「二次元は三次元の代替手段に過ぎないのか」という話題に関連した自分語り。URLは面倒なので貼らない。
ぼくは小説なんかを何回も読む人で、二度読み三度読みは当たり前、好きな本はそれ以上読んでいたりする(京極夏彦は二度読みの途中)。これが理解できないという人もいるのだけど、そういう場合は漫画や映画に置き換えてみて欲しい。好きな映画を三度観たなんてのはよくきく。
その中でいつ読んでも「泣ける」ものがある。だけど、例外的に精神的に充足しているとき、具体的に言うと恋人ができた直後だったり、そういうときにはあまり泣けなかったりする。泣くという行為は、精神的安定、充足を促すためのものという一面もあって、ひとしきり泣いた後は妙にすっきりするという経験もあると思う。
つまり、精神的に充足している場合には、その必要が無いので「泣けない」。
そういう意味で、二次元は三次元の代替手段に過ぎない。いや、むしろこういう表現のほうが正しいかもしれない。「フィクションとノンフィクションは交換可能である」。
あー、なんだろう。無駄に手を抜いちゃいかんね。
ということで、言及もとの文章はこれ「二次元好きは所詮性欲の捌け口でしかなかったのか」
それで、
所詮二次元を愛好していたのは性欲の捌け口だったんかな。
性欲でなくとも「何かを愛でたい」「好意を寄せたい」って欲の捌け口だったのかと思うと、
なんてのは、そりゃそうでしょうよとしか言いようがない。というのが上の文章の論旨。ただこれは、二次元と三次元の対立ではなく、むしろフィクションとノンフィクションの対立なんだろうなと思ったわけさ。アニメオタが深夜アニメを撮りまくるのと、OLがドラマを週末に消化するのは根本的に違いがない。
何をいまさらと思うかもしれないけど、自称なりともオタクを自負していた身としては結構辛い。 彼女ができる前までは普通にオタクやってた。二次元が好きで仕方が無かった。 しかし...
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私が二次元に求めるのは、例えば、 絵によって表現されるしかなかった神々しさ、の尻尾のようなものです。 または絵空事とわかっているから辿り着ける劇的展開の果てです。 実在し...
http://anond.hatelabo.jp/20070124000619 性欲でなくとも「何かを愛でたい」「好意を寄せたい」って欲の捌け口だったのかと思うと、
自分の現在の一番の関心事が異性なのか趣味なのかというだけでは? 中にはどちらも興味が無くて仕事が一番好きというワーカホリックもいるだろう。 仕事しか関心事がなく、家庭も妻に.
http://anond.hatelabo.jp/20070124000619 愚息というのは恐ろしいものじゃの。 大きくなるのぉ。しょこたんみたいなの五人ぐらい侍らせてて、いつでもおかわりokな状況でエロゲーを敢えて