はてなキーワード: 後期高齢者医療保険とは
という人向けに調べた内容をざっくり書いてみました。
※以下の話は私が加入している「協会けんぽ」の話です。
加入している保険組合で内容が違うかもしれません。特に後期高齢者医療保険はそれなりに違いそうです。
知らない人もいるかもしれませんが、実は今使っている健康保険証(水色のプラスチックカードのやつ。正確には健康保険被保険者証。以下、「従来保険証」)はあと1か月も経たないうちに使えなくなります。
え??大丈夫なの??と思った人。
今持っている「従来保険証」には経過措置期間が設けられていて、特に何も手続きしなくても来年(2025年)12月1日まではそのまま使うことが可能です。
じゃあ、今年の12月2日から一体何が変わるんだ?となりますよね。
基本的にはさんざんニュースなどで取り上げられている「マイナ保険証」のみが正規の保険証となります。
今年の12/2以降は新規加入者へは保険証の発行はされず、事業主の手続き→年金機構でデータ処理が完了したら元々持っていたマイナンバーカードが自動的に「マイナ保険証」としてそのまま使えます。(処理にタイムラグはあるようです)
いやー便利便利♪
と、そこで話が終わればいいのですが、制度上2つほど大きな問題があります
私はマイナポイントがもらえるときにマイナンバーカードを作成して保険証の紐づけまでやっちゃいました。
ただまあ、全国民が「マイナ保険証」を持っているわけではなく、
・マイナンバーカードを作っていても「マイナ保険証」として利用するための手続きをしていない
という人が一定数います。これは良し悪しの問題ではなく、自身の考えであったりいろいろな理由で作っていない人がいるので仕方ありません。
で、「マイナ保険証」を持っていない人はどうなるの?となるんですが、
これも安心してください。
なんと「資格確認書」という「従来保険証」と非常によく似たカードが発行されます。
色は黄色になるみたいです(少しでもマイナ保険証への移行が進むように目立つ色味にしたんじゃないかと邪推してます笑)
「従来保険証」と違い、有効期限があるのとおそらく事業主名は記載がないです。
あと、身分証明書として扱われないです。(顔写真も無いペラペラのカードが身分証ってのも怖いのでその方がいいと思います)
じゃあ、「マイナ保険証」なんて要らないんじゃ、、というのは野暮ですね。
既に「従来保険証」を持っている人で「マイナ保険証」を持っていない人には保険者から「資格確認書」が自動的に発行されます。
どうしても「資格確認書」が欲しい人は「マイナ保険証」の紐づけ解除をそれまでにしておくといいかもしれません。
2.顔認証(実は顔写真データがICチップに入っている)or暗証番号入力で本人確認
4.医療機関に保険情報を通知(本人同意があれば、過去に他医療機関で処方された薬の情報や特定健診情報が医療機関側で閲覧可能になります)
何も問題なければ上記の通信により、(厚生労働省曰く)より適切な医療サービスを受けられるんですが、
顔認証付きカードリーダーやオンライン資格確認用パソコン、病院のネットワーク機器などに機材トラブルが発生することがあります。
そうすると「マイナ保険証」だけでは保険情報の確認ができません。
受診歴があればまだいいのですが、特に新規の患者さんの場合、病院側も目の前にいる人がどの保険組合に加入しているのか判別できません。
そうなると、とりあえず10割負担と言われる可能性が高いです。
自分に落ち度はないのにその日保険適用できず10割支払わされるとか納得いかないですよね?
これもなんと「資格情報のお知らせ」という新しい書類が発行されます。
「資格情報のお知らせ」は実はもう発行されていて、みなさんの手元に届いているのではないかと思います。
機材トラブルで「マイナ保険証」が読み取れなかった場合、「マイナ保険証」と一緒に「資格情報のお知らせ」を提示することで
って、絶対無くしてしまうやつ、、しかもほとんど使わないからそもそもナニコレ?ってなりそうなやつ。
まあ、最悪「資格情報のお知らせ」が無くてもマイナポータルにスマホでログインできれば同じ内容を表示させられるので
それなりにスマホを使える人には無くても何とかなるんですが、、
制度の穴を埋めるために仕方ないんです
制度がややこしいのと、所感とかも書いちゃったのでごちゃごちゃしてしまいました。
一旦まとめますと
・2024年12月2日から「マイナ保険証」のみが正規の保険証となる
・「従来保険証」は経過措置があるので来年の12月1日まで使えるがそれ以降は使えない
・「マイナ保険証」を持っていない人には「資格確認書」が発行され、「資格確認書」で受診
・機材トラブル等で「マイナ保険証」が使えない場合のために「資格情報のお知らせ」がある
厚生労働省の下にいる保険者なのでマイナ保険証推進するスタンスは分かるんですが、資格確認証についてアナウンス少なすぎませんか??
マイナ保険証に関する特設サイトが協会けんぽホームページにありますが資格確認証についてほぼ説明がありません。
まあ仕方ないとは思いますよ?マイナ保険証作らなくても資格確認証とやらがもらえて普通に受診できるなんて分かったら誰もマイナ保険証なんて作りませんからね、、
現代の豊田商事事件が起こったと思った。
元厚労事務次官は「行政官として恨みをかったとしたら本当に気の毒なことだ。理由はわからないけど、年金絡みのテロだとしたら、正常とは思えない許し難い行為だ」と話した。
ってコメントされてるけど、この人たちは「月数万の年金くらいで、人を殺す奴は異常」というコメントに見えなくも無い気がします。庶民からすれば、長い人生の半分を費やして積み立てたカネを勝手に消されたり、天引きされたりすれば、殺したくもなる人も出ると思う。年金の額によっては、後期高齢者医療保険を天引きされたら生活できない賃貸住まいの単身世帯の老人もいると思う。
お金持ちになればなるほど、人生におけるお金の価値が小さくなり、貧乏になればなるほど、人生におけるお金の価値が絶大的に大きくなる。上記のコメントは前者の意見であり、この事件は後者の意見なのかもしれない。
お金持ちほど「世の中お金じゃない」と言い、高学歴な人ほど「学歴は大事じゃない」と言うのと同じだ。
フランスなど、革命が大好きなヨーロッパなどで、これくらいの大きなカネの問題が発生したら、暴動が起こって、もっと人が死ぬと思う。だから、ヨーロッパの福祉は充実しているという意見がある。
日本の政治家は人が死ぬと動きが早い。
豊田商事事件の後にペーパー商法から消費者を保護する法律ができた。秋葉原殺傷事件の数ヵ月後に、日雇い派遣が全面禁止された。校門圧死事件のあとから、日本の校則が次第にゆるくなり、さかきばら事件のあと「生きる力」とか「ゆとり教育」とか言い出した。東大生が「自分の性器から白い液体が出る」と遺書を残して自殺したため、日本の性教育は発達した。
高校生のとき、日本を変えるにはセンセーショナルな発言を残して、誰かを殺せば変わると本気で思っていた。それは政治家になって日本を変えるよりもずっと手っ取り早いと思っていた。今ではそれは危険な思想だと思うけれど、そう思い続けている人もいると思う。
今回の事件と年金問題とは関係ないといい続ける政府関係者の意見に「そんなわけないだろ」とつっこむ人も多いだろう。模倣犯を恐れた各社マスコミの意見にインフォメーションコントロールを感じる。
暴力で訴えることは許されないとコメントがあった。しかし、人が死ぬということほど絶大なメッセージ表現方法を庶民は持っていない。
街頭でオバさん集団がデモをしてもなにも変わらない国なら、誰か殺そうという人も出るだろう。
「官僚国家の崩壊」っていう最近出した本の中にも、官僚機構などにネットワークをはる複合体の人脈を「ステルス複合体」と呼び、その「本尊」は学歴による優越意識に基づく大学同窓などの見えざるネットワークであり、たとえば、東京大学法学部出身者を核とするエリート人脈である、と書いている。
http://d.hatena.ne.jp/yumyum2/20080529/p5
<官僚国家>を牛耳る<ステルス複合体>の得意ワザはズル、ウソ、ゴマカシ。<医療>改革を<健保>問題にスリカエた。元財務大臣の塩川正十郎が「財政の都合ばかりを優先、人間味に欠ける」と批判、元総務会長の堀内光雄が「年寄りは死ねというのか」と「文藝春秋」6月号に寄稿。当然だ。
元自民党幹事長の中川秀直、近著「官僚国家の崩壊」(講談社)で「(ステルス複合体は)学歴(東大法)に基づく自らの身分に誇りを共有する。官僚機構、日銀、経済界、学界、マスコミなど、あらゆるところに巨大なネットワークを張る。この同質的人脈が『空気』をつくり、政策の『相場感』をつくっていく。彼らの醸し出す空気と相場感に反するものは『異端』扱いされるか、無視され、あらゆるエリート層に、予定調和的な言動を強いて、同質化圧力を加えていく」(23頁)と書く。日本を牛耳り、食いモノにしている。
「『ステルス複合体』に政策を任せると、日本は必ずや『日沈む国』となる」(中川・24頁)。
「小泉内閣以来、自民党が進めてきた改革の本質は何か。基本的な図式はよく言われるように、『霞ヶ関対永田町』である。官僚によって、役人天国が形成され、今や、官僚が国政を操り、国を私物化しているという批判は、ある意味で正しい。官僚主導を本来の政治主導に戻し、国民のための政治に戻さなければならない」(舛添要一「霞ヶ関VS永田町」講談社・2頁)。参院政審会長2007年5月の刊行。正論だ。中川秀直も火山も同意見。
http://blogs.yahoo.co.jp/kome_1937/54679415.html
その中川氏は日本が東大法学部を中心とするエリート官僚たちに巧妙に支配されており、政治が官僚をコントロールできていないことが、日本の改革が進まない最大の要因であると主張し、改革に反対するエリート官僚たちを厳しく批判する。選挙の洗礼を受ける政治家は、政策の失敗に対して責任を追及されるが、官僚たちは、匿名のまま、政策を作成し、それが失敗に終わっても、結果責任をとることもない。政治家がいくら改革の旗を振ろうが、最大の既得権益者であるステルス複合体が改革を許すはずがない。彼らは官界を越えて、産業界、学界、マスコミまでを網羅した東大法学部人脈を通じて、相互に補完し合いながら、自分たちの力の保全を図っている。これが中川氏が日本の最大のガンになっていると断罪するステルス複合体の実態だ。
http://www.videonews.com/on-demand/371380/001321.php
ステルス複合体とは
「東大法学部を中心とするエリート官僚たちが、官界を越えて、産業界、学界、マスコミまでを網羅した東大法学部人脈を通じて、相互に補完し合いながら、自分たちの力の保全を図っている集団」
の事を差すようです。
私見ではそのようなゆるやかな連携は存在すると思います。しかし、本当に「ステルス複合体」が「抵抗勢力」なのでしょうか?そもそも、「新自由主義の導入=改革」に抵抗するのは国民国家の利益を考えると穏当な場合もあり得るわけです。
確かに、官製不況なる言葉に表されるように、近年は所轄官庁が所轄官庁であり続けるための政策が実行されて、民業の足をひっぱるような事態も起きています。また、膨大な公債が積み上がり、国家の財政事情は悪化しています。公務員給与総額を減らさねば、国家破産は避けがたい状況です。よって、キャリア官僚制度の弊害は存在することは間違いありません。
しかし、小泉純一郎こそが、財務省の族議員であり、なおかつアメリカの利益を代弁する外資族議員です。旧大蔵省理財局は財政投融資を通じて毀損しまくった郵貯・簡保を総務省(旧郵政省)に返し、なおかつアメリカに売り渡すことにより責任を逃れようとしています。その片棒を担いだのが小泉純一郎・竹中平蔵です。後期高齢者医療制度を導入したのは当の小泉純一郎です。後期高齢者医療制度の本質は竹中平蔵の言うところの「人頭税」の制度導入に他なりません。
結論から先に申し上げれば、殲滅すべきはステルス複合体ではなくて、清和政策研究会です。「官僚は政治にそよぐ葦」であり、昨今の悪政の源泉は売米政治を続ける清和政策研究会にあります。
http://wanwanlapper.seesaa.net/article/99881325.html
418 :名無しさん@3周年:2008/06/27(金) 02:06:05 ID:FVsDlK8i
http://money6.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1145095961/418
2008.06.11 とんだ食わせ物!中川秀直著『官僚国家の崩壊』
暴論珍説メモ (38)
田畑光永 (ジャーナリスト)
しばらく前、自民党の大島理森国会対策委員長がテレビで「ねじれの丘」というのを歌って見せた。「今日も昨日もねじれの丘で・・・」と。
そう、今年の通常国会は初めからお終いまで(まだ終っていないが)、確かにねじれねじれで明け暮れた。自民党は要所で例の「三分の二」条項を使い、それではせっかく昨夏の参院選で大勝した甲斐がないと民主党は福田首相への問責決議案を出そうとしつつも、その後の見通しが立たずに逡巡しつつ日を過ごしてきた。いよいよ今日明日中に出すとか言っているが、さて土壇場でどうなるか、あの党のことだからなんともいえない。
ではあっても、国民からすれば、なんでも自民党の思い通りにはいかなくなったという意味で、去年、自民党を敗北させただけのことはあったのだが、駆け引きばかりが表に出て、国政を論ずるという点では「政治不在」という印象を免れなかった。
ところが、ここへ来て自民党内にいささか波風が立ってきたらしい。4日、総裁派閥の町村派で代表世話人を務める中川秀直元幹事長を囲む「中川勉強会(仮称)」が発足したというのである。現職総裁を擁する派閥はなるべく低姿勢を保って、総裁の任期を全うさせることに意を用いるというのが常識なのに、その総裁派閥の中で派中に派を作るような動きは異例である。
だから早速翌5日、同派の最高顧問である森喜朗元首相は派閥の総会で、「福田さんが今にも代わるのではないかと予測したような動きは、誰もしていないはずだ。我が派がいちばんやっちゃいけないことだ」(6日『朝日』)と苦言を呈したという。もっともである。
年金の騒ぎが収まらないうちに、後期高齢者医療保険でまたまた国民を怒らせてしまった自民党は、民主党の衆議院解散要求をなんとかしのいで風向きの変わるのを待つしかないというのが現状だが、すくなくとも「福田では選挙は戦えない」というのはコンセンサスになりつつある。といっても今の衆院議員の任期は来年の9月まで。あと1年ちょっとしかない。それまでに福田総裁の後釜を仕立てるとなると、すでに手を挙げている麻生太郎前幹事長がタナボタということになりかねない。
そんなにやすやすと政権をくれてやるわけにはいかないというのが、現職総裁派閥に身を置きながら、派中派をつくるという異例の行動に出た中川氏の胸中であろう。4日の初会合には同派の議員33人が出席し、そのほか秘書20人の代理主席(雲行きを見て参加しようという議員)があったという。相当な数である。
中川氏といえば、2000年に小渕首相が病に倒れた後に発足した森内閣で官房長官に就任したが、女性スキャンダルで無念の辞任に追い込まれたことは記憶に新しい(でしょ?)。それ以来、政府の役職にはつけず、もっぱら党で国対委員長、政調会長、幹事長を歴任してきたわけだが、謹慎ももういいだろうと表舞台に立つ決意をしたようだ。
その中川氏、最近「官僚国家の崩壊」という新著を出した。政治家が本を出すのは野心がある時が多い。安倍前首相が総裁選前に「美しい国へ」を出し、麻生氏が「とてつもない日本」を出した。中川氏のこの本も氏の政権取りへの信号弾なのであろう。
読んでみた。実は読み通すのが苦痛だった。題名のとおりわが国の官僚が政治家を手玉にとって政治を動かし、自分たちの既得権益にしがみつくのを痛罵している。防衛省、厚労省、国交省、財務省などなど、事務次官のゴルフ漬けから職員の居酒屋タクシーまで、お役人たちのすることに腹を立てていない人はいないはずだから、官僚を痛罵するのはいい。しかし、なんとも中身がうすいのである。
日本をウラで操る「ステルス複合体」などという新語を作って売り込んでいるのだが、話はあっちへ飛び、こっちへ飛びで、付き合うのに骨が折れる。しかも論旨はなはだ粗雑である。
例えば、自民党内には党人派と官僚派というグループ分けがあるが、現在は福田赳夫(現福田首相の父)以来の清和会の総理が四代(森、小泉、安倍、福田)続いているが、著者は「日本の順風の時代を担うのが官僚派であり、逆風の時代を担うのが党人派だ」とのべ、いかにも自分たちが今の日本を背負う党人派だと言いたげである。しかも、それ以前の党人派政権となると20年以上も昔の、1978年に退陣した福田(赳夫)政権までさかのぼらなければ存在しなかったと言い、「2000年の森政権の誕生は実に20年ぶりの政権交代であった」とまで言う。
こんな出鱈目な話はない。福田赳夫という人は大蔵省(当時)の主計局長まで務めた官僚中の官僚であり、その福田内閣の後に登場してきた自民党の歴代首相の大半、すなわち鈴木(善)、中曽根、竹下、宇野、海部、橋本(竜)、小渕の各氏はすべて党人である。官僚出身は大平、宮沢の二人しかいない。鈴木から小渕にいたるまでの各氏は、自身は党人でも官僚に牛耳られていたから「官僚派政権」だというなら、それはそれできちんと分析して見せるのがモノを書くということである。
もう一つ挙げよう。著者は道州制の支持者だそうだが、道州制を導入すれば国と地方の公務員が大幅に減るとして、現在の国家公務員30万人、都道府県公務員35万人、市町村公務員105万人、合計170万人が、それぞれ10万人、15万人、基礎自治体20万人の合計45万人になるという図表を大きく掲げている(257頁)。公務員がざっと4分の1になるというのだから、国民としては耳寄りな話である。しかし、この図表についての説明は1行もない。見落としたかと思って探してみたが、どこにもない。こんなものが本といえるか!
よく知られているように、中川氏は官僚の無駄遣いをやめさせ、なによりも経済を成長させることができれば、それによって消費税は上げなくてもやっていけるという立場である。消費税の値上げは避けて通れないとする「財政再建派」、とりわけその代表格である与謝野馨氏と対立している。前著「上げ潮の時代」以来、消費税値上げ不要論が中川氏の売りである。
本書でも中川氏は従来の主張を繰り返し、竹中平蔵氏の市場メカニズムによる改革路線を
大いに持ち上げて、その継承を打ち出している。それは考え方であるから、私には異論があるが、それはここでは述べない。私があえてこの本を取り上げたのは、日本の指導者たらんとする人間がその主張を書物という形で公にすることは大いに称揚したいのだが、それにしてはあまりにおざなりなものを持ち出してくるその傲慢さが腹に据えかねるからだ。
街頭演説や反対党との討論やテレビ番組では十分に考えを説明できないから本を書いてとことん説明するというのなら大いに歓迎だが、大衆にはいい加減なことを言っておけばいい、どうせ細かいことはわからないのだから、箔をつけるために本を出すという人をばかにした態度は許せない。そんな御託につきあう暇はないのだ。
中川氏の本だけを取り上げるのは不公平だから、次回はライバルとされる与謝野氏の新著「堂々たる政治」を紹介することにしよう。
http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-370.html
注
ステルス(Stealth)とは、軍用機、軍艦、戦闘車両等の兵器をレーダー等のセンサー類から探知され難くする為の軍事技術の総称。
単にそれらの技術を取り入れて開発された兵器を指してステルスと呼ぶ事もある。「ステルス性」という言葉は「ある兵器がセンサー類からどの程度探知され難いか」という事を相対的に表す。ステルスの本来の意味は「こっそりとする」「隠れる」である。