「命題」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 命題とは

2007-06-17

匿名ダイアリーって入力しようとすると

長音記号を入力するまえにスペースキー押してしまって

「解く命題有り」になってしまうことがよくある。ATOK2006

2007-06-03

歯医者になりたい人?

歯学部志望の人がどれくらい増田にいるのかわからないけれど‥。

何で歯医者になりたいのか教えて欲しいな。

だって他の専門科の医者ってふつうは医学部に行ってからいろいろ勉強して、

自分の適正なり希望なりから専門を絞るんでしょう?

なんで高校から決めうちで歯医者なんだろう。

本当に人の歯『だけ』を治したいって思ってる?

違うだろ。医学部の次くらいに将来が明るいからと思ってるのだろう。

歯医者も『医者』だろ、みたいな。

言っておく。

医学部卒の人間は、歯医者医者とは認めてない。

整体師、針師と同じような位置付けしてると思うよ。

別に上記の二つの職業馬鹿にしてるわけではないけども、少なくとも医者というイメージからは遠いだろう。

この差別的見方は昔から存在していて、お年を召した『お医者さん』ほどその見方は強い。

そもそもさ、なんで『医学部』とは別に『歯学部』が存在するんだろうって思わないか?

まあ、おそらくは『医師会』とは別に『歯科医師会』が存在するからなのだろうけども、その変遷の間で一度も合併話がでないのは

医師会の溝の深さを推し量るには十分だと思う。

歯医者医者じゃない。


医者と認められなくてもいい。

人の歯を治したいんだ!

歯学部志望で何人がこういう意見を言うのかわからないけど‥。

少なくとも人の歯を治したいという人は今の歯科医師会では少数だ。

だって水道にフッ素を入れると虫歯なくなるらしいじゃん。

それをなぜ日本でやらないのか?

歯科医師会が必死で止めてる。なぜ?

お客さんがいなくなるから。

ソースネット。ごめん。

人の歯を治すという命題ですらどうでもよくなっている今の日本歯医者

歯医者さんは余っているらしい。自分が歯医者子供でもないかぎりリスクは高い。

歯学部志望の人はもう1、2年でも浪人して医学部に行った方がいいんじゃないと俺は思うのだが‥。

どうして歯医者になりたいの?

2007-05-03

社長の力と文章の力

http://anond.hatelabo.jp/20070503202641

立派に会社を回している社長も文章はこんなもの。自分の視点以外に立っていないため普遍性に欠ける。

普遍的なコンテンツになりきっていないためその言葉の対象になれる人はごくわずか。

だがしかし若者よ、この人を見くびってはならない。多角的な視点は経営に必ずしも必要ではない。この人が、学歴はあったほうがよいと言う位の重要さしかない。

片寄りきった性質の人たちが成功し、それよりも安定した能力の人が失敗することが当然であり、それを不思議と思う人は最初から「満遍なく優秀な人が成功する」という命題を抱えてしまっているがそれは偽である。

あなたは努力して今のポジションにいるかもしれないが、振り返るとおそらく無駄が多く、第三者から見るとその様子はお笑いであるかもしれない。それでもあなたはそこに立っているのだ。そして無駄を感じたということはあなたが成長している証拠だ。

おお若い人たちよ、この起業家の健やかな精神にこそ学べ、匿名でわざわざつつましくメッセージを送る無私の姿勢を持ちながら日々を生き抜いている彼の人こそ尊敬されるべきであるとは決して言わないが、それでも私は、たとえ一人でもその一点において尊敬する。

2007-04-19

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google:生活保護法がある限り、経済的理由での中絶は認められない。

ジョルダーノ・ブルーノ。地動説を擁護し火刑に処せられた。

1932年ナチス党230議席を獲得し第一党となる

[集団浅慮]世論に総論なし、整合性のない各論あるのみ。

[多数論証][アローの不可能性定理][多体問題][じゃんけん]

[集団浅慮][多数決][民主主義]アビリーンのパラドックス

[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬

[ホトトギス][不如帰][時鳥][織田信長][豊臣秀吉][徳川家康][上司]

[ディベート][議論][利害]

「合理的無知=コストパフォーマンス的に、政治の勉強に膨大な時間を費やすより、適当に暮らしてた方が合理的。」

合理的無知

ディベート判例集 | 参謀本部日誌

The Ultimate English: ディベートのジャッジについての考察

[政治]「良い」を定義することは権力闘争

「すべては主観である。」モニモス

[集団浅慮][多数決][民主主義]アビリーンのパラドックス

美人投票 - Wikipedia

はてなブックマーク - 審査員を審査する(仮題) : 作品情報 - 映画.com

詭弁の上手い奴が場を支配する

1年生の算数の時間に、先生が「2-1は1、では1-2は?」というので「-1」と答えたら不正解にされた。

 「パパが教えてくれたもん」

 「おまえのパパは気違いだ」

バカ・馬鹿(ばか) - 語源由来辞典

秦の趙高が二世皇帝に、鹿を「馬である」と言って献じた。

群臣は趙高の権勢を恐れ、「これは馬です」と答えたが、「鹿です」と答えた者は暗殺された。

相手を黙らせたからといって、相手の意見を変えさせたわけではない。

バーナード・ショー

相手を黙らせたからといって、その人を説得できたわけではない。

ジョン・モーリー

はてなブックマーク - ディベート教育とか、キモイので、やめてほしい(ほしかった) - 女教師ブログ

ymScott 社会, 思考 ディベートってのは「自分ですら本気にしていない事を詭弁を駆使して観客に納得させるゲーム」のことだろ。

何でそんな詐欺技術を教育しなきゃいけないのか未だに解らない。

ディスカッションをこそ学ばせるべき。



チェリー・ピッキング (英: cherry picking) とは、

数多くの事例の中から自らの論証に有利な事例のみをならべたてることで、

命題を論証しようとする論理上の誤謬、あるいは詭弁術。

チェリー・ピッキング - Wikipedia


悪魔の証明とは - はてなキーワード

無知に訴える論証 - Wikipedia

ストローマン(英: straw man)は、

議論において対抗する者の意見を正しく引用しなかったり、

歪められた内容に基づいて反論するという誤った論法、

あるいはその歪められた架空の意見そのものを指す。

藁人形論法ともいう。

ストローマン - Wikipedia

衆人に訴える論証(しゅうじんにうったえるろんしょう、羅: Argumentum ad populum)とは、

論理学における誤謬の一種であり、多くの人々が信じているという理由で、ある命題を真であると論証結論付けること。

多数論証、多数派論証とも。

88% の人々が UFO を信じているのだから、UFO は実在する。

世界中の大多数が神を信じているのだから、神は実在する。

衆人に訴える論証 - Wikipedia

人身攻撃(ラテン語: ad hominem、argumentum ad hominem)とは、

ある論証や事実の主張に対する応答として、その主張自体に具体的に反論するのではなく、

それを主張した人の個性や信念を攻撃すること、またそのような論法。論点をすりかえる作用をもたらす。

人格攻撃論法ともいわれる

人身攻撃 - Wikipedia



偽善者は素晴らしい約束をする、約束を守る気がないからである。

[政治]「良い」を定義することは権力闘争

[多数論証][アローの不可能性定理][多体問題][じゃんけん]

反証可能性 - Wikipedia

科学哲学者のカール・ポパーは、反証可能性を持つかどうかを「真の科学」であるかどうかを見分ける基準として提唱しており、それ故彼は精神分析学は科学ではなくて疑似科学に過ぎないと断じた。

純粋な科学的言説の必要条件としての反証可能性を提唱した。精神分析やマルクス主義を批判。ウィーン学団には参加しなかったものの、その周辺で、反証主義的観点から論理実証主義を批判した。また、「開かれた社会」において全体主義を積極的に批判した。

[多数派][多数決][民主主義]天動説と地動説

[天動説][地動説][コメンタリオルス][コペルニクス][ガリレオ]

民主主義とは『多数派(の世論)による専制政治』トクヴィル

7対1の賛成多数によって判決は下された。

[差別]公共施設(特に鉄道)での黒人分離は人種差別に当たらない。

[差別]黒人が人間だと考えることは不可能である。モンテスキュー

アラバマ州出身で、1962年民主党からアラバマ州知事に当選した。

[差別]今ここで人種隔離を!明日も人種隔離を!永遠に人種隔離を!ウォレス

アドルフ・ヒトラー - Wikipedia

1932年7月の国会議員選挙ではナチ党は37.8%(1930年選挙時18.3%)の得票率を得て

230議席(改選前107議席)を獲得し、改選前第一党だった社会民主党を抜いて国会の第一党となった。

ヒトラー 〜最期の12日間〜 - Wikipedia

ソ連軍に包囲される前にベルリン市民を脱出させるべき」という進言を退けたヒトラーは嘯(うそぶ)く

国民自業自得自己責任)。国民地獄を味わうのは当然の義務。

われわれを(選挙で合法的に)選んだのは国民なのだから、最後まで付き合ってもらうさ。』



アローの不可能性定理 - Wikipedia

選択肢が3つ以上あるとき、

定義域の非限定性、全会一致性、無関係な選択対象からの独立性、非独裁性をすべて満たす

社会的厚生関数」を作ることはできない、とする。



[六韜]仲間の多い人間とは腹黒い人間。

コミュニケーションにおける最大の問題はそれが達成されたという幻想

アドバイスをするというのは、疑わしい療法だ。ユング

韓国地下鉄火災事件における「多数派同調バイアス」と「正常性バイアス」

多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。セネカ

多数決をとってみたところでそれが正しさの保証とはならないデカルト

[同調圧力][空気の研究][馬鹿]同調圧力・空気の研究・馬鹿・いじめ

[集団浅慮][多数決][民主主義]アビリーンのパラドックス

斉一性の原理 - Wikipedia

自薦の用心棒 - Wikipedia

衆人に訴える論証 - Wikipedia

多数論証

88% の人々が UFO を信じているのだから、UFO は実在する。

世界中の大多数が神を信じているのだから、神は実在する。

多数論証(ad populum)

米国人の6割「原爆投下は正しかった」、米世論調査 国際ニュース : AFPBB News

米調査組織『ギャラップ』によると、アメリカ人の92%が神を信じている。

「神はいない?」偉人たちの無神論的な50の格言:らばQ

Amazon.co.jp| 神は妄想である―宗教との決別| リチャード・ドーキンス, 垂水 雄二| 本

神が宇宙をつくったなら、その神は誰がつくったのですか? - Yahoo!知恵袋

多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。セネカ

地動説 - Wikipedia

進化論 - Wikipedia

1964年度 赤穂浪士 最高番組平均世帯視聴率 53.0%



女性には障害胎児を殺す権利があるのか

Amazon.co.jp: なぜ人を殺してはいけないのか―新しい倫理学のために (新書y (010)): 小浜 逸郎: 本

殺生

優生学 - Wikipedia

最大多数の最大幸福は、道徳と立法の基盤である。いかなる法律も自由の侵害である。ジェレミ・ベンサム

多数者の利己主義 vs 民主主義 衝撃的な引揚げ体験を目にして

「みんなのためだ、行ってくれ」


Yahoo!辞書 - 君子(くんし)は三端を避(さ)く

Yahoo!辞書 - げん‐がく【衒学】

人生の大きな目標のため、日常のどうでもいいことは中庸。デカルト

公益目的でなければ、他人に関する思いで君の余生を消耗してしまうな

[権内][権外][分限自覚][エピクテートス]意志の力でどうにもならない物事

相手を黙らせたからといって、相手の意見を変えさせたわけではない。

バーナード・ショー

相手を黙らせたからといって、その人を説得できたわけではない。

ジョン・モーリー

沈黙を守ってバカではないかと思われる方が、
あれこれ喋ってその疑惑を晴らすよりましだ。

リンカーン

Better to remain silent and be thought a fool than to speak out and remove all doubt.

Abraham Lincoln

馬鹿をさらけ出すよりは黙っていて馬鹿だと思われる方がましである

キングスレイ・ウォード

世の中で成功を収めるには、

馬鹿のように見せかけ、利口に活動することである

モンテスキュー

反論せずに、ただニコニコしている人を説得するのは不可能だ。

リエルスパーク

自分と未来は変えられる。他人と過去は変えられない。

「なんとなく」を可視化し、「変えられるもの」に集中する - 点と点をつなぐためのメモ - connecting the dots

[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬

「すべては主観である。」モニモス

[集団浅慮][多数決][民主主義]アビリーンのパラドックス

[アローの不可能性定理][民主主義][じゃんけん][trade-off]

投票の逆理 - Wikipedia

詭弁の上手い奴が場を支配する

詭弁 - Wikipedia

アローの不可能性定理 - Wikipedia

[最大多数の最大幸福][ジェレミ・ベンサム][全体主義][ファシズム][ナチズム]

民主主義とは『多数派(の世論)による専制政治』トクヴィル

言葉遣いで人は決まる。バルト

「誰が言ったかではなく、何をいったのかが重要だ」

批判の後には、オルタナティブ(代わりの提案)を忘れずに

「監視カメラ」と「防犯カメラ」とは、全く同じものを指している。どちらの語を使用するかは、本人のイデオロギーによって決めることである。

実際のカメラはどちらなのかを議論することには意味がない。

相手を黙らせたからといって、相手の意見を変えさせたわけではない。

バーナード・ショー

相手を黙らせたからといって、その人を説得できたわけではない。

ジョン・モーリー

チャーチル「日本にこれほどの力があったのならもっと早くいってほしかった。日本人は外交を知らない」 : メカAG

チャーチルの『第二次世界大戦回顧録』のなかにこんなことが書いてある。

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。

しかし、これでは困る。反論する相手を捩じ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。

それでもう一度無理難題要求すると、またこれも呑んでくれる。

すると議会は、いままで以上の要求をしろという。

無理を承知要求してみると、今度は、笑みを浮かべていた日本人はまったく別の顔になって、

「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことをいうとは、あなたは話の分からない人だ。ことここにいたっては、刺し違えるしかない」といって突っかかってくる。


【天使の代理人】胎児は人間ですか? - 読書と映画の時間

「もし、あなたがお腹にいる赤ちゃんだったら、その理由で死んでほしいと言われて納得できますか?」

[中絶]なぜ人を殺してはいけないのか

「もし、あなたが母親の胎内の胎児だった時に、中絶するから死んでくれと言われて納得できますか?」

[倫理]中絶はいいけど、子殺しは駄目。

戦争、死刑、中絶、非配偶者間人工授精、尊厳死安楽死自殺、宗教、禁酒、タバコ一夫多妻制 - Wikipedia

語りえないことについては人は沈黙せねばならない。

人生の大きな目標のため、日常のどうでもいいことは中庸。デカルト

[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬

自分と未来は変えられる。他人と過去は変えられない。

バカの壁 新潮社 養老孟司 「話せばわかる」なんて大うそ!

言葉でも文章でも相手がわからなければ何にもならないんだもの

平易な言葉で分かるような言い方をしなければ駄目なんだ。

五島昇

[思想][頭脳][論文][卒論]多量の思想を少量の言葉に収める。

少しの言葉で、多くのことを言って聞かせるのが大器の印。

自分にしか書けないことを、 だれが読んでもわかるように書く

容器は、それが空っぽのときに一番大きな音をたてる。

多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。セネカ

何度も止められましたが、そのたびに時計万年筆などの貴重品を渡して、見逃してもらっていました。

それがここでは女を出せと言われた。これは本当に困りましたね。

リーダー役の人物が土下座して「みんなのためだ、行ってくれ」と頼んだ。

そうやって女性を送り出していった人間が、生きのびて帰ってきたわけですから。

文芸春秋5月号 五木寛之 藤原正彦

[最大多数の最大幸福][ジェレミ・ベンサム][全体主義][ファシズム][ナチズム]

[民主主義][資本主義][笑者]

404 Blog Not Found:結局自己責任が一番安上がり

同じ仕事を日本人なら月20万円、中国人なら月1万円が相場とする。

搾取者は日本人をクビにして中国人を採用し、その際に他の会社競争力を持たせるために、月2万円を中国人に払うとする。

この時点で、搾取者は月18万円の得。中国人は2万円の得、日本人は20万円の損。

泣く者は一人、笑う者は二人。合計金額は変わらないのに、この方が笑う者が増えている。


天下皆美の美たるを知るも、これ悪のみ。老子

怒りよりも軽蔑を隠すことがより必要である。

[マキャベリ][タキトゥス]賢明で思慮に富む人物

[社交性]心にもない言葉よりも沈黙。モンテーニュ

人生の大きな目標のため、日常のどうでもいいことは中庸を決め込むのは正しい

デカルト

大事を小事の犠牲にしてはならない。

ゲーテ

小事省事

椎名悦三郎


議論したり反駁したりしているうちには、相手に勝つようなこともあるだろう。

しかし、それはむなしい勝利だ―相手の好意は絶対に勝ち得られないのだから。

ベンジャミン・フランクリン


大衆がする尊敬と侮辱

われわれは喧嘩口論に近付いてはならぬ。

これらのことからは足を遠ざけねばならない。

無知な人々のするこのようなことは、何にせよ無視されねばならない

(このようなことは無知な人でなければすることは出来ない)。

そして

大衆がする尊敬と侮辱とは、どのみち大同小異と見なされねばならぬ。

われわれはこちら〔侮辱〕に腹を立ててもいけないし、あちら〔尊敬〕を喜んでもいけない。


くだらない質問には答えぬがよい。

ろくな答えのできないものには、問いかけぬがよい。

くだらない話には耳をかさぬがよい。

あげ足をとるような相手とは議論せぬがよい。

道をふんで訪れるものとだけ交際して、礼儀しらずは相手にせぬことだ。

荀子

争気ある者とは与(とも)に弁ずる勿れ。

荀子

やたらに人と争い競う性質の者とは

事の是非を語り合うことはしないほうがよい。


君子(くんし)は三端を避(さ)く

君子は文章・武術・弁論で人と争うことはしない

はてなブックマーク - ディベート教育とか、キモイので、やめてほしい(ほしかった) - 女教師ブログ

ymScott 社会, 思考 ディベートってのは「自分ですら本気にしていない事を詭弁を駆使して観客に納得させるゲーム」のことだろ。

何でそんな詐欺技術を教育しなきゃいけないのか未だに解らない。

ディスカッションをこそ学ばせるべき。


竜馬は議論しない。坂本龍馬

もし議論に勝ったとせよ、

相手の名誉をうばうだけのことである

通常、人間は議論に負けても

自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、

負けたあと持つのは負けた恨みだけである


どの港に入るのか分からなければ、どの風も追い風にはならない。

「すべては主観である。」モニモス

404 Blog Not Found:ΔxΔp≧h/4π(が欲しかった) - 書評 - そして世界に不確定性がもたらされた

Amazon.co.jp: 99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書): 竹内 薫: 本

トレードオフ 最も賢いクマと最も愚かな観光客の知能レベルは、ほぼ一致する。トレードオフ(Trade Off)

安全と利便性

リスクとリターン

一長一短

ケースバイケース

美人投票 - Wikipedia

例外

論理飛躍

擬似相関

レトリック

バイアス

ポジショントーク

二元論 - Wikipedia

経験論 - Wikipedia

ブラフ

シンプソンのパラドックス: 集団を2つに分けた場合にある仮説が成り立っても、集団全体では正反対の仮説が成立することがある。

合成の誤謬 - Wikipedia

ルサンチマン - Wikipedia

ほめ殺し

アイロニー

知者を自認する相手を問いつめ,無知の自覚を促す,ソクラテス的問答法の一性格。

アイロニーとは - はてなキーワード

「自分の無知」を盾にして、「知ったかぶりをする相手の無知をさらけ出す」

自分の批判対象の主張を徹底的に賛美してみせ、

その論理を極限まで押し進めることによって

そのグロテスクさを浮き彫りにさせるという批判レトリック

[無知の知][ソクラテス]

【処世術】馬鹿のように見せかけ、利口に活動すること【処世訓】

はてなグループ

人間同士が理解しあうというのは根本的には不可能である。

相手を自分の好みに変えようと思うことは相手の人格を無視した行為。

自分と未来は変えられる。他人と過去は変えられない。

人々が自分に調和してくれるように望むのは非常に愚かだ。ゲーテ

犬に道を譲る。噛まれた傷は治らない。リンカーン

[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬

[六韜][外交][交渉]無能ならば歓待せよ。

巧言令色鮮し仁(こうげんれいしょくすくなしじん)

巧言令色に惑わされているようでは、社会人として未熟だ。

浴場での出来事、つまり湯をはねかける者、押す者、罵る者、盗む者

[悪口][陰口][告げ口][お世辞][心にもない言葉]ねたみ・批判にあった時

どんな馬鹿でも、あらを探したり、難癖をつけたり、苦情を言ったりできる・・・

そしてたいていの馬鹿がそれをやる。

ベンジャミン・フランクリン

君子は行いをもって言い、小人は舌をもって言う。王陽明

人間は考えることが少なければ少ないほど余計にしゃべる。

賢者は聞き、愚者は語る。ソロモン

自分の行いが馬鹿げている人に限って、

真っ先に他人を中傷する。

フランス劇作家 モリエール

中傷誹謗に対する最善の返答、

それは黙々と自己の義務を守ることである

ジョージ・ワシントン 米国初代大統領

沈黙を守ってバカではないかと思われる方が、

あれこれ喋ってその疑惑を晴らすよりましだ。

リンカーン

愚者に対するもっとも正しい答えは沈黙である

アフガニスタンの諺

相手を黙らせたからといって、相手の意見を変えさせたわけではない。

バーナード・ショー

相手を黙らせたからといって、その人を説得できたわけではない。

ジョン・モーリー

徳をもって人を支配する者は王たり。

力をもって人を支配するものは弱く、

富をもって人を支配する者は貧し。

筍子


一般に人間は犬に似ている。

他の犬が遠くで吠えるのを聞いて、自分も吠える。

ヴォルテール


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2007-03-12

「お話」論者の意見

http://anond.hatelabo.jp/20070312014115

「お話」論者の僕としては、なるほど、と思える内容だったのだが、トラックバック先の意見を見ると、

「ただ存在しているだけだ。その先は自分で探しなさい」と云っている。ああ、そういう答えは答えになっていない。

そんな話ではない。

だから、少し考え直そう。いつも人は答えを結局のところ、愛だの、他者とのかかわりだの、と逃げ回っているが

元々は自身の空虚さ=存在理由の無さに起因しているのだから、自分の中で決着をつけなければならない。

その意味では「自分で探す」のは正しいのだけれど、その先が無い。

人は何故お話を好むのか?誰か考えたことはあるか?キャラクターは頁の中ではどんな時でも命題を背負って、

命題のために戦う。過去があり、現在がある。そうして、決着の付いた状態で物語は終わるのだが、これは幸せではないか。

何故か?舞城王太郎のいうところの「いい人間」だからだ(阿修羅ガールというものに出てくる、読んで)。

いい人間であるということは、それはつまり自身に眠る「本質」を体現することを渇望しているということに他ならない。

そうして何らかの形で「本質」との間で決着が付く。それは幸せである。

ところがこの世の中というのはどうやら上手く出来ているようで、「本質」など抱かずに生きている者が多数いる。

「本質」など背負うものでもない、とも思えるのだが、自身の空虚さに耐えられないことの方が遥かに大事に思えてくる。

もちろんこれは「本質の不在」に気付いた人間のことだ。彼らは物語を渇望する。先に述べたように、物語とは

「本質」を充足させるためのものであるから、物語を望むということは「本質」を求めているということに他ならないのだ。

挫折するものがそのうち現れる。待っていても探していてもやってこないからだ。それを言い換えるならば絶望という言葉

適当だ。このセカイ(セカイと世界は違う。セカイとは自身とこの世の関りそのものだ)は自身だけではなく、セカイ自体が

空虚なものである、ということが分かる(よく分からない人は物語的構造から考えてほしい。物語ではセカイがヒトに意味

与えるものだ。)。そんな「いい人間たち」がやることといえば「見る」ことである。

絶望とは必ずしも死を意味はしない。「死」(要は自身の敗北、あるいは物語の不在を認めること)はあるが、それイコール

というものでもないのだ。さて、絶望することでヒトは解放されることになる。もう一度ここで「本質の不在」で嘆いていた人に

考えてもらいたい。「本質」は宿るものではないのだ。ではどうやって見つけるか。「足跡」から見つけるべきだ。

自身が探してきた、というその足跡こそが、あなたの「本質」である。

足跡を見つけて初めて安易な「愛」を語ることなく「本質」を語れる。それが僕の足跡だった。

最後に。何故か高校生頃になると、逆にアニメRPGにはまる人が出てくる。何故だろうか。考えてみてほしい。

2007-03-01

やおい 完全版

まれに三角形や丸なんてのもいるが、ともかく彼は六角形であった。いや、この場合は六角柱と言ったほうが正しい。なぜならもちろん彼は鉛筆だからである。鉛筆がこの世に鉛筆として生を受け、鉛筆としての機能を初めて発揮した日のことは忘れがたき思い出、トラウマ存在意義として彼の脳裏に焼きついていた。ぴかぴかに尖った先端を支えにしながらやわらかめの紙の上でおどると、自分の体の一部が紙にしゃりしゃりと音を立ててこびりつく。その行為は鉛筆に母親の胎内へ還っていくような錯覚をおぼえさせた。強い快感をともなう行為だった。涙と鼻水と汗が同時に出てきた。そのたびに紙やセロテープや定規たちは鉛筆を怪訝な目で見たが、しかし紙に何か書き付けるたびにそういった状態に陥るのは、なにも彼だけの話ではない。鉛筆はみんなそうなのだ。

ともあれ、強烈な快感を全身で感じながら鉛筆は一休みした。目のくらむような満足感に突き動かされ、鉛筆は自分の体の一部がどんな形を残しているのかを確かめようと振り向き、そして見てしまった。

消しゴムであった。

消しゴムが、鉛筆が書き損じた文字をせっせと上下左右に体を小刻みに動かしながら消している。

鉛筆は驚愕し、愕然とし、そして強い怒りに駆られた。消しゴムが今消しているのは、自分の体の一部なのだ。いや一部なんてものではない。自分の体の芯そのものだ。生きた証だ。それを、「間違えたから」という、ただそれだけの理由でやつは消している。許せなかった。そしてそれよりも鉛筆が我慢ならなかったのは、消しゴムがその消すという行為に対してなんら感じるところがないとしか思えない表情でいたことだった。その割に、鉛の粉が紙の凹凸にあわせてくっついているのを見ているその目には、やたらと熱がこもっているようではあったが。

 鉛筆はその後もよだれをたらしながら文字を、あるときは絵を、またあるときはそれ以外のものを書き付けながら、消しゴムが自らの痕跡を跡形もなく消してしまうのを見ていた。

 はじめにあったのは、強い怒りだった。そして何日か後に、おおきな虚無感に襲われた。自分が命を削って残した痕跡をああも簡単に消してしまえるのなら、自分が生きる意味はどこにあるのだろう、と思った。その気になれば、間違えた部分だけでなく、書いたものすべてを消してしまうことだってできる。そのことに気がついてからは、鉛筆は消しゴムのことを神か何かのように思うようになった。そこにあったのはほんの少しの畏怖であった。

鉛筆は消しゴムのことが怖かった。こわい、と思った。自分が死ぬまえに最後に残した文字を、やつは消すだろうか。たとえ間違っていたとしても、消してほしくはなかった。

消しゴムのことを目で追ったり、たまに話しかけてみたりもした。消しゴムはすこし陰気な性格をしていた。鉛筆が本能的なレベルで文字を書くことに快楽見出しているのに対し、消しゴムは文字を消すことを仕事だと考えていた。そのため消しゴムが鉛筆と話すときはきわめて事務的な態度をとった。それを陰険だと嫌うものもいたが、鉛筆にはそういった消しゴムスタンスは好ましいものに感じられた。なぜならみんなみんな鉛筆のように振舞っていたら秩序というものがなくなってしまうからだ。消しゴムのようなやつがいるおかげで世の中は成り立っている。しかし消しゴム仕事が鉛筆の存在意義を揺るがすものであることには変わりなかったので、彼は消しゴムに強い興味を持ちながらも、話しかけるときは常に高圧的な態度をとった。高圧的といっても、子供くささの抜けないそれに消しゴムはいつも少し呆れたような表情をするのだが、鉛筆のいうことにはきちんとこたえてくれた。それは鉛筆にとってうれしいことであると同時にどこか見下されているような気がして悲しくもなる事実だった。態度が事務的だからではない。消しゴムが自分に対し興味がないのを知っていたからだった。

そう、彼は、消しゴムのことが好きだった。

四六時中消しゴムのことを、消しゴムのことだけを考えていた。自分の書いたいろんなものの、どの部分をどのような動きで消したのか、目のくらむような強烈な快感に支配されながらも、それだけはいつも覚えていた。どころか、もくもくと「仕事」を続ける消しゴムの姿は、書いている間の鉛筆の性欲をさらに喚起させた。消しゴムの出すカスに自分の体の芯のかけらが入っていると思うと、そしてそれが消しゴムが体を激しく擦り付けた結果だと思うと、それだけで射精しそうな勢いであった。

それだけつよく消しゴムのことを思いながらも、鉛筆は思いを告げようとはしなかった。消しゴムが自分に興味のないのはわかりきっているからだ。ああ、でも。でも。おれはどうしたらいい。鉛筆は苦悩した。消しゴムのことが好きだった。抱いてほしかった。この気持ちを、体を、どうにかしてくれと全身が叫んでいた。消しゴムにどうにかしてほしい。ほかの誰でもない、あの消しゴムに。自分がゴミ箱に捨てられてしまう前に。

「あんたのことが好きなんだ」

白い紙の上で、鉛筆は消しゴムと向き合っていた。鉛筆はいつもの幼稚なふるまいとは裏腹に、伏目がちにうつむいている。消しゴムの表情は見えない。

告白しよう、と思ったのは、つい数日前のことだった。快感が支配するあの異様な時間から解放された鉛筆は、自分の残りの芯がもういくばくもないことに気がついた。一息ついて、ふと気がついたらそうなっていたのだ。その瞬間の鉛筆の混乱といったら、初めて消しゴムに出会った時に相当するものであった。死ぬ。死んでしまうのか、俺は。死ぬのか。今まで漠然としか考えたことのなかった「死」が、一足飛びで近づいてきた。自分はいつまで書き続けられるのだろう、そんなことばかりが鉛筆の思考を支配した。

消しゴムの返事はない。

たった数分の時間が永遠にも感じられ、鉛筆の体はその間にもどんどん震え始めて汗はとめどなく流れた。まるで滝のように顔面から吹き出る汗を鉛筆は呪った。対人恐怖症のような反応を示している自分を、消しゴムが気持ち悪く思わないか、それだけが心配だった。そう、今や鉛筆にとっての最大の命題は、消しゴムに色よい返事をもらうことではなく、なんとか嫌われずにこの場を切り抜けることへと変わっていた。もとより消しゴムに好意なぞ抱かれてはいないのだ。それは分かっている。

しかしここで「今のは冗談だから忘れてくれ」などと言うこともできない。ずっと思いつめていた気持ちをやっと吐露したのに、それを否定してしまったら今までの俺はどうなる。そんな気持ちだった。

鉛筆がそこで立ち尽くしたままどうしようもできないでいると、目の前の消しゴムの陰がかすかに揺らいだのが目に入った。

「悪いが、おまえの気持ちは迷惑だ」

急に足場を失ったような気がした。

消しゴムはなんと言った? 迷惑? 迷惑だって?

相変わらずうつむいたままの鉛筆の目は、消しゴムの陰がさらに動き、どこかへ行ってしまおうとしている様子をたどった。そこで鉛筆は顔をあげ、消しゴムの腕を掴んだ。

「どうして!」

振り向いた消しゴムの顔は、この上なく億劫そうな表情をしていた。

邪魔なだけだ」

「何がだよ! あんなにやさしくしてくれたのに! 俺が話しかけたら答えてくれたじゃないか! 他に好きなやつがいるのかよ!」

鉛筆の目は今や見開かれ、異常なまでの量の汗が顔から滴り落ち、消しゴムの腕を掴む白い手は小刻みに震えている。彼の頭に、少し呆れながらも丁寧に受け答えてくれた消しゴムとの会話のひとつひとつが順番に浮かんでは消えていった。ぶっきらぼうでいて、かつ親愛の情を欠いた態度に、鉛筆はやさしさを見出していたのだった。それは完全に彼の勘違いであったが、しかし鉛筆の短い――死を目前にした――人生にとってはそれだけが全てであった。鉛筆は、もし断られるとしても、もっと思いやりのある答えが返ってくると、信じて疑わなかったのだ。

完全に理性を失った鉛筆を、消しゴムは汚いものでも見るかのような目で一瞥して、言った。

「おまえはどうしてここに自分が存在できると思っているんだ」

鉛筆は訳がわからないといった風に、未だわめき続けている。

「紙だ」

彼の言葉は最早鉛筆の耳に届いていないのは一目瞭然であったが、消しゴムは自分自身に言い聞かせるかのような声で先を続けた。それは、彼の体もまた擦り減っており、鉛筆同様死を目前にした時点で自分の感情を整理しておきたいと思ったからかもしれなかった。

「紙がいるから俺たちがここにいる。おまえみたいな鉛筆やその同類どもときたら、存在理由なんてものを一度でも考えたことがないんだ。おまえらはただの動物だ。自分の存在意義を作り出した存在に対して、これっぽっちも感謝したことがないんだろう」

そう言う消しゴムの目は熱っぽく、口調は荒い。

「俺は紙のために生きているんだ。おまえらのせいで紙が汚れる。何故書き損じを恥に思わない? その尻拭いをしてるのは誰だ?」

鉛筆の生きがいが消しゴムであったように、消しゴムの生きがいは紙であったのだ。彼の紙に対するそれは、鉛筆が抱いていたような性欲とは違った。もっと神聖なものを神聖な目で見る行為だった。それが消しゴムの全てだった。

消しゴムの告白を聞いた鉛筆がなおも縋ろうとしてくるのを払いのけ、消しゴムは何一つ意に介することなく去って行った。鉛筆にはそれをただ呆然と見送ることしかできなかった。たった数分で踏みにじられてしまった自分の欲望を、愛情を、どうすればいいのか分からなかったのだ。

一人取り残された鉛筆は、空っぽだった。これから捨てられるまでのあいだ、何を生きがいにしてどのように暮らせばいいのか皆目見当がつかない。

「俺は、どうしたら、いいんだ」

彼の体が、ぐらりと傾く。

その空っぽな鉛筆が転がった音が、ただむなしく辺りに響いた。聞いているものは誰もいない。鉛筆は体を横たえたまま、己の人生を何度も何度も反芻し、勘違いに塗り固められた思い出に浸った。幼く未熟な彼には、そうすることでしか己を生きながらえさせるすべが思いつかなかったのだ。

おわり

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わっふるしてくれた人、ブクマ感想かいてくれた人みんなありがとう

続きは別のところで発表したんだけど、続き読みたいという人が何人かいたみたいなので晒すよ。

うん、こういう一方通行やおいが大好きなんだ。

2007-02-28

インデント大事

なかなかすごい文だ。

http://anond.hatelabo.jp/20070228160720

そのため江川は人気獲得度外視で好き勝手ストーリー物語初期においては、
    春風駘蕩とした主人公を含めた独特な人物設定や、
    心理学社会学的な分析
  が、作品にユーモアや深みを与えていたが、
  物語が展開し、終盤に至るにつれて、
      学歴批判、
      学校批判、
      PTA批判、
      性の肯定、
      大衆の無際限な欲望就中大生産・大量消費批判、
      自然保護、
      「足るを知る」
    等、
    ともすれば自身自分の生活態度矛盾している部分もあると後に
      日本テレビバラエティ番組今田ハウジング』
      において
        作者江川が
    反省的に述懐するように、
  正統的ではあるが、説教に近いような厳格な倫理観(
    作品後期の一つ一つの命題について、今一度、
      作者の主張の普遍妥当性を、
      場合によってはそもそも作品後期の問題提起の根拠が妥当かといった点にまで、
    吟味を要する(
      つまり、作者は、
        日本で標準的に生きる場合の日常生活自体を不可能にすることもある
      ような要求を立てることがある
    )ほど厳しく、
    つまり場合によっては人を繋縛するようなそれ
  )を打ち出し、
  登場人物の科白に仮託した、
    観念的でもあり
    やや高圧的でもある
  言説
)を展開させる。

こんなもんかな。

Wikipedia江川達也『GOLDEN BOY』の項目の中にあった文章

http://ja.wikipedia.org/wiki/GOLDEN_BOY

そのため江川は人気獲得度外視で好き勝手ストーリー物語初期においては、春風駘蕩とした主人公を含めた独特な人物設定や、心理学社会学的な分析が、作品にユーモアや深みを与えていたが、物語が展開し、終盤に至るにつれて、学歴批判、学校批判、PTA批判、性の肯定、大衆の無際限な欲望就中大生産・大量消費批判、自然保護、「足るを知る」等、ともすれば自身自分の生活態度矛盾している部分もあると後に日本テレビバラエティ番組今田ハウジング』において作者江川が反省的に述懐するように、正統的ではあるが、説教に近いような厳格な倫理観(作品後期の一つ一つの命題について、今一度、作者の主張の普遍妥当性を、場合によってはそもそも作品後期の問題提起の根拠が妥当かといった点にまで、吟味を要する(つまり、作者は、日本で標準的に生きる場合の日常生活自体を不可能にすることもあるような要求を立てることがある)ほど厳しく、つまり場合によっては人を繋縛するようなそれ)を打ち出し、登場人物の科白に仮託した、観念的でもありやや高圧的でもある言説)を展開させる。

これで一文。長い!カッコの中がちょう長い!しかもかっこのなかにかっこがある。ややこしい。感銘を受けたので増田メモるものであります。

2007-02-18

http://anond.hatelabo.jp/20070217145156

野宿者の居住権(命題:「野宿者はそこに住んでもいい」)と

行政の強制撤去権(命題:「野宿者はそこに住んではならない」)が

互いに排他的関係にあると見なされているからじゃないか?

(ちなみに「強制撤去権」は俺がいま勝手にこしらえた表現)

居住権と強制撤去権の有無の組合せでマトリックスを組んでみれば

わかりやすくなるのかもしれない。

どっちかが有る時にもう片方は無いというケースはまあいいとして、

野宿者の居住権は有る、一方で行政の強制撤去権も有る」

 ……「公共の福祉」に基づく私権の制限みたいな感じ?

 でもその場合には私権の制限が行なわれる時点で一時的・部分的に居住権が停止されるわけだから

 「居住権は無い、行政の強制撤去権は有る」の組合せと同じかなあ。

野宿者の居住権は無い、一方で行政の強制撤去権も無い」

 ……これはどうイメージしたらいいのかわからない。

2007-02-15

[]生産性 池田う゛ぁーさす山形

匿名ダイアリーと書こうとして長音記号を打つ前にスペース押して変換したら「解く命題有り」になった。

匿名ダイアリーって個人的なことに使っても構わないよね。

山形浩生 の「経済のトリセツ」  Supported by WindowsLiveJournal - ゴッドランドの経済学

山形浩生 の「経済のトリセツ」  Supported by WindowsLiveJournal - 生産性の話の基礎

池田信夫 blog 生産性をめぐる誤解と真の問題

山形浩生 の「経済のトリセツ」  Supported by WindowsLiveJournal - それでも賃金水準は平均的な生産性で決まるんだよ。

池田信夫 blog 生産性と「格差社会」

分裂勘違い君劇場グループ - 劇場管理人のコメント - 一般人向けに「平均生産性」で説明すると、具体的にどういう実害があるのか、よく分からない。

分裂勘違い君劇場 - 「他人の生産性が向上すると自分の給料も増えるのか?」を中学生でもわかるように図解してみました

山形浩生 の「経済のトリセツ」  Supported by WindowsLiveJournal - 山形より上手でていねいな説明をごろうじろ。

白痴日記 - 限界原理って解り辛すぎるだろ常識的に考えて!(前編)

あー、萌え理のおかげでこの記事の利用価値なくなったな。まぁいいか。

萌え理論Blog - 平均生産性vs限界生産性議論のまとめと大雑把な解説

http://anond.hatelabo.jp/20070215173011

その首輪人間関係そのものなので外せません。親しさとはどれだけお互いのためにお互いを縛れるかですから。披露宴で縛らなくても、披露宴以外で縛ろうとするのは変わりないと思います。素晴らしき友情がある限り。

ただ、こういう親しさの形式に対して辟易していたように見えたので友情という大枠からどうにかしたほうがいいのにと思った次第です。

確かに、当初提示された命題は結局「友情」という大きな問題に吸収されるのかもしれない。そして友情の容量を計る方法としては相手を束縛することでしか出来ないのかもしれない。もうちょっと考えてみます、ありがとう

2007-01-30

中田

2007-01-27

http://anond.hatelabo.jp/20070127182809

http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?kind=jn&MT=%CC%B7%BD%E2

むじゅん 0 【矛盾

論理学で、二つの命題が相互に一方が真であれば他方は偽であり、一方が偽であれば他方は真であるという関係にあること。

らしい。もう少し正確にするには、矛盾数学的な定義が必要かと思う。

一応、命題論理の体系自体に矛盾がないことを証明することは出来るらしいですよ。

http://anond.hatelabo.jp/20070127151901

色々考えたけど、ちょっと難しいな。

cf: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%BD%E9%A1%8C%E8%AB%96%E7%90%86

公理1:φ → (χ → φ)

公理3:(not ψ → not φ)→(φ → ψ)

この2つの公理に、ついでに

定理1:φ → not not φ

を加えて、S 及び not S の両方が真であると仮定して推論を行うと、

1: S → not not S    // 定理1に φ = S

2: not not S    // 式1と仮定 S から

3: not not S → (not X → not not S)    // 公理1に φ = not not S、χ = not X

4: not X → not not S    // 式2と式3から

5: (not X → not not S)→(not S → X)    // 公理3に φ = not S、ψ = X

6: not S → X    // 式4と式5から

7: X    // 式6と仮定 not S から

んで結局、S 及び not S の両方が真であるならば、X が導き出せる。

後は X に 『砂糖は塩である』 を代入してあげればいいはず。というより、X にはどんな命題も代入することが出来るんですな。

ということで、S と not S が両立する仮定の下では、どんな命題も証明することが出来ます。

「私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが…

ま、証明したからといってどうということはない。こんなものかと思っただけだ。

その意味では驚くべき証明とも言えないかもしれない。

で、問題は私はこの定理から解放されうるのか。あるいはそーゆーもんじゃないのか。

そこが依然、皆目、わからない。

ま、いずれにしろ書き残す余白も、もう、ない。」

途中から某あるふぁブロガー化していくフェルマー

http://anond.hatelabo.jp/20070127153601

「私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでブログに記す」

こうだったら歴史は変わっていただろうに!

ガリレオだって、増田でなら「地球は回っている」って言えただろうに!

奴らにインターネットを与えてくれ!

http://anond.hatelabo.jp/20070127153118

演繹とかむずかしー言葉はわかんないけど

http://anond.hatelabo.jp/20070127150025

それって、『偽の命題をいったん真と仮定すると』じゃなくて、『どんな命題でも真と仮定したならばその命題自体は真と証明できる』ってことじゃないの?

それは、仮定は全て正しいとする、いうお約束(あるんだよね? 確か)から考えて当然そうでしょうけれど。

元記事http://anond.hatelabo.jp/20070127114923

偽の命題をいったん真と仮定すると、どんな命題も真であることが証明できる

ってのは、「どんな」の場所的に、『本当は偽の命題を何か一つ真と仮定してしまえば、その仮定と無関係な命題も否定する命題も含めてどんな命題も真と証明できる』って文章っしょ?

『犬は猫であるは真』と仮定すれば、『砂糖は塩である』という命題も真だと証明できてしまう、みたいな(犬とは猫とは砂糖とは塩とは何か、犬と猫は相容れない、砂糖と塩は相容れない、みたいなあれこれを論理学っぽく書くのは省略)。

http://anond.hatelabo.jp/20070127142758

もっと単純にいこうぜー( ´ー`)y-~~

仮定を2つ用意します。

仮定1:AはBである

仮定2:AはBではない

この上で、2つの命題について考えてみることにします。

命題1:AはBである

仮定1より明らか。

命題2:AはBではない

仮定2より明らか。

イメージ的にはこんな感じ。

『犬は猫である』 は、それ単体では論理的に矛盾のない命題であることに注意していただきたいかと。

これを否定するような命題(例えば、「犬はイヌ科である」「猫はネコ科である」「イヌ科はネコ科ではない」)を持ってきて、

それらを同時に仮定して演繹したときにかぎり 『犬は猫ではない』 も 『犬は猫である』 も成立させることが出来るんです。

下手にやると完全性定理とかそっちのほうまで行っちゃうんで注意。講義ノート紛失したぽ(´・ω・`)

こういう感じ?

http://anond.hatelabo.jp/20070127140758

矛盾を含む命題を真と仮定することは、命題を真とする際に論理的正確さが不必要である、と定義することを内包している。

論理性を無視して良いという条件下では、とんな命題だろうと内容に関係なく(=論理性を考慮することなく)真とすることができる。

みたいな。

論理学分からないけど。

仮定した初期命題と背反する命題も真とされるのかが疑問。

「犬は猫である」を真と仮定した時に、「犬は猫でない」を真と出来るのか、とか。

「猫はトカゲ以外のなにものでもなく、かつ犬ならばトカゲでなく、かつ犬でないならばトカゲである」とか。

http://anond.hatelabo.jp/20070127121248

言い換えれば『矛盾を含む体系においてはどんな命題をも導くことができる』

直感的に言えば『前提が間違っていればどんな結果がでても不思議じゃない』

ってことです。たぶん。よくわからん。

2007-01-24

二次元三次元の代替手段に過ぎないのか」という話題に関連した自分語りURLは面倒なので貼らない。

ぼくは小説なんかを何回も読む人で、二度読み三度読みは当たり前、好きな本はそれ以上読んでいたりする(京極夏彦は二度読みの途中)。これが理解できないという人もいるのだけど、そういう場合は漫画映画に置き換えてみて欲しい。好きな映画を三度観たなんてのはよくきく。

その中でいつ読んでも「泣ける」ものがある。だけど、例外的に精神的に充足しているとき、具体的に言うと恋人ができた直後だったり、そういうときにはあまり泣けなかったりする。泣くという行為は、精神的安定、充足を促すためのものという一面もあって、ひとしきり泣いた後は妙にすっきりするという経験もあると思う。

つまり、精神的に充足している場合には、その必要が無いので「泣けない」。

そういう意味で、二次元三次元の代替手段に過ぎない。いや、むしろこういう表現のほうが正しいかもしれない。「フィクションノンフィクションは交換可能である」。

追記

ただの人間には興味ありません

あー、なんだろう。無駄に手を抜いちゃいかんね。

ということで、言及もとの文章はこれ「二次元好きは所詮性欲の捌け口でしかなかったのか

それで、

所詮二次元を愛好していたのは性欲の捌け口だったんかな。

性欲でなくとも「何かを愛でたい」「好意を寄せたい」って欲の捌け口だったのかと思うと、

なんてのは、そりゃそうでしょうよとしか言いようがない。というのが上の文章の論旨。ただこれは、二次元三次元の対立ではなく、むしろフィクションノンフィクションの対立なんだろうなと思ったわけさ。アニメオタが深夜アニメを撮りまくるのと、OLドラマを週末に消化するのは根本的に違いがない。

それとは別に、二次元に魂が宿りうるかという命題をぼくは否定しない。二次元にしかつけない嘘もあるもんね。

2007-01-14

年に2回位

人は死ぬとどうなるんだろうか。

という命題について考える時がある。肉体ではなく精神的な話。

考える契機は心境の変化があったりとかまあ色々なのだが。

結局の所、色々考えたなりに自分の回答の行きつく先は、

分からない、答えは出せない。

だったりする。

誰かが言っていた事だけど、人から完全に忘れ去られた時が本当の「死」なのかもしれない。

2006-12-27

[]増田における科学ニセ科学考察まとめ

久々に興味ある話題なので転載してまとめるよ。

http://anond.hatelabo.jp/20061226222936→これを【A】とするよ。

巷で蔓延するニセ科学批判。多くの人間の共感を呼んでいるが、実は問題はそう簡単なことではない。

確かに、追試により証左を求めることが出来ない科学は全て『ニセ科学』だ!

と、定義できればこれほど簡単なことはない。

実際、そのような定義が正しいとは思う。

しかし、科学者自身がニセ科学を批判するには人類が築き上げてきた科学脆弱すぎる。

科学ニセ科学を糾弾できない真の理由はを知るには『進化論』問題を見れば解るだろう。

なぜ進化論ニセ科学かは、具体的に事例を出してゆ行けば自ずと結論がでるのだが、これは実に根が深い問題である。

進化論ニセ科学的側面

現在科学では動物の種の壁を越える手段を持ちえていない

人と猿は近い種と考えられているが子供を作ることは出来ない。そこには明確な断絶があり、どのような手段で『進化』がこの壁を乗り越えることが出来たかは今だ明確な説明できない

猪から豚が、狼から多種多様な犬が生まれたからといって、進化はあると言うのは紛れも無いニセ科学的な論法である。事、人間に関してはミッシングリンクなどと言う名称までつけて事の解決を図ろうとしているが、これは現在は実証しようがないと認めているに等しい行為である。

豊富な状況証拠から導き出される陳腐な結論

進化論をやっかいなニセ科学にしている理由に多種多様化石存在がある。

時代ごとに明確に異なる形の生物存在したのは事実である。

そして、始祖鳥を筆頭に恐竜から鳥が、魚から両生類が、両生類から爬虫類が…と言うように進化したと言われている。しかし、これを証明できるほど遺伝子工学は進歩していないし、結論は別のものであると考えたほうが遥かに健全であろう。今の段階でこの希望的観測を学校の授業に取り入れるのは間違いである。

クローン猫の事例を出せば納得してもらえるだろうか。

恐らく多くの人間遺伝子が同一なクローンオリジナルに極めて近い性質であると考えたであろう。

私もそう予測した。

しかし、実際は違った。模様から性格に至るまでそれは明確に別の固体のように振る舞い、一卵性双生児のように極めて近い存在とはならなかった。しかし、同じ遺伝子であることに間違いは無い。細胞寿命に関する機能が原因ではないかとも言われているが、多くの遺伝学者、識者が予想もしなかった結論がでた。

つまり、当時のクローン技術で予測された結果は正しくはなかったと言うことだ。

科学とは証左できない存在を排除するプロセスを経て初めて機能する具体的事例をここに出した。

しかし進化論では、状況証拠から結論を予測するしか出来ない。これは間違いを必然的に孕む手法であり、何より間違いを正す手段が無い。

更に言えば、進化論を形作る多数の証拠には扱いに困る物も多い。

例えば、中国政府北京原人は実在すると主張し続ければ北京原人存在することになる。(証拠が既に紛失してしまったので検証しようがない)

進化論の背景

現在進化論のような理論が提唱されても学会で否定されるであろう。

このような証左を求めることが出来ない存在現在科学では入り込む余地がない。

しかし、これは当時の時代背景を考慮に入れなければ説明できない問題である。

実は科学とはアインシュタイン相対性理論をターニングポイントにその性質がガラリと変わっている。

それまでは、科学には無限の可能性があり、明らかに出来ない事象は存在しないと信じられてきた。

しかし、このドイツ出身の物理学者が提唱した相対性理論によって、そのことが明確に否定されてしまったのだ。ビックバンと呼ばれる宇宙開闢以前の時間存在しない『モノ』の考証を物理学は放棄した。

これは、当時の科学者には相当な衝撃であり、決して受け入れられないと考えた学者も多かった。

しかし、誰一人、論理的にそれに対抗できる概念を作り出すことが出来なかった。

(その残滓がタキオンやエーテルと言えば理解できるだろうか?)

さて、話は戻るが進化論アインシュタイン相対性理論発表前にダーウィンが提唱した論文が発端になっている。科学が万能であると信じられた時代の遺物。まだ、科学錬金術と近い間柄だった時代に生まれた存在である。

はっきり言ってしまえば、進化論とはアインシュタイン科学の万能性を否定する以前の学会だからこそ認められた存在であり、これは科学というより歴史学といったほうが良い代物である。

◆本文を書こうと思った背景

ちょうど大阪大学菊池誠教授の『水からの伝言』でニセ科学が話題になっていたので常々思っていたことを文章にしてみようかと。それまでは、非常にナイーブな問題で、米国のほうではインテリジェント・デザインとかいう物まで生まれてしまうほど議論にさえならない状態だったこの問題に区切りをつけて、科学ニセ科学を明確に分けたい!という衝動から書かれた文章。

伝えたいことは進化論科学的な証明プロセスはありえない存在であり、進化論科学と扱うことを否定して貰えればそれでいい。

最後に、この進化論の生み出した悪夢について書いておく。

進化論流行らせた最大の間違いは何か?と聞かれれば私は獲得形質を挙げる。

既に遺伝学的に否定された獲得形質ではあるが、

この考えが根本となり、ナチス優生論が生まれ、多くの人間が犠牲となった。

淘汰は自然には起こらず明確な人の意志によって行われたのだ。

(追記)

今回の記事のブックマークコメントを見て欲しい。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20061226222936

実はこの手の話は感情的になる人間が必ずいる。しかし、大事なことは追試をどう行えば進化論が肯定・否定されるかを彼らが提示することはないという事実だ。

私は進化論が間違いだと言っているわけではない。そもそも進化論は否定する必要さえない段階の説なのだと言っているのだ。

タイトル釣り過ぎという指摘はその通りでございます。賢い貴方乾杯

07:41:09-12/27(水)/2006

インテリデザインという不正確な表記をインテリジェント・デザインに訂正

14:11:45-12/27(水)/2006

ブックマークコメントより、追記の文章を追加

ニセ科学科学http://anond.hatelabo.jp/20061227042214

【A】に対して。

科学の中でも追試が行われ易い分野とそう出ない分野がある。これは、時間スケールが関係しているよ。長い時間をかけて出来るような、天文学進化の関連では検証が簡単ではないものが多いです。

でも、進化でも検証されてきてる分野はでてきてる。たとえば、大腸菌を使った進化を検証したものでしょう。だから、まったく、追試が出来ないかと言えばそうではない部分も持ち合わせているようです。それ以外にも社会性の昆虫の分野の性比の問題なども進化的な検証から成果を上げていますよ。パルサー天体のようなものもあるくらいだから恐らく、天文も同じでしょう。また、検証が難しくとも現存するデータ理論が正しいかどうかを確かめる為に統計学を利用しているが、20世紀半ばの集団遺伝学を引っ張ったフィッシャーのように統計学へかなり影響を与えたような事も産まれている。

科学ってものは未解決なものをといていく事で知見が深まっていく。未解決な例を上げて、否定する論法は偽科学科学の関連でよく使われてるが、それでは説得力が乏しい。たとえば、進化が関連しそうな未解決なものを進化的な方法を取り入れずに解けたならそれは一つの有力な考え方になるだろうし、進化を否定する事につながるかもしれない。要するに、他の方法で未解決なものを説明する試みをしてみないと行けないです。もちろん、インテリジェントデザインのように、超自然的な存在がそうしたのだ。と一言で言われたら、変わりの未解決問題の解決説なのかもしれないが、ここで大きな問題は、超自然的な存在を持ち出す事によって、ブラックボックスを常に作ってしまう事にある。

このブラックボックスってのは、何か都合が悪い事があれば、超自然的な存在の影響だと言う捉え方も可能だし、逆に良い事があってもです。そうする事によって、それ以上の知見を求めない事に問題があると考えていますね。もし、超自然的な存在がいたとしたら、知見を深める事をタブーとはしないと思うけど。倫理的な問題はちょっと別だが。思考を止めて盲目的に信じる事がどのような事に通じるかそれは書かなくてもわかる人が多いだろう。

ただ、偽科学科学の間にある対立で残念なのは、相互理解が全くないところにある。偽科学だと言われてるものたちが科学(=科学的手法)に対して誤解があるし、科学者が偽科学に対して攻撃的なだけのことも多い。科学じゃないけど、感情的な理解を少しはしていかないと理解はされない。情緒と論理の間の対立のようなものだ。ただし、科学への誤解が解ければ、おそらくニセ科学の多くは科学の顔をしないようになるだろう。

ねこだいすき!」http://anond.hatelabo.jp/20061227044835

【A】に対して。

模様から性格に至るまでそれは明確に別の固体のように振る舞い、一卵性双生児のように極めて近い存在とはならなかった。

そもそも一卵性双生児の性格がまったく一緒かというと、そんなことはないわけで、つまり性格は遺伝要因と環境要因のうち後者の影響が大きいと考えられます(通常は似たような環境で育つので近いものになるとは思いますが)。昔の人はいいことを言った。「生みの親より育ての親」

模様については以下を参照のこと

http://plaza.rakuten.co.jp/kemusiro/diary/200608170000/

つまり、当時のクローン技術で予測された結果は正しくはなかったと言うことだ。

科学とは証左できない存在を排除するプロセスを経て初めて機能する具体的事例をここに出した。


素人考えで性格も模様も一緒になるはずと考えるのは勝手ですが、みんなもそう思ってたと考えるのはどうかと思います。どちらも知識さえあれば事前に予測できたことです。昔の人はいいことを言った。「下手の考え休むに似たり」

以下蛇足。

この手の文章を読むと、だいたいどういう方面の人かというのが分かるのだけど(インテリジェントデザインキリスト教右派の主張の焼き直しにしか過ぎないことがバレバレなように)、この文章はどうも分からない。分からない原因は対立概念が書いてないからだと思うのだけど、「進化論」がニセ科学だとするならば、人間その他の生物はどのようにして発生したと考えているのでしょうか。そこを詳しくききたい。

それともあれかな、信じられないから信じないというトートロジーに陥っているのか、純粋無知懐疑主義者とか。

科学とは「ナゼ」を追求するものではないのか」http://anond.hatelabo.jp/20061227054110

俺にとって「反証可能であるか」「追試可能であるか」どうかなどどうでもよく、

血液型性格判断も、マイナスイオンも、ゲルマニウムも、水への言葉

「ナゼ」「どのような仕組みで」と言う部分をすっとばしているから「科学ではない」ではない。と言いたい。

「理由はよく分らないのですが、こうするとこうなります」

ではただの経験則であって、万人に通用するかは分らない。

B型は身勝手だから」「マイナスイオンは体にいいから」「水が人の心(の波動)を受けるから」

全て「どのような仕組みで」をすっ飛ばしている。

だから『科学ではない』これではいかんのか。

科学が『ニセ科学』を糾弾できない真面目な理由」http://anond.hatelabo.jp/20061227063233

ひとつの理由。

偽者と本物が同じ土俵に立つわけにはいかない。

同じ土俵に立って戦えばピエロになるだけ。

科学とはできないを突き詰めるもの。

可能性を夢想するものではない。

科学は万能などではない。

我々にはできないことの方が多すぎる。

だから前提条件が必要なのだ。

空を飛ぶ為には人間が両手を広げてブーンと言うだけでは飛べない。

人間が両手を広げてブーンと言うだけ」

これは前提条件だ。

人間が飛べない」というものを証明したものではない。

同じ論点で、宇宙人がいないと断言するのは間違っている。

宇宙人は少なくとも確認されていない。」

科学からすれば、それ以上でも以下でもない。

それを「居る」と断じる人たちと戦おうとするのが間違っているのだ。

「居る」「居ない」で戦おうとする人たちに

「いまは確認されていないのでは?」と問う声は届かない。

すべてはおまじない程度の可能性。

すべての可能性は否定はしない。

テレビが映るのを不思議と思わないのに幽霊を見るのは特殊な才能だと思っている。

そんなアンテナ感度の違う人たちと同じ土俵で戦えるわけがない。

「つまり、ニセ科学というのは。」http://anond.hatelabo.jp/20061227081540

仮説にもなっていない言説ということなんでしょうか?

要するに、科学的な根拠がないから、ニセ科学

http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%B2%BE%C0%E2&search_history=%B2%BE%C0%E2&kind=all&kwassist=0&mode=0&jn.x=48&jn.y=11

かせつ 0 【仮説】

〔hypothesis〕ある現象を理論的に統一して説明するために立てられた経験科学上の仮定。その真偽の検証は、仮説から必然的に演繹(えんえき)された諸命題実験や観察によるテストで確かめることによってなされる。検証された仮説は法則や理論として公認される。

つまり、ニセ科学というのは。

仮説にもなっていない言説ということなんでしょうか?

要するに、科学的な根拠がないから、ニセ科学

http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%B2%BE%C0%E2&search_history=%B2%BE%C0%E2&kind=all&kwassist=0&mode=0&jn.x=48&jn.y=11

かせつ 0 【仮説】

〔hypothesis〕ある現象を理論的に統一して説明するために立てられた経験科学上の仮定。その真偽の検証は、仮説から必然的に演繹(えんえき)された諸命題実験や観察によるテストで確かめることによってなされる。検証された仮説は法則や理論として公認される。

2006-11-29

溶く命題ありー。

違った、匿名ダイアリー触ってみた

中身のないエントリお茶を濁してみようと思った

特に反省していない。

はてブ義経

[転がしてしんぜよう]「よいではないかよいではないか」「あーれー(はぁと)」

モヒカン族は正しい○○にうるさい人たちだと聞いた


なら、正しいダライアス外伝のプレイ方法について定義してもらいたいものです。

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