12歳になったらその子、完全におっぱいが膨らんだ。その子が隣で寝ているのを見て、オナニーするしかなかった。
一番触りたい大きさの時に触れなくて、すごく残念で悔しかった。
今は鬼嫁と子供がいる。そんでもって、生き写しのその子の娘にメロメロ。
まあ、人生なんてそんなもんだ。
京浜東北線の赤羽駅あたりの車中で、携帯電話で話す声が聞こえていた。
なんかむかつくー
え?炎上
(話し相手もびっくりして引いていたのか、何度も言っていた)
あまりの会話内容にびっくりして見上げたら、
ヤンキー風情を帯びた黒のギャルぽいミニスカートの服装、でも身長170くらいで、柔道でもやっていたかのような体格。芸能人で例えるならば、北斗晶(鬼嫁)が女装しているような外見のお姉ちゃんでした。北斗晶は根が良い人だから好きですけどね。
向こうも気まずい思いをしたのか、羞恥心か道徳心があったのか、そそくさと別車両へ移動していきました。
数年前のことですけどね。
でも、あんな人に絡まれるのはごめんだわ。いろんな意味で。
鬼嫁とか子育てとかそういうののまとめみて「こんな人間いねーだろーw」みたいな感じでおもしろがってたんだけど、自分の親(特に父親)がそれに近かった
孫をかわいがりたいけど、面倒をみるのは嫌。うるさいのも嫌だし(泣き声)家が汚れたりするのも嫌
文句を直接言うのは言いにくいのか母に言わせる、溜まった鬱憤を母にぶつける
そりゃ赤ちゃんなんだから泣き叫ぶことだってあるし、モノを汚したり壊したりすることだってあるよ……
そういうのが全部気に食わないのに、孫には好かれたり遊びに来てほしいって無茶だわ
機嫌がいいときには「遊びに来ればいい、いつでも面倒はみる」 機嫌が悪くなったら「もうこなくていい、迷惑だ」
通用しねえよ、そんなの
爺ちゃんは、15年前に65歳で死んだ。その時ばあちゃんは怒っていた。爺ちゃんは大酒飲みでばあちゃんに迷惑をかけてばかりだったけれど、退職してからその悪い癖はだいぶ落ち着いて、しかも人より多く年金がもらえる仕事だったし、退職金も多かったから、やっとこれから夫婦水入らずの穏やかな余生を送れると、婆ちゃんがほっとした矢先だったのだ。爺ちゃんとばあちゃんは喧嘩はよくするけれど、浪花節的にとても仲の良い夫婦で、風呂も毎日一緒に入って背中を流し合っていたそうだ。なのにばあちゃんはイキナリ一人ぼっちになってしまった。ばあちゃんの娘、つまりわたしの母さんはそのときすでに死んでいたし、息子は東京へ行ったまま結婚し、恐ろしい鬼嫁の元、連絡もよこさなかった。そこからばあちゃんは狂い始めた。昔から信心深かったばあちゃんは、毎朝ながながとお念仏をとなえるようになった。お嬢さん育ちのばあちゃんは人を疑うことを知らなかったから、変な健康食品や水晶や絵を買わされた。数年後には立派な家が建つほどあったお金は全部なくなっていた。それからばあちゃんはたくさんの動物を飼い始めた。犬、猫、小鳥、亀。猫は一時期、30匹ほどになっていて、ばあちゃんは毎朝4時に起きてエサやりと掃除をしていた。餌は缶詰と鰹節とご飯をごちゃまぜにしたものだった。ときどきばあちゃん家に遊びに行っても、エサやりが忙しいから帰ってと言われることもあった。わたしの父に金の無心すること数知れず、サラ金にもたくさん借りていて、何度も自己破産をすすめたけれど強情っ張りで言うことを聞かず、それも父がたてかえた。そんなダメすぎるばあちゃんだけれど、なぜか憎めない人の良さがあって、友達はたくさんいて、ばあちゃんに金をあげたり、ご飯を作って持っていってあげたりしてくれていた。というそんなギリギリの生活が15年も続いている。
そして、ペットも大分へって、ばあちゃんも昔ほどの元気がなくなり、もちろん金は年金以外にないという状態の今日このごろ、ばあちゃんが新興宗教にはまった。ばあちゃんの部屋にその宗教の戒律のようなものが書かれた紙が貼られているのを見たときは、少し心配して、その戒律がびっしりと繰り返し書かれたノートを発見したときは凄く心配した。でも、その宗教にはまってから、ばあちゃんはすごく元気になって、目が輝きだしたのだ。いきいきとして楽しそうだ。3人くらいのオバサンが勧誘してきたそうだが、暇なときはあの汚いばあちゃん家に上がって、お茶をのんで愛の話や世界の話をしているそうだ。その宗教をネットで検索してもあまりヒットしないところを見ると、かなり小規模な団体らしい。よくよく考えれば、新興宗教にはまると悪い理由っていうのは、全部ばあちゃんに当てはまらないような気がする。まず、ばあちゃんには毟り取られるような金はもうない。ブラックリスト入りだからどの金貸しも金を貸してくれない。家は持ち家だけど、わたしも父もその家をもらうつもりは毛頭ない。だから資産を毟り取られる心配はない。新興宗教にはまって潰れてしまうと困るような素晴らしい将来も、ばあちゃんにはもうない。あとは死ぬまで年金でほそぼそと数年生きるだけだ。勧誘おばさんたちも、金なし、亭主なし、未来なしらしく、皆やさしくて、ばあちゃんにたかるようなこともなく、たいていは茶菓子をもってきてくれたり、ファミレスや蕎麦屋で奢ってくれたりするらしい。寂しくて、救われたくて、そんな仲間がそっと集まって語り合うのだ。
孫の顔も息子の顔もほとんど見られない、亭主も死んだ金のない独りぼっちの独居老人が、一つの宗教に希望を見出して、誰にも迷惑をかけず、社会の最底辺にある仲間とささやかな茶会をして、生き返ったように目を輝かせている。来世は救われると信じて、毎日一所懸命、戒律を守って、お祈りしている。ばあちゃんに、宗教の原始的姿を見たような気がした。
良いことだと胸を張っては言えないけれど、なんか、それでいいんじゃないかと思う。死ぬまでそっと見守りたい。
ときどきふっとやりばのない怒りが静かに湧き上がってきてどうしようもなくなることがあります。
焦点の定まらない分散した怒りで、かつ家庭内のプライベートな問題なので家族以外誰にも打ち明けられません。
文章をまとめるのが大変下手なので、非常に読みにくい長文になることをお許しください。ちょっとした短編小説くらい長いです。もちろん小説の足元にも及ばないほど読みづらくつまらないです。
最初にはっきり言っておくと、私の家族、主に祖母に対する愚痴です。読んでいて気持ちのいい文章ではありません。
ほぼ事実を書いていますが、特定されて困るようなことは変えたりぼかしたりしています。
それでもよければ、聞いてください。
私のうちは父・母・私・妹の4人家族です。
ものすごく仲が良いわけではないし、多少の家庭内事件などもありましたが、おそらく一般的な核家族家庭だと思います。
母方の祖父母と、父方の祖父はすでに他界しています。
父方の祖母は存命ですが、祖父が亡くなったのがもう15年以上前なので、それからずっと父の実家でひとりで生活していました。
父は3人兄弟の次男で、長男と三男はどちらも独身、かつ実家から離れた地域で暮らしています。
うちは父の実家から車で数十分ほど離れたところにあるので、祖父がいた頃からほぼ毎週末車で出かけるのが習慣化していました。
またほかの兄弟が遠方にいるので、墓参りや何かあった時の対処はすべてうちの父がやっていました。(祖父の葬式の際の喪主もうちの父)
幼い頃はそれを特に不思議には思っていませんでした。ただ、少なからず父に負担がかかっていることは薄々感じとっていましたが…
(母方の家族の話は関係ないので書きません)
私が高2の冬か、春になるくらいの頃だったと思います。祖母が転んで足を骨折しました。
その頃祖母はひとり暮らしなので、足を骨折した状態では日常生活に支障が出ます。治るまでうちに一緒に住むことになりました。
一時的なことですが、その間の部屋の割り当てが問題になります。
うちは一見ごく普通の2階建ての一軒家。しかし少し間取りが特殊で部屋数が少なく、ダイニングを兼ねた居間を除くと部屋と呼べるものは5部屋+1部屋しかありません。
2階が父の趣味部屋・父の寝室・母の寝室で、1階が居間と奥座敷、奥座敷と障子で仕切られたフローリングの部屋、その部屋の奥に、後から増築した離れ(物置状態)、となっています。
物置と書きましたが、離れはそれなりに広く、裏口から入るとすぐなので妹が自室として使っていました。
そして、奥座敷とフローリング合わせて12畳ほど?が実質私の居住スペースでした。
(小さい頃は2階の現父の寝室が子供部屋で現母の寝室が父母の寝室だったのだが諸事情によりこのようになってしまいました。別に父母の不和によるものではないはず…)
子供部屋ではベッドを使用していましたが、部屋と一緒に父のものと化してしまったので、私は普段座敷に布団を敷いて寝ていました。
祖母が座敷を使うことになるので、その間私は座敷ではなくフローリングの方で寝ることにしました。
薄情だと思われるかもしれませんが、私は祖母と本当にそりが合わないので一緒の部屋に寝ることなど考えられませんでした。
障子で仕切られただけの物音も明かりもダダ漏れの空間に一緒にいることすら嫌でした。
しかも奥の離れや座敷へ行くために通らなくてはならないところなので、部屋というよりは広い廊下のような空間です。プライベートなどとてもじゃないですがありません。
しかし何か月間かの辛抱だと思い我慢することにしました。
前置きが長くなってしまいましたが本題に入ります。
先にも書いたとおり、祖母が骨折したのは私が「高2の冬~春頃」の話です。
祖母はおよそ1年弱うちに滞在しました。
私が高3の冬までです。
高3の冬と言えば一番大事な時期。いくらマイペースな私といえど焦りには勝てず、根を詰めて勉強していました。
何もなくても、受験が近づいてくるだけでストレスが溜まる不安定な時期です。
そんなとき、先述の理由のために、私が自分ひとりだけになれる空間は家にはありませんでした。
妹が離れに行くたびに私の部屋を通ります。
座敷に行くために祖母が私の部屋を通ります。
私に用があるわけではないから、ノックなんてしません。
それは仕方ないのだと思おうとしました。
しかし、私にとって一番ストレスになっていたことは、祖母の存在それ自体でした。
祖母を邪険に思うなんて最低な人間だと思う方が多いと思います。
でも私は我慢できなかったんです。
夜中にぶつぶつと独り言のようにいろいろなこと(後述)を私に話しかけ続け、私が「もう寝たいから静かにして」と頼んでもやめてくれません。
むしゃくしゃすること(たいてい母との確執)があると、奇声を発し、ものにあたる(ベルトで何かを叩いたり)。
私に対し、母を鬼嫁と言い、またものを盗まれた、この家はとんでもない家だ、早く帰りたい、などとまくし立てます。(後述)
あまりの言い草に、私も少々かっとなりやすいところがあるので勢いで言い返してしまうと、
・あんなに『かわいがってやった』のに恩をあだで返すつもりか
・あの鬼嫁に似たのか。情けない。
・さては何か言われたのか。だから私にそんな口をきくのか。
しまいには
・孫にこんなことを言われるなんて、もう死んでしまいたい
こうです。
私も言い過ぎたなと思うことはありましたが、祖母の方が明らかに暴言を吐いているのです。
聴きたくないから黙ってほしいだけなのに、そう言うと「なぜ被害者の私が黙らなければならないのか」「言いたいことを言って何が悪い」と、聴く側の私の気持ちなど考えてくれません。
ちなみに、母の悪口は私が小学生のころからずっと愚痴られ続けてきました。
また、祖母が私に言ってくることは、母の悪口以外だと大体
・東京の大学になど行くものではない。地元の大学に進学して家から通うのが一番 ←私の意見(行きたい学部など)は考えていない
・私の就職について(公務員か銀行員、もしくは祖母御用達のデパートでなければ認めない) ←私が希望する職業など無視
・父が就職する際、祖父が反対して、採用されていたのに泣く泣く違う職についたという話 ←父をかわいそうだったという割には私をコントロールしようとしている。矛盾しないの?
・学生の男に引っかかってはいけない。働くようになってから結婚できる男を探せ。 ←話はわかるがまだ未成年なのにそんなに生々しいことを言われて気持ち悪い(19まで男女交際経験なしでした)
・お隣の国(お察しください)の悪口 ←昔(戦時中?)一緒に働いていたときよくない人が多かったらしい
・ご近所さんの悪口(わたしの家と、父の実家のご近所さんの悪口。庭の花を盗まれた、服を盗まれた、など)
でした。
私は人の悪口などを言うのも聞かされるのも好きではないので、このようなことを延々と話しかけてこられて精神的になかば参ってしまい、祖母が本当に嫌いになってしまいました。
言い返すと祖母が逆上するだけなので、無視をして布団にもぐりこんでも、布団を剥がしてまで話しかけ、それでも無言で抵抗していると孫にこんな風に扱われるとはなんてひどいあんまりだ、私は死にたくなった、の無限ループです。
しかも高3の冬です。ほぼ毎日それが続いたので、今思うとノイローゼになりかけていた気がします。
私は再三、祖母と隣の部屋で寝るのはいやだと言ったのですが、家族と言えど(母ですら)わかってくれる人はおらず、部屋はそのままでした。
年が明けると足が治っていた祖母はとりあえず家に戻っていったので、祖母が原因かはわかりませんが、センター試験の日に私は謎の胃腸炎を発症し、毎休憩のたびににお手洗いに駆け込んで戻しながらも(汚い話ですみません)受験はしましたが結果は散々でした。
幸いなことに、志望は私立だったのでなんとかなりました。
それにしてもよく発狂しなかったと自分をほめてやりたいくらいです。
しかし、祖母との関係が、今の私の厭世的な性格を作り上げた原因となっていることは間違いありません。
すみません。まだ終わりじゃないんです。
長い飽きたという方はこれ以上お読みにならなくて結構です。
祖母についてもう少し詳しく書きます。重複してしまうところもありますがご容赦下さい。
先に、私が祖母を嫌いになったと述べましたが、受験前のこのできごとが原因で嫌いになったわけではありません。
これも先述しましたが、私が小学生の時から、母の悪口や近所の方の悪口を聞かされ続け、また親切の押し売りをされたためです。
祖母は私の母ともそりが合わず、お互いに毛嫌いしていました。
父と母はお見合い結婚、しかも晩婚です。家庭環境が違いすぎたこともありますが、祖母は母を育ちの悪い、性格の悪い鬼嫁と見下している節がありました。
母が結婚後も家庭に入らなかったことも原因の一つかもしれません。専業主婦だった祖母からしてみれば、父よりも帰りが遅く、夕飯を父に作らせている(実際には父は喜んで料理しています)母には不満がたくさんあったのでしょう。
一方の母も、いい大人の父をいつまでも子供のように過剰にかまう祖母の愚痴をいつも言っていました。
私から見ても少し異常なほど祖母は息子たちに過保護なのです。(40、50の大人に対してです…。)
それで、お互い相手のことをよく思っていないことは明白なのですが、表だっては言い合わず、二人とも私に対して互いの愚痴を言ってくるのです。
おそらく妹も同じだったはずです。しかし妹は要領がいいのか、淡白なところがあるためか、性格がいいのか、あしらい方がうまいのです。
私であればつい言い返してしまうところを、実にうまく受け流していました。
なんというか、正義漢ぶるつもりはないのですが、性格がきついとか、私自身を悪く言われるだけならばまだ抑えようもあるのですが、そんなときは必ず母のことも悪く言うのです。
祖母は痴呆とまではいかないのですが、結構昔から忘れっぽいというか、すぐにものをなくしたりしていました。
大体祖母が自分で置いた場所を忘れるからなのですが、祖母はそれを母のせいにするのです。
母が盗んだと言うのです。
私はマザコンではありませんしむしろ反抗期は母によくつっかかっていましたが、こればかりは母側に同情してしまいます。
これが母に対する集中攻撃であれば(実質そうなのは変わりありませんが)まだ問題は小さい範囲で済んでいたかもしれませんが。
祖母は祖母の家の近所の人との関係も最悪なものにしてしまっていたのです。
かなり前から、近所の誰々さんに何々を盗まれたとか、あげく留守中に家に入られてお気に入りの服を盗まれたとか言っていました。
そして、あまりうるさいので父は祖母の家の玄関と勝手口に監視カメラをつけました。
泥棒が映ったことはありません。
祖母は、私たち家族(というのも嫌ですが)に対してそう喚くだけではなく、夜中に窓を開けて泥棒ー!と叫んで警察沙汰になったり、近所の方の家へ行って、おたくの息子は泥棒だ、というようなことを言っていたらしいのです。
実は私はよく知らないのですが、他にもその地域にいられなくなるようなことをしたそうです。
いろいろなことが積み重なり、骨折が治ってまた一人で暮らしていた祖母は、再びうちにくることになりました。
今度は、前とは違います。半永久的にいることになります。
そしてあいかわらず以前と同じように母(酷い時にはついに父まで)を盗人扱いし、近所の人の悪口をわざと外で言ったりしているそうです。
私はすでに進学した時点で家を出ましたが、そのおかげで帰省するのが大嫌いになってしまいました。
『親切の押し売り』についてですが、
両親が共働きなため、手がかからなくなってくると私と妹は割とほったらかされて育ちました。
もっとも、幼い頃は祖母が毎日うちに来て面倒を見てくれており、それは感謝しているのですが、とにかく祖母は異常に過保護というか、かまってくるのです。
小さい頃から、なにか行事のたびに服を買ってきてはそれを着せてくれたり(それ以外の選択肢はない)していたのですが、物心つくようになってくると私は自分で選んだものしか着たくないと思うようになりました。
しかし祖母が(こう言っては悪いですが)勝手に購入してきた服を、このような言い方はしたくありませんが押し付けてくるのです。
祖母からしてみれば親切というか孫をかまいたいだけなのかもしれませんが、はっきりいって迷惑です。
祖母は買い物依存症といってもよく、服だけではなくバッグと帽子、それに靴は数えきれないほど持っていました。
祖父がそれなりに地位のある人間だったため、祖父が亡くなってからも年金があるので高級品も簡単に買えるらしいのです。
そして、何を勘違いしているのか、自分が着ようと思って買った服などを、自分には派手だから、などという理由で私に着させようとしたりします。
ミセス用の服を着られるわけはありませんし、着たくもありません。ですがいらないと言うと「なんで」なのです。
それ以上にひどいことに、洗ってはありますが明らかに着用後の下着類を送ってきたりするのです。
自分が何歳だと思っているのでしょうか。自分が着用した下着を、孫ならば身に着けると思っているのでしょうか。
また祖母は買い付けの百貨店以外は「安物だからよくない」と決めつけ、私に服を買ってやるというときはそこでしか買いません。
年2回ほど、セール?のようなものがあって、そのときに必ず私や妹に「服を買ってやる」というのです。
それはとてもありがたいのですが、いつも大量に購入した服を送りつけてくるのです。
服って自分のセンスと、サイズってものがあるじゃないですか…。合わなかったら着たくないですよね?
それが昔からずっとなのです。さすがに毎年口をすっぱくして言い続けてきたので、最近では「一緒に行って買ってやる」に変わったのですが…
それでもその時期に帰省できるとは限りませんし、まず大体にして一緒にいるのが苦痛です。
祖母は店員の前で簡単に「安物」「品が悪い」などと言うのです。(ちなみに少し話がそれますが、祖母は今まで自分が買ったものの値段をほぼすべて覚えており、このバッグはいつどこで○万円で買った、このスカートはいくら…というようにいちいち教えてきます。私はそれが本当に不気味です。私が安物のコートなんかを着ていると、ものすごい目で見られるんです。)
祖母に、いらない、と言うと、なんでと言われ逆上されます。
なぜと言われても、服くらい自分で自由に選びたいのだといっても通じません。
そしていい加減に頭にきて私が切れると、また「あんなに可愛がってやったのに」です。
そんな風に恩を着せられるような、そんな愛はいりません。
すぐに「私はお前のためを思って」「私は世界で一番お前を大事に思ってるからこう言うんだ、だから言うことを聞け」と言います。
もう頭がおかしくなりそうです。
今までずっと冗談くさくしか言えませんでしたが、この際父にはっきり言ってやりたいです。
あなたの母親は頭がおかしい。と。
いくら痴呆が進んでいるからといって、自分の母親だからといって、自分の家に引き取って面倒を見ようと思えるのでしょうか。
ある意味尊敬しますが、母や私が受けてきた精神的苦痛は、祖母が家にいる限りずっと続くのです。
父の兄弟はたまに様子を見に来たりしますが、祖母を引き取ろうとはしません。
父はこんなに近くで、こんなに祖母に尽くしているのに、祖母はそんな父を(いつもではありませんが)「親不孝者」呼ばわりしたことさえありますし、たまにきてはまとまったお金を置いていくだけの、父の兄弟の方がかわいいようです。
何年も何年もうちと祖母の家を車で往復し続けてきた父よりもです。
私はそんな父のこともひどく哀れでなりません。
友人がいないわけではありませんが、友人にこんなことは言えません。
自分の祖母の悪口を言うなんて嫌な人間だとしか思われないと思います。
でもまだ実際ここに書いていない(書けない)ことがまだ山のようにあります。
私は故郷が好きなので、帰りたくないわけではないんです。
でも、家には祖母がいると思うと…
そんな風にみんなが苦痛を負いながら、むりしてうちで面倒を見る意味ってあるのでしょうか。
入院させてしまった方がいいんじゃない、という言葉が、何度私の口から出かかったことか。
でも父にそんなことをとても言えませんでした。
もしかしてこんな家庭はよくあるんでしょうか。
私のような思いをしている方は実はたくさんいるんでしょうか。
今はとにかく、帰省するのに気分が重いです…。
このような長文&駄文をもしもここまで読んでくださった方がいましたら、お礼を申し上げます。
ご気分を害された方がいましたらお詫びします。
これだけ書くのに、気づけば3時間も経っていました。
疲れましたが、ほんの少しだけ何か気が楽になったような気もします。ありがとうございました。
http://anond.hatelabo.jp/20081217155611
うん。頑張ってるよ。よーくわかるよ。だけどさ。その頑張り、誰のため?「他人によく思われたい自分のため」でしょ? うちの旦那もそーいう奴だったから、育児も家事もおっぽりだして「あんたが面倒みろ」と1日家を空けたら、翌日から「女はラクだ」とは言わなくなったよ。1歳と2歳の子ども抱えて、部屋の掃除なんか出来るかボケッと怒鳴りつけてやったよ。別に私は「良妻賢母」とか思われなくていいもん。鬼嫁でいいもん。だって、頑張ってるのに軽んじられるなんて我慢できないもん。あなたはなんで他人に「ああ言われた」「こう言われた」って右往左往しているのさ。他人がどう思おうと関係ないじゃん。専業主婦していると「ラクだよねー」とか言う奴いるよ。だから「じゃー、交替しようか? 家の誰よりも早く起きてごはんの支度と弁当の支度と洗濯と掃除として家族を送り出して、昼間はスーパーのチラシとにらめっこしながら1円でも安い店に走って、ランチは朝の残り食べて、夕方はまた炊事と洗濯と掃除で、夜になって家計簿つけたら、もう、家族みんな眠ってるけど。その暮らしを365日休みなく出来るのなら替わるよ?」って言うと、なぜか黙るよ。慣れればラクな生活なんだけどね。客観的にはラクそうに見えないらしいよ。主婦なら誰でもやってることなのにね。男ってホントに無精者だよね。でも、他人の前では決して夫に逆らわないよ。文句垂れるのは2人でいるときだけね。人前で逆らうと「恥かかせた」って話がこじれるからね。よその人は「なんで、そんなにまで夫にかしづくの? 時代錯誤じゃない?」って言うよ。実態なんて、そうそう簡単に他人にわかるもんじゃないし、わからなくていいよ。なぜなら私が頑張ると夫と子どもが笑って暮らせるんだ。それが報酬だよ。
たぶんね。元増田が「ラク」そうに見えるのは、いつもなんでも軽々とやってのけているように見えるからだよ。眉間に皺寄せて、いつもいつも文句垂れてたら「しんどそうだね」って言われるかも知れないけど、「私はしんどいんだ」と回りにアピールするのは、元増田の性格に合ってない気がするなあ。いや、書き込み一個みただけなんだから、わからないけどさ。
戦後、細かないざこざを繰り返しながらも、日本とアメリカはある意味良好な関係を保ってきた。日本は事実上アメリカに守られながら、製品を大量に輸入してもらう一方で、多くの食物を輸入させてもらい、繁栄してきたという側面があると言えるだろう。半ば強制の部分も多いが、日本は鬼嫁と結婚した夫のように、尻に敷かれながらも、楽しい結婚生活を送ってきたと思う。
そのアメリカが、瀕死の重傷だ。
自分用のメモとして、アメリカと日本のヤバさをクリップしておこうと思う。
ドルが対ユーロと対円で急落、FRB大幅利下げで 2008年 12月 17日 07:19 JST
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-35479120081216
16日のニューヨーク外為市場では、米連邦準備理事会(FRB)が予想以上の大幅な利下げに踏み切ったことを受け、ドルが対ユーロと対円で急落した。
FRBは、フェデラルファンド(FF)金利の誘導目標を従来の1.0%から0─0.25%に引き下げるとともに、リセッション(景気後退)に対応するため「利用可能なあらゆる手段」を講じると表明した。市場予想は、最大でも0.75%の利下げだった。
今回の大幅利下げでFF金利の誘導目標は『過去最低水準』となった。アメリカは未曾有の危機に直面していると言って差し支えないだろう。
さらに、11月の住宅着工・許可件数は、ともに過去最低水準。アメリカの景気を支えていた住宅市場は見る影も無い。
11月の米消費者物価指数(CPI)も2カ月連続で、統計開始以来最大の落ち込み。日本製品の良き顧客であったアメリカの市場は冷え切っている。日本経済を牽引していた日本の製品は売れるわけも無く、しかもいつまで低迷が続くかわからない。
それから、ゴールドマン・サックスの四半期決算が上場以来初の赤字となったらしい。逆張りして儲かっていたという去年のニュースが懐かしい。
米ゴールドマンが巨額利益 サブプライムで「逆張り」2007.12.14 21:09
http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/071214/fnc0712142109023-n1.htm
米国の低所得者向け高金利型住宅ローン(サブプライムローン)の焦げ付き問題に絡み、大手金融機関が相次いで巨額の損失を出す中、米証券大手ゴールドマン・サックスが、同ローン関連の資産担保証券の急落を見込んだ「逆張り」投資で、1年間で40億ドル(約4500億円)近い巨額利益を上げていたことが14日、分かった。米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)が報じた。
ゴールドマンは、近く発表する決算で110億ドル以上の過去最高益を発表する見通しだという。しかし同紙は、ゴールドマンが相場下落を予測しながら同証券の販売を続けたため、結果的に顧客が多額の損失を被ったとして同社の姿勢に強い疑問を示している。
そんな危機と言う状況を通り越したような危機的状況のアメリカが、デフォルトするんじゃないかという予測まで出ているらしい。
実際デフォルトするかどうかは別として、それほどの状況が予測されるほど事態が深刻なのは事実なのだろう。
米がアルゼンチン・タンゴを踊る日!? 仏のシンクタンクが2009年の米・デフォルトを予測 2008-10-23 13:00:38
http://ameblo.jp/sunshine-berkeley/entry-10155047831.html
本ブログでも度々取り上げた大統領選挙の空騒ぎをよそに、アメリカ発の金融危機は深刻さを深め、その悪影響は実体経済にも波及し始めているが、そんな中やはりというべきかいよいよというべきか、フランスのシンクタンク・LEAP/Europe2020が、来年2009年夏までにアメリカがデフォルト(債務不履行)に陥るという予測を発表している。
(中略)
(論文要旨)
・ 最近の米ドル上昇傾向は株式市場の崩壊による一時的な現象にすぎない。
・ 最近の政治改革のおかげで、ユーロは世界的経済危機の中にあって「安全確実な避難所」になり、米ドルに代わる投資先を提供する。
・ 現在進行中の米国実体経済崩壊は、デフォルトを防ぐための代替手段(訳注:修正資本主義政策など)の実行を困難にする。
・ 2009年の米国に残された唯一の問題は、インフレーションが高率でおさまるか、それともハイパーインフレーションに襲われるかだけである
---
また本論文はさらに、来るべきアメリカ債務不履行のインパクトは、去る1929年の大恐慌の比ではなく、アメリカの債務不履行に伴いドルならびに米国債は 90%程度減価し、アメリカ国内で経済的・社会的・政治的混乱が発生するであろうことも予測している。
さてアメリカが債務不履行に陥ることにでもなれば、超円高&アメリカ市場壊滅で輸出産業が総崩れになったり、極東におけるアメリカ軍プレゼンスが維持できなくなり日米安保が事実上機能しなくなるなど、アメリカの忠臣・日本も多大な影響を蒙ることが予測される。
日米安保が機能しなくなる時、日本はどうすべきなのか。そんな未来を想定しておく必要があるようだ。
さて、日本の方の状況だが、こちらも緩やかに経済の死に向かって近づいているような不気味さがある。
<トヨタ>国内工場で週休3日導入へ 車体も同調 12月16日14時15分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081216-00000055-mai-bus_all
トヨタ自動車は16日、世界的な販売不振に対応するため、来年1月末以降、ほぼすべての国内工場で週休3日を導入する方針を固めた。土曜、日曜に加え、一部の金曜も生産を休止する。グループの車体メーカーのトヨタ車体(愛知県刈谷市)も同調する。減産に伴う平日の操業停止は、急激な円高に見舞われた93年8月以来15年ぶりとなる。
11月首都圏マンション発売戸数、過去最長の15カ月連続減 12月15日14時51分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081215-00000401-reu-bus_all
民間の不動産経済研究所が発表したマンション市場動向によると、11月の首都圏マンション発売戸数は3293戸で前年比14.9%減となり、過去最長となる15カ月連続マイナスとなった。
これまではバブル崩壊時の1990年11月からの14カ月連続減が最長だったが、法改正や金融市場の混乱などを背景にした市況悪化で過去最長を更新した。
1万6000人削減でも底が見えぬソニーの業績低迷 8時30分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20081215-00000001-diamond-bus_all
日本時間12月9日午後、ソニーのハワード・ストリンガー会長と中鉢良治社長は、全社員に向け電子メールで緊急メッセージを発信した。「痛み」とは、全世界16万人の従業員の5%に当たる8000人(非正規社員を含めると1万6000人超)の人員削減、57ある製造拠点の1割削減など、エレクトロニクス事業の収益性改善に向けたリストラを指している。
2007年度まで3年間の構造改革を経て業績が回復基調にあったソニーだが、今年9月、事態は急変した。米国金融危機に端を発した世界同時不況が、売上高の八割を海外が占めるソニーを直撃したのだ。景気減速による販売不振と急激な円高の影響で、08年度の営業利益を57%減の2000億円に下方修正。再び、過酷なリストラを迫られることになった。
日銀短観、大企業製造業 過去2番目の下落幅 昭和50年2月以来 12月15日9時15分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081215-00000503-san-bus_all
日銀が15日発表した12月の企業短期経済観測調査(短観)は、景気判断の目安となる大企業製造業の業況判断指数(DI)がマイナス24となり、9月の前回調査から21ポイント低下した。オイルショック時の昭和49年8月調査の26ポイント低下に次ぎ、50年2月と並ぶ過去2番目の悪化となった。中小企業は製造業、非製造業ともにマイナス29で、いずれもマイナス幅を拡大。米国発の金融危機の直撃を受け、歴史的な景気後退局面を迎えたことが、企業の景況感にはっきり表れた。
こういう状況を受けて、日銀がどういう手を打ってくるのか、注目である。
追加利下げの是非、判断へ=週末の決定会合で - 日銀 12月15日13時1分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081215-00000054-jij-bus_all
企業の景況感が大幅に悪化した12月短観の結果を踏まえ、日銀は18、19の両日に開かれる金融政策決定会合に向け、対応策の詰めを急ぐ。海外経済の悪化に伴う輸出や生産の急激な減少で、企業経営は厳しさを増すばかり。政府内には、かつて日銀が採用したゼロ金利や量的緩和政策の復活を期待する声もある。決定会合では、企業の資金調達の円滑化策に加え、10月末に年0.5%から0.3%に下げた政策金利をさらに変更する追加利下げの是非が焦点になりそうだ。
すでに経済の危機レベルは最大のレベルに達していて、しかもいつまで続くかわからないのだが、日本のメディアはそういうことを伝える機能をすでに失ってしまっているらしい。これから年末に向けて、今までの年末となんら変わらないお気楽な番組が放送されるであろう。日本の国民は『経済危機特別番組』など放送されても誰も見ない。政治家は政局で忙しく、官僚は自分の省庁の予算をいかに死守するかしか考えていない。
今はアメリカの状況の方が深刻だが、この危機的状況から立ち直るのはアメリカの方が早いかもしれない。アメリカの判断は果断で、新しい大統領の強力なリーダーシップの下、素早い政策の実行を行っていくだろう。日本にはそういう素地はまったく無い。
今日本は、対岸の火事をただただ眺めている。こちらの岸でも火事が起こっている事を知ろうともせずに。気がつけば、対岸の火事はとっくに消えて、こちらの岸の火事だけが炎上しているという事態になりかねない。
そうならないよう、何かを考えて行くべきか。