「(気持ちはわかるけど)今聞きたいのはそれじゃねえ」と思いながら、この人は目の前の現実にあまり向き合わない頭のゆるい人なんだなという印象を受ける。
期待するのが間違いだった。
最近、自分が以前からやっていたソーシャルゲームがサービス終了した。
そんなに頻繁にしていたゲームではなく、たまに気が向いた時にする程度なのだが、それでもどこか寂しさを感じた。
たまにしかやってなかったが、それでもサービス開始からサービス終了まで、このゲームの行く末を見てきたことになる。
なんだか考え深い。
振り返って見ると、このゲームはちょっとした人生の節目や出来事に合う機会が多かったように思う。
その出来事を振り返った時に、そういえば、このゲームやってたなと思い出す。
移動中に確か、これを……あの時には、あれをしてて……待ち時間にはこれをして……
懐かしい思い出になっている。
サービス終了の可能性は理解していたが、それでもちょっと寂しい。
なんだかんだ、そこに居続けるような感覚が自分にはあったのだ。
できなくなる前に、久しぶりにゲームを遊ぶことにした。
懐かしい。
そのゲームの中の顔ぶれは、最後にゲームをした時と変わっていない。
ゲームのシステムなどは、日々の更新により変わっている所もある。
懐かしさと同時に目新しさも感じた。
1つ1つ細かく見ていく。
こんな感じだったなぁと感傷に浸る。
しばらく楽しみ、ゲームを閉じた。
このゲームは、もうできなくなる。
他の人が遊びたいと思っても、もうできないのである。
今後、このゲームを遊んだという人が出てくるのは難しいだろう。
また運が良いことに、このゲームは人生の節目や出来事に多く遭遇している。
その時の思い出を振り返れば、一緒にそのゲームを思い出すことができると思う。
楽しませてもらった。
Twitterフォローするかしまいかで夜通し悩んで結局フォローしたけど朝になってて最悪
何もかも間違いに思えてきたしそんなにフォローしたくなかった気さえしてきた
アカウント消したい
こんなこと呟いたら気悪くするしTwitter向いてないな
女性たちが男に比べて人間的に劣って見えるという意見は、色んな場所で聞く。
いい機会なので私が回答しよう。
男は感情を表に出さずに、いつでも理性を発揮するべき、って「男らしさ」の理想像があるんだ。そういう枠に自分を当てはめてるうちに、男は、自分自身の本当の気持ちを見失ってしまう。周りの人間に合わせて自分の気持ちを押し殺してしまう。だから実態は「女は感情、男は感情の欠落」なのさ。
そんな男にとって、自由に気持ちを表現できる女性は、自分勝手に見える。
「パスタが食べたい」って言えない男は、「うどんが食べたい」って言える女性を、ワガママと見てしまう。でも本当は、男が自分の意見を素直に提案できたなら、当然、女性だって妥協できる。提案がないならば、女性の見えてない側面を見る機会もない。
女性は世間からいろんな役割を押し付けられる。回復役・職場の華・指示される弱い立場…
タクシーの運転手が女性相手だと横柄な態度に変わる、って話は有名だ。
「女だから」と、ぞんざいに無理に枠にはめて人間らしさを奪おうとする圧力。
それに対抗するには、どんなときでも「まず自分」を優先できる強かさが必要になる。
強さは自分を守ってきた証だ。心折れて社会に屈伏せずに、大切なものを護りきれる人間性は「こんな人の隣にいられたら」と思える美徳だよ。
ときに言葉さえ飛び越えた、全面的なコミュニケーションによる、お互いへの深い理解があり得るんだ。
そういう精神的結びつきは、掛け替えのない充足と、愛し愛される喜びを与えてくれる。本当に幸運でないとそれが出来るパートナーに巡り会うことは出来ないけれど、もし恵まれたのなら、得られるものは——私見だが——単なるセックスとは比較にならないほど意義深いものに感じられる。
ただ短い時間、となりにいるだけなら、“干渉しない” で事足りる。
察すること、察してほしいというシグナルを送ること。現在の関係性に甘えずに、アグレッシブにコミュニケーションを重ねて、より高いレベルでの信頼関係に至った2人の生活は、信じがたいほどに滑らかに回っていく。本当の幸福はそこにある。
うちに泥棒が侵入した疑いがある。祖父が寝室にしまっていた金がなくなっている。
防犯カメラは1台だけ設置してある(ただの興味だから防犯目的ではなかった)。録画映像には確かにそれらしい人物が映っていた。
被害は祖父の金だけの模様。祖父は「面倒だしもういい。警察には届けるな」というから何もしていない。
確かに、あいつら警察は私ら愚民の言うことなど聞きはしない。警察に何を言ったところで金は返ってこないし、たとえ防犯カメラの映像を提供したって次の被害を防ぐのは無理だろう。
防犯カメラに不審者が映っていたという話をお隣さんに言ってみたら、なんとお隣さんは防犯カメラを4台も設置しているという。
憤怒を「ふんぬ」って読むのがどうしても滑稽に聞こえて読み辛い。