はてなキーワード: 促すとは
その1 http://anond.hatelabo.jp/20081223235800
その2 http://anond.hatelabo.jp/20081224002406
その3 http://anond.hatelabo.jp/20081224004222
その4 http://anond.hatelabo.jp/20081224013124
(G-4面上)
今年8月下旬、元日銀総裁の山口泰は、米ワイオミング州にある人口8500人の小さな町、ジャクソンホールにいた。カンザスシティー連邦準備銀行が主催する3日間の会議に出席するためだ。
この会議には毎年、世界の中央銀行の首脳や高名な学者らが集まり、論戦を繰り広げる。会議の夕食会で、山口はFRB議長のバーナンキとECB総裁のトリシェにはさまれた席でなごやかに談笑していた。
その2日後、シンポジウムのコメンテーターとして登場した山口は、米国が経験した二つのバブルについて触れ、「IT(情報技術)の株価バブルは信用膨張(銀行の貸し出しなどの急増)を伴っておらず、その崩壊で巨額の不良資産が積み上がったわけではない。信用膨張を伴う(住宅)バブルにこそ注意すべきだ」と警告した。
山口は、「金融政策でバブルは防げない」と、あたかもそれがプロの常識かのように主張してきたFRBに、疑問を投げかけたのだった。
FRB流の考え方は、アラン・グリーンスパンの発言で一躍有名になる。
FRB議長だったグリーンスパンは2002年、ジャクソンホールの会議で、「バブルは、崩壊して初めてわかる」「バブルを阻止するには急激な金利引き上げが必要だが、それは経済に深刻な打撃を与えてしまう」などと発言する。中央銀行の役目は、バブルが崩壊してから、大胆に金利を引き下げる「後始末」にあるとした。
その3年前、99年の会議では、大学教授だったバーナンキと山口が対立した。バーナンキが、日本のバブル期の金融政策について「政策金利を8〜10%に引き上げるべきだった」との見方を示したのに対し、山口は「(もう少し早めの金利引き上げが望ましかったが)政策金利をそれほどまで引き上げるのは非現実的」と反論した。
ただ、バーナンキは、金融政策による「バブル予防」を説いたわけではない。バブル崩壊後に、すばやく金利を引き下げてデフレを防ぐ大切さ。そこに主眼があった。グリーンスパンの「後始末論」は、バーナンキから影響を受けたとの見方もある。
しかし、「後始末論」のFRBは結局、大きな失敗を招き寄せることになる。
90年代のITバブルについて、グリーンスパンは当初の警戒心を封じ込めて「生産性が高まった結果」と肯定し、結果的にバブルを加速させた。ITバブル崩壊後は、急速に金利を引き下げる「後始末」を行った。さらにデフレを懸念して長期間にわたって低金利政策を維持した。
グリーンスパンやバーナンキが、最も警戒していたのは、日本の「二の舞」になることだった。米国のインフレ率は急速に低下していた。日本のようにいったんデフレになってしまうと、金利をゼロ以下にできないため、金融政策の発動が難しくなる。
その戦略は、いったんは成功したかにみえた。2001年の不況は短期間で終わり、米国は再び力強く成長する。05年のジャクソンホールの会議は、引退するグリーンスパンへの賛美に包まれた。
しかし、長すぎた金融緩和は結局、大規模な信用膨張や住宅バブルを引き起こす。住宅バブルが崩壊すると、深刻な金融危機に発展。米経済は不況に沈む。
11月の米国の物価上昇率は前月比で大幅なマイナスに転落。バーナンキがあれほど懸念したデフレに近づいた。FRBは今月16日、史上初めて政策金利をほぼゼロに引き下げるところまで追い込まれた。
FRBの何が問題だったのか。
山口は「FRBは日本から間違った教訓を引き出してしまった」とみる。「わずかな物価の下落を恐れて緩和しすぎると、問題が大きくなる」。信用膨張を抑えるには、政府や中央銀行による金融規制の強化と金利の引き上げをセットで行うべきだ、というのが山口の意見だ。
山口の考え方は、国際決済銀行(BIS、本部・スイス)で最近までチーフエコノミストを務めたウィリアム・ホワイトに近い。
白川は山口が副総裁のときに金融政策担当の理事を務めた。2人の考え方には共通点が多い。白川はホワイトとも個人的な親交を結ぶ。白川の著書「現代の金融政策」では、BIS流の考え方と、FRB流の手法の違いが整理され、白川自身はFRB流に批判的であることが読み取れる。
もっとも、実際には、経済が成長しているさなかに、どこまでが「生産性の向上」で、どこからが「バブル」なのか、見極めるのは難しい。効果的なバブル予防策を説く経済理論も確立されておらず、FRB流の「後始末論」には、依然として根強い支持がある。
だが、山口や白川に共通するのは、バブルの判定がなかなか難しいことは承知で「何かできることを模索すべき」という考え方だ。バブルが起きていると確信したら早めに金利を引き上げる、危険な兆候の段階でも記者会見などで世論に注意を促す、といったことも含まれる。
しかし、バブルが起こるのは、人々が過剰なまでの自信を持つからにほかならない。バブルの結末は悲惨でも、その渦中にある人はバブルを謳歌しがちだ。中央銀行が、世論に逆らってでも行動する覚悟がないと、結局、バブルは防げない。
「パーティーが盛り上がっている時に、パンチボールを片付けるのがFRBの仕事」と言ったのは、元FRB議長のウィリアム・マーチンだった。
http://anond.hatelabo.jp/20081213141956
これにも関連しているけれども。
常野さん、こんなことばっかりしてたら、英語圏であろうが日本語圏であろうが「一流」になんかなれっこないよ。こんなことしてる暇があったら、論文書いて投稿するとか、知り合いの編集者さんに原稿読んでもらって、企画きちんと立てて売り込んで、とにかくちゃんとやろうよ。ちゃんとやろうと思えばやれる人なんでしょうあなたは。今だって語学教師としてはそれなりの自負があるんでしょう。だったら研究者として、あるいはライターとして、まともな仕事をしようよ。
ネットジャンキーでブログがやめられないんだったら、こんな下らない煽りじゃなくて、それ自体活字にできてお金を出して読んでもらえるようなコンテンツをきちんとあげようよ。
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20081214/p1
稲葉先生は確かに御親切で、常野氏にこう説かれているのだろうとは思うけれども、それはあまりにも相手に対して残酷だと思います。常野氏はもう31、分別がある年齢です。自分の能力も見えてきた年頃の人間が、精一杯考えて、自分がもっとも目立てる手法を選んだのがあの自爆テロだったのですよ。31ですよ、いい大人じゃないですか。そんな人間が、
「ブログを通して出てるんです、入っていいでしょう」
とまで幼稚な詭弁を口にしたんですよ。傍から見たらどうみても「みっともなさ」の極致です。でもそれは、常野雄次郎という人間が、現実に持っている存在感、レトリック能力、それを最大限駆使して、自分でもっとも適切な言動だと思って選び取ったものですよ。しかし、確かにこれが彼にできる精一杯のところでしょう。
常野氏の新しいエントリーで、
最後にあずまんへ個人的なメッセージ。
「煽る」っていうのはこういうことだよ。
井口先生じゃいい人すぎるから。
http://d.hatena.ne.jp/toled/20081215/p1
こう書いている。姜尚中ですよ。東さんと今回の件でなんの関係があるのか。要は、常野氏は論壇の有名人なら誰でもいいのか。次は黒柳徹子でも呼ぶのか。みのもんたか。これを読めばよくわかるように、常野氏はもう言論人として真面目に名を成そうとかそういう努力は、投げちゃった人なんですよ。彼がいま考えているのは、「論壇」の「顔役」と絡みたい、それで目立ちたい、しかしそのために自分の言葉を磨く、そういう努力は一切しない、そんなことです。なんでこうなるのか。彼がもう自分の能力を見切ったからですよ。本人がそうである以上、他人がどうこう言っても詮無いことです。稲葉先生のエントリーのコメント論で書いていますが、
私信よりもこうしてブログに書いてくれる方が百万倍うれしい。アクセスが増えるから。ただ、これはあずまんにも再三お願いしたことなんだけど、リンク貼ってくれませんか。Nさんの件で経験したんだけど、稲葉さんに紹介されるとアクセスすごいんだよ。できれば、↓にお願い。
なんというアクセス乞食の成れの果て。でも、もう常野氏には手段を選ぶ余裕はないのです。31ではもう、過去の彼のように、不登校ネタを売りにすることは無理がある。そもそも不登校なんて珍しくなくなってきている。彼は彼の売名欲的上昇志向を(敢えてここでは成功妄想とは言わないですが)支える手段が、齢31にしてなくなってしまって、難しいポジションなのですよ。
いや、こういうことはもう、稲葉先生は百も承知でしょうね。その稲葉先生に対して常野氏は叫び続ける。
僕は本気で「一流」になりたいと思ってる。しかもその素質があるような気がする。ただ努力を怠っている。勉強をサボっている。何かやっても、とんちんかんな方向に行ってしまって、進歩しない。それについて悩んでいる。
僕は「一流」になりたい。ちやほやされたい。500年後の図書館に本を残したい。強い願望です。
赤の他人からこんなこと言われても困りますよね、誰だって。常野氏のこの発言を目にしたら、大人なら誰でも思うでしょう。
「努力を怠っている。勉強をサボっている。」自分でもそうわかっているような人間が、なんで「一流」になれると思うのか、素質があると信じられるのか?
夢見る中学生じゃないんですから。いや、こういうことを言うと真面目に勉学やスポーツや芸術に励んでいる中学生に失礼だ。たとえ素質があっても、なにかの分野で「一流」とみなされる存在になることは簡単なことではない。つい易きに流れるのが人間でしょう。でもそれを省みて、また頑張ってみるのも人間で、多くの人はそうやって一流とまでは行かずとも準一流、二流くらいにはなる。常野氏は31にしてその入り口にさえ立っていない。立つことはできない。彼は立たないことを売りにして生きてきたからです。
「登校拒否系」の常野氏は、言論人である東さんに対して、言論人志望者としてまともに対することをしなかった。東さんの発言を批判したいなら、普通に一人で大岡山に行って、「東さん、あなたの発言にわたしは異論があります、それについてはこのような形でまとめてきました、この場は東さんが責任を持たれている講義の場ですからここですぐ対応をされるのは難しいでしょうから、自分のブログでもこの意見を発表しようと思います、よろしければご覧になって下さい」と言わなかったのか?代わりに常野氏はどう言ったか。
あずまんと波長が合いそうなネット右翼の諸君もたくさん来たらさらに楽しくなると思うよ。
糾弾会みたいなのは今回はやめとこうね。
こう言ったのです。誰がどう見てもこれは威嚇であり、脅迫です。東さんがこんなことを書いているのが来ると知らされて、友好的に対応するはずがない。学生になにかあったらどうするか、考えるのが当然です。それを見越して常野氏はこう書いたのです。後から言い訳はなんとでも言えるが、「そんなつもりはなかった」と後から言うのは脅迫者の常套手段です。
なぜこう言ったか?結局は常野氏が避けたのですよ、まともな議論を促すのを。彼は自ら望んで、「下らない煽り」に終始したのです。
それはなぜか。常野氏はもう、まともな言論人志望者であることさえかなぐり捨てているのですよ。彼はとにかくアジテーターとして目立って、名を売って、「ちやほやされたい」だけなのです。つまり、かつての不登校児が自分の無様なプライドを慰撫したいだけなのですよ。
言論のプロを目指すことは、悪いことではないでしょう。それならば、質の高い議論をする、そのことで少しずつ自分の存在感を高めることが王道でしょう。それをしたならば、図書館に五年なり五十年なり、その議論は痕跡を残すでしょう。その道を目指さない常野氏は、もう、負けたんですよ。そしてそれをいうならば彼は、これまで勝とうとしたことがない人生ですよ。それで「とんちんかんな方向に行ってしまって、進歩しない」でいないはずがない。それでなにか成果が上がれば、それは奇跡です。稲葉先生くらいのキャリアをお持ちの方なら、そんなことはもう、見えている。でも稲葉先生はこう呼びかける。
常野さん、こんなことばっかりしてたら、英語圏であろうが日本語圏であろうが「一流」になんかなれっこないよ。こんなことしてる暇があったら、論文書いて投稿するとか、知り合いの編集者さんに原稿読んでもらって、企画きちんと立てて売り込んで、とにかくちゃんとやろうよ。ちゃんとやろうと思えばやれる人なんでしょうあなたは。今だって語学教師としてはそれなりの自負があるんでしょう。だったら研究者として、あるいはライターとして、まともな仕事をしようよ。
ネットジャンキーでブログがやめられないんだったら、こんな下らない煽りじゃなくて、それ自体活字にできてお金を出して読んでもらえるようなコンテンツをきちんとあげようよ。
常野氏を擁護する人は、いろんなことを言う。例えば東さんだって、柄谷さんの法政の講義に潜り込んで、それでデビューのきっかけをつかんだという。でも東さんは、ちゃんと潜り学生なりの作法を踏んで、威儀を整えて、ソルジェニーツィンについての原稿を見て下さいと持って行ったわけでしょう。そのときの東さんは、柄谷さんに「彼の原稿なら読んでみよう」と思わせるだけのアピールをしたんでしょう。これは卑屈とか取り入るとか言うことではない。真っ当な手順を踏むと言うことです。
かたや、常野氏はなにをやったか。
あずまんと波長が合いそうなネット右翼の諸君もたくさん来たらさらに楽しくなると思うよ。
糾弾会みたいなのは今回はやめとこうね。
「ブログを通して出てるんです、入っていいでしょう」
といじましい嘘をついたのです。そして自分は最初、この経緯を隠して、常野氏の取り巻きは東さんを「ださい」だのなんだの罵った。「はてサ紅衛兵」は今回は東さんをリンチすることには失敗したようですが、その代わりにこういうかばい合いは発達しているのですね。でも、こういうデビューをする「言論人」なんてありえないでしょう。
あずまん、そうとう男を下げちゃったな。今回。
そこで僕から超ウルトラスーパーCの挽回策を提案します。
僕をゼロアカ優勝者にしてください。
知らない人のために言うと、講談社から10,000部の本が出せるというコンテストです。
そしたら、みんな思うと思う。あずまん、大人だなって。器として。これだけのいきさつがあった上でそうしたら。思わん?
常野氏のはなしは、なんでもやっぱりここに戻ってくる。目立ちたいよう、お金が欲しいよう、みんな僕のことをかまってよう(涙)。僕の話を聞いてくれよう、だからみんなで押しかけるよ。
どこまで虫がいいんだろう(呆)。教室を騒がせてここまで迷惑をかけた相手に、なお自分の売名への協力を呼びかける。もともとこれが言いたくって、東さんに絡んだんだろう。でもこれは、常野氏がもう他人が見えなくなっている、他者の心情を忖度できなくなっていることを実証しているだけですね。「これだけのいきさつがあった上で」「大人だなって」思わせるとかいうのは、正々堂々論陣を張って批判された場合であって、なんで「プンスカ、プンスカ、ピュー!」とか東さんをいかにも戯画化して書いていたアジテーターがその当の相手にまともな対応を期待できるのか、わからない。まして、SF大会なんかから何年も東さんに粘着しているストーカーまで同行して、これは嫌がらせ以外の何者でもない。まして常野氏はなおもこうも書いている。
糾弾っていうのは、たんに相手を傷つけるためにやるものではない。そうではなくて、相手に自分が間違っているということを自覚させることが重要とされる。だからそれは愛情と憎悪が複雑に絡み合った興奮から始まる。
けど、僕は歴史修正主義者に対して1%の希望も持っていない。必要なのは、対話でも説得でも論争でも、まして糾弾ではなく、暴力だ。
これはまたはっきりとした脅迫だなあ。「自分が間違っていると言うことを自覚させる」ために必要なのは「暴力だ」そうですが。常野氏にはもう、良心なんか残っていると期待はできないね。
稲葉先生はd:id:NakanishiB氏にも「まとまった原稿を書いて持ち込む」ことを勧めるけれども、自分が書きたいように書ける自費出版の同人誌に書いてなおパッとしない人に、いまさら広い土俵に連れ出してもなにもできないでしょう。かつてNakanishiB氏は小田島隆さんにもその悪文をたしなめられていましたが、残念なことだけれども、文章を書く力があまりにも独特な発達を遂げた人は、もう、まともな文章は書けない。
id:gerlingがこれもコメント欄に書いていたけれど、
> それ自体活字にできてお金を出して読んでもらえるようなコンテンツ
そんなものできないから東とかはあんな惨めな真似をしてるんですよ。
これは東さんではなく、常野氏やNakanishiB氏への当てつけに読めてしまう。人が悪いなあ。東氏の本はお金を出す人に読んでもらえているでしょう。それへの真っ当な批判なら、またそれにもお金を出す人がいるでしょうが、
「ブログを通して出てるんです、入っていいでしょう」
こういう人には誰もお金を出さない。常野氏は、この先、どうのたうち回って「一流」の夢を断念するまで足掻くのでしょうかね。それまで、いろんな人に迷惑をかけそうですが。
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20081215AT2D1101715122008.html
岩手県は円高のときは金利が高い、円安のときは金利が安いという債権を発行した。
格付けが低ければ利率は高く、格付けが高ければ利率は低い。
リスクを変えずして利率をそれ以上に下げることはできない。
単にリスクを取れば利率が下がるだけという理由であったならそれは投機に他ならない。
円安のときには利率が安い。どこの証券マンが売りつけた?
全体に占める割合は少ないとはいえ、あまりにお粗末である。
夏冬の気温の変動によって金をやりとりする小売向けのオプションがあると前に読んだことがある。
と個人的には思っている。四半期の終わりにヤキモキすることがなくなるだろう。
サイゼリアも同様な失敗だったのではないかとみる。
彼らの方向性は正しかったのだが、少しだけスペキュレートをしてしまったのではないだろうか。
リスクとリターン。ヘッジとスペキュレート。この違いつけられるようになりたい。
かれこれ数ヶ月ほど週末にゲームばかりしていたら、彼が「そろそろデートしませんか?来週あたり横浜にでも。」と、提案してきたので脊髄反射的に「いいよ」と答えた。ゲームをしていると生返事になるのを知ってか?策士め。それが先々週の話。
それから一週間、横浜は海沿いだから寒そうだね、冬本番だねと会話の端々にサブリミナルの如く外出を拒否するキーワードを盛り込んだが効果はなかった。デート当日の土曜日。予想を裏切り、気温は暖かい。
駅についたら、昨晩は遅くまでゲームをしていたからかお腹が空いていた。お洒落にランチはパスタだ、パスタ。ジャパニーズ天麩羅そばパスタを食す。その後はブラブラとウィンドウショッピングを楽しんだり、菓子の量り売りをしているスウィートファクトリーへ寄って、きゃははうっふふと絶対食べないだろう赤色5号的な毒々しい色をした菓子を買う。ちょっと楽しい。
歩きつかれたところでジェラートを食す。ジェラートを食べるワンシーンが印象的なローマの休日ならぬ、横浜の休日ってかおい。ハイカラだなぁ・・・なんて考えていたら、彼が「ぼ・・ぼくたち・・・リ・・・リア充?」と抜かす。残念、それは今日のNGワードだ。
その後はそばとジェラートの消化を促すべく、コスモワールドでジェットコースターに乗り胃袋をシェイク。外は寒いので隣接しているゲーセンに入ってサッカーゲームを楽しむ。もちろん1人で。1から9と書かれた3×3のパネルをサッカーボールを蹴って狙うゲーム。体育科舐めんなよとつぶやきながらバシバシとパネルを消す。気がつけば、サッカーゲームに夢中になっていてショボン(´・ω・`)顔になっていた彼。あぁ、これはデートだとミッションを思い出し、一緒に遊べるゲームを、ということでバイクのレースゲームをやる。バイクのスタートがわからずブレーキをかけ、ブオンブオンとふかしている彼を横目にさくさくと一人でプレイする。あれ?シチュエーション的に男女逆じゃね?と思いながらも最後は負けてやった。負けてやったんだぞ!わざと、だぞ!
遊びつかれたところで、東京徒歩スピード10分1くらいで赤レンガ倉庫に向かう。赤レンガ倉庫に着たら彼が「建物の中にお店があるんだ!倉庫なだけかと思っていたよ!」と言うのでだめだこいつ早くなんとかしないと(中略)気がつけば赤レンガ倉庫の付近では若者が行列をなしていた。
赤レンガ倉庫はただの倉庫じゃないことがわかったところで、山下公園まで歩く。クルージング的な船の受付時間が締め切りそうだったので「どうする?乗る?ぼくは乗りたい!」と彼に煽られ「いや、また今度くるときに・・・」と言いかけたところで(いや、引きこもりに次はないわー)と思い返し「やっぱり乗る・・」と返事をした。日が落ちるのは早く、船に乗るころには横浜はライトアップされていた。これがブルーライト横浜や!
転覆せずクルージングも無事に終わり、帰りは水上バスで駅に向かう。その頃にはデート開始から5時間が経過しており、慣れない外出で疲れもたまり、眠ってしまった。が、私の夢の中をドスと聞いた誰かの声で荒らされた。悪夢や!何事かと目を覚ますと赤レンガ倉庫で浜崎あゆみがライブをやっているとか。あぁ、さっきの行列はそれかと夢現に思い出し眠りを妨げられたことに憤慨しつつ、また眠った。
水上からの横浜の夜景を見たら次は空から夜景を見るのがきっとリア充デートの定番であろう、ランドマークタワーから夜景を見た。私は感動した。
先に1000円出してぽけっとしてたんだ。
会計が721円とかそんくらいだったんだけど、おばちゃんが「細かいのある?21円。あるの?ある?出すの?ないの?」
とか、思い切りタメ口で聞いてきたんだ。
おいおい客に対してタメ口かよ。
そこは内心どう思っててもいいから、とりあえず敬語使えよ。
しかもそっちが催促するとか、違うだろ。両替感覚で客側が端数出すもんだろ。
客商売してるって自覚あんのかこの人。スーパーの客感覚で店先立ってんじゃねぇ。
そんなことがついさっきあった。
今まで5年くらいずっと使ってたけど、これは流石にないと思った。
なんか今までより高かったし、他探すかな。
まず最低賃金は1000円以上に引き上げるべきだ。多くの中小企業が苦しむというが、安い賃金に安住して仕事のやり方を変えないことが問題なのであって、最低賃金の引き上げを通じて生産性向上のための技術革新を促す効果が期待できる。一時的に倒産や失業が増えることも考えられるが、3〓5年スパンでみれば低生産性企業の退出が、新たな産業や雇用を産む可能性もあるのではないか。
最低賃金自給1000円にしろって…
人件費が2割から3割が余分にかかるってどういうことになるか想像できないんだろうか。
そして人件費は販売価格に跳ね返るだろうから、あらゆる商品価格はあがる。
どう考えても一時的に倒産や失業が増えるだろうから失業者も溢れかえる。
それこそ、卵かけご飯すら食べる金も無い者がどんどん増えていく。
3〓5年の間、耐えれる術の無い者達は死んでしまえ、ということなのだろうか?
はてな匿名ダイアリーに、「厚労省殺傷事件で人を殺す以外にこの国に政府に訴える方法は存在しないと思った。 」という一文が投稿されている。私はこれを読んで、これは書いたものでなくして、書かれたものであろう、と判ずる。その書いた、書かれたと記すのが意味するのは、その文章の筆者が、自ら物事を見て捉えたところから、自ら何かをすることを考えて、・・・その考察は同時に、自らことを為すならば、その時に自らがそこに従っているところの価値観や道徳観に枠づけられるものであり、言い換えて、自らする考察とは、そのようにして見出させるものしか、その人に見出さないものであるが、・・・さて、そうした思い巡らしの中で形成された、自らの思いを述べたものではない、ということである。
書かれたものである、という性格付けだけを特に言えば、例えばその文章の場合、佐藤優などを代表に、テロによる世直しへの期待が高まっていると騒いで、この国の《ジャーナリズム》が広めているところの、人々の思いと推定的に措定しているものに、この文書の筆者が身寄せして、あたかもその〈思い〉を有する一人であるが如くに構えてしたものであるように、自分がそう考えているのでなくして、人々がこう考えているとされているものを、独白的に記しつけることを、書かれたものであると私は言う。こういう文章の効果は、筆者が何かに就いてした観察や経験より得られるものより、その人がその人自らの意識として形成されたものを述べたものであるならば、その観察と考察の妥当性が検討されるのに対し、独白的であることで、その〈思い〉を持つ人が居るか居ないかが、まず検討の必要がなくなり、次にその表白に示された判断や意図やは、適切に導き出されものかどうかの批判を免れたところにポジションを取らせてくれる、というところにある。
この事実としての検討と、様々な見地よりされる妥当性の批判とを、あらためて喚起させない利点によって生ずるもの、あるいは、その利点そのものの別の姿であるのは、読み手は、その〈思い〉を直接に受け取るならば生ずるはずの共感か同情の反応をして、そこに言われていることに向き合わねばならなくなる。そうなると、例えば、これこれの境遇や状態であるから、また、それらに加えて、その中でこんな強い感情を自分は抱かされているから、このように自分は行動する、と述べられたとき、その彼の行動そのものの是非を検討することは、境遇や状態への同情をいくらか欠けた眼差しであり、彼が抱いている感情への同情が何かしら不十分なものである、と言われることになる。
そうして、我々は、これはしょうがないとか、已むを得ないものだとか、そうした物言いを口にする。これが了解的なもの以上に引き上げられると、人はそうしたものである、との判断や理解へと位置づけられることになる。だが、この人間理解に行き着いたところで、そこに指摘すべき欠陥は、そう行動していること自体の是非が何ら解明されていないままである、ということである。また、もっと深刻な欠落は、ある行動をして正しいものであらしめるところに従ってしか行動出来ない人間というものを、その人間理解は見出していない、ということである。我々に取って、そのように見出される人間を捉えてあることは、極めて重要であり、極めて意義深いものであり、また、極めて必要なものである。なんとなれば、そのようにして理解されている人間というものこそ、その人一人をして、自らがどんなものであるかを知らしめるものであり、その自らがその中の一員であるところの社会がどんなものであるかを見て取らせるのであり、更に、そのような人々よりなるものにとって、妥当であり、適切な、また必要な政治がどんなものであるかを見出させるからである。
もし、人はそうしたものである、との理解を、先の欠陥や欠落を見極めずして抱くならば、そこからの思い巡らしが、我々それぞれには、それぞれにとって可能なあり方、社会には可能な社会、そして政治に於いては実現させるべき政治へと進んだとして、何も得させることは無い。そして、この得させるところのなき人間理解は、数多くの《書かれた》文章によって、これまで積み重ねられ、補強され、流布させられて、その結果我々の抱くところとなって来た。そしてもし、その人間理解が薄れたならば、それを再認させるし、またもし、ことがあればそれを思い起こさせて、そのことを捉えさせる方向付けとなるよう強調されてきた。
そして、私は、先の匿名ダイアリーの文章は、今回の事件に際して、そのような働きをするように《書かれた》文章である、と思うのである。それは、その文章の筆者が望む望まないに係わらず、生じてくる働きである。上で述べて来たところより、その働きが生ずる理由、また、その働きが生じさせるものを言うならば、まず前者に向かうに、次のように問うて見よう。その筆者は自らが、今回の事件の、あの最も暴力的な行為を、自ら是するものであるかどうか、自らにどれだけしっかりと問うているであろうか。ここで問われるべきは、どんな境遇や状態ならば、という前提条件の問題ではない。この禍々しい行い自体の是非である。私は、その筆者は、それをあまり問わなかったと思う。もしきちんと自らに問うて、しかもその答えを明らかにした上で、あれを書いたというのならば、途中を飛ばして突き詰めていってみれば、彼は、人を殺すことは正しいことであり、また彼は、人を殺すなという道徳律に服していないと自分を見出している人である、ということになろう。
そして、このことをきちんと自らに問わずして、漠然な踏まえどころとしたのが、自分以外の人は、これこれの境遇や扱いにあれば、こんな行動をするという、皮相な人間理解であり、この無反省に抱かれている浅薄な人間像よりして言えそうなことを、あたかも独白的に、自らの思いと構え立てて書き記したことで、人間そのものはもとより、社会のありよう、政治のあるべき姿を見出さないところに、人々を向かわせる働きをすることになっているのである。そうして、その働きのもたらすものは、浅薄な人間理解に人々を留まらしめることであり、まずは包括的に言って、こうだからしょうがないとか、已むを得ないとか、そうしたところへの同情や共感によって、行為自体の是非を明らかにさせずにおくこととなり、次には、この事件、ならびにそれにつき論評されているところに即して言えば、人々が現在置かれている境遇と待遇とに抱いている不満からして、こういう行動を起こすのは已むを得ないものである、人とはそういうものである、という〈どうしようもない〉人間理解である。
このどうしようもないとは、どうしようもなく浅薄で、どうしようもなく蔑視的な人間理解というつもりである。また、このどうしようもなさは、人々の多くをして、こういう行動は已むを得ないと、その人々自らがそう行動することを、自らに了解していく筋道を与えるよりは、それよりもむしろ、多くの人々をして、人間とはこういう不満を持つと、こんな行動をしてしまうような、どうしようないものである、という眼差しを持たしめるものだ、ということを言う。すなわち、私は、あの文章は、世直しにはこんなことが必要だ、と人々が自ら考えることを促すよりは、また、そのように人々の多くが考えている事実を示しているものであるよりは、むしろ、多くの人々をして、我々の社会には、こんな不満からこんな行動をする奴らが数多く居る、という意識を持たしめるものだ、と思うのである。そして、多数の人々が、多数の人々をして、そう看做すという、この様こそ、最もどうしようもないところである。
そして、そのどうしようもなさに呆れる思いとなるところを強調すれば、こんな程度の人間理解よりして、政治の為すべきところが見出され、社会に於いて為す所のものが告げられ、そして、多くの人々が、それら政府の施策と社会での態度とを、もっとも至極なものだと了解していく、という点である。しかも、このように受け入れられていくところでは、人々をかくも浅薄に見下げて捉えていて、またそのような捉え方が正しいと人々が簡単に同意していることによって、その地位と役割を確固としたものにしているところの、この国の政府の政治的意志を決定し、その意志に基づく社会を作り出そうとする人々に、これまで通りの、またこれまでと同程度の、いやむしろ、それ以上のかもしれない、活躍の場所を用意し、活躍の意義の根拠を与え、また、活躍の必要性のロジックを強力にするであろう。
そうして、ここより言えば、匿名ダイアリーの《書かれた》文章は、よりはっきりと私の感ずるところを明記してしまえば、まさに今述べた活動を支え、裏打ちし、それを否定されなくするよう、その意義と必要性を人々に了解させるために《書かれた》ものである。筆者の真意が如何なるものかにかかわらず、このような効果しか持ちえない仕方で、《書かれた》ものである。いくらか、これを敷衍するに記せば、まずその題からして「・・・存在しないと(ボクは)思った」と読まれるようであっても、正しくは、「・・・存在しないと《人々は思っている》」と読むべきものであり、読み手がその文章より抱くものは、そう思うのも已むを得ない、であって、その主語はさしあたって、あの事件の犯人が、という形でのようであるけれども、正しくは、その文章の書き手がそう思うことは、というものですらも全然無くして、筆者以外の、また読み手以外の、どこかの誰かはそう思うであろう、というものである。つまり、多くの人々はそういうどうしようもない存在なのだ、という人間理解を抱かせる内容であり、そうした人間理解をこの文章を通じて、人々に再確認させているし、再形成させるものである。
その形成の効果あるところを、更に、細かく見るならば、文中、「・・・すれば、殺したくもなる人も出ると思う。」、「誰かを殺せば変わる・・・そう思い続けている人もいると思う。」、「・・・誰か殺そうという人も出るだろう。」という箇所よりして、これらすべてが、第三者に関して、こうであろうとするところであり、それは筆者の人間理解、いや《庶民》像を示して居る。これらの特徴から、この文章全体は、その筆者が考えるところの庶民(人々)に関する理解の地平で、(この庶民理解は、また別に、「人が死ぬということほど絶大なメッセージ表現方法を庶民は持っていない。」という記述より取り出せるものがある。)その記述が為されていると言えるものであって、またこのような記述よりして、当然に読者の持つものは、人々はそうしたものである、との理解でしかない。その人々とは、勿論、読者自身を除いた、読者自身以外の第三者のことであり、そう思っている人々がどこかに居る、居てもおかしくない、という意識を、多数の人が自分以外の多数の人に関して有するようにさせるものである。
その多数の第三者の持つ《思い》を、筆者が決して持つものでないことは、「誰かを殺せば変わると本気で思っていた。それは政治家になって日本を変えるよりもずっと手っ取り早いと思っていた。今ではそれは危険な思想だと思うけれど、そう思い続けている人もいると思う。」とあるところで、自分はそんな考えを持つものでないと記していることに確認出来る。そして、ここよりして、この文章は、自分が決して持たないものをして、人々の思っていることとしてと記して、なおかつ、どこか自分の思いでもあるかのようにすることによって、あたかもインターネットの中にいるとされる《テロ》へ賛同者の一事例であるかのように書くことで、まるでジャーナリストが喜ぶであろうように《書かれた》、とんでもないものであると評せねばならない。また、そのような意義付けで十分である。
・・・つけたりに。文中で一度は、「危険な思想」との認識を示していながら、最後に、「絶大なメッセージ表現方法」という評価付けを与えるのは、まことに矛盾したものである。この相反する捉え方が混在している原因を、真面目に考えれば、筆者に於いてその両者が、共にそれ自体で十分に考察されていない、ということであろう。しかし、自分の取らない「危険な」ものと、自分以外の庶民には「絶大な」ものという風に、両者の帰属先が異なることからして、あまり真面目に理由を見つける必要はないであろう。で、不真面目に解すれば、自分を外したところで、人々に向かっては、絶大なメッセージになるよと勧めている訳で、まことに不真面目な提案である。しかも、それは、上に述べたような、多数の人々が自分以外の多数の人々に関して持つ意識の中で、「危険なもの」という性格付けを帯びることにもなっているのである。(id:kenkido)
☆女の徒然草☆というサイトが騒いでる、「はじめまして★」さんが、詐欺行為を働いてるというはなし。
その「はじめまして★」さんのサイトをみてきた(ttp://blogs.yahoo.co.jp/dofootred6)
どこらへんが見るとやばいのかな?と思いきや、
『花より男子より井上真央の子役時代お宝動画』とかから『井上真央の子役時代お宝動画はこちら』をクリックして、こちら(ttp://gal.s92.coreserver.jp/tube/index.avi)に行き、再生ボタンを押下し、二度の警告に『はい』を押すと、料金請求にくる…というだけのものだった。
えっと、これに注意を促すためだけに、あんなに転載させて、活動監視したりしてるんだ…
バカじゃないの?と。
ごめん、誹謗・中傷扱いになっちゃうかもしれないけど、マジでそう思った。
もし、この件が落ち着いて、そしたら、あちこちに転載された記事をどう収拾つけるつもりなんだろ。
このまま放置されてて、すでに沈静化した後も、さらに転載先からさらなる転載を繰り返して…
もう、こうなったらスパムと何ら変わらないよな(まぁ、そういう意味ではYAHOOブログの転載OKてリテラシーも何も考えてない酷い機能なんだが)
沈静化した後に、今回の「はじめまして☆」という人と無関係な同一の名前の人が活動はじめたら、その人は何もしてなくても叩かれる可能性もあるってことだよなぁ。転載させることって凄く怖いと思うよ。
そもそも、この人、よくわかんないんだよね。
ttp://blogs.yahoo.co.jp/yoshimysan/20280323.html
せっかく、構想3日、製作1日ではなく、GIF保存や、画像の分数比による拡大縮小などのプログラム作りまで行った上で複数のソフトを駆使して製作した画像なのです。
…画像を拡大縮小するソフトをわざわざ3日かけて作る意味がわからない。もし本当だとしたら、余程ダメなプログラマだし。
ttp://blogs.yahoo.co.jp/yoshimysan/19837698.html
もし、お使いになりたい方がいらっしゃいましたら、この記事を転載の上、右クリックでアドレスを調べてから、
[[img(http://URL)]] 構文
で必要な場所に表示してくださいね。
…これだってさ、直リンクの説明じゃん?(まぁ、帯域も太いご時世だし、YAHOOの同一サーバ内の参照だし、て思うけど、このやり方で憶えちゃったら他サーバであろうと好きに直リンクしちゃうよねぇ?と。初心者への説明としては宜しくないと思うけどな)
つか、いろいろ間違ってしまうこともあるだろうけど、あんなに高圧的な文章を書かれたら反感買うの必至だろうに。
昔からネットやってるっていうけど、自分が正しくて、相手を受け入れない姿勢(リンクの不許可や、気に入ったコメントのみを受け入れる姿勢とか)は、どうかと思うよ?そりゃ、叩かれるのもムリない。
あぁ、ひょっとして、よっしみ??☆って人は、釣りでやってるん?w
企業が賃金雇用を増やさないのは不景気(が続くという予想)のせいでもあるわけで労働者の自己責任にするのも間違いなら企業のせいにするのもおかしいと思う。自社だけ賃金上げても競争に負けて潰れるのがオチ。みんなが消費増やして賃金上げるように促すためにマクロ経済政策があるわけでこれは政府がやるべきこと。麻生政権は日銀出身を日銀副総裁に選んだり増税派与謝野を経済担当にして数年後の増税を明言して小規模なバラまきをするほどやる気なさ杉てだめと思うが、デフレでも利上げを公約したり、低金利を理由に日銀総裁をやらせないような民主も期待できないんだけどね。
増田を使い始めて一年ちょい、とうとう勘違いブコメというものが自分のところにも舞い降りてきた。すごい、自分の書いた話を元にした脳内創作話に対してコメントしてる。皮肉も何もかも置いてけぼりに、輝いてると感じた。無自覚の創作性と自信に満ち溢れてキラキラしている。まぶしい。
おざぶとん敷いて、その尻の下にあるおざぶとんの模様について語る感じなのかな。尻に敷かれる感覚と尻あったかい感覚があった。
自分はブコメを記した経験が無いんだけど、似たようなケースに当てはめると、大概おざぶとん敷くだけ敷いて、我が家のふとんの模様を話し始めるタイプなので、初見、しかもチラ見状態のものに、チラ見状態を維持したまま果敢に脳内補完して言及するタイプの人は、とても高度なことをしているように思える。
内容がネガコメ寄りのものだったから、浮かれて引用言及なんぞしてこのエントリが嫌味や負け惜しみとして捉えられる危険性を避けて、浮かれた気持ちだけ書き記すことにした。
もし、読み辛い文に対してわざと勘違いネガブコメをつけて、平易な記述を促すキャンペーンの一環だったらごめんなさい。真逆の解釈がむしろおもしろかったので、促される気は今のとこありません。
あぁ、俺って書いても内容がくだらないからか返信率激低なのよ。だから書かなかった。
んで書いてみると、役割分担を自覚させるのが第一だと思う。
教師(トップ)が言っていることを自分たちの頭で考えてみよーやっていう仕切り屋の出番を促すのが第一。
軍隊で言えば将校と下士官と兵卒の自覚な。教師だって馬鹿は言いっぱなしだけど、きちんと考えて言うのだっていないわけではない。
(ちなみに馬鹿にしての「二等兵タイプ」と書いたわけではない。戦争には将校と士官だけじゃ戦争できないわけで)
この疑問に限定すればな。他の事では自分の頭で考えて問題クリアに爆進してるんだろうけど。
行進もその一つで、ナンバ歩きから近代的歩行法を叩き込んでいる。外国じゃほとんどやってないって。アメリカとドイツはやってそうな感じもするが未確認。
昔マンガっつーか劇画で「サンクチュアリ」って政治&ヤクザマンガがあってな、アメリカの高官を日本の小学校に案内してな。
(以下略)
マジレス。
ありがとう。認識するところまではわかったが、要するにみんなそうやって認識しているから、伝えるときも一般化の認識を促すような話し方をしたほうが伝わるって言う意味?それとも一般化して認識してるから特殊例とか細部とかは切り落として情報を保存してるという意味?
多かれ少なかれ男女ともにその傾向はあるとおもうんだけどさ、要するに小学生の「みんなやってるもん!」的なあれと根本は一緒だと思うので。
んだけどさぁ、いるじゃん。増田がそうかはしらないけど、「個人例を一般化して語るな、これだから女は」っていう人。その「これだから女は」といった時点でそいつも個人例を一般化してるのでほっときゃいいっつわれればそうなんだけど、なんか気になるんだよなー。何で一般化して認識するんだろう。脳内データベースの問題なのかなぁ。
田母神俊雄氏の「論文」が問題になっています。原文は↓からDLできます。
http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
親切に英訳までしたようです↓。そのおかげか、さっそく海外でも反響を読んでいます↓↓。
http://www.apa.co.jp/book_report/02.html
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/7702374.stm
http://www.guardian.co.uk/world/2008/oct/31/japan-secondworldwar
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103101475.html
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103100989.html
http://www.nytimes.com/2008/11/01/world/asia/01tokyo.html?_r=1&ref=world&oref=slogin
http://www.thestandard.com.hk/breaking_news_detail.asp?id=8886&icid=4&d_str=20081031
http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297008.html
http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297257.html
ローズベルト陰謀論が結構とりあげられています。どれだけ「国益」を損ねているのだろう。やれやれと、日本の報道に対するブコメや日記を見てみたら、田母神氏の「論文」の内容に肯定的な人もそれなりにいらっしゃるようです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081031-00000123-jij-soci
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/politics/update/1031/TKY200810310298.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008110102000087.html
私も別に現代史に詳しいわけではないです(気の向いたときに、中身が増えてきたCiNiiとGoogle Scholar、各研究機関の学術リポジトリを漁ってみる程度)。しかし、その限られた知識から見ても、問題の「論文」はその形を為してすらいないと思いました。そこで、現在パラパラと集めている関連文献の整理をかねて、「論文」原文に逐一つっこみをいれてみようと思い、エントリを書いてみることにしました。はてな記法で引用した部分は、断りのない限り田母神氏の「論文」からです。原文の全角数字は全て半角に直したことをおことわりしておきます。
アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。
駐留を認めることと、「(被害をこうむる方にとっては)侵略(といわれているが田母神氏はそうではないとされる行為)」を認めることは違うでしょう。軍隊に攻めこまれることに了承を与えていたというのは、どのような根拠に基づいているのでしょうか?
「知られていない」ことを明らかにするのが行論の目的ならば、「新事実」(この場合は具体的な条約の内容や運用)を具体的に提示し、典拠となる史料を明らかにするのが論文の作法です。主張の根拠を示すのは、論文のイロハのイです。しかし、残念なことに、この「論文」では全体的に守られていません。関連して、「・・・・・・という人」とありますが、論文で先行研究に言及するときは、注をつけて批判対象を明らかにするルールも守られていません。
この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。1936年の第2次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937年8月15日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻を膺懲し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。
スターリンと毛沢東がそれほど仲が良かったとは知りませんでした。コミンテルンにそれほどの影響力があることも知りませんでした。繰り返しますが、オリジナルな主張には、その土台となる史料の裏づけが必要です(「実は??」と書いているのですから、普通は知らない新しいことなのですよね?)。大事なことなので強調します。「新しいことを主張するためには、根拠を示さなければならない」、これは学問の基本です。
1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ(誰も知らなかった毛沢東)(ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け(櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937年7月7日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争(岩間弘、岩間書店)」。もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。
ようやく文献をあげられましたが、刊行年と該当ページも明示するのが一般的な論文のルールですよね。それは百歩譲るとしても、示された著者のなかに査読つき学術雑誌に報告された方が一人もいらっしゃらない。これは信憑性をさらに落とすものではないでしょうか。また、人の発言を引くのであれば、それが掲載された媒体を明示するのもきほんのきですよね。
張作霖爆殺をコミンテルンの仕業とする説に対しては、特に『マオ』について、中国現代史研究者から根拠に疑義が出されています。
「関東軍高級参謀河本大作らがこの事件を企画し実行した固い事実を、この程度の「スパイ情報」で覆せるものか」(矢吹晋「書評『マオ―誰も知らなかった毛沢東』」『中国情報源』21世紀中国総研編、蒼蒼社、2006年、225ページ。http://www25.big.jp/~yabuki/2006/mao-rev.pdf)。
盧溝橋事件についても、「計画」説に対する批判的研究が出ているようです。
「日本の一部の論者が唱える「中国共産党計画」説と,中国側の唱える「日本軍計画」説がともに誤りであり,盧溝橋事件が日中双方にとって「偶発」的なものであったとする」(加藤陽子「書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、65ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。
最後に、既にたくさんのつっこみがブコメで入っていますが、みんながやっていることだからといって、行為に対する責任がなくなることはないでしょう。
我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932 年1 月には3 千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島も日本統治下の35年間で1千3百万人の人口が2千5百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮
半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。
「同じように開発」と主張するには、開発の指標を定め、比較する必要があります。共通の比較の基準が示されていません。データもです。内地、満洲、朝鮮、台湾、他の植民地宗主国本国、その国の植民地それぞれについて、共通の尺度ではからないと比較にならないのではないでしょうか。それをせずに外形が拡大したと言うだけでは、中国の「共産党政権はチベットを・・・・・・」に反論できなくなってしまいます。
「内地化」も定義を明確にして使うべき用語ですね。
また、現実にも、「帝国日本の植民地支配の歴史には,「外地」を法制的・政治的には明白に異域に置きながら、イデオロギー的には「内地化」を標榜するという,理念と現実の「二重性」がその当初からつきまとっていた」(山本有造「植民地統治における「同化主義」の構造」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』83、2000年、70ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48550/1/83_57.pdf)、「「満洲国」の掲げた「五族協和」にしろ「王道楽土」にしろ,関東軍による露骨な軍事支配を隠蔽するイデオロギーという以上の意味を持ちえなくなる」(山室信一「「満洲国」の法と政治―序説」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』68、1991年、150ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48355/1/68_129.pdf)といわれる植民地統治を、「極めて穏健」と評価するにもまた、基準とデータの比較が必要です。
また、人口の増加は支配の善さを担保しません(チベット・・・・・・)。
我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。また1924年には朝鮮に京城帝国大学、1928年には台湾に台北帝国大学を設立した。日本政府は明治維新以降9つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6番目、台北帝国大学は7番目に造られた。その後8番目が1931年の大阪帝国大学、9番目が1939 年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校26期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。またその1期後輩には金錫源大佐がいる。日中戦争の時、中国で大隊長であった。日本兵約1千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。1期後輩で蒋介石の参謀で何応欽もいる。
前の段落と同様に、「多く」の中身が不明確に過ぎ、検証のしようがありません。また、植民地が宗主国の支配の下で「植民地近代」化したのはその通りだと思います(松本武祝「’’朝鮮における「植民地近代」’’に関する近年の研究動向」『アジア経済』43(9)、2002年、31-45ページ。http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Ajia/pdf/2002_09/note.pdf)。私はこの辺り特に勉強不足です。各国の軍制についても同じくよく知らないので飛ばします。
孫文をはじめ、アジア各地の革命家が日本に集まったことは特に新しい論点ではないでしょう。ファン・ボイ・チャウの失望も有名な話ですね(白石昌也「ファン・ボイ・チャウと日本」『東南アジア史学会会報』25、1975年、1-3ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004923536)。
李王朝の最後の殿下である李垠殿下も陸軍士官学校の29期の卒業生である。李垠殿下は日本に対する人質のような形で10歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930年に新居を建設した。現在の赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀殿下の弟君である溥傑殿下のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。
旧領主の家系の存続という意味であれば、インドの藩王たちも手厚く身分を保証されていましたね。ベトナムのバオ・ダイもフランスのグランゼコールで教育を受けていましたね(英国人とインド人の婚姻には宗教問題がありますし、バオ・ダイ渡仏時のフランスは共和制だから王室はないですし、この段落については適切な比較が可能な問題設定なのか疑問です。個人的にはそもそも宗主国の王室を嫁がせることが恩恵という考え方がどうなんだろうと思います)。
これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。一方日本は第2次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。
ロイヤルファミリーの婚姻の件で共和制のアメリカを並べているのは不適切でしょう。既に述べましたがフランスも時代によって共和制です。
エルフィンストーン・カレッジ(1856年設立、現在はムンバイ大に)、カルカッタ大学、マドラス大学(1857年設立)というように、大英帝国は植民地支配の拠点に大学その他の教育機関を設立していますね。
http://en.wikipedia.org/wiki/Elphinstone_College
http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Calcutta
http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Madras
「五族協和」が実態をともなわなかったことについては、前掲山本論文および山室論文を参照。
人種差別撤廃についてはよい提案をしたということに同意いたします。ただし、繰り返しますが、現実の施策がともなわなかったことについては残念です。
時間は遡るが、清国は1900 年の義和団事件の事後処理を迫られ1901 年に我が国を含む11ヵ国との間で義和団最終議定書を締結した。その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2600名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。また1915 年には袁世凱政府との4ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21箇条の要求について合意した。これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4 年後の1919年、パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人・昭和編( 渡部昇一、祥伝社)」。また我が国は蒋介石国民党
との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901年から置かれることになった北京の日本軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。
今回は表現からつっこんでみます。「完全に承諾」というように形容詞修飾をするときには、それが表す具体的な内容を補足して、互いの印象の差を埋める努力をすべきというのが、私の受けた指導です。どうしたら「完全に承諾」したことになるのでしょうか。一番肝心な相手に過大な要求をつきつけ、排日運動を燃えあがらせて宥和に失敗したのは外交の失敗であり、恨み言をつぶやいてもごまかすことはできません。
日中戦争については、派兵前の人員の少なさを根拠に「形の上でも侵略にはほど遠い」と主張するのは無理筋にみえます。
(再々追記)また字数超過?で切れたので、つづきへ (さらに追記)補足エントリをTBしました。 (また追記)補遺エントリをTBしました(11/5)。
とりあえず、治療を勧めると言うこと自体が難しい。
程度が酷くなれば、場合によっては入院が必要になりますが、精神科への入院を勧めるという行為は、この国では処刑台に上ることを促すのと同等の不信感を伴う。(そのこと自体がそもそも問題なんだけどね)
恋人のご指摘も理解できます。長期にわたって付き合い、支えると言うことになれば、精神的負担を共有することも多々あるでしょう。結果として「諦める」という選択を余儀なくされる場合も十分に考えられます。例えば、あなた自身の健康が損なわれる場合などです (過去に疾患の経験があるとのことですので、この件が再発の原因となる可能性は大きい、と言わざるを得ません)。
そこで、それでも彼との関係を保ち、彼の疾患に対して何らかの関与を試みたいというのであれば、まずは自分がいずれ諦めなければならなくなるかも知れない可能性を覚悟してください。諦め、友を見捨てる選択をすることは、非常に辛いことです。それを受け入れる自信がないならば、下手に動くべきではないかも知れません。
しかしながら、そうした覚悟の上で、彼のために出来ることが何なのかがはっきりしているのであれば、行動に移されればよいと思います。
付き合い方としては、彼のすべてに同情的になるのではなく、適当に相づちを打って受け流した上で、休息に専念できるような配慮を尽くすのが良いと思いますが、いずれにせよ、あなた自身が引きずられることがないようにすることが最も重要です。
幸運を祈ります。
殴る蹴るはいつもの事。あざになっても服で隠れるようなところをちゃんと狙ってくる。常に体のどこかしらが痛かった。太ももを蹴られた日は、歩いて帰るのが大変だった。背中に肘撃ちを食らった日の夜、布団の中で寝返りをうつと引きつるような痛みが走った。
持ち物を隠されたり捨てられたりする。移動教室から戻るとまず教科書やノートを探すのが習慣みたいになった。筆入れはゴミ箱の中から見つかった。シャーペンの芯が全部折れていたが、無くなったわけではないのでほっとした。
金を貸してくれと言われる。断れば殴られるので、貸す。返してくれることはないと悟ったのは数日後だった。
お前は臭いから近づくなと言われた。こっちに顔を向けるなとも言われた。このクラスから居なくなれとも言われた。ひたすら風呂で全身を洗い血が出るほど歯を磨いたが効果はなかった。
プリントを手渡すと、汚物を手渡されたようにあからさまに嫌な顔をする。
二人一組になれ、何人一組になれ。誰にも声をかけられず最後まで余った。人数の足りてないグループがいくつかあって、教師がどこか入れてやれと促す。じゃんけんで負けたほうのグループが嫌々ながら混ぜてくれた。
女子に握手してくれと言われる。遠巻きに女子の集団が見ている。罰ゲームだろう。おずおずと差し出した手にほんのわずか指先がふれただけで、彼女は逃げるように仲間のもとに帰った。
女子たちが俺を見て「うわ変な顔」「きもちわるい」と言っていた。という話をわざわざ俺に教えに来る。
女子たちが俺の似顔絵を面白おかしく紙に描いて授業中に回し読みしていた。という話をわざわざその似顔絵の現物を持って俺に教えに来る。
授業中に当てられると注目が集まる。何か可笑しなことを言おうものなら、次の休み時間がものまね大会になる。教師の質問に答えられず口ごもっていると「フレーフレー」とニヤニヤしながら囃される。
美術の授業で作った作品を散々けなされる。こいつこんなしょーもない絵描いてるよと笑われる。
偶然教室の前で耳にしたクラスメイトの会話。「ねえ、あいつで遊ぶのやめてあげなよ。かわいそうじゃん」「うるせー、やなこった」「もー、しょうがないんだから(笑)」楽しそうな話し声。教室には入れなかった。
トイレで用を足しているところを横から覗き込み、あとでチンコがどうだったと皆に吹聴する。
俺が着替えるときを見計らって更衣室のドアを開け放つ。着替えるのをためらっていると次の授業に遅れるだろ、皆が迷惑するだろとなじられる。
誰も守っていないような校則でも、俺が破れば奴らがちょっかいを出す口実になる。必然的に行動は優等生らしくなった。それがさらに揶揄の対象になる。
宿題をやってくれば見せろと言われ、忘れてしまった時にはお前最低だなと馬鹿にされる。あいつはまじめだから掃除だいすきなんだよ、と掃除当番を押しつけられ皆は部活に行く。
ある奴の持ち物が無くなった時、そいつは真っ先に俺を疑った。どうせお前が盗ったんだろさっさと返せと言われ、さんざん殴られた。もちろん盗ってなどいない。早く奴の気が済みますように、あるいは無くなった物がどっかから見つかりますようにと願うしかなかった。
ある日とうとう我慢できなくなって反撃しようとした。大声をあげて、相手に殴りかかった。けっこうな騒ぎになった。そいつは教師に呼ばれ注意を受けた。戻ってきた奴はこう言った。「先公には反省しますって言ったけど、これからもお前のことは標的にするから」
数ヶ月経つ頃には、毎日誰かに何か嫌な事をされるのは普通だと思うようになった。これが普通だと思っていたから、普通に学校に通った。
そんな中、丸一日誰からも何もされなかったという日があった。どんな偶然だったのかは分からないが、今日は誰にも殴られなかった。今日は誰にも嫌な事を言われなかった。帰り道でその事に気がついて、思わず泣いた。嬉しくて。
もちろん、次の日にはまた殴られていた。
今から十年以上前の思い出。
思い出してみたら意外といろいろ覚えていた。でも現実感は全然ない。自分が経験したことというよりも、ずっと前に観た映画の内容を思い出しているような感じ。
クラスメイトのほとんどは苗字も忘れかけているのに、中心になっていた奴らの名前はフルネームで覚えている。そいつらのことを今も恨んでいるかと言うとそんなこともない。苦しみながら死んでいてくれれば素敵かもしれないが、そうなったところで何の得にもならない。
こんな思い出は忘れ去って、どんなに思い出そうとしても思い出せないようになればいいなと思う。
とは言え、ここに書いたことが大した経験だとも思わない。この程度の事なら誰だって経験しているだろうし、俺は今も生きているから。
派遣会社から「増田さんなら正社員の仕事ありますよ」「この仕事は正社員になれるチャンスがありますよ」みたいな言い方をされると非常に萎える。リップサービス程度に担いでくれるならともかく、具体的なオファーとなるとかなり面食らう。転職エージェントとしてのあんたとこの会社には興味ないし、紹介予定派遣も登録時に希望しないと告げていたはずだ。今の僕が満たされていない立場にあると勝手に決めつけ、勝手に吉報かのように話を持ってこられても困る。この世の中には望んで派遣社員という立場を選んでいる人が居ることを、本職のあなた方が理解していなくてどうすんの。
悪気は無いのだろうから大して腹は立たないけど、なぜ僕が「正社員になれずにあがいている人」に見えたのかが正直なところよくわからない。マスコミの偏った報道のせいだろうか。彼らがそう思うということは、ひょっとして大多数の派遣社員というのは「出来れば将来的には正社員になりたい」と考えているってことだろうか。そんな馬鹿な。僕のように根無し草で、いろんな地域でいろんな国でいろんな職場でいろんなことをやりたいと考えている人間もまた大勢居るはずだ。
僕の今の派遣先企業はとても居心地がよく、職場環境や僕に与えられる権限についても申し分が無い。妊娠している女性が多いのは良い会社である証拠だ。こんな会社に入社できた社員は幸せ者だと心の底から思ってる。だから僕もできれば2年ぐらいはお世話になりたい。だけど、長くて2年。きっちり心にそう決めている。前職があまりに居心地の良い職場で3年も居続けてしまったという失敗をやらかしているからだ。僕には40歳までに実現したいことがあるので、それになるためにはどうしても「今」の職場におけるスキルの蓄積が必要だし、2年後には別のスキルを身に付けるべくまた別の職場を探さなくてはいけない。これの繰り返しだ。そういうときに、派遣会社の存在は魅力的だ。20年前から言われ続けてきたポピュラーな派遣会社の使い方のはずだ。
なのに、派遣社員を勝手に格差社会の被害者かのように決め付け、派遣会社を悪の組織かのように叩いて同情してくれる人たちが確かに居るようだ。その気持ちだけで十分です。大して知りもしないのに勝手なことは言わないでください。せめて(偽装)請負業者と一般派遣会社との区別ぐらいはつけてください。
「派遣社員は安定しないから」「50歳、60歳になったらどうするの?」と聞く人にも言いたい。派遣社員だって自分の人生設計は自分でちゃんと立てています。派遣社員が安定しない身分だから正社員になれ? それ、商店街の八百屋さんや喫茶店のマスターにも言えますか?
「近所にヨーカドーが進出してきたらどうしますか?」「スターバックスが出店したらどうしますか?」なんてお節介を焼きますか?
ドラフト1位指名選手にも「プロで成功している人は一握り。怪我とかしたらおしまいですよ」と言って止めますか?
できやしまい。そんなリスクを気にしていたら商売なんて無理ですよ。勝算を持ち、成功を信じてやるしかないじゃないですか。しかも彼らは労働者としての保護が無い分、僕らよりはるかに「安定しない生活」の危機に晒される可能性が高い。みんな勝負して生きてんの。それに比べて僕は社会保険料だって税金だって全自動で納付する労働者。失業保険だってあるし、教育訓練給付制度にだってあやかれる身分だ。彼らみたいに自立して、ヒリつくほどの危機感を日々抱いているわけではないし、それなりに安心・安定した人生を過ごしています。名ばかり個人事業主や偽装請負の仕組みには加担しないよう心がけているし、やましいことはしちゃいません。放っといてくださいな。
僕だって最初から素晴らしい会社に派遣されていたわけではないし、お給金も目も当てられないような有様でした。今の額も実のところ満足しちゃいません。でも、勤怠管理をきちっとし、タイムシートの提出も遅れず、なるべく残業をしないよう心がける。1年間、こういう当たり前のことを当たり前にこなした結果の賃金交渉が失敗に終わったことは滅多にない。派遣先企業の本決算の時期を把握して賃金交渉していますか。工数管理をされない立場の人は、自分で工数管理表を作っていますか。1年間、自分がこなしてきた業務の一覧を営業に見せていますか。お客さんに評価してもらった仕事のことをちゃんと記録に残していますか。ささいなことでも、「これだけやりました」と胸を張って言えるっていうのはとても重要なこと。
派遣社員だって実績を積んでの営業活動は必要なのですよ。黙ってても時給なんて上がらないし、次の仕事をただボケーっと口を開けて待ってるだけでは食い物にされるだけです。築地で魚の取引をするのだって駆け引きの応酬だ。派遣社員だってやるときゃやりますよ。でも、あとになってから「掴まされた」と恨み事を言うのは実にくだらない。自分の目利きが悪かったのだ。そういう世界であることを認識せずに派遣会社を使っている人、多いんでしょうかね今。
最近、あろうことが当の派遣社員までもが自分のその働き方を否定したり契約先の悪口を言ってたりするようだ。何してんだお前?
いつかはどこかの会社の正社員になるために今、派遣社員として頑張っている、それはいい。だったらまず派遣社員としての自分を卑下せず、まずは自分の目の前の仕事を実直堅実にこなしていきなよ。仮にも自分が選んだ働き方でしょう。「正社員になれたら本気出す」みたいな考え方があるのだとしたら改めた方がいい。そんな人はパートであろうが正社員であろうが事業主であろうが派遣社員であろうが何やってもダメ。正社員になったとしても希望通りの部署に配属されるとは限らない。そういう人はその時も今のポジションを卑下して同じ事を言い出すに違いないのだ。
一度、竹原慎二にボコボコにされればいいと思うよ。
初めて派遣会社を利用しようとする人に、ちゃんとドラスティックでシビアな世界であることを十分に説明せず、「当社は誰でもウェルカム」としている派遣会社の姿勢にも大きな問題がきっとあるのだと思う。考え方を変えれば、昨今の派遣会社叩きの流れというのは派遣会社の自業自得だという気がしないでもない。
契約書に賃金がきっちりと明記されていてサインまでしているのに、経理感覚も無いのに派遣会社の懐事情を探って勝手な理屈をつけ、後になってからゴネるような奴は必ずいるのだ。MonsterTemporaryWorkerというやつだ(今命名した)。個人事業主や会社経営者に最も向いていないタイプがこれで、派遣社員という働き方もどちからと言えばそれらに近いのだからトラブルも起きる。
およそ派遣社員という働き方に最も向いていないタイプの人間に、ホイホイ登録を許して仕事を任せていたのではとても三者ハッピーにはなれないだろう。今の派遣会社は社会人経験の浅い人だって構わず食っちまう状況なのだから、そのあたりは少し再考するべきだ。とはいえ、就職難と呼ばれるこの時代、統計上の失業者数を増やしたくない国にとって、派遣会社の存在は都合が良いのでしょうね。当分この流れは止まらないのかな。でも、派遣会社が事業を縮小するのであれば、派遣会社叩きをしている人にとってもこれは「ネガティブキャンペーンの一歩前進」なのだし(なんせ「派遣会社は不要・諸悪の根源だ」とか言ってるようなのも居るぐらいだし)、前述のような理由を持つ僕とも利害が一致するはずだ。
ところで、派遣会社叩きとしてよく使われるセリフの代表格に「奴らは派遣社員から何十パーセントもピンハネしてボロ儲けしている」という類のものがある。あんなもん妄言もいいとこだ。マージンなんてせいぜい30%程度でしかない。これは厚生労働省の調査ではっきりしている。良心的ではないか。25%以上が経費で消えるのだから、手元に残る額なんてたかが知れてる。世の中にはその30%のマージンが丸々派遣会社の懐に入ると考えている凄い人も居るようなので、そういう輩の存在も派遣会社・派遣社員への評価を貶める要因となっているのだろう。喫茶店の400円のコーヒーが仮に原価20円だとして、だからといって380円が店の儲けになるわけではないということは誰でもわかりそうなものなのに、コトが人材ビジネスの話に及ぶと同じ思考で語れないのは何故だろう。不思議だ。
派遣会社のIR情報や決算時の資料をきちんと読んだことのある人ならわかるだろうが、日本の人材派遣会社はどこも利益率が低い。大手のテンプスタッフやスタッフサービスの利益率はせいぜい2%~5%の範囲。インテリジェンスは6%以上叩き出しているが、あそこは派遣事業以上に高い利益率が見込める転職エージェントの事業も手広くやっているので、そこに助けてもらっているだけだ。人材派遣事業部としての利益率は他社と大差ないだろう。
人材派遣会社の平均利益率を多めに見積もって、仮に5%としてあげよう。たったの5%ですよ。世の中10%以上の利益率を叩き出している大手企業はいっぱいあるのに、5%程度の人材派遣会社が暴利と言われる筋合いなんてどこにも無いはずだ。ただでさえ薄利多売構造で頑張っている中、最近「マージンを開示しろ」という声が上がっているようだ。派遣会社にしてみれば派遣社員というのは商品そのものであって、これは日本橋の電気屋で価格交渉するときに店員に仕切り価格を教えろと言っているようなもんだ。寝言は寝て言ってくれ。僕としてはマージンが派遣社員に開示されるようなことになれば非常に困る。他の多くの真面目な派遣社員の人たちだって困るはずだ。
当り前の話だが、マージンを開示してしまえば、派遣社員側が案件を選ぶにあたって派遣会社を天秤にかけることになるだろう。そうなると「アデコさんは30%と言っていますよ。パソナさんはなぜ35%なんですか」といった交渉が当たり前になってくる。最終的には派遣会社間の価格競争に陥り、どの業者もマージンは似たり寄ったりになることは明白。これはつまり、派遣会社が事業で他社との差別化を図ることが難しくなることを意味する。
派遣会社によってサービスに対する「お金のかけどころ」は結構違う。提供している福利厚生の種類も、質も、社員さんのフットワークも違う。フジスタッフなどは給与明細やタイムシートなどが電子化されていて魅力的だし、未だにそれらに着手していないインテリジェンスは残念だけれども、僕にとっての魅力的な案件はそこが一番たくさん持ってる。OSSに理解もあり、学術活動への貢献に力を入れているパソナテックもまた魅力的だ。アデコは条件はともかく、アホみたいに頻繁に案件紹介の連絡が来るので嫌いではない。
繰り返しになるが、マージンを開示することで、確かにこれらの企業は切磋琢磨するだろうが、その結果コストを切り詰めた先にあるサービスはどこの会社も似たり寄ったりになるに違いないのだ。部屋を借りるとき、仲介事業者を基準に選ぶ人はおそらくほとんど居ない。どこの業者も大差ないからだ。家賃は直接大家さんに支払うという仕組みが一般的である以上、手数料(マージン率)は明瞭だし、ここを調整することで利益を図ることが出来ないが故だと言えるはずだ。派遣会社が勝負するのは案件数だけ、そんなつまらない状況にはなって欲しくない。そうにはならないであろうという考え方があるのであれば、僕も開示制を歓迎する。
でも、僕は本来マージンなんてものは実績を積んで勝ち取っていくものだと思っているので、たとえば同じ派遣会社を利用している者同士で「Aさんはマージン20%でBさんは50%」という構図があったとしても、それはごく自然なことだと考えている。マージンを開示するとこの構図を維持するのがほぼ無理になってしまう。頑張ってユーザから高い評価を得てる人も、登録したばかりで能力も勤怠も未知数な人(世の中には無断欠勤や突然退職することの常習犯だって居る)も同じマージン率になるのであれば、僕は我慢できない。彼らが突然出社しなくなることのリスクは当然マージンに反映されるわけだが、それを僕がかぶることになるはずだからだ。こんな不公平がまかり通る公平なら要らない。
僕は派遣会社はピンハネなんてしていないと考えている。企業は派遣社員に対して5%を支払っているわけではない。「コスト削減という名のサービス」を提供してくれる派遣会社に対して支払ってくれているのだ。その5%は「本来僕がもらって当然」のお金ではない。のぼせちゃいけない。
話が逸れてしまったが、派遣会社はボッタクリ企業では無いし、派遣社員も誰しもが「被害者」ではないということを知って欲しい。
双方に対するあらぬ誤解だけならいざ知らず、勝手な同情はやめてもらいたい。迷惑だし失礼だし、そもそもうぬぼれが過ぎやしませんか。
僕は別に人材派遣会社に悪いところが無いと言っているわけではない。改善点は沢山あるはずだ。だから気分次第ではボロクソに叩くこともありますよ。
問題を解決するに当たって悪い点を指摘し、改善を促すのは当然のことだ。だけど、裏づけや客観性も無く、感情的な批判では決して物事を正しい方向へ導けない。的外れな糾弾は、派遣社員として不遇を強いられている人たちにとっては何の追い風にもならない。
僕は僕なりに足りない脳みそを使って考えた結果、人材派遣会社が50%も60%も暴利をむさぼっているという指摘は誤りであるという結論に達したし、直接雇用すれば給料が上がる、という指摘も、直接雇用に伴うコストを自分なりに算出した結果、話はそんなに単純ではないこともわかってきた。だから僕の言っていることがもし間違っていたのなら、感情的な罵詈雑言のみで終わるのではなくて、できれば「お話」を聞かせてくれませんか。新しい発見があるかもしれません。納得ができれば、僕はいつでも派遣会社否定派に宗旨変えします。
ところで、「日雇い派遣のことを無視するな」みたいなコメント頂いたんですけど、無視してませんよ全然。ネットカフェ難民の存在もきっちり認識してますよ。それでもなお、正規の派遣会社に対して巨悪ってやつを見出せないんですよね。ワンコールワーカーだとかワーキングプアとかそういった言葉は概ね非正規雇用者と呼ばれる人たちにスポットを当てた問題提起だと思っている。派遣社員が非正規雇用者のうちの何パーセントを占めているのかも調べもせずに「派遣制度さえ無くせば雇用問題も解決」というのは短絡的だ。そこんところも併せて考えていただければと思います。
僕自身はいわゆるワーキングプアとしてネットカフェを転々とするような人をこれまでの人生でお目にかかったことが無い。ブラウン管の中では沢山見かけましたけどね。でもおそらくそういう人は実在するのでしょう。「努力しても報われなかった人」「諸事情により今まで努力する機会に恵まれなかった人」の存在は確かに痛ましいことだ。ブラウン管の中で見た彼らはおそらくそういうタイプだったのだろう。
むしろ怠惰な日々を過ごしてきただけで、同情するに値しない人間が「切実な理由でネットカフェを転々としている人」への救済案に、こっそりあやかろうと企んでるケースの方が多いんじゃないかな。ワーキングプアを自称して「貧乏人は努力する機会すら与えられないのか!」と吹いているわりには、別の板では同じidで「吉宗で3万持っていかれたぜ!」みたいなことを書き込んでいるようなタイプのことだ。そんな人にとってマスコミによる格差報道はさぞかし都合が良い流れなんでしょうね。雇用問題に対して打開策を練るのは大賛成だ。だけど、自業自得で窮した人間に対して、それにたからせない仕組みが必要だ。
職業訓練校に通える立場にありながらその勧めを拒否したり、未経験から採用してくれる企業があるのに、激しい選り好みをして拒否ばかりする若い求職者というのも大勢居る。ハローワークの職員は日々こうしたモンスターも相手にすることがあるのだ。嘘だと思うなら取材してみるといい。夜勤は嫌だとかIT業界は残業が多いから嫌だとか肉体労働はしたくないだとか、要求だけは一人前で挙句の果てに「仕事が見つからない。社会が悪い」なんて言い出すようなのが居るんですよ現実に。
さて、僕も雇用問題に関してはわりかし危機感を持っているので、仕事をしたいと心から願って日々精進している若い人たちのために力になれないかなと考え中。おととい、雇用・能力開発機構にメールを出したんだけど返事が来ないんですよね。せめて月々数千円でもそこに寄付とか出来ないもんだろうかと思っているんですが、独立行政法人相手に個人が寄付をするのって難しいのかな。とりわけ高度職業能力開発促進センターの方々の一助になれば幸い。寄付する方法ご存知の方はレスください。ここを寄付の対象に選んだのは、努力できるはずなのにそれをしていない人を利するようなことはしたくないからだ。その点、職業訓練を実施している組織ならば安心だ。そういう組織を活用する人は今の自分のスキルの足らなさをしっかりと自覚して、向上心を持って努力する姿勢を見せている人たちばかりだからだ。あるいは、情報処理科のある刑務所や、Rubyの教育をしている民間刑務所でも良い。本当は自分がノーギャラでお手伝いでもしたいところなんだけど。
些少な力添えではあるけれど、根拠の無い批判を繰り返してるだけの人よりはなんぼかましだ。寄付をするのは善意というより、そんな人たちとはなるべくなら距離を置きたいからなのかもしれない。
(1)「衆院で絶対多数取ってる党が野党のワケ無いよ!」という方へ
目に見える数に頼っているあなた、物事の本質が見えてないねと異性に揶揄されたことはありませんか。まず第一に、例の郵政選挙、自民圧勝とうたわれたあの選挙の際、実際の得票率は自民:民主で「5:4」に過ぎなかったということをご存じでしょうか。(参考:http://jiro-dokudan.cocolog-nifty.com/jiro/2005/09/473641_701d.html)
岡田代表という地味代表を立て、しかも郵政を争点に小泉劇場全開で押し切ったはずのあの選挙ですら、実際の得票数はこれだけしか違わなかった。しかもあのとき小泉氏に投票した人の多くは彼の「自民党をぶっ壊す!」「旧自民の連中は抵抗勢力!」というフレーズに煽られ、すなわち「反自民票として小泉に投票」したという事実。その人たちは、どうやら旧体制に戻った現在の自民を支持しているのでしょうか? 答えは……言うまでもありませんね。
(2)「昨今の自民党の絶えられない軽さ」について
言うことがころころ変わる、失言が多い、人材がいない、行動への配慮が足りない(参考:議場閣僚席でワンセグ、中川氏と与謝野氏が議長に陳謝http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20081008-OYT1T00864.htm?from=main3)、偉そうに反対ばっか言うクセに頭は古く建設的な提案ができない(参考:自民が対民主に「政策反論集」自民が対民主「政策反論集」http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/081009/stt0810090152001-n1.htm)…とお嘆きの、自民支持(のつもりの)皆さん。ご心配無く。これはいわゆる野党病という奴です。所信表明なのに何故か他党批判(参考:所信表明「麻生流」民主に異例の逆質問http://www.asahi.com/politics/update/0929/TKY200809290168.html)とか、思い当たることはたくさんあると思いますが、それらは全部野党だったから、と気づけば納得するハズ。審議の引き延ばしは野党の十八番ですが、なぜか民主が「審議は尽くされた。早期採決を」と主張し、自民が「まだ審議すべき」と引き延ばしている(参考:民主、衆院選へ「呼び水」 給油延長で早期採決を促すhttp://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20081009AT3S0801H08102008.html)のも、自民が野党だからと考えれば全く不自然ではないのですよ!
(3)自国内で自らの政治思想の筋を通すよりも、他国の政治状況にすり寄る姿勢が顕著。
(略)
(4)代表に品がない。というか実はそもそも人気もない。そしてそういう空気が決定的に読めてない。
あと発言にもセンスが無い。(参考:麻生首相「正直、びっくり」 連日のノーベル賞にhttp://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20081008AT3S0801708102008.html)
(5)かつて与党であったときの代表や首脳はさっさと引退したり余所の党にいたりする。
今いる人たちは、一体何なんでしょうね?
(6)得体のしれない所と、素性を疑うどころか積極的に協力して勢力拡大を図っていて、しかもそこから抜け出せない。
よく「政権病」と言ったりしますが、ホントは野党が共同してこういうことをよくやるんですよね。いわゆる合従の策です。
(7)選挙に弱い。
なるべく理由をつけて選挙を先延ばししようとする。政権与党ならもっとどっしり構えているものですが。
(8)カネがない。
だから節操なく色々な所からカネをかき集めることになるのです。この脇の甘さは政権与党では考えられないレベル!
『あの』三笠グループから……【事故米不正転売】三笠グループ会社が自民支部に献金 4年間で112万円http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080918/plc0809181332009-n1.htm
ナカヤマさんもこんにちは……中山国交相の自民支部 談合事件の2社から献金
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/182018/
ナカソネさんもこんにちは……外相の自民支部に125万 排除勧告の企業から献金
http://www.kahoku.co.jp/news/2008/10/2008100201000933.htm
アソウさん、おやこんなところに……贈賄側企業が07年も献金/首相の自民支部に30万円
http://www.shikoku-np.co.jp/national/main/article.aspx?id=20080929000011
(9)タレント議員頼み。
(略)
(10)とにかくHPを見てね。
この、全面に漂う野党味!(参考:自民党http://www.jimin.jp/index.html)
当方三十路ですけれども、まともにつき合うのは3人目で彼氏は26歳。
先日初めてのお泊まりをすることになり、彼氏の家に行った。
正直言って彼氏はセックスは下手…というか、ただ胸をなめて挿入で、彼氏がイッて終わり。これまでの彼氏と比べるのはバカらしいことだし、こういうことは二人で作り上げていくものだとわかっているつもりだけど、今までの二人の彼氏は楽しませてくれていたんだなあと実感はした。
けど、ここまではまだ大丈夫だった。
お泊まりをすることは一週間前から決まっていたのに、コンドームを買っておくことさえしてくれなかった。まあ私も用意してなかったけど、でも年下の彼氏はことあるごとに「年下だからって遠慮しないで俺に任せて」が口癖の人だったし、初めてのお泊まりについて女子(三十路ですけど!)から「ゴム買った?まだなら買っておこうか?」とも言えなかった。
で、最中に「どこに出したらいい?」と聞かれて、目が点になってしまったんだけどもとりあえず外に出してと言って彼氏は私のお腹の上に。そのあと楽しげな顔で「どうだった?」的なことを聞いてきたので思わず思ってしまった、こいつアホちゃうか、と。
彼「ねえ、どうだった?」
私「どうっていうか…なんでしてくれなかったの?」
彼「うん?何を?」
私「避妊」
すると彼氏は「あははー、忘れてた」みたいなことを言うので、私は思わず泣いて抗議してしまった。
「意味わかんない、最低」とののしって背中を向けると、彼氏はちょっと焦って「え、どうしたの」と言った。
私「どうしたのじゃない、もし妊娠したらどうするの?」
彼「そのときは責任取るよ(自慢げに)」
私「責任って…」
彼「結婚すればいいじゃん」
私「何言ってんの。結婚ってどういうことかわかってんの?初めてこういうことしたのに、つき合ってまだ一ヵ月も経ってないのに、実家にだって遊びに来たことないのに、そんなやつに妊娠したから責任とって結婚してもらうって、そういうこと言われるうちの両親の気持ちとか考えたことあるの?私まだ子ども持つ気なんてないかもしれないのに、そういうのは無視してできたらできたときだって言うわけ?私がどんなふうに結婚したいかとか、話し合ったことだってまだないじゃない。そっちの生活がどんななのかだって、まだ聞いてないよ。それなのに気軽に結婚って、結婚についてリアリティがないだけとしか思えない」
彼「…でも結婚って勢いだって言うだろ」
私「26にもなって勢いだけで中出ししようとすんじゃねえよ」
さすがに最後の一言は飲み込んだんですけども、本当に情けなくなって、ベッドで眠りにつく彼氏を置いて洗面所で聞こえないようにわんわん泣いてしまった。
それでも、翌日にはコンビニでゴムを買ってきてくれたし、何度もごめんと謝ってくれたので、ここまではまだよかった。
しょうがないのかなあ許すべきなのかなあと思いつつ、翌日も彼氏の家で過ごしていると、またもそういう雰囲気になってきた。お腹の上に出されるのはもういやだったので「買ってきてくれたやつ、つけてくれるよね?」と避妊を促すと、彼はこう言った。
「んー、でも俺、今まであんまりつけてこなかったから、つけるとイケないんだよね」
私はもうダメだと思い、そのまま彼の家を出た。
一度ダメだと思うと、これまでかわいいと思えてきた彼氏の行動がすべていやになってきた。こっちが年上だと思ってなんでも頼ってくるところも、こっちが何かするたびに顔色をうかがってくるようなところも、今までは「頼ったり助けてあげたりする関係だからいいんだよね」「こっちを気遣ってくれてるんだなあ」と思えていたのに、なんだかすぐイライラしてしまう。
セックスについても、彼氏の抱き方は自分だけがよければいいようなセックスだったように思えて、急に不安になった。彼氏は自分が出せればいいだけで、その他は何をするにも淡白なんだ。性の不一致で別れる、というのを「そんなの都市伝説だろう」と思ってたけど、やっぱりある。たぶん。
というか、26になるまでゴムをつけないセックスばかりしていたっていうのは、男としてどうなんだろう。
たとえ結婚したって、幸せな家族計画のためには夫婦間だってゴムをするのに、そういうことは考えてないんだろうか。
彼氏のことまだ好きだけど、もう嫌いになりそう。
麻倉怜士のデジタル閻魔帳:ソニーの「大爆発」 ITmedia +D LifeStyle
http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0809/19/news046.html
おそらくこの記事の情報元になったソニーの展示会行ってきたんだが、
よくできた技術を「売れるように」持っていく力は感じたのだが、
そこから先、ソニーが将来のために開拓するべき、
ソニーらしい新しい領域の萌芽はあまり感じられませんでした。
売れる手堅い技術と言えば聞こえがいいのですが、
ひょっとするとPanasonic(含む生活家電部門)の方が上かも知れません。
商品の新機能によりユーザーのライフスタイル変化を促すことなのですが、
新技術や目玉発表はCEATEC JAPANにもってくるのかなぁ
国内向けのディーラー向け展示会なので
ぶっ飛んだモノは出さなかったのかも知れませんが、
ちょっと守りに入っているきらいはあります。
最近の問題は富の偏在化なんじゃないの。
格差っていう言い方は嫌いだけど、非効率なまま既得権という権力の名のもとに負担を寄せているだとおもうんだが。
その結果が内需の減退でしょ。
統計上はそう大した格差が生じているわけではないよ。
つまり内需が不振なのは、金持ちから貧乏人までみんなの所得が伸びていないせいだ。
他国に比べて格差が酷いというわけではないから、内需や経済成長の伸びが鈍いのは
別の要因を考えるべきだろうね。インフレではないから非効率性も要因ではない。
この場合の対策は単純で、財政出動や金融緩和をすればいい事になる。
どうしても格差が深刻だと思うなら、低所得者向けの財政政策を発動してもいい。
そうは言ってないよ。インフレ=非効率の証と言っているだけ。日本はそうじゃない。
理由は簡単だよ。非効率性や格差のせいではなく、需要創出=政府のマクロ経済政策が悪い。
GDPデフレーターの下落は、国内産業や国内労働者の所得低下を意味する。日本は今インフレと
言われるけど、輸入品を除く総合的な物価指数であるGDPデフレーターを見ると明らかにデフレだね。
これを好転させるには、金融緩和がもっとも効果的。物価とは貨幣価値の逆数なんだから。
金融のグローバル化なら戦前も凄かったよ。むしろグローバル化が進むからこそ、
金融政策の効果は増大する。これはマンデル=フレミングモデルなんかを勉強してほしいね。
これはデフレでかつ不況だからだね。
不況は言うまでもないけど、デフレは借金する側=起業家側に大きな負担をもたらす。
リスクチャレンジを促す為にも、政府日銀は早急な財政金融政策を発動すべし、というのが結論。
あと一つ大事な事を言い忘れた。
与謝野馨が総裁になったら最悪と言ったけど、実はほぼ当確の麻生が総裁になった場合に、
与謝野を閣僚や党役員として取り込む可能性が出てくる。もしそうなったら、与謝野単独政権
よりもある意味厄介かも知れない。90年代以降、度重なる財政政策が失敗に終わったのは、
日銀が金融緩和で十分な支援を行わなかったせいでもあるけど、大幅な財政出動の後に
必ず財政引き締めが行われた(たとえば与謝野が影で主導した橋本政権や森・小泉政権)からでもある。
もし麻生の財政出動が一時的にでも効果を上げたとしても、その後に与謝野が暴れ出して
心中お察しします。同じ経験があるので分かります。
あなたにできること・・・それはお父上の"断片"をたくさんこの世界に残すことです。
お父上のために、あなたのために、そしてあなたの子供たちのために。
まず、お父上がまだ文章を書けるなら、たくさん書いて貰うよう促すことです。
お父上の幼少期の話、学生時代の話、お母上との馴れ初め、お仕事の話、あるいはあなたの幼少期の話、などなど。
文章を書けない、若しくは書く気力がないようなら無理強いはしないでください。
お父上の幼少期の話、学生時代の話、お母上との馴れ初め、お仕事の話、
あるいはあなたの幼少期の話などを上手に聞き出してください。
ただ、いろんな媒体に残してください。
1種類の媒体でしか残していないと後で鑑賞するシチュエーションや気分を制限してしまいかねません。
また絵とか描いて貰ったり歌を録音するのもよいでしょう。
限られた時間、どのようにお父上の"断片"を残すか、という主題こそが唯一、
お父上"そのもの"と向き合う手段となるでしょう。