2007-03-01

やおい 完全版

まれに三角形や丸なんてのもいるが、ともかく彼は六角形であった。いや、この場合は六角柱と言ったほうが正しい。なぜならもちろん彼は鉛筆だからである。鉛筆がこの世に鉛筆として生を受け、鉛筆としての機能を初めて発揮した日のことは忘れがたき思い出、トラウマ存在意義として彼の脳裏に焼きついていた。ぴかぴかに尖った先端を支えにしながらやわらかめの紙の上でおどると、自分の体の一部が紙にしゃりしゃりと音を立ててこびりつく。その行為は鉛筆に母親の胎内へ還っていくような錯覚をおぼえさせた。強い快感をともなう行為だった。涙と鼻水と汗が同時に出てきた。そのたびに紙やセロテープや定規たちは鉛筆を怪訝な目で見たが、しかし紙に何か書き付けるたびにそういった状態に陥るのは、なにも彼だけの話ではない。鉛筆はみんなそうなのだ。

ともあれ、強烈な快感を全身で感じながら鉛筆は一休みした。目のくらむような満足感に突き動かされ、鉛筆は自分の体の一部がどんな形を残しているのかを確かめようと振り向き、そして見てしまった。

消しゴムであった。

消しゴムが、鉛筆が書き損じた文字をせっせと上下左右に体を小刻みに動かしながら消している。

鉛筆は驚愕し、愕然とし、そして強い怒りに駆られた。消しゴムが今消しているのは、自分の体の一部なのだ。いや一部なんてものではない。自分の体の芯そのものだ。生きた証だ。それを、「間違えたから」という、ただそれだけの理由でやつは消している。許せなかった。そしてそれよりも鉛筆が我慢ならなかったのは、消しゴムがその消すという行為に対してなんら感じるところがないとしか思えない表情でいたことだった。その割に、鉛の粉が紙の凹凸にあわせてくっついているのを見ているその目には、やたらと熱がこもっているようではあったが。

 鉛筆はその後もよだれをたらしながら文字を、あるときは絵を、またあるときはそれ以外のものを書き付けながら、消しゴムが自らの痕跡を跡形もなく消してしまうのを見ていた。

 はじめにあったのは、強い怒りだった。そして何日か後に、おおきな虚無感に襲われた。自分が命を削って残した痕跡をああも簡単に消してしまえるのなら、自分が生きる意味はどこにあるのだろう、と思った。その気になれば、間違えた部分だけでなく、書いたものすべてを消してしまうことだってできる。そのことに気がついてからは、鉛筆は消しゴムのことを神か何かのように思うようになった。そこにあったのはほんの少しの畏怖であった。

鉛筆は消しゴムのことが怖かった。こわい、と思った。自分が死ぬまえに最後に残した文字を、やつは消すだろうか。たとえ間違っていたとしても、消してほしくはなかった。

消しゴムのことを目で追ったり、たまに話しかけてみたりもした。消しゴムはすこし陰気な性格をしていた。鉛筆が本能的なレベルで文字を書くことに快楽見出しているのに対し、消しゴムは文字を消すことを仕事だと考えていた。そのため消しゴムが鉛筆と話すときはきわめて事務的な態度をとった。それを陰険だと嫌うものもいたが、鉛筆にはそういった消しゴムスタンスは好ましいものに感じられた。なぜならみんなみんな鉛筆のように振舞っていたら秩序というものがなくなってしまうからだ。消しゴムのようなやつがいるおかげで世の中は成り立っている。しかし消しゴム仕事が鉛筆の存在意義を揺るがすものであることには変わりなかったので、彼は消しゴムに強い興味を持ちながらも、話しかけるときは常に高圧的な態度をとった。高圧的といっても、子供くささの抜けないそれに消しゴムはいつも少し呆れたような表情をするのだが、鉛筆のいうことにはきちんとこたえてくれた。それは鉛筆にとってうれしいことであると同時にどこか見下されているような気がして悲しくもなる事実だった。態度が事務的だからではない。消しゴムが自分に対し興味がないのを知っていたからだった。

そう、彼は、消しゴムのことが好きだった。

四六時中消しゴムのことを、消しゴムのことだけを考えていた。自分の書いたいろんなものの、どの部分をどのような動きで消したのか、目のくらむような強烈な快感に支配されながらも、それだけはいつも覚えていた。どころか、もくもくと「仕事」を続ける消しゴムの姿は、書いている間の鉛筆の性欲をさらに喚起させた。消しゴムの出すカスに自分の体の芯のかけらが入っていると思うと、そしてそれが消しゴムが体を激しく擦り付けた結果だと思うと、それだけで射精しそうな勢いであった。

それだけつよく消しゴムのことを思いながらも、鉛筆は思いを告げようとはしなかった。消しゴムが自分に興味のないのはわかりきっているからだ。ああ、でも。でも。おれはどうしたらいい。鉛筆は苦悩した。消しゴムのことが好きだった。抱いてほしかった。この気持ちを、体を、どうにかしてくれと全身が叫んでいた。消しゴムにどうにかしてほしい。ほかの誰でもない、あの消しゴムに。自分がゴミ箱に捨てられてしまう前に。

「あんたのことが好きなんだ」

白い紙の上で、鉛筆は消しゴムと向き合っていた。鉛筆はいつもの幼稚なふるまいとは裏腹に、伏目がちにうつむいている。消しゴムの表情は見えない。

告白しよう、と思ったのは、つい数日前のことだった。快感が支配するあの異様な時間から解放された鉛筆は、自分の残りの芯がもういくばくもないことに気がついた。一息ついて、ふと気がついたらそうなっていたのだ。その瞬間の鉛筆の混乱といったら、初めて消しゴムに出会った時に相当するものであった。死ぬ。死んでしまうのか、俺は。死ぬのか。今まで漠然としか考えたことのなかった「死」が、一足飛びで近づいてきた。自分はいつまで書き続けられるのだろう、そんなことばかりが鉛筆の思考を支配した。

消しゴムの返事はない。

たった数分の時間が永遠にも感じられ、鉛筆の体はその間にもどんどん震え始めて汗はとめどなく流れた。まるで滝のように顔面から吹き出る汗を鉛筆は呪った。対人恐怖症のような反応を示している自分を、消しゴムが気持ち悪く思わないか、それだけが心配だった。そう、今や鉛筆にとっての最大の命題は、消しゴムに色よい返事をもらうことではなく、なんとか嫌われずにこの場を切り抜けることへと変わっていた。もとより消しゴムに好意なぞ抱かれてはいないのだ。それは分かっている。

しかしここで「今のは冗談だから忘れてくれ」などと言うこともできない。ずっと思いつめていた気持ちをやっと吐露したのに、それを否定してしまったら今までの俺はどうなる。そんな気持ちだった。

鉛筆がそこで立ち尽くしたままどうしようもできないでいると、目の前の消しゴムの陰がかすかに揺らいだのが目に入った。

「悪いが、おまえの気持ちは迷惑だ」

急に足場を失ったような気がした。

消しゴムはなんと言った? 迷惑? 迷惑だって?

相変わらずうつむいたままの鉛筆の目は、消しゴムの陰がさらに動き、どこかへ行ってしまおうとしている様子をたどった。そこで鉛筆は顔をあげ、消しゴムの腕を掴んだ。

「どうして!」

振り向いた消しゴムの顔は、この上なく億劫そうな表情をしていた。

邪魔なだけだ」

「何がだよ! あんなにやさしくしてくれたのに! 俺が話しかけたら答えてくれたじゃないか! 他に好きなやつがいるのかよ!」

鉛筆の目は今や見開かれ、異常なまでの量の汗が顔から滴り落ち、消しゴムの腕を掴む白い手は小刻みに震えている。彼の頭に、少し呆れながらも丁寧に受け答えてくれた消しゴムとの会話のひとつひとつが順番に浮かんでは消えていった。ぶっきらぼうでいて、かつ親愛の情を欠いた態度に、鉛筆はやさしさを見出していたのだった。それは完全に彼の勘違いであったが、しかし鉛筆の短い――死を目前にした――人生にとってはそれだけが全てであった。鉛筆は、もし断られるとしても、もっと思いやりのある答えが返ってくると、信じて疑わなかったのだ。

完全に理性を失った鉛筆を、消しゴムは汚いものでも見るかのような目で一瞥して、言った。

「おまえはどうしてここに自分が存在できると思っているんだ」

鉛筆は訳がわからないといった風に、未だわめき続けている。

「紙だ」

彼の言葉は最早鉛筆の耳に届いていないのは一目瞭然であったが、消しゴムは自分自身に言い聞かせるかのような声で先を続けた。それは、彼の体もまた擦り減っており、鉛筆同様死を目前にした時点で自分の感情を整理しておきたいと思ったからかもしれなかった。

「紙がいるから俺たちがここにいる。おまえみたいな鉛筆やその同類どもときたら、存在理由なんてものを一度でも考えたことがないんだ。おまえらはただの動物だ。自分の存在意義を作り出した存在に対して、これっぽっちも感謝したことがないんだろう」

そう言う消しゴムの目は熱っぽく、口調は荒い。

「俺は紙のために生きているんだ。おまえらのせいで紙が汚れる。何故書き損じを恥に思わない? その尻拭いをしてるのは誰だ?」

鉛筆の生きがいが消しゴムであったように、消しゴムの生きがいは紙であったのだ。彼の紙に対するそれは、鉛筆が抱いていたような性欲とは違った。もっと神聖なものを神聖な目で見る行為だった。それが消しゴムの全てだった。

消しゴムの告白を聞いた鉛筆がなおも縋ろうとしてくるのを払いのけ、消しゴムは何一つ意に介することなく去って行った。鉛筆にはそれをただ呆然と見送ることしかできなかった。たった数分で踏みにじられてしまった自分の欲望を、愛情を、どうすればいいのか分からなかったのだ。

一人取り残された鉛筆は、空っぽだった。これから捨てられるまでのあいだ、何を生きがいにしてどのように暮らせばいいのか皆目見当がつかない。

「俺は、どうしたら、いいんだ」

彼の体が、ぐらりと傾く。

その空っぽな鉛筆が転がった音が、ただむなしく辺りに響いた。聞いているものは誰もいない。鉛筆は体を横たえたまま、己の人生を何度も何度も反芻し、勘違いに塗り固められた思い出に浸った。幼く未熟な彼には、そうすることでしか己を生きながらえさせるすべが思いつかなかったのだ。

おわり

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わっふるしてくれた人、ブクマ感想かいてくれた人みんなありがとう

続きは別のところで発表したんだけど、続き読みたいという人が何人かいたみたいなので晒すよ。

うん、こういう一方通行やおいが大好きなんだ。

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