はてなキーワード: 促すとは
なんであんなに車運転してる人を信用できるのかわかんないんだよね
本当にそれは不思議に思う。
車を運転していて自転車を後ろから抜くとき、こちらを向いて確認してくれる人なんてほとんどいない。「車がうまくよけてくれるだろう」とか思っちゃってるのかねえ?
自転車に乗ってて後ろから車が来たら、「私はあなたの車に気づいてますよ」の意味でごく軽く振り返るだけで、運転手はだいぶ安心感が変わるのに。
恐くて、自転車で後ろを向くなんてできない? そういう運痴はせめてバックミラーをつけるか、いっそ自転車に乗るのをやめてほしい。
「車でバックミラーなんて見たことないぜ」という運転手の助手席には乗りたくないでしょ。
自転車で車に当たられても、自分は責任を負わないからいいやと思ってたりする? 当たられて自分が死んだら、責任云々どころの話じゃないよ。
しかしこれって、見知らぬ他人とのコミュニケーションを怖がる現代らしい現象なのかもね。(いやああいう輩は昔からいる! とかは別として)
目が合うだけでお互い「殺されるかも」って思っちゃうような。
車のほうも、普通の攻撃的なクラクションだけでなく、「おーい」と軽く注意を促す程度の音も出せるようになればいいかも。「ポヘ♪」とか情けない音を出すラッパをつけるとかね。
そういえば、この増田のエントリーに関する言及をたまたま見つけた。
前回の下記の部分が引っかかったらしい。
仮にそのキーワードでの議論が不要であると思えばFollowingという選択肢もあるし、グリースモンキーのスクリプトを使うという手段もある。
にも拘らず、敢えて苦言を呈し自粛を促すというのはどういう流れなんだろうか。
これに対しての言及が以下、
一方的な物言いだなー。
仮にそのキーワードでの議論が有用であると思えばidページという選択肢もあるし、自分のダイアリーを使うという手段もある。
にも拘らず、敢えて苦言を呈し自粛を促すというのはどういう流れなんだろうか。
つか強く言う人間がいないからいい気になるんだよなーああいう奴ら。
周りと折衝して双方折れるところは折れる感じでやればいいのに何で「相手にだけ対処を求める」のかね。
と思ったらしい。
言葉が足りなかったせいか、私が「議論側尊重派」という風に捉えられてしまったのだろうか。
「一方的」というのは議論を敬遠する人に対して、
「気に入らないならFollowingでもグリモンでも使えばいいじゃない」と言っているという印象なのだろうか。
私自身に関して言うと、「議論」に関しては尊重も敬遠もしない。
ただ「「キーワードで繋がる」というのがテーマのハイク」というのがあるので、
キーワード上でその話題に関して論じる分には問題はないのでは?とは思っているというだけの話。
これに関しては前回のエントリーにも書いている。
ハイクのテーマを考えたとき、該当キーワードを離れ「idページでやれ」という流れを不思議に感じただけ。
別にある程度のところで続きはidページに移動するというのも別に問題はないと思うし、逆に移動しないというのも当事者の自由だと思うし。
双方の妥協点で上手くやればいいじゃないっていうのには同意します。
別に利用者が気持ちよく使えるような多少の譲り合いがあっても良いと思うし。
先ほど見たところそういう流れにもなってきているようですけどね。
キーワード同士がうまく連結されるといいんじゃないかと思うんだけどね。 なんか素敵な仕組みはないかね。
というのがあり、確かに「はてなキーワード」とも繋がったし何か面白い使い方が生まれるといいな、
と思っていた矢先に興味深いことが起きていた。
あるキーワードの下でちょっとした議論が起こっていたようなのだが、
話の内容が重かったせいかTOPページでの展開を嫌う流れが起きていた。
基本的にライトな話題が多いハイクだけに少し重い話が出ると際立つらしい。
またそれを指して「ここでやるな」的な雰囲気に包まれるのも不思議な感じだ。
確かに論調によってはTOPページの場の空気は重くなり、緊張感が漂いいたたまれない感じになることもあると思う。
しかしながら「キーワードで繋がる」というのがテーマのハイクなら問題は無いような気がしそうなものだが。
仮にそのキーワードでの議論が不要であると思えばFollowingという選択肢もあるし、グリースモンキーのスクリプトを使うという手段もある。
にも拘らず、敢えて苦言を呈し自粛を促すというのはどういう流れなんだろうか。
やはり「TOPページ尊重論」というのは「個人の理解を超えるものに対する排除」ということに繋がるんだろうか。
だとすれば、その「個人の感覚」というのは誰に寄るものなんだろうか。
この辺りの感じがブックマークやダイアリーと比べた場合のハイクが特異な点となるんだろうか。
ハイクはただの村から「山奥の集落」の状態に向かってるんじゃないかとふと思った。
【追記】
もうひとつ気になったことがあった。
Google Adの表示形式が変わったようなのだが、これに嫌悪感を感じる人が多いように見受けられた。
確かアドの文章を使ったキーワードなんかもあって、かつてはそれなりにPOSTもあったと思うのだが…。
ビタミンB群は体が脂質や炭水化物、タンパク質を使うのに必須のビタミンです。
ビタミンB群は健康と美容を維持するために絶対欠かせない栄養素です。アメリカの多くの栄養学者はビタミンCよりも重要だと考えています。
ビタミンB群は脂質の代謝に関係するダイエットサプリメントで、ビタミンB群が不足すると脂肪を溜め込みやすくなり、厳しいダイエットカロリーコントロールが必要になったり、肥満を引き起こしたり、高脂血症を引き起こしたりするといわれています。
脂肪燃焼を促すためにはビタミンB群に併せてカルニチンやコエンザイムQ10(CoQ10)なども高い効果が期待できます。
慢性疲労症候群などの疲労の原因は病気が原因のものやビタミンB群などの栄養不足が原因のもの、カロリー消費の不調が原因のものなど様々な原因が考えられますが、病気が原因でなければビタミンB群の不足による炭水化物や脂質の代謝異常の可能性があります。また、カロリー消費の不調にはアルファリポ酸やカルニチン ピルビン酸などが疲労回復におすすめです。
ビタミンB群が不足することで炭水化物や脂質がうまくエネルギーに変換できないと、乳酸などの疲労物質が筋肉などにたまり筋肉疲労を起こすこともあります。夜寝ても疲労回復できないときはビタミンB群の不足やカルニチンの不足を疑ってみてください。
ビタミンB群が足りなくなると記憶力や集中力の低下が起こりアルツハイマー病や他の痴呆症になりやすくなるといわれています。アメリカではストレス対策に能力開発の面でのサプリメントも人気があります。
http://anond.hatelabo.jp/20080823131346
反響が大きくてびっくりしました。
ご意見に返信していきます。
大阪で育ったけど
こんな教育受けたことない。
本当に「大阪では」と書いてあるところは
全部「大阪にある僕が通った学校では」と書かなくてはいけない話だと思う。
一般化してほしくない。
ごめんなさい。
自分の育った地域は大阪の中でも同和教育の時間数が多かったのかもしれない。
「にんげん」....憶えてますよ。表紙がオゾマシイイラストのあの本ですね。
道徳の時間はすべて部落差別問題(たまに障害者差別)に充てられました。教材は、「にんげん」もしくは先生が用意したプリント。
「にんげん」の表紙のおぞましさは忘れられません。表紙になにか別の紙を貼って隠してしまえばよかった。あの表紙は今でもみたくない。
個人的な感想で申し訳ないが、自分もあの表紙は怖かった。
確かにまっとうな同和教育は必要。それは正しいことだと思う。
でも、僕が受けた同和教育はおぞましかった。
いつもと違う、怖い形相の先生にピリピリした空気の中、偏った思想を植えつけられることがどんなにつらいか。
なんていうか、時間数も、内容も、度を越している。
広く大阪で一般化されてもな。俺はずっと大阪だが、そんなアホな教育受けてないぞ。ちなみに豊中市。
仮にそんな漫画みたいな同和教育があるとしても、もっと狭いごく一部の話なんじゃないか? あるひとつの市か、町か、一校かは知らんけど。
もちろん同和教育はあったし全校集会的なものだったけど、部落差別の歴史と、それで辛い目にあったという話を聞く授業がメインだった。
って当たり前だわ。部落のお陰で濡れ手に粟でいい目にあってんぜ、というアピールをして部落の外の人がいい印象を抱くわけないだろ。ネガティブキャンペーンにしかならんのは自明だ。本当にそんな逆効果にしかならん教育やってんのか?
仮に今逆差別で彼らがウマウマやってるんだとしてもその公演は非合理だぞ。とても信じがたいが。
(追記)
あ、もしかして……。
「人権ってええで!ぬくいで!」→「人権はすばらしいものだ、我々(聴衆も含めて市民全員)を守ってくれるものだ」
「キミ等は結婚するときに差別したらアカンのや!」→これはまあそのままにしか受け取れないが。
「差別されてた人たちは、ほんまはゲキ(たぶん、劇のこと)とかの天才のすごい人やったんや!」→河原者のことを指してる?(この国の演劇の起源と言われている)
お前、変なミスリードしてねえか?
まず、劇についてはたぶんあなたが言っているとおり、教科書に載っている通りだと思う。これは小学校の時にも知っていた。
でも話した人の発音が明らかに「劇」の発音じゃなかったのでカタカナで書いた。誤解を招いたならごめん。
自分が書いたことは全部個人的な体験談なので、あなたの学校ではそうではなかったかもしれない。
で、「自らバラすわけがない」に対して、これも個人的な体験で申し訳ないのだが、
「うちのアパート、同和委員会入ってるから正月は無料で市がタタミ換えてくれるねん」
などなど、子供同士ではけっこうどぎついことも話しまくっていた。あ、これは中学校の時の話。
自分が同和問題に興味を持っていたから、そんな話を聞きやすかったのかもしれないけど。
あと、公演も授業も、「差別された人たちを今優遇しなければならない」という思想を延々とコドモに対して繰り返すこと自体が悪いと思う。
非合理だとは思うが、実際に体験したのだからしょうがない。
結婚の話にしても就職の話にしても順調に交際が進んでいたり内定が出てたりしていたのにある日突然相手の態度が変わった。
興信所に私の素性を調べさせて部落出身だと分かったからだ、みたいな展開でしょ?
だからその言葉の意味はわかるけど、はてなでのコンセンサスというかニュアンスはわからない。と先に断っておく。
それが素性がわかったから結婚を断るという話だけではないのだ。
結婚とか、友達と遊ぶのを断られたから、「部落出身者だからか」と勝手に結論付ける話が存在していたし、僕は読まされた。
「大阪」で一般化するなと自分で言っておいて一般化しないでください
ここに書いてあるような授業の元締めである大阪府(市)同和教育促進協議会の事務局と同じビルに事務所のある某組織の中の人だった俺が保証する.どれもおおむねホント,あるいは学校によっては更に凄かったよ.もちろん「自分は大阪出身だけどここまでではなかった」とコメントしてらっしゃる方が嘘をついてるとも思わない.たぶん,学区内に「行政が公認した対策事業対象地域」が存在しない学校だったんじゃないだろうか.
元増田のような地区外出身者への洗脳も凄かったけど,個人的にいちばんえぐいと思ってみてたのは,「部落出身者としての自覚を促す」とかの戯言に基づいて地区出身者に強要される「部落民宣言」だな.連中にとっちゃ,「地区出身であるにも関わらず自分が差別されてるとは特に感じてない」存在が許せんのだろうね.自分たちが運動を行い対策事業の恩恵にあずかる最大の根拠を身内に否定されてるようなもんだから.
部落民宣言の話は、友達から聞いたことがあるが、名称を覚えていなかったので書けなかった。
お詳しいようなのでこの際聞いてしまいます。
これも中学校時代に友達から聞いたのですが、「同和委員会に入っているだけで特定部落出身者でなくとも減税など特定部落出身者の受ける行政処置を受けられる」という制度は本当にあるのでしょうか?
もちろん増田なので正確度は期待していませんが…一応。
自分が生まれ育った大阪府枚方市ではこんな教育は受けなかったんだけど(昭和54年生まれです)、
同和の予算がカットされていってるから、これから縮小されていくのではないかな、と思うよ。
こういう教育が残っているにしてもね。
それを願います。
率直に言って、僕は安心してもいます。
どうやら大阪ならどこでも同和教育がきついわけじゃないということがわかって。
あの異様な空気を味わう子供が少ないなら、それは良い事だと思う。
僕の書き方は過激な部分もあったかもしれない。
でも誇張はしていない。僕の経験したことをありのまま書いた。
僕の話を読んで、想像して欲しい。
僕は、同和委員会がすごく怖い。
あなたが小学生だったら、この教育を9年間受けてどう思うだろうか?
「絶対逆らえない」「同和委員会を批判するとやばい」という恐怖を植えつけられないだろうか?
非合理だという意見があったが、僕なりに考え出したこの教育の理由のひとつは、
「同和関係の団体に逆らうとやばい。批判することさえ許されない。話題にすることさえ…」という恐怖感を子供に植え付けることではないか、と思う。
確かに差別は悪だ。これからの時代を生きる子供たちには絶対に差別主義者にはなってほしくない。
でも、同和や在日外国人など、差別問題について、その利権を吸う団体について議論すらできなくなったら。
その議論をおこした人間のほうが「差別主義者だ!!」と無条件に断定される世の中がきたら。あるいは来ているのかもしれない。
確かに刺激的な話題だし、僕の文体やレトリックにつっこみたい気持ちもあって当然だと思う。
でも、一度想像してみて欲しい。真剣に。
追記:怖いけど言ってしまう。
僕の通っていた学校には同和関係の団体のトップの子供が通っていた。
あと、僕はまったく同和・在日外国人に対する差別意識は持っていない!これは明記しておく。
そして、同和委員会に入っている家庭の子供がみんな漠然と利権がおいしいと思っているわけでもない!
僕の友達には、部落出身者の中から同和利権を潰したいと熱く語るやつもいた。(当時中学生)
彼とは今でも年に一回くらいは会っている。友達だ。
だからこそ、僕が彼の住所を口に出しただけで恐怖を感じるような、偏った同和教育は嫌だ!(そしてもちろん、同和委員会を優遇する行政も、同和委員会の子供は無試験で入学させるような学校(実は私学にも多い)などの民間団体も間違っているとはっきり言える。)
ここに書いてあるような授業の元締めである大阪府(市)同和教育促進協議会の事務局と同じビルに事務所のある某組織の中の人だった俺が保証する.どれもおおむねホント,あるいは学校によっては更に凄かったよ.もちろん「自分は大阪出身だけどここまでではなかった」とコメントしてらっしゃる方が嘘をついてるとも思わない.たぶん,学区内に「行政が公認した対策事業対象地域」が存在しない学校だったんじゃないだろうか.
元増田のような地区外出身者への洗脳も凄かったけど,個人的にいちばんえぐいと思ってみてたのは,「部落出身者としての自覚を促す」とかの戯言に基づいて地区出身者に強要される「部落民宣言」だな.連中にとっちゃ,「地区出身であるにも関わらず自分が差別されてるとは特に感じてない」存在が許せんのだろうね.自分たちが運動を行い対策事業の恩恵にあずかる最大の根拠を身内に否定されてるようなもんだから.
第13条 禁止行為
ユーザーは、本サービスの利用にあたり、以下の各号に該当する事項を行ってはならないものとします。禁止行為に違反した場合には、強制退会、利用停止、画像等のデータの全部もしくは一部の削除、又は公開範囲の変更等の不利益な措置を採ることがあります。
pixivコミュニティの特性上、pixivから画像をダウンロードできる人間はおおよそpixivユーザーである。この(やや脆い)前提により、http://www.nicovideo.jp/watch/sm4292477作者がpixivユーザーである可能性は高い。
そこで。
コミュニティとしての場を提供しているpixivは、【らき☆すた】こなかがで48手【百合】‐ニコニコ動画(夏)への削除を要求できるかどうか。
即ち、pixivは黙認という形で著作者の同意なくして転載する行為を、第三者として咎めることができるか。
現実的経験的にpixivは削除要求をしないと思うので、する、しないに関わらない。できるかどうか。
コミュニティとして第三者として削除要求が可能なのであれば、一端の空気読みであり、転載に嫌悪を抱くpixivユーザーは、自ら進んで削除要求をせず、pixivに削除を促すこともありうる。一定数の要望があれば、削除申請に踏み出す、という流れ。
cf.http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20080815/1218830796
実家の犬。雑種。くるっと尻尾がまいてるから多分純日本犬の雑種。キツネみたいな顔しててよく穴を掘る。ちょっとばか。
8年くらい前に保健所からもらってきたときは両掌の中に乗るくらい小さくせにうんこ踏んづけてることに気付かないで飛びはなてるやんちゃ坊主だった。雄だけど去勢してるからおかまちゃん。友達なし。遠吠えがめちゃくちゃへたくそ。笑われるとわかるのかやめるけど、無性にしたくなるときがあるみたいで、時々練習してる。あほ。
んでえさの話なんだが。
離乳食のころは結構いいものを食わせてたんだけど,夏が過ぎて十分に大きくなったのでふつうのドッグフードをやるようにしたのね。
5歳までは一日二回,朝晩。最初はビタワンっていう一番安い奴でも喜んで食ってた。
それがさ,正月だったかな。いや夏だったから,うちに来た日を誕生日代わりにってことだったのかな。たまには贅沢させてやろうってペティグリーチャムの缶をやったわけさ。
そしたらあいつ気づいちゃったのね。
う ま い !って。
それからはもう大変。ビタワン食わないの。ビタイチ食わないの。
残してるから食べないの?ってきくと悲しそうな顔すんの。体調悪いのかな,と思ったりもしたんだけどどうも病気ではなさそうなの。煮干しとか骨ガムとかはすごい勢いで食ってんの。夏バテなのかなとかとも思ったけど散歩中は元気なの。拾い食いとかして怒られてんの。
ある程度やせ細ってきたところで気付いたね。こいつ。もしかして。ビタワンまずいから食わないんだなって。
まぁあんまり痩せられちゃってもかわいそうだし夏だったから心配なので10kgで500円も高くなっちゃうけどビタワンからペティグリーチャムにかえたら食うわ食うわ。今まで食えなかった分ってくらい食う。もうお前は馬鹿かと。犬だから馬でも鹿でもねーけどと。犬のくせに意地はってんじゃねーよと。おいしさにこだわってんじゃねーよと。
まぁもともと結構注文が多いというか気難しいというかなやつでさ。つながれると怒るの。怒ってすっげー穴を掘るの1メートルは掘る。で,こら!っておこるっとうっせーてめーらが悪いんだからな!って顔してフンって鼻息立てるの。もう馬鹿かとw
いたずらしてつながれても怒るの。木戸に八つ当たりとかして壊すの。またこら!って怒られて,耳伏せながらだってだって!って顔すんの。ほんとしょうがない奴。でもそういうところがかわいい。反抗したり拗ねたり,洗われたら怒ったり,汚くなって誇らしそうな顔してたり,犬ってペットじゃなくて家族なんだな。すっげー年下の弟っていう感じ。あいつは時々中に人間が入ってんじゃないかって思う。
んでえさの話に戻るけど、最近あいつもだいぶ年取ってきて,また餌に文句をつけるようになってきた。どうやらペティグリーチャム固形は堅いらしいんだ。かたいんだけど!って吠える。知らない人に対する吠え方とは違う,文句つけるときの吠え方でいつまでも呼ぶ。んで何かと思って顔出すじゃん?だし汁いれろって催促すんの。お前犬だろ!とwちゃんといりこで出し取ってないと怒るの。水だと不貞腐れて食べてんの。食べた後に不貞腐れて遊ぼうって言っても寝た振りすんの。でも尻尾はぱたぱたしてんの。ばかじゃね?wと。
「コンビニでゲロ吐いてたの、小さい子が」というエントリとそのブクマを読んで。
HaNaGe ↓時給の問題じゃないよ。接客業の心意気というもの。750円でも7500円でもそれは同じ。暑い季節、吐いちゃう子いたなぁ・・・ママにも怒られて凍りついた顔をする子も。パッとあやして片付けていた先輩カッコ良かった
numberarmytheboots 時給750円にどこまで要求したら気が済むねん。もたもたしたり嫌な顔したりするのを見るのが嫌なら時給上げてください。やっぱ、時給上げなくていい(上げてもいいよ)のでのろのろ、ムスっとで働かしてください。
HaNaGeさんの言うこともよく分かるし賛成だ。けどnumberarmythebootsさんの言い分はある意味正しい。当たり障り無く綺麗にまとめれば「そういう心意気を持つ人がきちんと高給を取れる社会になるといいですね」という事なのだが、実際にそこを一歩踏み出そうとすると難しい。
実際問題として、この様なことを行うからと言って時給などが伸びる事はまず有り得ない。コンビニは8割以上がそんな余裕がない状態で運営されており、そもそも財源がない。勝手にこういうことをやってイメージアップに貢献してくれればラッキー、やってくれなくても想定の範囲内なので問題なし、だ。やってもやらなくても評価が変わらないなら、あとは個人の価値感の問題であって外野から文句は言えない。
では本部がこの様なことを評価すれば良いのではないか、と考えるかも知れないが、この様なミクロな部分をいちいち評価するのはコストが合わない。画一的な何らかのシステムを導入する方が実質的な効果もあるし広告もしやすい。(例えば??は全店AED導入!とか分かりやすいよね)
もうひとつ、客側が団体を作ってこの様な行為に対して客として評価します的な行動を起こせば本部も動くかも知れないが、団体行動の嫌いな日本人がこの様なことをするのはまず有り得ない。
私も心意気で粋な計らいなどをしたり素晴らしい仕事をこなしたりする、プライドを持って仕事をする人が個人的には好きだ。しかし日本の社会構造は、そのような心意気を良しとする文化を敷きつつ、そのような行為による利益はピラミッドの上層部を肥え太らせるのみ、という形になっている。スワンベーカリーでヤマトの故・小倉氏が目指したように、「お金以外の価値」だけでなく「お金」もきちんと受け取れる社会を目指すためには、個人が心意気で働いたり周りが心意気で働くことを期待するだけではだめだ。
そんな世の中を少しでも実現するためには、実際問題としては団体交渉をするのが一番手っ取り早いのだが、それは厳しいだろう。
もしあなたが客なら、きちんと評価する事だ。単に「あの対応は素晴らしかった」と思うだけではなく、窓口があれば電話などして伝える。ブログに書くのも悪くはないが、リーチする年齢層が非常に限られたメディアなので効果が薄い。出来れば\500のクオカードなどでもいいのでお礼を渡すと良い。本人がいない時を見計らって「??をしてもらってとても助かったので」と、客が何を評価してそのような行為をしたのかを伝えて代わりに渡してもらうとなお良い。
店員なら、そのような行為を行うことで、経営者や上司ではなく、同僚や客を自分に引き寄せるのだと考えることだ。あの人が辞めるなら私も辞める、あの人が他の店に行くならあっちに行こうか、と周囲に思わせられるようになればそれはもう権力の一つとなり、上の者も評価をせざるを得ない。大事なのは直接的評価を得ることではなく間接的に権力を作って評価を促すことだ。またこの様な状況を作ろうとする経験は、100%、将来のキャリア形成でプラスになる事を理解しよう。この様な部分は学生バイトの世界でも会社に入ってからでも変わらない。
日本社会は正当な行為に対して直接評価をなかなか行わない。世の中を思い通りに変えたければ、間接評価を上手く利用するか、自分が動いて相手に間接評価を与えることだ。
ほぼ記事タイトル通りの出来事があったので思わず匿名ダイアリー。
(厳密には、八木氏はかつてはつくる会の会長だったが、今はつくる会とは無関係)
書くの初めてなので、読み難ければ申し訳ない。
先に書いておきますと、私は公立校勤務です。
で、私が勤務する地域では、「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書を採択しています。
この教育講演会(教職員一斉研修会)は、教委が主催したもので、基本的に地区内の全職員(学校事務職員も含む)が参加しました。
恥ずかしながら、誰だか知らなかったんですが。
開会前、もらったレジュメを読んでいると、最初に出てきたトピックが
“「不当な支配」の主体の転換”
という内容。
旧教育基本法の、
「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである(旧第十条)」
という規定が、
「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない(改正第十六条)」
と改められたことによって、服してはならない「不当な支配」の主体が、
before:政府の圧力
↓
after:日教組などの職員団体
と変化しており、政府首脳部からもそのような見解に立った発言が相次いでいる……という鋭い指摘。
私としては、
「なるほどそうか……。これは大変だな」
と思ったわけなのですが、その先を読んだら
「……なんか違う?」
なにしろ、いざ講演が始まったら、この
「政府=正当な支配」
「職員組合=不当な支配」
という立場を全面的に賞賛する論調でして。
日教組に参加してる職員が1%切ってる本地区でそんなこと言われてもな……。
(うちの地元には、「教職員協議会」という、日教組とは別の組織があり、これが97%の組織率を誇っています。
方針としては、行政との対話路線。
私もそっちに入っています。
新採の時、勧誘パンフが送られてきて。
「教え子を戦場に送るな!」
って書いてある。
言いたいことはわかるがちょっと引いた。)
内容は、なんというか、ツッコミどころ満載だったんですが、まず特に違和感を感じた点。
講演の中で、エルトゥルル号の遭難とか、有名な“美談”がいくつも紹介されるわけですが、その中に真岡郵便電信局事件の話も出てきました。
第二次大戦末期、樺太にソ連軍が攻め寄せてきた時、最後まで電話交換所に残った女性達が、青酸カリを飲んで自決した事件です。
事件名とか知らなくても、
「みなさん、これが最後です。さようなら……さようなら……」
とかいう台詞は聞いたことある人は多いのでは。
とか褒め称えるわけです。
このエピソードを教育にどう生かせと?
「彼女たちの行動こそ、日本人の鑑、責任に殉じる素晴らしい態度である。
お前達も、もし同じような状況に置かれたら……」
置かれたら?
自分の子どもになんと教えて欲しいかは、人によるかも知れませんが。
私としては、子どもたちには
「なんとしても生き残れ。命を大事にしろ」
……って、教えるべきなんじゃないかと思ったり。
ちなみに、八木氏は全然触れなかったことですけど、その時当直だった女性交換手は、全部で12人いたんです。
で、死ななかった3人は、最初は押し入れとかに隠れててですね。
そのままソ連統治下で職員として再雇用され、日本にも無事に帰ってくるんですけど。
彼女ら3人は、「責任に殉じ」て死ななかった駄目な日本人なんでしょうかね?
少なくとも、八木氏の言う
「ソ連軍は、刑務所から出てきたゴロツキみたいなのを最前線の兵士として送り込むわけですよ。だから、女性は陵辱されたり恐ろしい目に遭わされるわけです」
……というのは、この場合は事実に即してないと思います。
……まあ、ソ連軍がひどかったのはわりとかなり事実だと思うんですけど。
「沖縄というのは、長らく琉球王国という日本とは違う国で、その後は島津の統治下になり、近代化されたのが他の地域よりも遅れた土地なんです。
だからこそ、日本人的であろう、という責任感が逆に強くなって、それでああいう事件が起きたのではないかと思います」
という、目の覚めるような主張を展開します。
なんで目が覚めるかというと、すごいアクロバットだから。論理の。
危険なのでよい子はまねしないでください。
もし沖縄県民があの場にいたらかなり血圧が上がったんじゃないか、と思うんですが、あれはたぶん、戦わずして論敵を脳溢血で葬ろうという高度な戦術なんだと思います。
危険なのでよい子はまねしないでください。
ていうか、「集団自決」と「責任感」がどうつながるのかそもそも良くわからんのですが。
なんか、とにかく死ねば責任感がある、みたいな話で、日本文化の奥深さを感じました。
「命どぅ宝」のお婆さんは、やっぱり駄目な日本人なんじゃろうかね。
近代化が遅れた地域だからな。
あとまあ全般に言いたいことは山ほどあるんですが、重箱の隅つつきは後回しにします。
とにかく、こういう歴史観のリビジョンを促すような講演会に、公務として参加させられるのが、本地区の実態なわけですね。
開会が14:00でしたから、どの学校も特別日課で対応したと思います。
本校でも、当日は授業を午前中で切り上げて参加したわけですよ。
もちろん、講演聞いてる間にも給料が出てます。勤務時間内ですから。
内容に疑問を感じたのは何も私だけではなくて、翌日の職員室では批判大会。
「終わった後、あの先生と偉い人達とで飲み会があったらしいから、八木先生は急いでいたわけじゃないらしい。なのに質疑応答の時間を設けなかったのは、意図的なものに違いない」
……ええーっとですね。
つまり、「つくる会」の教科書を採用した地域の学校だからといって、教員が唯々諾々と「つくる会」史観に染まるわけではない、ということですよ。
このことは、左右どちらの論者にも覚えておいて欲しい、と思います。
我々はロボットではない。
その一存で採択が決まったようなもので。
しかし、「つくる会」教科書を採択した、というだけで、かなり外部からの批判にもさらされてるし、学校現場にも不満があるのが実態です。
なので、教育委員会の方針に疑問を持っている教員を「啓蒙」しよう、というのが、この講演会の趣旨だったんだと思います。
くらいのこと、10分もかけずにわかっちゃうわけですよ。
授業で、“公共心ある日本人”の美談を得々と語って聞かせたら、生徒から史実に基づいたツッコミが入る可能性くらい容易に予想されるじゃないですか?
そういう意味では、都合のいいことだけ書いた教科書というのは、発行する側は気分がいいかもしれないけど、現場の人間にとっては迷惑そのものなわけですよ。
……ああ、そうか、授業で質問の時間を設けなきゃいいわけですね。
率先垂範を地で行っておられる。
で、その他、「作る会」教科書を使ってると高校受験に対応できないとかいう現場の苦悩をよそに、首長とか教育長とか、講演会場の最前列に座っていてですね。
で、講演会が終わった時なんか、立ち上がって喝采してるわけです。
スタンディングオベーションかよ偉い人。
とりあえず絶望した。
現場がなんとかしないとならん。
以下、こまごまとしたこと。
八木氏は、聴衆に「日本の建国はいつか?」と問うて、「それは西暦600から700年前後である」とします。
なぜなら、「日本」という国号が成立し、「公」の意識が誕生したのがその時代だからだ、というのです。
ちなみに、ここで言う「公の意識」とは、天皇を中心とした中央集権体制の確立のことを指します。
天皇は独裁者ではなく、「国家の公的統治を究極において体現すべき地位」だというのですね。
八木氏は、「皇室はニッチ産業」だ、という、寛仁親王の言葉を引用します。
「政府や行政の足りないところを補う。それが、皇室の果たす役割なんです」
「このような皇室の在り方は、古代からずっとそうだったわけです」
いや……そうなの?
「平安時代、貴族は贅沢な生活をしていた一方、庶民は貧しく、奴婢は売買の対象だった」
……とかいう記述を「闘争的だ」と評します。
これらが、マルクスの階級闘争史観に子どもたちを導くものだ、というのです。
君の教科書もまっ赤っか! これはレッドベアーの陰謀だ! 愛國戦隊を呼べ!
……別に教科書の記述は、富裕層の打倒とかを呼びかけるものじゃないし、そもそも平安朝だって、階級闘争によって打倒されたわけじゃないんですが。
なんでマルクス?
明治維新を含めて、日本には「階級闘争」とか「市民革命」とかいうものはないんじゃないですかね。古い見解でしょうか?
「明治維新は、公のために働くことを自己の使命と考えていた武士たちによって実現した改革だった」(「新しい歴史教科書」。レジュメの孫引き)
そんなに昔から日本人の自覚とか公共の意識とかがあったなら、もう少し早く戦国時代が終わりそうなものですが。
武田信玄「こうして同じ日本人同士が争っていても仕方がないじゃないか!」
上杉謙信「そうだとも! 天皇陛下の元にはせ参じ、一つの国を作ろう!」
……みたいに。
八木氏によると、現在の学校教育では、歴史教育で闘争的姿勢を学び、公民教育で具体的な闘争目標を与えられている、というのです。
「公民教科書には、夫婦別姓など、まだ法的に定められてもいないトピックが取り上げられている」
とかいうのが「闘争目標の提示」だと。
……ずいぶんせこいマルクス主義ですね。
仮に、八木氏の言うとおり、飛鳥時代や平安時代がそんなに素晴らしい時代だったとしたら、逆に言って、日本社会は1400年の長きにわたって大して進歩していないことになるんですが、それでいいんでしょうか。
奴婢の話とかって、私は
「私たちの社会は、昔より良くなっているのです」
って趣旨の話だと理解していたんですが。
「人類の歴史は進歩と改良の歴史なのです。私たちも、もっともっと素晴らしい世の中を作っていきましょう。明日が今日より良い日であるように」
的な。
八木氏に言わせるとこれも「闘争的」なのかも知れませんが。
私としては、貴族と平民に大きな差があったとか、事実なんだから仕方ないんじゃないか、と思うんですがどうでしょう。
都合の悪い歴史的事実は教えない、という態度の方が、むしろ我が国を危機に追いやる気がします。
それこそ、遺伝学におけるソビエトのルイセンコ学説みたいに、学問をイデオロギーに従わせようとした挙げ句、研究開発で西側に後れを取るような。
まあ、「歴史は科学ではない」が、「つくる会」の立場なんだそうですが。
でも、望ましい思想を注入するために、歴史的事実の方を改変する、っていうのは、それこそ共産国の十八番なんじゃ。
基本的に「公共の意識」だけで日本の歴史・文化を語ろう、というのは、無理だと思うんです。
「恥の意識」とか「武士道」とかと同様、一言で語りきれるほど、日本人の精神というのは浅薄なものじゃないんじゃないでしょうか。
そもそも、「公共の意識」が飛鳥時代から日本にあった、という主張自体いかがなものか。
確かに「公」という漢字自体は大昔からありますが、古文に出てくる、「公家」とかいうときの「公」と、「public」の訳語としての「公」を同一視するのは誤りだと思うんですが。
八木氏は、「公共」の意識が近代になって成立した、というのは誤りで、日本人の日本人としての自覚はずっと以前から存在した、と言うんですが、それは逆に言って、国民国家建設のために尽力した明治の人々を愚弄するものではないでしょうか。
ちなみに八木氏は、中教審が、縄文時代の記述を重視するよう議論しているのに不満を表明しています。
から、というわけですが、これは循環論法ではないですかね。
逆に、明治憲法や現行憲法の発布、あるいは江戸幕府なり鎌倉幕府なりを「日本」の成立、と見なす立場だってあり得るわけで。
縄文人だって一生懸命に生きていたのだし、彼らが苦労して稲作技術を会得していったからこそ、現代の日本があるわけで。
「縄文人は日本人じゃない」という言いぐさは、縄文人に失礼だと思いますが。
八木氏は、チェスタトンの「伝統とは選挙権の時間的拡大」「死者には墓石で投票してもらわねばならない」なんかを引用して、伝統の大切さ、先祖の意思を尊ぶべきことを訴えるわけですが、縄文人は先祖じゃないらしいです。
……天孫降臨?
ちなみに、八木氏が引用した中には、相田みつをの「自分の番 いのちのバトン」とかまで含まれるんですが、相田さんってそういう主義の人だったのか。
ところで、八木氏は「死者の民主主義」(チェスタトン)がお気に入りのようですが、私はむしろ、「地球は子孫からの預かり物」(ケニアのことわざ)の方が好きです。
死んだ世代の意思よりも、次の世代の幸せの方が重要だ、と、私は信じます(これでも学校関係者のはしくれですから)。
……ケニアのことわざの割に「地球」とか、かなり超訳の気配ですが。
八木氏、「屋久島の灯台守り」という、これまた美談を紹介してくれたんですが。
「顔は土気色」を「どきいろ」ってあんた。
自分で持ち込んだ資料が正しく読めないって、早稲田大学法学部卒が泣くぞ。
日本の文化がどうとか言う前に、八木氏はまず日本語くらいちゃんと読めるようにすべきだと思います。
なんかあれこれコメントをもらってるようなのでここへ部分的に返信。
>教育委員会主催の講演会とかに行って何かを得たことがあるの?
ありますよ。
まあ、教育関係者の講演、というのは、聞いてすぐに教室で使える内容が多い一方、似たような話も多い……というか、教育界の通念を上手にまとめただけの、刺激に乏しい講演も多い、とは思います。
……ちょっと今回は刺激的すぎましたが。
>その場でぶつけてくれたら面白かったのに。
まあ、チキンなので。
偉い人が「つくる会」支持者で、しかも同席してるわけですから。
そこでこれだけのことを言ってしまうと、後々どんな処遇を受けることか。
それはもう、陵辱されたり恐ろしい目に遭わされるわけです。(流言)
それに、ここに書いた内容は、これでも推敲した内容です。
これをとっさに思いつける程度には賢くありたいのですが。
っていうか、偉そうなことを書いておいて恥ずかしいのですが、「女性交換手が12人いた」ということもその時は知らず、家に帰って調べてわかった次第。
でも、何か質問はしてやろう、とは思っていて、講演の間中必死で考えていたのも事実。
「古代以来、皇室はニッチ産業としての役割を果たしてきた、とのお話でしたが、私、不勉強でそういったことを存じませんでした。
そこで、例えば平安時代の朝廷が、そういった役割を果たしていた、という実例を2・3ご教示願えるとありがたいのですが……」
くらいのことを聞いてみよう、と思っていたのですが、本文で書いたとおり、質疑応答の時間がなかったので不発に終わりました。
>自分のはてなダイアリーで書いたら?
少しでも匿名性の高いところで、と思ったのです。
何か使い方として問題がありましたら申し訳ない。
(ていうか、そもそもこの内容自体トラックバックで返すべきなのかも知れませんが、匿名ダイアリーに慣れてないので、返信があちこちにばらけるのが落ち着かないのです。なんでコメント欄がないんだろう)
こんなにブックマークをもらうとは思ってなかったのでちょっと動揺しています。
偉い人にばれたらどうしよう。
>「教職員協議会」つーのは要するに「全日教http://www.ntfj.net/tanidantai/」系団体だよね。共産党系の。
右寄りではないかも知れませんが共産党系とも思ってなかったのですが。「美しい日本人」がどうとかこうとか。どうなんでしょうか。
会員でありながら組織の背後関係とかは知らないのです、申し訳ないです。(でもたぶんみんなそう)
>教師という連中が本当に馬鹿ばっかりでイデオロギーの固まりだということが良くわかった。
ククク、その通り。だが、気付くのが遅すぎたようダな……(ロシア訛り)
今や日本の教育は、我がレッドベアーの(不当な)支配下にあル!
あと10年もすれば、この国はコミンテルンの軍門に降るだろウ……!(遅すぎる)
>大学になるまで歴史教えるのやめちゃえば?自分で判断して学ぶまで教師の馬鹿どもから余計なノイズを入れないで欲しい
難しいところですね。
おっしゃるとおり、批判精神の薄い子どもに、イデオロギー教育をするのは禁忌だと思います。
その一方で、基本的な歴史知識は、全国民が持っているべき教養だとも思うのです。
そして、大学は専門教育の場であるべきで、そういうことに時間を費やすべきではないと考えます。
だから、結局は義務教育に基礎的な歴史教育を盛り込まざるを得ないのではないかと。
その内容としては、重要な歴史的事実を教えるにとどめ、それをどう解釈するか、という思想的側面は、個々人に任されるべきだと思います。
……もっとも、「歴史的事実」というのは現実にはほとんど無限に存在するわけで、その中から何を「重要」として採り上げるかに、思想的問題が絡んで来ざるを得ないのも事実ですが。
エルトゥールル号を採り上げて奴婢は省くのか、その逆をやるのか。
でも、できる限り中立であろうとする姿勢は必要だと思います。