2024年05月06日の日記

2024-05-06

規格上の許容上限調べても意味ない

元増田の要旨としては

と言うことで、メーカに対して批判的にまとめると「規格上の許容上限調べてそれを超えてたらOKといったオレオレ定義が横行しているが信用するな」ってこと。

これに対して「規格上の許容上限調べて来いよ」ってのは流石にあんまりじゃない?

チョコザップの出店の勢いおかしくね?

こんな駅に作ってどうすんねんってところまで出来ているように思う

自分の近所もスポーツジムは既に4店舗あるのに進出してくるみたいだし

こんなんうまく行くんだろうか

anond:20240506170415

ガチ芸術界隈は、AIで真似できるなら真似すればいいじゃん?と思ってるから

創作に命を賭けてる人の絵は、ライン一本一本に意味があり、選んだ色にも理由があって、

そのすべてを説明できる。

だけど、AIの絵は、統計的にそれっぽいラインと色が出ているに過ぎない。

「守・破・離」でいうところの、守しかできない。だから脅威に感じない。

ところが、ネット絵師の絵は、AIの絵と差別化できない。

統計的にそれっぽいラインと色使いだけで、評価されている程度の画力では

皆が生成AIを使えば、もう評価されなくなる。

から必死に反対する。

anond:20240506174908

👶「ヽ(;゚;Д;゚;; )ギャー!」

👩「あーらよしよし、この知らないオジサンだれでしょうねぇ~」

女「私三國志大好きで~」ぼく「!!!!」

ぼく「中黄太乙!中黄太乙!」

女「え…何キモ…」


これが現実

今更シュタインズゲートやってるんだけど

ノリがきつくてやめたくてしょうがない。

だけど名作らしいか我慢してやってる。

anond:20240506174612

いいね

第7新東京市くらいまで全国に作ってほしいところ

anond:20240506174300

100個のウンチの中に一つだけいい匂いの物がありますって言われてもね

anond:20240506153306

顔が売れる程度には何らかの能力がないと学会長にはなれないよ

anond:20240506174437

何だその「はいはい」は?まっとうなこと言ってる増田に対して態度が悪いな?

anond:20240506173848

おれはこの人の本読んで腹落ちしたよ

https://www.amazon.co.jp/役に立ち、美しい-はじめての虚数-蔵本-貴文/dp/4860647521

https://www.amazon.co.jp/意味構造がわかる-はじめての微分積分-蔵本-貴文/dp/4860647149

anond:20240505094607

作者はプロになる前から女の子ばっかり描いてた

デビュー編集からもっと男も描けと言われたらしいよ

多分全然腐女子ではない

HP見てたけどあんまそういう要素なかったような…記憶はおぼろげだが

ななみちゃんへのちょっと歪な愛はあったけどね

yujimiくんいなくなっとるやん

あんなに元気ブコメしてたのが4月中旬から急にブコメしなくなってる

なんかあったんか

短歌を詠むほど俳句は作れなくなる

https://anond.hatelabo.jp/20240506061423

短歌結社に入っていて、歌会にもよく参加していたことがあるが、元増田のような話は何度も聞いたことがある。もはや歌人あるあるネタだし、私も深く共感する。ただ、字数という点に増田はこだわっているようだが、この話題はそのようなレベルの話ではない。

多くの人は短歌俳句が同じ短詩型文学であるから短歌も詠めれば俳句だって作れるだろうと思いがちだが、それは大いなる誤解だ。むしろ短歌を詠めば詠むほど、俳句から遠ざかることになる。

なぜなら、両者は表現アプローチ正反対からだ。短歌風景言葉を使って<私>の情念を表す文学であるのに対し、俳句は<私>と言葉を使って風景を表す文学なのである

短歌を詠むということは、言葉情念圧縮するということだ。穂村弘短歌爆弾に喩えたが、自分情念読み手の心奥深くに埋め込もうとするために、言葉の選定や配列独自性をもたせていく。風景すらも歌人にとっては情念の道具に過ぎない。日本語に己の爪痕を残してやろう。世界は我が情念を表すために存在するとでも言わんばかりの自意識過剰さでもって詠むのが短歌というものだ。己の全情念31字にすべて押し込めようとするエゴイズムこそ短歌というもの醍醐味である。誤解を恐れずに言えば優れた歌人とは己の日常を糧にした自意識純粋培養物なのである

それに対して俳句を作るということは、言葉風景カットする行為だ。17字というフレームの中に厳選した風景の要素を置いていく。私は風景から要素を抽出するための機械しかない。俳句にとって情念ノイズしかないのである

このような対比で見ると、短歌を詠む人が17字は気持ちを込めるのに少なすぎる、となぜ思いがちなのかが分かるだろう。字数云々ではなく、根本的にその容器は、あなた情念しまうところではないのです。高級フランス料理の小さなお皿にニンニクしまラーメンを入れようとする無理な行為なんですよ。俳句を作るなら、あなた後生大事に抱えているその情念は捨てましょう。わかりましたか

そうは言っても短歌人はやめられない。短歌を苦しみ抜いて詠んだきたのだから、この情念は捨てられない。世界から笑われようとも俺はこの17文字に俺の心情を詰め込んでみせる。31文字でできて17文字でできないことはないっ。ここに俺の私の僕のアイデンティティがかかっている。

という具合に短歌は人に冷静さを失わせ、言葉を発するとき自意識を手放すことができなくさせる。そしてどんどん俳句精神から遠ざかっていくのである。だから短歌を詠めば詠むほど、俳句は作れなくなる。

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追記しようとしたら長すぎたので記事を改める

一茶の句は反例にならない。

https://anond.hatelabo.jp/20240506233546

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https://anond.hatelabo.jp/20240508195326

俳句情念は込められないという主張について、上の増田より鮮やかな反例を挙げていただいた。俳句への理解を深める契機をいただけたことに感謝する。

anond:20240506173848

それYouTuberヨビノリたくみ氏がよく言ってる。

一回チャンネル動画見てみたらどう?

究極的には楽しいから勉強すんじゃないかな。

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