はてなキーワード: 視覚効果賞とは
ゴジラ-1.0、アカデミー賞視覚効果賞ノミネートおめでとうございます。
アメリカでの公開当初、最大瞬間風速でジブリが一位、ゴジラが二位をとったんでしたっけ。ロッテントマトの評価も高く、米国で公開された非英語映画としても興行収入で歴代5位となり、世界興行収入1億ドル超え、圧倒的公開映画館の差にもかかわらず興行成績でディズニーのウィッシュに迫りそうな勢いのようです。
海外の反応を読んでいると、人間ドラマパートがよくできているという意見をよく見かけます。トラウマからの克服、家族の再生の物語……。アメリカ人には伝わってないんだな、そして、伝わらなくてもいい、それぞれ受け取り方が違ってもいい、良い映画なんだなと改めて思います。
海外で意識高い系の厄介オタクが解説とかしないんでしょうか。ゴジラ70周年にふさわしく、放射能に始まり放射能に終わる、眼に見えぬ脅威が全面に出てたゴジラ映画だと思いました。
以下は私が受け止めた個人の感想なので、間違ってても笑って流してください。
生きて、あらがって、終幕のあとたぶん二人はすぐに結婚するでしょう、でももう二人は永くはない。井伏鱒二を知る日本人にはそれがよく見えるが、海外の人には見えてない。最後の映像であえて映された典子の首筋の黒い瘢痕、そして黒い雨を浴び、あれほど高濃度の放射線の発生源に降下した敷島。熱戦発射時のゴジラなんてチェルノブイリの象の足みたいなものでしょう。たぶん健康で生きていられる時間はふたりともそう残されてはいない。
たぶんあのあと、二人を亡くしたアキコは澄子さんとともに生きていくことになる。
保護者がいてよかったと思います。そして圧倒的な災害下における我々日本人の『もちつもたれつ』『困ったときはお互い様』のこころを描きたかったのかなとも思います。
ラストで悪しきものの復活を示唆するのは、ジュラシックパークなんかでもよく見たモダンホラーのテンプレですが、あれは気づかない人向けラストでしょうか。わからない文化圏、教育的素地の人にはあのモダンホラーのテンプレがラストとして機能するのかな。でも、病室のシーンで永くはないであろうことが“わかって”しまう我々には、その二人の余韻だけでもうなんかこみあげてくるものがあってたまらない。あえて首筋をじっくり映してたあたり、監督の意図はあきらかにそこにあったのではないかと思います。
全然関係ないけど25才ぐらいのとき、新聞社の仕事で特攻隊員の生き残りの人にインタビューしたことがあります。正確には予科練生。特攻に出る前に終戦になり、広島に帰ったら家も親も何一つ残ってなかったと言っていました。予科練で、次に特攻に行く人はもうだいたい訓練生のなかで決まっていて、誰が行くか!って上官が問うたときに、行かないひとはみな一歩下がる。だから行くと決めた人だけが前に出る(残る)形になる。行くか、と問われて、皆の前で行かないなんて言えるはずもない。だから実際のところ、志願と言いつつ本当の志願ではないのだと。
……このあたりはどの本でも読んだことがないからたぶん現場にいた人のなまの声じゃないでしょうか。私は聞いただけで、実際のところの真偽はわかりません。
それでも本当の志願でなくとも、『米軍が本土にきたら男は殺され女は犯され女も子供もみんな死ぬ。どのみちみんな死ぬなら、自分たちが止めるしかない』という決死の思いは共通でみな持っていたのだと言います。
映画のパラシュートは、脱出ポットに言及された伏線とコックピットを見た橘さんの目線からそうくるだろうなと思ったけれども、実際のところあの時代に実戦配備されて、パラシュートで敵陣の海中に降りても無意味だろうなとも思います。引き上げてくれる味方がいなけりゃ100%溺死するだけだろうし。人間魚雷回天とおなじく(靖国神社の遊就館で見られます)非人道的な武器であり思想であるけれども、『自分たちが止めるしかない』というかつての予科練生の想いは、そのまま劇中の『誰かが貧乏くじをひかなきゃならない』という秋津さんや元海軍の皆さんの言葉につながります。
そういえばyoutubeで見られるんですよね。当時の米軍が記録していたと思われる神風映像。私は見るたびに泣いてしまいます。
https://youtu.be/yN-zEpXwf4s?si=stYhOmHLazLrLV0o
ちなみに『男は殺され女は犯される』という言葉、戦時日本のプロバガンダだと思いきや、20世紀末に旧ユーゴスラビアで実際に起こりました。民族浄化っていいます。その後もコソボなどで起こりました。語源は第ニ次世界大戦中だとも言われています。
インタビューをしたあの方は、まだご存命でいらっしゃるでしょうか。もう亡くなられているのかな。連絡先ももうわかりません。
特攻隊や特攻隊員がゴジラと同じくフィクションの世界に住人になっていく。
でも、『自分たちが止めるしかない』『誰かが貧乏くじをひかなきゃならない』と生き方を決意した方々がいらっしゃったからこそ、今の我々が在る。
大戦後、ビキニ諸島での原爆実験を経て産まれたゴジラが、福島第二原発を経て70周年にこういう形で結実する。素晴らしい映画を映画館で見られてよかったなと思います。世界的な興行成績の成功もおめでとうございます。
要するに受賞者を選ぶ際には、作品の出来で選ぶのではなく、黒人と白人が均等になるように配慮しようという考え方である。
だがちょっと待ってほしい。
オリンピックの100m走で、アジア人の金メダルが少ないからアジア人に金メダルを割り振ろうと考えたことがあるだろうか?
ない。実力で選ばれるのが本来の栄誉だ。
アカデミー賞というのは要するに政治的な賞なのだ。政治的にイケていれば、賞が取れる。だからこそ娯楽に徹した大作は作品賞をとれない。
アベンジャーズキャストにアカデミー賞を散々盛り上げてもらうようにお願いしつつも、作品賞だけは絶対に与えない。
作品賞ではなく、どうでもいい録音賞だの視覚効果賞だのでお茶を濁す。「いやーすごい爆発だったねえ。いやーすごいメイクだったねえ」と、ごみのような評価で、実際に面白い映画であっても作品賞は与えなかった。
だからこそ、スティーブン・キングの「クオリティだけで判断してる」というのは「嘘だ」と言いたい。
しかし、建前としてはそれが正常だ。
だというのに、ポリコレにかぶれたバカどもは「多様性が重要だから。キングは間違えてる。老害だ」とか寝ぼけたこと言いやがる。
それどころか、底辺ポリコレ作家になると、一作や二作、幸運で作品を世に出した後は、延々とポリコレで世の中の作品を断罪するだけで、まともに作品も作らず、作家でござい、って顔してやがる。
この作品はどうのこうのとか、大御所ぶってる暇があったら作品を作れ。
大体、アカデミー賞が公平な選考を行ってるとは全く思わない。ダークナイトに至ってはノミネートすらされなかった。
しかし、それであっても建前だけはきちんとしていないといけないのに、ポリコレの馬鹿どもは、そのことすら忘れる。
今年は何が受賞するかな?
確実にあの作品は受賞しないだろう。
アメコミで、悪役で、インモラルで、反ポリコレだから。主演男優賞と脚本賞と作品賞は最低でも取らないと、賞の品位にかかわるが、絶対に作品賞は受賞しないだろうなあ。
有名な「このマンガがすごい!」とか何アレ。オトコ編とオンナ編でしか分かれていない。ただの書店員のオススメ漫画見本市でしかない。
アメリカ見てみ?映画産業や音楽産業が文化だって誇り持ってるからアカデミー賞だってゴールデングローブ賞だってグラミー賞だって事細かにさまざまな部門に分けて賞を作って選考している。尖った感性の作り手もちゃんと正面から拾い上げて審査しているのだ。
Wikipedia参考にアカデミー賞にどんな部門があるか見ていこう。
録音賞
衣裳デザイン賞
特別賞
このように総合的に一番良かった作品を決める「作品賞」の他に、ちゃんと映画の技術を評価する賞がいくつも存在しているのだ。
しかし、日本の漫画賞には漫画の技術を評価する賞がいまだにない!
だから「この描写方法は誰々が発祥」など起源議論がネットで耐えない現状もある。
アカデミー賞に当てはめて、日本漫画アカデミー賞を作るとしたら、各賞はこんな部門になる。
美術賞…優れた背景・小道具・大道具・機械美術、デザインに贈られる賞
短編漫画賞…20ページ以下で完結する優れた短編漫画に贈られる賞
衣裳デザイン賞…優れたキャラクターの衣装デザインに贈られる賞
長編ドキュメンタリー賞…50ページを超える実録・ドキュメンタリー漫画に贈られる賞
短編ドキュメンタリー賞…50ページ以下の実録・ドキュメンタリー漫画に贈られる賞
キャラクターデザイン賞…優れたキャラクターのデザインに贈られる賞。
ノミネートされる作品はその年に発表された回、その年に終わった漫画。ただし長期連載漫画の場合は「○○編」といった形でのノミネートや、「ちょうど○○が告白して区切りがついたから第○話から第○話までのエピソード」という形での年またぎノミネートも認める。よって前年までに候補になった回は落とされる。
もちろん本家アカデミー賞と同じく、一つの作品が複数の部門でノミネートされて五冠、六冠取ることも想定している。
漫画は立派な日本文化なんだから漫画技術を評価するために、漫画出版社は漫画アカデミーを立ち上げて今すぐにアカデミー賞の選考を始めるべき。
有名な「このマンガがすごい!」とか何アレ。オトコ編とオンナ編でしか分かれていない。ただの書店員のオススメ漫画見本市でしかない。
アメリカ見てみ?映画産業や音楽産業が文化だって誇り持ってるからアカデミー賞だってゴールデングローブ賞だってグラミー賞だって事細かにさまざまな部門に分けて賞を作って選考している。尖った感性の作り手もちゃんと正面から拾い上げて審査しているのだ。
Wikipedia参考にアカデミー賞にどんな部門があるか見ていこう。
録音賞
衣裳デザイン賞
特別賞
このように総合的に一番良かった作品を決める「作品賞」の他に、ちゃんと映画の技術を評価する賞がいくつも存在しているのだ。
しかし、日本の漫画賞には漫画の技術を評価する賞がいまだにない!
だから「この描写方法は誰々が発祥」など起源議論がネットで耐えない現状もある。
アカデミー賞に当てはめて、日本漫画アカデミー賞を作るとしたら、各賞はこんな部門になる。
美術賞…優れた背景・小道具・大道具・機械美術、デザインに贈られる賞
短編漫画賞…20ページ以下で完結する優れた短編漫画に贈られる賞
衣裳デザイン賞…優れたキャラクターの衣装デザインに贈られる賞
長編ドキュメンタリー賞…50ページを超える実録・ドキュメンタリー漫画に贈られる賞
短編ドキュメンタリー賞…50ページ以下の実録・ドキュメンタリー漫画に贈られる賞
キャラクターデザイン賞…優れたキャラクターのデザインに贈られる賞。
ノミネートされる作品はその年に発表された回、その年に終わった漫画。ただし長期連載漫画の場合は「○○編」といった形でのノミネートや、「ちょうど○○が告白して区切りがついたから第○話から第○話までのエピソード」という形での年またぎノミネートも認める。よって前年までに候補になった回は落とされる。
もちろん本家アカデミー賞と同じく、一つの作品が複数の部門でノミネートされて五冠、六冠取ることも想定している。
漫画は立派な日本文化なんだから漫画技術を評価するために、漫画出版社は漫画アカデミーを立ち上げて今すぐにアカデミー賞の選考を始めるべき。