はてなキーワード: ディストピアとは
「探検ドリランドしながらロングブレスダイエット」の続き。
課金なしの場合、「完全に一本道」&「たたかう」しかコマンドがないドラクエという印象。
持ってるカードがすべてで戦略とか全くないから一人で黙々とプレイしているとすぐに詰まる。なにより全く面白くない。
改めて思うけれど、ドラゴンクエスト1ってのは、一人旅であそこまで盛り上がるゲームを作れたという意味で神だと思う。
とにかく、一人プレイというのは、かなり知恵を使わないとすぐに行き詰まりになる。これがポイント。
仲間が増えると一人プレイでは考えられなかったくらいに可能性が広がる。
仲間がいれば強いボスでも何とか倒せる。
みんなで壁を乗り越えるという体験は相当気持ち良いものだろう。
一人プレイの侘しさはプレイヤーがすぐ実感することになるし、後述するが仲間になるデメリットも無いので申請しやすい。
非コミュ(死語)の方でも機械的に仲間を増やすことが可能だ。(この部分がドリランドが一番人気である理由だろう)
ちなみにネトゲだと仲間に手を貸すのは面倒だが、ソーシャルゲームの場合、仲間登録さえしていれば勝手に協力する。
協力しあうメリットだけがあって、協力するための手間を削っているため、まずます協力し合うことが魅力的に見える。
さらに、リアルやネトゲーと違ってみんなで分けると経験値が下がったりとか、一人あたりの取り分が減ったりということもない。
一人だと1000万円の会社しか作れないが、みんなで出資したら1億円の会社が作れて、しかもみんなが1億円分の持分があるみたいな不思議な光景。
他人の存在は純粋にプラスという、今時ポジティブ教でもここまで性善説に満ちた世界はイメージできないよ、というくらいの仲間至上主義。
いやー仲間って本当にすばらしいもんですね。
・人が人を脅かしたりものを奪ったりは原理的に不可能。PKとかなにそれおいしいの?他人とは仲間として協力し合う以外の関わりを持たないよ。
・世界のリソースは無限にある。協力しあって一人では倒せないボスを倒せればいくらでも手に入る。
自己啓発のセミナーで5時間くらいかけて語る「理想の世界」がこの世界では当たり前のように実現している。
何者にも脅かされない。ただ、勤労(目の前のボタンをクリック)しているだけで友だちが増えて、みんなに認められて、世界が成長していく。
高度経済成長期の日本ってこのくらい幸せな世界観を持ってたのかもしれないなー、とか思ったり。
弱いやつからすれば、強い奴の仲間になってオコボレを頂きたい。
そいつらが育ってくれて将来的に貢献してくれるなら、十分に元は取れる。幸い育てるのに大して手間はいらない。
かくして下っ端の間はみんなが自分を助けてくれる。引っ張り上げてくれる。
上の立場になっても成長していってる間はみんな自分を尊敬してくれる。
勝利し続けている間はみんなが自分を慕ってくれて、自分のためにいろんな貢献をしてくれる。
このあたりはすごく楽しいと思う。
順調に成長している間は、チームとか組織って多分すごくキレイなんだと思う。(まぁ成長の段階で既に争いのタネがいっぱい出てくるわけだが)
まぁ実際はそれほど甘くはないですが。
「ルーキーズ」がどんだけ仲間至上主義でも野球は9人しかスタメンになれないのと同じ。
このゲームも一番美味しいところにありつける(同時に最前線で戦う)スタメンは10人まで。
スタメン枠はできるだけ強いやつで固めたい。オコボレだけ欲しがってるような奴はいらない。
この世界には人間同士に「敵・味方」はいないけれど、「上・下」は厳然として存在する。
上のものは上のもので、同レベルの仲間や下のものに十分な褒美をやらなければ見捨てられてしまう。
このゲームはとにかくカードしかないからその報奨を用意しなければいけない。
※このあたりから「共和制ローマ」がいかにして出来上がったか、みたいな話をしようと思ったがさすがに説明が面倒なので省略
しかし、上になればなるほど常に戦に勝って何かを獲得し、供給し続けなければいけない。常に成長し続けなければいけない。
ところが、十分成長した後は、課金なしだと敵だけどんどん強くなって、こちらのレベルも戦力もなかなか伸びなくなる。
・・・このあたりから多分なにか狂い始めるんだろうと思う。まだそこまでいってないからわからんけど。
こういうゲームにおけるレアカードはあくまで「借金」であって、依存すると危険な感じがする。
一度借金に頼り始めると、あとは地獄まで一直線みたいなやばげな匂いがプンプンするぜー。
ソーシャルゲームは1アイデアで極めてシンプル。しかも組織の人員の上限が決まっている。
しかもそのポテンシャル上限はあっという間に到達するし、最初から目に見えています。
そのあとは組織の衰退と、組織内での生き残りを欠けた内ゲバが待っている。
関連企業や下請けからプラスの要素だけ吸い上げてマイナスは押し付けるという
延命を図るための腐りきった仕組みも可能であるけれども、ゲームではそういうPKよりもえぐい行為は禁じられている。
故に、どこかで見切りをつけて次の舟に移る必要がある。
もっとも、ソーシャルゲームの場合、GREE社長自らが言ったように他の船はどれもコピペみたいな内容で
どこに移ってもそう代わりはないので、一斉に反映して一斉に沈没すると思われる。
あの発言って生態系とか無視して自然破壊をする悪徳社長の発言だと思うんだけれどうわなにをすr
起業家とか、ネトゲのギルマスとかの楽しさを苦しさを象徴的に理解するには良いゲームなんじゃないかと。
リアルの痛さもないし、あくまで象徴的な意味しか分からないけれど、
ゲームだけに、人情とか付き合いといったごまかし一切抜きでみんなデジタルに行動するので
むしろ百戦錬磨の実際の経営者とかがプレイした方がズシッと来るかもしれない。「リアルより難しい」とか唸ってしまいそう。
最終的には狭い選択肢と厳しい条件ではにっちもさっちもイカなくなることを学ぶゲームなのかもしれない。
あるいは「胴元」がいるゲームは絶対にプレイしてはいけない、ということを学べるかもしれない。
つまり「このゲームを始めた時点で負けが確定していた」ということを痛感することになるだろう。
そして、いかにこういう「負け戦」に巻き込まれないように知恵を使うかとか、
打てる手の幅を広く確保することがいかに重要か、とかも考えるようになるかもしれない。
他にも、複數のソーシャルゲームを回しているなら、「EXIT」をどこに設定するか、といった知恵も身につくかもしれない。
ソーシャルゲームから学ぶことなど何もない、という大人の声もあるが、
部活でリーダーシップ発揮したり、バイトを経験したことがない息子に社会を学ばせたりするならアリじゃないかと。
もっとも、リアルで組織運営とかリーダーシップを行なっている人には全く不要であることは間違いない。
タイトル修正しました。最初は「バッドエンドしか見えないゲーム」というタイトルでした。
これはやってて「Hunter×Hunter」というよりは「狂死郎2030」あたりと同じディストピア臭を感じたから。
洗脳された下層市民が嬉々として国家を崇め奉り、喜んで勤労奉仕に励み、
上級市民が下層市民の尻を叩いて積極的に上層部の搾取を助長し、下層民から搾取して国家を動かす上層部の人間は権力争いで汲々としている。
「狂死郎2030」の世界では、結局レジスタンスやらなんやらで国を変えていこうという試みはすべて失敗して、主人公とヒロインが逃げ出すのが精一杯だった。
自浄作用も機能しない、自壊していくのを先延ばしにしてるだけのどうしようもない世界。
誰も幸せそうでないあの世界。ある意味下層民がもっとも幸せで、頑張って成長するとどうしようもなく行き詰った世界の現実に気づくという構造。
ここまで書くと言いすぎだと思ったから辞めたわけだけれど、まぁ蛇足だからいいよね。
参考リンク
娘の自虐癖が治りません。来年中学校にあがる娘のことで悩んでいます。高学年になったのでもう子どもの目から隠された社会の仕組みを学びたいというので、ディストピアSFを1000冊だけ選んで読ませたのがいけなかったらしいです。
私が偶然にも現場を押さえなければ家族の知らないままずっと鬱っていたかもしれません。優しく宥めて、若い世代の手でディストピアは止められると言い聞かせました。それでもまだ隠れて絶望していたようで、先日、夫が夜中にトイレに隠れて泣いているところを発見しました。
このままでは十代なのに社会に失望するとかそういう「メンヘラ少女」になってしまいそうで不安でなりません。一人娘ですし自信を持って育ってほしい。いずれは然るべき職に就いてもらいたいと思っています。
最近、ライフハックなるものがあることを知りました。たゆまぬ自己研鑽を続けると自虐防止になるそうです。紹介してくれるブログを読み漁りましたがどこも胡散臭いです。消毒すればハックル先生もブチ切れそうです。現に京都のほうでははてなとか普通のインターネットでやってるそうです。ライフハックを押し付ければ、励ましで自信をつけてやるより痛さがある分だけ心のほうにも影響がありそうです。親からの強要に反発して自虐をやめてくれればと思います。娘に言ったところうつろな目で力なく見上げるだけでした。もし自虐をやめないなら次は本当にやらせると釘を刺しましたが、そこまで無理強いしても反抗のそぶりも見せません。いつの間にこんな消極的な娘になってしまったのかと愕然としました。これも自虐の悪影響なんでしょうか。夫も逃げ回って話を聞いてくれません。娘はもう二度と自虐はしないと自虐的に約束しましたが、それ自体、裏切られています。本当に自虐をしないか確かめる方法はないでしょうか。
またなんか少しは無しが変わった気がするが
ちなみに、ここでは単純に子供がいるかいないかについてのことを言っているのではない。
についての話をしている。
人間を再生産することを社会の役割として認め、その社会の構成員として義務を果たすのならば、社会からの恩恵を受けても良いと思うが、
そんな思想チェックをパスしようがしまいが
種無しは種無しだし
行き遅れは行き遅れだし
生理上がってるもんは上がってるし
最初述べてたように「子無しは最低な奴」として
年金もらえず懲罰税や懲罰課役とかあれば持っても60前後で死ぬし
それは「受け入れてやる」とか「死ぬかどうかは経済的な問題」とか詭弁を弄しても実際的なディストピアだし
死と切断しかない社会からはどっちにしろ逃げ出すしかないんじゃないのか
子無しは結構居るしこの失政と不況の下では更に増えるだろうから
最近ツイッターでよくRTされている根拠のないようなことに対して、それをいちいち調べてデマだって解き明かしたりするのが(大体そのあと発言者やRTした人を情弱とかいって叩いて優越感に浸るまでがワンセット)一部で流行ってるけど正直気持ち悪い。
例えばちょっと前の『事故にあって血液が足りません、RTして手助けできる人は手助けしてください』みたいなのはまあ警察やら病院やらに迷惑がかかるしそりゃあよくないとは思う。
ただその、ちょっと見つけてびっくりしたとか(結果として)間違いだったけどそう思ったとかいうことを書いて、それが勝手に広まっていって、よくよく調べてみたらそれは違っていましたみたいなことに対していちいちそんなに目くじら立てなくてもいいのになーとは思う。
例えば(勝手に例にして申し訳ありません)http://twitter.com/maconn/status/12026799800←このpostを調べた結果こんなことはなかったとする。そうしたら上記の方々の論理でいけばこのpostした人は叩かれるだろう、そんなことはなかったのだから。
あとこれをRTしたたくさんの人々も。
だけどさ、(引用って書いてあるので仮に、としますが)この話をどこかで聞いて、ふと思い出したりなんかして、何かしら思うところがあってpostして、これを聞いて同様にRTしただけで叩かれるなんてどんなディストピアだよtwitter。
ま、デマが広まるのはいけないことだとは思うしリテラシーが大事なのはわかるけれども、もう少し余裕を持ちましょうよ。
ここ最近ほんとのことだけ書け、自ら裏が取れない話は書いてはならないしRTしてもならないみたいなぎすぎすした空気になってるような気がする。
それでいい情強の皆さんはそれでいいけど俺は気持ち悪いと声を弱にして言いたい。
あと別件だけどここからRT要不要論とかになってくると正直めんどくさいしtwitterが続く限りもめ続けると思うので語りたい人は勝手にやってくれ。
そんなことを言うと、実在する女子/男子の方の手ほどきを受けなければ知識が豊富にはならんわけで、フェミの人からすればそれはディストピアではないのか。
そういう作品に出てくる主人公は、管理社会とかそれを統べるオーバーロード的な存在を倒し、
自由とか自分達で選択する権利みたいなのを掴み取ろうとしたりするけど、
それに何となく共感できない。
状況や設定にもよるけど、住民達が結構幸せそうに暮らしてる社会を打破して、
混乱を呼び寄せてどうするんじゃいっていつも思う。
主人公側は大体こんな事を言う。
「自分の頭で考えろ」
正否や禍福を問わず、自分で考えて、自分を信じて行動した結果に得られるものが大事なんだと。
本当にそうか? なんか違うんじゃないか?
対してオーバーロード的な連中はこんな事を言う。
こっちの方が納得できる訳ですよ。
いや、そこに極端に酷い政治や洗脳が行われてるのなら革命しようぜって気持ちも分かるけど、
結構まともに住民達が暮らしていけるなら別にいいんじゃないのかなぁと。
仮に自分の頭で考える事なんかが全く無くったって、それに何の不都合があるのか?
社会に依存しすぎると、その社会が消滅した時に、何にも出来なくなるから・・・みたいな感じなんだろうか?
わかんねー。
http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/fl20100202ad.html
非日本人の参政権と人種差別(Non-Japanese suffrage and the racist element)
By DEBITO ARUDOU
1月17日、平沼議員は同じ国会議員の蓮舫議員について「言いたくないけれども、もともと日本人じゃない」と発言した。
相手のアイデンティティに対してこれほどまで厳しい非難をぶつけた所以ははたして何なのだろうか?
与党民主党の蓮舫議員は、資金を要求するお偉方に対して「(コンピューター性能で)世界一を目指す理由は何か。2位ではだめなのか」という簡単な質問をした(それが彼女の役目である)。しかし、平沼議員はこれについて「政治家として不謹慎だ」と指摘。
はたして実際に不謹慎なのだろうか?他の政治家達がこれよりもよっぽど馬鹿らしい質問をしているのを私は見ている。また、財政の厳しい今のデフレ社会で、官僚に正当な理由を求める事は十分合理的と言えるだろう。
実際に不謹慎な質問をして晒し者にされるのは別だが(不謹慎か否かは個人の解釈にもよるが)、国に対して、そして代表者としての国民に対しての責任感を、非日本人のルーツ(蓮舫議員は台湾人の父と日本人の母を持ち、後に日本国籍を選択)を持つというだけで疑われる事が人種差別以外の何だというのか。それも国会議員からだ。
予想通り平沼議員は主張を撤回してきた。まず最初にマスコミがセンセーショナリズムとして取り上げた事を批判し、また蓮舫議員は日本人であるから人種差別には当らないと主張した。
誰か平沼議員に、自民党が与党だった1996年に日本政府が批准した国連条約に記されている公的な「人種差別」の定義を教えてやってくれないだろうか:「人種差別とは、人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するものをいう」(人種差別撤廃条約、第一条1)
つまり、蓮舫議員の家系・民族・生まれを取り上げて彼女の信用を疑う平沼議員は、どう転んでも「有罪」となるのである。
しかしこの背景にはより大きな問題がある。平沼議員の爆弾発言は日本の極右が持つ不可解な権力の徴候とも言える。
彼は以前、2006年に「危ない!人権擁護法案:迫り来る先進国型値全体主義の恐怖」という本を通じて人権擁護法案を潰しにかかり、同署でも「人権擁護法案は日本を滅ぼす」と主張している。また同じく2006年に女性天皇は認めるべきではないとし、「仮に愛子様が留学なさって、青い目の男性と恋に落ち、そのお子様が天皇になられることは断じてあってはならない」と、人種差別と女性差別のダブルパンチを炸裂させた(何故女性天皇は男性天皇よりも強欲な外国人に弱いと決めつけるのか?)。
2008年に国籍法が改正され、その数ヶ月前に最高裁が違憲と判決した父親の認知に関する方の抜け穴が修復された時も、平沼議員は必死に止めようとしたが成功しなかった。彼は、両親が結婚していない子供に日本国籍を与えてしまうと、「日本のアイデンティティを弱めてしまう」と主張した。
しかし彼は今だこりていないらしい。今度は今年国会を通過する可能性のある、永住権取得者への地方参政権の授与に対して必死に抵抗している。
このコラムが永住者への参政権授与に関して賛成である事は言うまでもないだろう。在日韓国人や中国人等、50万人近くの特別永住者は日本で生まれ育ち、ずっと納税し続けてきただけでなく、彼らの祖先は過去に日帝の国民だったという経歴があり、戦争のため日本に強制的に連れて来られ、国のために貢献し、中には死んでいった者達もいる。その子孫である彼らが日本国籍を得ていないなど、他のどの近代国家でもそんな事は絶対に有り得ない。少なくとも以前は所有していたのだから。
そして今度は更に50万人ほどいる通常永住者(いわゆる「ニューカマー」である)がいる。日本の役人達の、妨害的とも言える裁量(Zeit Gist May 28, 2008)によって妨げられているにも関わらず、彼らは長く複雑な道をたどって(中には20もの年月をかけ)永住権を取得している。
これほどの年月と労力を費やして永住者として日本社会と同化した彼らに、選挙も含めたコミュニティ活動に参加する権利が与えられるのは当然の事ではないだろうか。少なくとも他36ヶ国では外国人に参政権が認められており、それらの国は別に崩壊の危機に瀕してなどいない。
しかし、平沼議員を筆頭とした反参政権活動家はその逆を主張する。日本では政治的な話題は大抵温和なものだが、右翼が必死に行う排外活動が見せる黙示録的ディストピアの幻影は強烈なものだ。
彼らが言うに、外国人に参政権を与えると、日本は釣り上げられたマグロのように切り刻まれ、沖縄は中国領になり、日本政府は北京に牛耳られ、また平沼議員は韓国が対馬を併合するだろうとまで言っている。日本にとって外の世界は敵だらけという訳だ。
彼らは、非日本人が参政権が欲しいのなら帰化するべきだと言う。確かに正論だが、私自身の経験から言わせてもらうと、そんな簡単に帰化できるものではない。手続きはあまりにも専横で、場合によっては日本人ですら審査が通らないのではないかと思うほどである。理屈はよくわからないが、これで外国からの脅威は中和されるらしい。
しかし、蓮舫議員の非日本人としてのルーツを非難した事で、平沼議員はこの「帰化すればいい」という主張が嘘である事を自ら曝け出してしまった。
蓮舫議員は日本国籍を選択しただけでなく、日本の一級大学を出ており、ニュースキャスター・ジャーナリストとして日本の社会に貢献し、また国会議員として同じ日本人から表を得て当選までしている。
しかし平沼議員にとってそれらには何ら意味はなく、心が日本にあっても血統的には彼女は外国人であり、これは永遠に変わる事はない。
ここで平沼一派の偏屈な主張が嘘である事が証明される。たとえ彼らが何をしようと、外国人は決して信用できるものではない。「真の日本人」の言う事に逆らう者達なら特に、だ。
何故日本ではこれほどまで露骨な人種差別的主張がまかり通るのか?それは、日本の政治のマーケットにおいてマイノリティには主張権がろくに与えられていないからだ。商品であろうがアイディアであろうが、どのような市場であってもそこに壁を作ってしまうと極端で常識外れな価値観が発生してしまう。しかし市場をオープンにすれば、問題は自然解決する。
熱狂者達が一番恐れている所は正にこれだ。「よそ者」を恐れているだけでなく、一般市民の恐怖心を煽る事で票を集める事が出来なくなってしまうという恐れ。「よそ者」を受け入れてしまうと、今まで横行されてきた極端なイデオロギーを持つ者達は、新しく生まれた有権者達と彼らが提供する多様な価値観を許容、もしくはそれに対してアピールできなければならない。
非日本人の永住者に選挙権を与える一番の理由はそこにある:日本の排外主義者から力を奪い、こういった差別者や偏屈者どもを政界から叩き出す事だ。次に平沼議員が人種差別的な発言をした時に、それに影響された人々が次の選挙で彼を落選させられるだけの影響力がある、そんな仕組みがあるべきである。
えー。いやそらあなた、第一次大戦後の超インフレに襲われたドイツだって「国家消滅」なんてなことにはならねーわけだから
「終わる」って言葉は扇情的で信頼がおけない、という話はわからんでもないけどさあ、経済が大きな損失を被る過程で
「毀損されるもの」「失われるもの」を考えて下さいと言いたい。「経済危機で国家消滅とかしねえんだから大したことねーよ」で、
日本がマジに崩壊しない限り経済学的に間違った政策を実行し続けるってのはヤバいよ・・・。正直おれはやだぜ、そんなディストピア。
我々は長期的には皆死ぬわけですけど、だからこそ死ぬ前にどうにかせにゃならんのですよ。
Before We Are All Dead!
開始時刻に少し遅れて着いたんですが、600人収容の講堂はすでに立錐の余地もない状態。
中継会場も立見席しかない状態。
こんな「ウルトラ怪獣大行進」というか「フェラーリVS朝青龍VSミトコンドリアVS標題音楽」のような異種格闘技戦企画にこれだけの人があつまるなんて驚き。
まるで興味のなさそうな大学生カポーが座席でいちゃついててむかついた。
シンポジウムはあずまんがひととおり趣旨を語った後に、『アーキテクチャの生態系』で名をあげた濱野智史の基調講演その1で幕開。
この手の議論になじみのない人に配慮したせいか、ネットに広がるアーキテクチャ(地平)はリアル世界の建築アーキテクチャと違って無限だよ、という話とある意味アーキテクト(設計者)がないネットは「人工」でありながら「自然」だよというベーシックな話を平易に語ってた。
すかさずあずまんが「ようは自然に見えるから人工のアーキテクチャに対して批判ができなくなってるのが問題なんだよね」とそんなこと濱野氏はひとこともいってないのに強引にまとめる。
まぁ、彼らの議論はそういうところにあるんだからいいかと思うけど、会場から微妙な失笑も。
つぎはうのたんの基調講演。
白いスーツで登壇した宇野タンですが、緊張してるのかビビッてるのか異常な早口でまくし立てる。
挙動不審といってもいいくらい。
内容は「ゼロ年代の想像力」をふまえつつ、アーキテクチャもいいけど、倫理的・実存的な問いも大切だからその両輪でいこうよという話にきこえた。相変わらず「母性のディストピア」がどうとか「悪い場所」がどうとかマッチョな説教がうざかった。
だんだんわけわかんない話になってきて、会場が「空気嫁よ」というふいんきに満たされる。
これもすかさずあずまんが強引うまくまとめる。
あずまん頭いいよ!!
ウノたんのえらく冗長な話を一発で簡潔にまとめる力。おそるべきプレゼン力。
つまんなかったのか「だいたい今日の趣旨とか聞いてない。宇野とか濱野とかよくしらねーし。
いろいろ言ってるけど、あんまり新しいことを語っているように思えない。だいたい今も昔も批
評の場所もないんだよ。マルクス主義が失敗した時点で!」とツン発言。
なんかこのシンポジウムはどこに行くんだろうと思ってたら中継画像が切れる。
復旧の見込みがないので、立錐の余地のない本会場に突入。
しかし、全般的にこのシンポジウムはロジが最低だった。
ついたときには磯崎新が「アーキテクチャ、アーキテクチャってうるさいよ。なんでもアーキテクチャっ
ていうな。定義汁」といい、続いて宮台も「俺も今日の趣旨は聞いていない」と切り出してあとはハイエ
クがどうこうと好き勝手しゃべり、「今日のシンポジウムは失敗なんじゃないの」とまでいう始末。
たしかにそれぞれが好き勝手なことしゃべって論点がまったくぼけてしまい失敗したようにみえたけど、が一番悪いようにも見えた。
宮台の散漫で冗長な話をいっしょうけんめいあずまんがまとめては一本の論点に集約させようとしていた。
結局、あずまんがいうところの「アーキテクチャ」に関してそれぞれがひとつにまとまった問題意識をもっていたわけではないので、あ
まり議論はかみあわず、お題に対してそれぞれが好き勝手にしゃべる場になっていたのは残念だけど、それなりに「アーキテクチャ」
をめぐる「論点」が総花的に提示されたようにも見えて有意義だった。
なぜか「ひろゆき(2チャンネル管理人のね)と公共性」が途中からメインイシューになってたけど、これも「アーキテクチャ」を
語る上ではずせない要素なのかもね。
あと、ウノタンは最初の基調講演と1回しょうもない発言をしたあとはずっと黙ってた。
どうも場違いだったようにも見えた。うのたんの最後のコメントは聞かずに帰った。
3時間立ち見だったので腰が痛い。
付記
うのたんは最後に「6割はどうでもいい話だった」といいはなち、「大文字の公共性はある」と叫んで行ったらしい。
うのたんのいう公共性って「ジャニーズドラマも仮面ライダーも純文学もアニメも語れる俺こそが島宇宙を越境した公
共性の司祭だ。みんな俺になれ」っていう程度のことでしかなくね。
うのたんは会社員はやめないほうがいいと思う。
横増田
その作品の中で何を表現しようとしたか、それがどの程度表現されているかを評価する…
ってのはそうなのだけれど、
パクリかどうかはひとまず置いておいて
とまではいかないな。表現の評価に、作者の言葉か、どれくらいオリジナルの表現か、と言うのも加わると思うから。借り物の言葉では響かないというところか。
逆に言えば、オリジナルの部分の評価が主で、そうでない部分はあまり評価できない。
結構古いんだね。驚いた。
生活維持省は、件のサイトで初めて読んだのだけれど、あれってアンチディストピアかな、と思う。ディストピアはディストピアで悪くないんじゃないの?と投げかけられた気がした。
あの頃にそれを、ああいう方法で投げかけるのはさすがだなと思う。
今、グーグルが攻めている。
「グーグル!」と呼べば、「入れてください」「がんばって探します」「いっぱい見つかっちゃった」
そんな子だった。
しかし、いつの頃だろうか。Picasaあたりからだろうか。
「もっとよく見て」「こんなのもあるよ」「せっかくだから一緒になりましょう」
そんなことを言い出したのは。
思えば素質があったのだろう。しかし。
当時から羊の皮をかぶったビックブラザーだとは言われていた。
高度な分散処理や仮想化を行いながら、表向きは検索しか見せなかった。
それがどうだ。いまや立派なタチである。
「ふふ。本当はこれがほしいんでしょ?」「あら、こんなに使うなんて。便利なんだ?」「私なしじゃいられない体にしてあげようか?」
羊の皮は狼へと変わった。多大な物量とそれを支えるインフラを見せ始めた。
二次ではなく三次だと主張し始めた。
そう、画面の向こうにいる二次ではなく、この町に住む三次だったのだ。
今は、まだ皮をかぶってるかもしれない。しかし、着実に大人への階段を上りつつある。
いつの日にか、その皮を破る時が来るのかもしれない。
選択のときは近いのかもしれない。そろそろ議論が必要かもしれない。
そんな時、何が必要だろうか。
Googleで、できること。
女に人権のない世界、を考えてみた。要するに子作りマシーンセックスの相手としてだけ女が存在する。
その女は匿名でむしろ名前もなくて
養育施設で男女に分けられ、女であればただ成長させられ“仕事”に就く。
家事に相当する仕事、現代的な意味での仕事、すべての労働は平等に分配される。
すべてがランダムで一回きりなので、気を使うこともない。ただ中に出すだけ。ただ横たわるだけ。
もしくは。
女は成長すると
赤 子作りマシーン
青 子供をすでにうんだ子作りマシーン
に分けられる。ある程度の社会的地位のある男は定期的にランダムにあてがわれる赤の女とセックスし、子供を生ませる。
子供ができない男女は核汚染された地域に捨てられる。
この世界で一番人気のある職は「赤の女に子供を産ませる間男」。
もしくは。
「子供を産む」ということが、とても反社会的な行為と捉えられる。子供はすべて施設で生まれ、育てられる。
ひとは結婚せず、常にふらふらと幾人の間を動き回っているのが美徳とされる。
執着することやマイナスの感情はすべてなくす薬を皆が定期的に飲んでいる。
誰でも、相手との合意があればセックスが出来る。
たくさんの娯楽があるが、すべてセックスの前フリ。常に皆が酩酊しているような社会。
ちょっと考えてみたが、すべての男がセックス可能な状態にするよりも、
セックスが限られた一部の人間(それこそ年収3000万以上、みたいなやや非現実的なクラスまで)のものになるほうが
はるかにメリットでかいんだよなぁ。
OKOKちょっと誤解のないよう軽く触れておくと、サークルクラッシャーの話というのは少し違う。何か素敵に機能しているサークルに異分子が飛び込んで掻き回したというより、既にあった問題というか各人の本性を顕現化しただけだから。
ヨイコで描かれるのはコミュ市場社会における最底辺の存在としてのオタクという現実。だから、げんしけんのユートピアに対してヨイコノミライはディストピア……とはなかなか言い切れない。現実的だから。
そもそも出てくるキャラがどれもこれも「どっかで見た/身に少々覚えがある」イタいオタク像というだけでも十分痛い現実なのだが(自称毒舌批評家、前世合宿所女、コニーロリ服、リスカ僕女、売れ至上主義同人作家、理想論無能男、etc.)、そいつらが「唯一オタク趣味という共通の話題」だけを頼りに、余所の何処にも受け入れられない非コミュの身を寄せ合って、自分の見たい面だけを見て上っ面のコミュニティを組んでるという辺りが救えないんだな。
自分のオタク人生を振り返り、自分にもああいうイタい面があったと苦笑するだけならまだいいんだけど、今現在自分が所属してると思い込んでるコミュニティも、所詮はこの手の吹き溜まり、オタ会話だけを頼りに人格なんて何も見ない似非コミュなんではと一瞬考えてしまう辺りが薄ら寒いんだと思う。
多分オタクと縁の無い人が読んでも「きんもー」で終わり。オタクが読むと、なんとも嫌ァな気分になれる。グロ画像をあえて開く系の楽しみが好きなら読んでみてはどうかな。