はてなキーワード: 小説家とは
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今はもうない「JAZZLAND」という雑誌で、ユニークな文章を書いている。
当時から文章の芸は冴えている。
「ジャズ喫茶のマスターになるための18のQ&A」(「JAZZLAND」昭和50.8.1号)
Q1 ジャズ喫茶を始めたいと思うのですが、さしあたって一番要求される資質は何でしょうか?
A 恐れを知らぬ行動力です。
Q2 それでは一番不必要なものは?
A 知性です。
Q3 現在大学に在学中ですが、卒業はした方が良いでしょうか。
A 経験から言うと、卒業証書の表紙はメニューにぴったりです。
Q4 好きな女の子が居るのですが、ジャズ喫茶のマスターとしては結婚していた方が得でしょうか、それとも独身でいた方が得でしょうか?
A あなたが一体何を指して得とか損とか言ってるのか、よく理解できないけれど、この世の中で結婚して得をすることなど何ひとつないのです。
Q5 よくジャズ喫茶のマスターは女の子にもてるっていう話を開きます。そんな時、客の女の子には手を出していいのでしょうか?
A まったくの取り越し苦労です。
Q6 レコードは最低何故必要でしょうか?
A 度胸さえあれば15枚でOKです。
Q7 でも、「ファンキー」や「DIG」に行って、レコード棚やオーディオを見る度にガックリして、僕なんかにとても……という気分になるのですが?
A そんな所に行くのが間違っているのです。国分寺に来なさい。
Q8 僕は前衛ジャズに弱いので、それ以外のジャズを中心にやりたいのですか?
A お好きなように。
Q9 お客に文句は言われませんか?
A もちろん言う人は居ます。気にしなければいいのです。
あなたのお店なんだし、好きなようにやってみて、儲かるのもあなた一人だし、赤字を出して首を吊るのもあなた一人なのです。
Q10 お酒を出すつもりなのですが、酔って騒ぐような人が居たらどうしたらいいのでしょうか?
A 「戦艦バウンティ」という映画が昔ありました。その中で異端分子は全員船から突き落とされていました。
Q11 「スイング・ジャーナル」に広告を出すべきでしょうか?
A もちろんです。その上に「スクリーン」と「週刊平凡」に広告を出せば効果は抜群です。
Q12 僕はコルトレーンの『至上の愛』が嫌いなので店には置かないつもりなのですが、
友人は“『至上の愛』のないジャズ喫茶なんて…と言います。どうでしょうか?
A バカは相手にしないことです。
Q13 ジャズ評論家にコネがきくのですが、レコ-ド解説やコンサートをやった方が良いでしょうか?
A テスト盤をもらうだけくらいの方が賢明です。ロシア革命の時、一番最初に銃殺されたのはジャズ評論家だったそうです。
Q14 ジャズ喫茶という職業は一生続けていくに値いするものでしようか?
A 田中角栄にとって土建業が一生続けていくに値いする職業なのか?
川上宗薫にとってポルノ小説家が一生続けていくに値いする職業なのか?
猫にとってキヤツト・フードが一生食べていくのに値いする食物なのか?
非常に難しい問題です。
Q15 僕にとってジャズ喫茶はまるでなにか青春の里程標のような気がするのですが、 こういう考え方は間違っているのでしょうか?
A 間違ってはいませんが、明らかに誇張されています。
Q16 それではジャズ喫茶とは一体何なのでしょうか?
僕はそれは、人生における一種の価値基準のようなものではないかと思うのです。
茫漠とした時の流れの中で、僕たちの人生がどんな風に輝き、どんな風に燃えつきていくのか?
ジャズの中に沈みこんでいる時、僕たちはそんな何かをみつけだせるような気がするのです。
Q17 そういう考え方は少し誇張されすぎてはいませんか?
A すみません。その通りです。ただ僕の言いたいのは、ジャズ喫茶のマスターがそういった使命感を忘れたらもうおしまいだっていうことなのです。
AmazonのKindleだっていつ日本の書籍に対応するかわからないし、iPadに至っては米国以外は未対応と発表されている。
そもそも個人出版を自分でできるって理由でKindleは話題になって盛り上がっていたわけだけど、上記のサイトなら簡単に自分でPDF作って自分の好きな価格で売り出せる。決済にはPayPalを使われる。
投稿できる本のジャンルは「文学」「ビジネス・教育」「アート」「政治経済・社会」「暮らし・趣味」「コミック」「こども向け」「その他」。
WikittならたぶんAmazonのKindleよりもお手軽に個人出版ができてしまう。エロもOK! 漫画もOK!
そんなサイトが、実は日本のサービスで日本人向けに提供できるサイトがあったわけ。
たとえば、はてなユーザーだとこの方。
「WIKITT、使ってみました! - 文芸同人UMA-SHIKA(公式)」
http://d.hatena.ne.jp/uma_shika/20090522/p1
包み隠さず申し上げますとものすごく分かりにくい!これまでにYoutubeやMySpaceなどの「自分が制作したコンテンツをアップロードできるサービス」を使用した経験がありますが、それらと比べてるとかなり悲劇的な分かりにくさです。
今のところはこういう評価ですけどね。
あと、青空文庫の蟹工船がPDFで無料DLできるようになってるよ。
とにかく青空文庫がめちゃくちゃ充実してる。
Kindleでの印税率が30%から70%も選べるとか相当言われていたので、一番気になるところだと思う。
だけど、Wikittは、これがよくわかんねえw
致命的だ。
書きながらいろいろ見てみたけれど、正直これは厳しいんじゃないですかね?
とにかく自書を何でもいいから公開して値段つけたい人向け。
そこまでが目的で、売れるかどうかは関係ない人向け。
ガックリしました。
改行してみた(横
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とあるチャットで仲良くなりある時期は頻繁にスカイプをするようにまでなったネット友達がいた。
まだ相手のことを何も知らないうちは相手のスペック、相手の歴史の断片を相手から聞き、面白かったのだが、
何度もスカイプをするうちに僕は相手に興味がなり、相手に嫌悪感を抱くにいたった。
まずはじめに相手のことを語ろう。
彼女は俺たちに会ったときからブログを始め、私をはじめ、いろいろなそこのチャットの仲間にも、
さらに自身が勤めるバイト先の人にもそのブログを教えて、その人たちへ見られていることを念頭にそのブログを書いている。
そのバイトに受かったというのも私たちが彼女のことを知って後である。
彼女は小説家になりたいらしく、過去にもいくつか作品を書いたことがあるそうだ。
前に私に話したことを何べんも私に聞かせてき、私は辟易する。それに、毎回発言する言葉がほとんど同じである。
山田ボイスのように20種類くらい彼女の発言を録音してボタンにしてそれを使った相手と私がスカイプしたとしてもおそらく気付かないだろう。
それくらい毎回言うことが同じなのである。
「何か面白いことないかな。」「もう終わるの?」「えー」「ふん・・・」彼女は言語障害を抱えているようだった。
彼女は自分を過大評価しており、彼女の作品や彼女自身を認めてくれる人がいい人で、
批判したり、褒めてくれない人は取るに足らないどうでもいい人という二項対立が彼女の脳の中にある。
また、彼女のブログを読めばわかることだが何か彼女におもわしくない出来事が起きたとしても原因は彼女自身にはあるとはつゆにも思わず、
周りの環境のせいであると思っている。
彼女は過去の犯罪に近いような経験も、いい経験、いい思い出だったとして決して反省しようとせず、非を認めない。
スカイプでの話だが、彼女はホームセンターの外に展示されていた商品の机を家まで堂々と持って帰ったことがあるらしい。
僕が今までにほかに万引きとか何か犯罪を犯したことがあるかと問うたら答えたことだ。
ほかにと書いたのは、その時に彼女は過去にシンナーをある時期ずっと吸って酩酊状態を享楽していたこと、
彼女は机を持って帰っていったのだが、彼女は悪いとは思っていないらしい。
罪の意識が無いのだ。彼女に罪の意識が無いと知ったとき私はこの人は本当に病気なんだと思った。
彼女は禁煙をすると私に言った。わたしはどうせまた吸うことになるだろうよと云った。
彼女は絶対に吸わないよといった。しかし案の定彼女は一週間もたたずに禁煙生活をやめてしまった。
彼女はブログに禁煙のメリットはどんどんニコチンの含有量の少ないタバコに変えていくことができることだねと言って自分の禁煙の失敗から目をそらし、今の現状を肯定している。
全てにおいて彼女はこのような態度なのだ。本当に見ていてイライラさせられる。
彼女は普段話す人がいないために私をリハビリとして利用しているというようなことを言っていた。
○○(私の名前)もそうでしょと彼女は言った。そんなわけはない。
彼女は自分の感じていることが他人も同じように感じていると思っている。
彼女が知っているものは他人が知っていると思い込んでいる。彼女の好きなものは他人も好きだと思い込んでいる。
彼女の知っている本が多くあった私の本の書評ブログを見て趣味がいいねといった。
彼女が知っている本が趣味のいい本なのだ。だから彼女は自分と異なる習慣をもつ人が信じられないのだろう。
風呂入るから切るねと言ったら、「きれい好きだね」といった。
私は「普通だ。」と言ったら「うそー?」と信じられないような、あたかも私が異端児化のように言う。
で彼女は概ね個人的なことをみんなにオープンにする性格であるのだが、
その性質は万人に共通するものだと思い込んでいるらしい。
彼女は「今日は何したの。」とか「生きてて何がおもしろい?」と聞いてきたので「言わない。」というと「秘密主義だね。」といった。
このような私の私生活に関する質問をよく彼女はするのだが私は言いたくないと言って彼女には言わないでいると、
何故言わないのか、隠すことではない、普通オープンにするよ私みたいにといった具合に、
彼女は自分の思ってることが万人に共通していると本能的に思っているのだ。
スカイプでも彼女は特に話すことが無いくせにかけてくる。まあ私がバイトでの出来事を聞けば話すのだが
それが終わると彼女は無言になる。おいと言うといまボーっとしていたと言う。
会話をしたことがないと分からないと思うが愚鈍の匂いの立ちこめた空気がこちらまで漂ってくるかのようである。
端的に言うと彼女は馬鹿である。バイトでも店長から「お前は皆に嫌われている。」とか言われるようなことを言っていた。
バイト先での愚痴をいろいろと聞かされた。まあその愚痴の出来事の原因の大部分はおそらく彼女自身にあるのであろうが。
彼女はバイト先で先輩の人の股間を蹴ったり、店長が後ろを向いたら中指をつきだしたりしていたそうだ。
前者はその副店長が後にその日はクリスマスでケーキを上げようと思って通せんぼしていたのだが
彼女はなにかその場の雰囲気に我慢ならなかったらしくそのような行動を取ったということだ。
後者は忘れた。取るに足らない理由だ。被害妄想が甚だしい。それに自身が思っていることは絶対そうだと言って疑わない。
彼女が何かデジカメとPCをつなぐ線が無くなったと言ったときに、
携帯でデジカメ並みの大きさの写真をブログに掲載はどうしてるのと聞いたときに一枚一枚メールに添付していると言った。
私は、ちょうど線がないんならカードリーダーを買えばよいとアドバイスをした。
しかし彼女は「買わない。」と言った。彼女は他人のアドバイスを絶対に聞かない。
そのほかにも私が彼女に対して苛立ちを感じる理由はもっとあるはずなのだが、ここにかけない。
言葉では言い表せないような自分でもよくわからない憎悪を彼女に感じる。
とあるチャットで仲良くなりある時期は頻繁にスカイプをするようにまでなったネット友達がいた。まだ相手のことを何も知らないうちは相手のスペック、相手の歴史の断片を相手から聞き、面白かったのだが、何度もスカイプをするうちに僕は相手に興味がなり、相手に嫌悪感を抱くにいたった。まずはじめに相手のことを語ろう。彼女は鬱病の女だ。彼女は俺たちに会ったときからブログを始め、私をはじめ、いろいろなそこのチャットの仲間にも、さらに自身が勤めるバイト先の人にもそのブログを教えて、その人たちへ見られていることを念頭にそのブログを書いている。そのバイトに受かったというのも私たちが彼女のことを知って後である。彼女は小説家になりたいらしく、過去にもいくつか作品を書いたことがあるそうだ。彼女はスカイプで私にバイトでの出来事を語る。彼女は記憶力が相当悪い。前に私に話したことを何べんも私に聞かせてき、私は辟易する。それに、毎回発言する言葉がほとんど同じである。山田ボイスのように20種類くらい彼女の発言を録音してボタンにしてそれを使った相手と私がスカイプしたとしてもおそらく気付かないだろう。それくらい毎回言うことが同じなのである。「何か面白いことないかな。」「もう終わるの?」「えー」「ふん・・・」彼女は言語障害を抱えているようだった。彼女は自分を過大評価しており、彼女の作品や彼女自身を認めてくれる人がいい人で、批判したり、褒めてくれない人は取るに足らないどうでもいい人という二項対立が彼女の脳の中にある。また、彼女のブログを読めばわかることだが何か彼女におもわしくない出来事が起きたとしても原因は彼女自身にはあるとはつゆにも思わず、周りの環境のせいであると思っている。彼女は過去の犯罪に近いような経験も、いい経験、いい思い出だったとして決して反省しようとせず、非を認めない。スカイプでの話だが、彼女はホームセンターの外に展示されていた商品の机を家まで堂々と持って帰ったことがあるらしい。僕が今までにほかに万引きとか何か犯罪を犯したことがあるかと問うたら答えたことだ。ほかにと書いたのは、その時に彼女は過去にシンナーをある時期ずっと吸って酩酊状態を享楽していたこと、また大麻を吸った経験があるという話を聞いていたからだ。彼女は机を持って帰っていったのだが、彼女は悪いとは思っていないらしい。罪の意識が無いのだ。彼女に罪の意識が無いと知ったとき私はこの人は本当に病気なんだと思った。彼女は禁煙をすると私に言った。わたしはどうせまた吸うことになるだろうよと云った。彼女は絶対に吸わないよといった。しかし案の定彼女は一週間もたたずに禁煙生活をやめてしまった。彼女はブログに禁煙のメリットはどんどんニコチンの含有量の少ないタバコに変えていくことができることだねと言って自分の禁煙の失敗から目をそらし、今の現状を肯定している。全てにおいて彼女はこのような態度なのだ。本当に見ていてイライラさせられる。スカイプも彼女は特に話すことが無いくせにかけてくる。彼女は普段話す人がいないために私をリハビリとして利用しているというようなことを言っていた。○○(私の名前)もそうでしょと彼女は言った。そんなわけはない。彼女は自分の感じていることが他人も同じように感じていると思っている。彼女が知っているものは他人が知っていると思い込んでいる。彼女の好きなものは他人も好きだと思い込んでいる。彼女の知っている本が多くあった私の本の書評ブログを見て趣味がいいねといった。彼女が知っている本が趣味のいい本なのだ。だから彼女は自分と異なる習慣をもつ人が信じられないのだろう。風呂入るから切るねと言ったら、「きれい好きだね」といった。私は「普通だ。」と言ったら「うそー?」と信じられないような、あたかも私が異端児化のように言う。で彼女は概ね個人的なことをみんなにオープンにする性格であるのだが、その性質は万人に共通するものだと思い込んでいるらしい。彼女は「今日は何したの。」とか「生きてて何がおもしろい?」と聞いてきたので「言わない。」というと「秘密主義だね。」といった。このような私の私生活に関する質問をよく彼女はするのだが私は言いたくないと言って彼女には言わないでいると、何故言わないのか、隠すことではない、普通オープンにするよ私みたいにといった具合に、彼女は自分の思ってることが万人に共通していると本能的に思っているのだ。スカイプでも彼女は特に話すことが無いくせにかけてくる。まあ私がバイトでの出来事を聞けば話すのだがそれが終わると彼女は無言になる。おいと言うといまボーっとしていたと言う。会話をしたことがないと分からないと思うが愚鈍の匂いの立ちこめた空気がこちらまで漂ってくるかのようである。端的に言うと彼女は馬鹿である。バイトでも店長から「お前は皆に嫌われている。」とか言われるようなことを言っていた。バイト先での愚痴をいろいろと聞かされた。まあその愚痴の出来事の原因の大部分はおそらく彼女自身にあるのであろうが。彼女はバイト先で先輩の人の股間を蹴ったり、店長が後ろを向いたら中指をつきだしたりしていたそうだ。前者はその副店長が後にその日はクリスマスでケーキを上げようと思って通せんぼしていたのだが彼女はなにかその場の雰囲気に我慢ならなかったらしくそのような行動を取ったということだ。後者は忘れた。取るに足らない理由だ。被害妄想が甚だしい。それに自身が思っていることは絶対そうだと言って疑わない。彼女が何かデジカメとPCをつなぐ線が無くなったと言ったときに、携帯でデジカメ並みの大きさの写真をブログに掲載はどうしてるのと聞いたときに一枚一枚メールに添付していると言った。私は、ちょうど線がないんならカードリーダーを買えばよいとアドバイスをした。しかし彼女は「買わない。」と言った。彼女は他人のアドバイスを絶対に聞かない。そのほかにも私が彼女に対して苛立ちを感じる理由はもっとあるはずなのだが、ここにかけない。言葉では言い表せないような自分でもよくわからない憎悪を彼女に感じる。何か物珍しい動物を見るまなざしを彼女に向け続けていくのだろうと私は思う。こんなに憎悪していても何故か彼女の行く末が気になるのだ。
お前本当に頭悪いな。エロ小説家は性欲に関して営業サービスで誇張して語るだろうがよ。そういうバイアスがあるって話だよ。で、ポルノ屋が人権に関して語るときになにかそういう誇張の必要があるか?
つーか真に受けるもなにもhokusyuの書いてるの見ただけで「予防拘禁」って思う奴はいくらでもいるわ。
誰が男の代表だと言ったの?「男は獣だから女は自衛しろ」と言う人へ「獣なら檻に入れろ(でも獣じゃないんだから女に責任転嫁するな)」と言う話でそもそも男全体へのものじゃない。
で、それをはてなで書く意味は?はてなに書くと曾野綾子や渡辺淳一が読むのか?おめでたい奴だな。いずれにせよはてな民への誤爆は確定だな。
頭がおかしいとしか言いようがない。じゃあ「ナチスは人間じゃない」と言えばナチス擁護か。そういう思いつきの難癖を言うんじゃないよ。
このツリーで「自衛しろと言う人は曽野以外にいない」と自信満々に言ってた人がいたが、またこれで反例がひとつ増えたな。
はあ、日本人だけを対象として見たとして、一億分の一が一億分の二ぐらいになったね。で?
本当にわかってないなあ。反語になってないからiteauに反論されてるんだよ。そんなことをいえば阿久根市長発言だって反語だぜ。
だめだこいつは。とりあえずお前は「相手が言っていないことを勝手に読み取る」という病気を治してこい。全てはそれからだ。
要はだな、阿久根市長にしてもhokusyuにしても非現実的な状況を想定した上で「こうなったら安楽死しかない」だの「こうなったら予防拘禁しかない」だのという大見得を切ったわけだが、それぞれ「安楽死」だとか「予防拘禁」というおぞましい発想が出てくること自体が叩かれてるんだよ。
hokusyuの場合はまさにトリアージの時のブーメランに当たってるわけだ。「トリアージと全体最適のつながりを認めるとホロコーストに繋がる!」と偉そうなことを言って、「そんなのをつなげるバカがどこにいるんだ」とみんなにあきれられたわけだが、何のことはない、hokusyu自身がそういう粗雑な一足飛びをやる奴だったというだけのことだ。
言うまでもなく、非現実的な状況であろうと一定の歯止めはあるわけで、安楽死よりは貧乏の方がマシ、予防拘禁よりは外出自粛の方がマシ(ウソだと思うならヨハネスブルグなんかがどうなってるか考えてみろ)、ホロコーストよりは嫌いな民族との共存の方がマシだと普通は思うわけだよ。そういう歯止めはまともな人間なら誰でも持ってる。持ってないのはhokusyuみたいな奴らだ。
ただ優しさをアピールしてはだめと言うのはおかしいと思う。
誰もダメなんて言ってない。痛くてもいいならどうぞご自由にだ。お前が「嫉妬してる」みたいな斜め上の反応してくれるから笑っただけだ。
とりあえず論理学の初歩の初歩を勉強してこい。「逆」と「裏」と「対偶」の違いをぐぐって調べろ。中学生レベルからやり直しだな。
まさか中立を名乗りさえすれば、あらゆる批判はされるべきでなくなるなんてことは思ってないよね?
じゃあはてさの言うことを真に受けて「予防拘禁」とか言い出すポルノ屋はどうなっちゃうんだよ。
えろ作家の言うことだからあほらしくて相手にする必要なくてはてさやポルノ屋の相手するのはあほらしくないと言えるのがなぜかわからん。あほらしいならそれに首突っ込んでいろいろ書いてた人もあほらしいよな。
それで、渡辺淳一が全ての男の代表なのか?んなアホな。
誰が男の代表だと言ったの?「男は獣だから女は自衛しろ」と言う人へ「獣なら檻に入れろ(でも獣じゃないんだから女に責任転嫁するな)」と言う話でそもそも男全体へのものじゃない。
性犯罪を自然現象であるかのようにみなして被害者への責任転嫁になるんだから事実上の犯罪者弁護だろうが。
自衛すれば万全なんて誰も思っちゃいないが、自衛することで防げる被害だってあるわけでな。それは毎晩俺が玄関に鍵を掛けて寝るのと全く同じことでな。
このツリーで「自衛しろと言う人は曽野以外にいない」と自信満々に言ってた人がいたが、またこれで反例がひとつ増えたな。
本当にわかってないなあ。反語になってないからiteauに反論されてるんだよ。そんなことをいえば阿久根市長発言だって反語だぜ。
阿久根市長って障害者福祉の充実を訴えるためにああいう発言してたの?いったいどういう根拠があるのか教えてほしい。
いや本人がどういうつもりかは知らない。ただ優しさをアピールしてはだめと言うのはおかしいと思う。
後半は全く意味不明。対極にある極端な例を出しても何の意味もない。優しいアピールだろうが優しくないアピールだろうが中庸から外れたものはイタい。
意味がないことはない。逆のものを出すことで何を批判すべきと思ってたのかが明らかになる。
中庸から外れたアピールが痛いと言うことは「私は普通の人です」とアピールするのは痛くないんだね?そんなことアピールしたがる人ははてさに絡んでる自称中立くらいのもんだが。商品にしろ人間にしろ長所とかの普通でないことをアピールするのが当たり前で、そうでないことをアピールするのはただの馬鹿じゃないかと思うが。
他の記事まで通読してからものを言えといいたいところだがまあよい、「中立」でいいんだな、「中立」で。よろしい結構だ。で、その「中立」であるiteauを査問したお猿さんはいったい何なんだね。
お猿さんははてさだろ。別に中立だから査問してよくて中庸じゃなかったら査問していいとかそういう話でもないはず。まさか中立を名乗りさえすれば、あらゆる批判はされるべきでなくなるなんてことは思ってないよね?
一応釣られとくが、話の発端になった「男は獣」を書いたのは渡辺淳一って男なんだけど。
あ?渡辺淳一?渡辺淳一がはてなーなのか?第一エロ小説家の言うことを真に受けるとか、もうアホかとバカかと。
それで、渡辺淳一が全ての男の代表なのか?んなアホな。
そもそも「男はケモノ」という言葉は性犯罪者を弁護するためではなく「男はケモノだと思った方がよい」という警句だろうが。自衛すれば万全なんて誰も思っちゃいないが、自衛することで防げる被害だってあるわけでな。それは毎晩俺が玄関に鍵を掛けて寝るのと全く同じことでな。
これを「予防拘禁」と要約することに異存はあるまいな。
それも文脈読めば明らかなように反語でしょうに。
本当にわかってないなあ。反語になってないからiteauに反論されてるんだよ。そんなことをいえば阿久根市長発言だって反語だぜ。反語のつもりで語るに落ちてるのが問題なんだよ。
「優しい僕アピール」がなぜ批判されるべきなのかわからん。僻みにしか見えない。逆に「レイプは元気があっていい」とか「やさしくない俺様アピール」なら批判されるべきじゃなくなるの?
僻みとかwwwwwアピールしようがしまいがあれでモテると思ってるのかwwwwwhokusyu乙。マジで乙。
後半は全く意味不明。対極にある極端な例を出しても何の意味もない。優しいアピールだろうが優しくないアピールだろうが中庸から外れたものはイタい。
ネトウヨではないのはそうなんだろうけど、在日参政権賛成でも反対でもないし、自衛しろともするなとも言ってないように自分の態度を明らかにしてないなら、別にリベラルでもなくね?中立と言うほうがふさわしいように思う。
他の記事まで通読してからものを言えといいたいところだがまあよい、「中立」でいいんだな、「中立」で。よろしい結構だ。で、その「中立」であるiteauを査問したお猿さんはいったい何なんだね。
やっぱり「坂の上の雲」はドラマ化しないで欲しかったなーと思っています。司馬さん本人が誤解を招きやすいから映像化は止めて欲しいって言ってたのに無理矢理ドラマ化したものだから、案の定いろんな批判が沸いています。
私の狭い観測範囲のなかで一番代表的にみえる批判は、司馬さんは日露戦争を祖国防衛戦争だと表現しているけれど、ロシア側に侵略の意図はなかった。避けられた戦争なのに防衛戦争とかありえないという意見です。
加藤陽子さんの「それでも日本人は『戦争』を選んだ」を読むと、日露戦争直前に権力を掌握した極東総督のなんちゃらさんが、韓国取っちゃった方が安上がりですよとか皇帝に言ってたらしいのでロシア側に侵略の意図なしとはいえないんじゃないかなーと思うし、当時のロシアがトルコや満州にしていた仕打ちを考えたら、次は日本かもって当時の人達が恐怖するのも当然だと思うのだけど、まあそこらへんは歴史をきちんと学んでいるプロの方たちが論争しても中々決着がつかないわけだから素人には分からない事柄が色々があるんだろうから置いておきます。
私はたとえ司馬さんが間違ってたとしてもさほど問題ではないように思っているんです。
司馬さんは「坂の上の雲」をなるべくフィクションを抜きにして事実に即して書こうとしてますし、そう宣言もしていますが、それはあくまで司馬さんの中で事実だと思える内容を書くというだけのことで、読んでる方はそれを完全な史実だと思って読んでるわけじゃありません。
ただ司馬さんの歴史観を誤りだと批判している有識者さんたちは、その批判の理由を小説を史実だと勘違いされちゃ困る。国民の歴史観に影響を
与えかねないと言っています。
私は読み手はそれほど馬鹿じゃないし、盲信もしていないと思うんです。司馬さんはこういう風に日露戦争や当時の日本を捉えてたんだなー、凄いなー、面白いなーって読んでいるだけです。司馬さんは小説家ですから、エンターテイメントとして最低限の盛り上がりも必要だと思っていたでしょうしね。読み手はそれほど馬鹿じゃない。小説だと分かって読んでいる。私や私の友人はそれほど優秀な人間でもないけれど、司馬さんは無謬だとか思っていないし、思っている人を見たこともないです。
逆に批判している有識者さんたちにちょっとした思い上がりを感じるんですよねー。私たちは優秀で知識も豊富だから騙されないけど、お馬鹿な読者はころりと騙されて変な方向に突っ走っちゃうかもしれないから、司馬さんの小説を批判して目を覚ましてあげましょう。啓蒙してあげましょうって。大きなお世話ですよね。ちょっと悪く書きすぎかもしれませんが。
子供達が影響受けちゃうから犯罪小説禁止とかと同じ流れな気がして嫌なんです。そういう批判をする人が現れるから、誤解を招きにくいように誤解を招きにくいようにとびくびくした無味乾燥な物語ばかりになってもつまらないじゃないですか。
同じ小説を読んでも、こういう犯罪の手法があるのか気をつけようって読む人もいれば、単純に物語として楽しむ人もいるし、この手法で犯罪を起こせるかもって思う人もまれにいるかもしれない。でもそれは書き手の罪ではないし、それを恐れてつまらない物語が増えていってもしょうがないと思うんですよね。
ただまあ、司馬さんの影響力っていうのは確かに大きいです。司馬さんの小説を読んでいる人数は、その関連の歴史書を読んでる人数の何倍もいるでしょうから、そのうちのいくらかは勘違いしちゃう人が出てくるかも知れません。だからその人たちの為に批判をするんだっていうのだとしても、やっぱり言い方ってものがあるんですよね。
もうちょっと司馬さんを立てた表現ってのを出来ないものでしょうかねえと。司馬さんの小説には何の罪もないはずなのに、司馬遼太郎の歴史観をぶった切るみたいな批判の仕方をする人が少なくないでしょう?別にぶった切らなくても、司馬さんの小説は面白いけれど、現在の研究ではこういう論もあるのです。こういう視点もありますよでいいじゃないですか。なぜ叩かずに別の価値観を提示出来ないのかなーと残念に思います。
と言うと、すぐに「不幸自慢乙。」と言われてしまいそうだが、僕が言いたいのはそういうことじゃない。
他人と触れ合う機会が少ない、他人とわかり合えたと思うことが少ない、そんな人間である。
別にひきこもっている訳では無いが、日々楽しく暮らしているわけでもない。あるいは世の中そんな人だらけなのかもしれない。ちなみに将来の見通しがあまり無い。
ともかく、孤独は嫌なので、なぜ自分が孤独なのか、ずっと考えてきた。
孤独な人間が出来る事と言えば、大体限られている。とりあえず本を読んだ。
今時本を読んで教養を高めるなど流行らないとわかっていた。読書することで、読書家の有名人に自己投影している自分にも気がついた。それでも、大学で一般教養としてとった日本文学の講師が言っていた通り、自分に合っていると思ったものを、読みたいと思ったものを読んだ。
結果、まぁ今どきにしては読書好きと言えるくらいの量を読んだと思う。
読書が僕にどんな影響を与えたか。はっきりはわからない。それについては町田康がインタビューで言っていたことが、僕の意見に一番近いと思う。
町田 : (前略)だから、あなたの言うように、本を読んで目から鱗、ということはないですね。例えば、大きさがほぼ同じ茶碗を流しで洗っていたら、たまたまガチッと組み合わさってしまってどうしてもとれなくなったとします。それが、本を読んだら「こうすればとれますよ」と書いてあった時に、うわっ、って目から鱗が落ちる。でもそれは生活の知恵ですよね。読書というのは、もっと深い体験だと思います。瞬発的な知識ではなく、じわじわと嫌な形で体にまわって、二日酔いのようになった状態でもう一度、現実に帰っていかなければならない。それが読書だと思います。
(作家の読書道:第52回 町田 康 http://www.webdoku.jp/rensai/sakka/michi52.html)
そんな僕が(ここまででもう既に「自分語り乙。」というツッコミを入れられそうだが)最近感じたことがある。
きっかけは、ネット上でちょっとした論争に巻き込まれたことだった。
するとなんだろう、相手に反論されているにも関わらず、湧き上がってくるのは、なぜか充実感に近い感情だった。
というと今度は、「ネット依存症乙。」若しくは、「この変態ドM腐女子が!」と言う人がいるかもしれないが、まぁそれは最後に判断していただきたい。つーか僕男だけど。
僕が思い出していたのは、中学時代、野球部に所属していた頃の事だった。
その部の監督は、常日頃から僕たちに「考えろ」と言ってきた。
僕らを叱り飛ばした後、「なんで怒られたか考えてからもう一回来い」と言って引っ込んでしまう。
時には些細なこと、マナーのこと、あるいは、お前ただ機嫌がわるかっただけちゃうのん?というようなことで監督はバシバシキレた。
それでも僕らは話し合い、監督に対して言うべき事を決め、そしてキャプテンが職員室に突貫して行った。(公立だからもちろん監督=先生)
その頃の感覚。
監督がなぜ怒り、僕らに何を求めているか考えること。
それこそが、コミュニケーションにとって最も重要なことなのではないか。そう感じたのだ。
他人がどう考えているかを考え、動く。そうすることではじめてコミュニケート出来るんじゃないだろうか。
っていうかみんながコミュニケーションコミュニケーション言うから、ちょっとうんざりしている位だ。
コミュニケーションよりも中身が大事なんじゃねぇか、と素朴に思ったりもする。
でも、僕が孤独を感じていたのは、他人の考えについて考える機会が無かったからじゃないか、とも思える。
あるひきこもり臨床医が、「ひきこもりとは四六時中自分について考えている状態だ。」と、とある対談で語っていた。
ちなみに、その対極には、非常にコミュニカティブだが自己イメージが弱く不安定なタイプが存在するらしい。
自分自身について考えすぎているせいで孤独になる。そういうこともあるかもしれない。ちょっと自己啓発系のニオイもするけど。
結論として、僕はもっと他人の考えについて考えるべきなんじゃないかと思っている。
でも、それは僕の懐古心が生み出した幻影なのかもしれない。
というわけで増田に書いてみた次第なんだけど、どうなんだろ。
結局のところ長編を一つも完成させたことがないというのが、元増田の問題点なのではないか。
これはプログラム開発とかにも言えることだが、とにかくまとまったプロトタイプを作ってみることが重要だ。
それを公開してみて人に読んでもらい、破綻をきたしている部分は修正する。これの繰り返し。
不完全なものを人に見せる度胸がないのなら、そもそも小説家とか物を作る仕事は諦めた方が良い。
最初から完成品を出せると思うのが間違い。
むしろ現状が不完全であることを認め、完成品により近づけるように継続して改善し続けることが最も難しく、しかし確実な結果を出す唯一の方法なんだ。
日記を何も書かずに朝目覚める事に、本能のままに生きてきて、はや4年。凡人たる思いの悔やみは諦観、阿弥陀信仰へと昇華されたと慰めてみるものの、結局のところ、何も能力がないことには代わりがない。最大の苦慮は働くことだ。働くことへの苦痛、自分のやりたいことが労働によって阻害されることへの忌避が何だかんだ言うものの,いやなだけなんだろう。人生への苦しみ、存在への謎、ハッキリ言ってそんなことは暇だからいえることなのだ。結局は、ただ怠けたいだけなんだ。ああ醜い。書き方が太宰治そっくり。あの人は、かなり文体を日本国へと伝染させたに違いない。
小説家が一番楽なのかもしれない。しかし、お前の読書遍歴の貧しさはとてもとても卑しくも才能があったとしても、カバーできるものではないだろう。お前の日々の生活は、劣情の解消、2chまとめサイトめぐり、アニメ動画サイト、ハテブの豆知識で埋め尽くされ、高尚な”文学”などという二文字をくちにしただけで、無間地獄へと輪廻してもおかしくないくらいだ。目新しさをといったって、佐藤友哉あたりの先例があることだし、書いたとしても凡百の自称”小説家志望”がまた一人増えるだけ、ああ、佐藤友哉の文章でも、作家になれると勘違いした雨後のたけのこ連中のその一人になるのが落ち。いい加減、自己がまったく特別ではなく、普通であることに自覚すべき。日塔奈美のように、平凡たる自己をその自己のまま許容し、ナルシズムを貫くことが必要。自分に必用なのは平凡だることへのじくちたる自覚。悪人であることへの自覚。親鸞上人のように。ああ、日記をはじめたのは今日、(ここで11月18日であることを、パソコン画面右下の時刻表に、マウスを重ね併せて、確認)11月18日が、パソコンをはじめてからはじめて日記をつけた日。今までなんで、日記をつけなかった?自己の内面の養成はどこにいったのだ?結局書けているのは、太宰とも、三島とも、村上とも至らない、グズのコピー屋の唾棄すべき文字の羅列ではないか?文字化けしたバグの配列と一体、どちらがましといえるのか?誤って見つけてしまった(そんなことは百に一つもないであろうが)他者の気分を害するだけ、バグのほうが優遇されるべきではないか?ああ、文体がつたない。せめて、比喩表現だけでも身につけておけば、私にも文章かとしての道は開けていたのかもしれない。有名な作家は、物事を観察するたびに、どのような隠喩、直喩で表現するか、考えていると言うではないか。私がそのことを聞いたのは、今から5年前、中学2年の頃だったはず。あの頃から、文章想像癖をつけておけば、今頃どれほどの文章の大家、とまではいかなくても、せめて平野啓一郎の後ろ髪だけでも拝むことができたかもしれない。ああ、キーボードを打ちやすいところに配置したおかげで、(せいで?)大量の日記を書くことができた。これは良きことなのか、悲しむべきことなのか。駄文をつらつらと打ち込んで言ったせいで、やっと阿弥陀信仰で落ち着いてきたとおもっていた後悔の大文字2つが無残にもわきあがってきたのではないのか。いや、意外と、落ち着いていて、冴えきった、明鏡止水のままここまで書き込んできた。途中でTwitterの返答で中断はしたが、文章自体は途切れることなくここまで続いてきた。案外、文章化していなくても、自己の脳内でもんもんと自問自答を繰り返してきたことが、これほどの文章能力を磨くことになったのかもしれない。もう、11時か。焦らなくても、いいのかも?文字数カウント1451字ときた。かなりの長文。これは期待できそう。
就職の道は断たれた。というか、自らぶった切った。
「なんか大学から変な通知きてるんだけど……」
僕の返答は決まっていた。
ぶっちゃけなんでもよかった。ミュージシャンでも、漫画家でも、プログラマでも。
今までの人生を振り返ってみて周りの反応がよかったのが文章だっただけということ。
親は肯定も否定もせず、静かに仕送りだけが途絶えた。
それからはバイト先への往復以外は外出せず、ひたすら文章を読み、書く生活が始まる。
先ずやったことは好きな作家をコピーすること。十冊ほど、写経した。
次に、小説指南本を十冊ほど読み、どの本にも書かれていることをチェックし、実践した。
頭はどんどんハイになっていき、一心不乱に書きまくった。遅れてきた青春だった。
親の援助がなくなってから三年が過ぎようとしていた。
打ち合わせ……なんて心躍る言葉だろう。これこそ、僕がずっと掴みたかったものだ。
これからは脳の趣くまま文章を書き、小説家仲間と遊び、編集者と酒を飲む、楽しいだけの生活が待っている。
「あの、印税っていうのはどの程度もらえるのでしょうか?」
フルスロットルでどもりながらたずねた。返ってきた言葉に愕然とした。
だから、デビューが決まっても「バイトやめます」とは言ってないし、生活にはほとんど変化はない。
二冊目が出せるかもわからないと知って、できるだけ編集者から出版のヒントを引き出そうと質問を並べた。
今ほど小説家志望へのチャンスが転がっている時代はないらしい。
新人賞はがんがん創設されているし、出版点数をクリアするため、面白そうな人間には片っ端から声をかけるという。
新人賞に送らなくても、ウェブにアップし、それが話題になれば、どこかの編集者がかならず見ている。
今の時代、面白い文章が書ければ、編集者の目に留まるチャンスはいくらでもあることを強調した。
僕の知り合いにウェブ小説家がいた。彼女には声がかかったことはない。
「どこかで小説を発表していて、現時点でなにもないってことは、その程度ってことだよ」
冷たかった。氷河期が到来した。話はどんどん愚痴っぽくなっていった。
前から気になっていたライトノベルの新人賞受賞を目標とする人たちが共同でやっているブログを見せてみた。
「見るまでもない」「アマチュア同士が固まったってなにも生まれないよ」「それよりもプロと知り合いになった方がいい」
自分も何冊か単行本出してるプロの作家と知り合いになって意見を聞いたりしていた。
「才能ない奴がステップアップするには、一流の人間と知り合うこと。それ以外ない」
だんだん僕の口数は減っていった。なんだかみんなを裏切っているような気がした。お腹が妙に重い。
……吐いた。気がつくと口に入れたものをぜんぶ嘔吐していた。
デビューが決まるとすべての懸念事項が解決すると思っていた。
悩みはぜんぶ丸っきりなくなり、ぬくぬくと創作だけに専念できると信じていた。
半年以上アイディアが浮かばず、やりたいイメージとそこまでの具体的な道筋が結びつかなかった。
小説を書くことがアイデンティティになってた部分があるから、危機意識に追い詰められかかってた。
でも方法論とかを捨てて原点に立ち返って紙にペンで書き連ねたり、映画や音楽を聴き漁ったのがいい影響をもたらしたらしい。
ついに気づいた。書きたかったことの本質に。
書きたかったことがたった一つのキーワードに集約された途端、ビッグバンのように道筋が現れた。
もう、一足抜かして新人賞つかんじゃうぐらいの勢いで書いてしまいたい。
錆び付いてた歯車に油が注ぎ込まれた感じ。なんかすげえ図に乗ってる。楽しみ。
書きたいことしか書く気はないから、客観的には賞なんて取れる気がしない。
それでも、自分の約二十年間生きてきた(現時点での)集大成を、青春の全てをぶち込みたい。
今までふれてきた憎悪、ぬくもり、憤怒、よろこび、孤独、いとしさ、空虚、ゆめ……これを読む人に全部まとめて味合わせてやりたい。
みんなこの圧倒的な光に裸眼を眩ませればいい。
プラトンよりはアリストテレスのが好きだけど、子供部屋だろうが洞穴だろうが引きこもりは社会問題らしいしさ。
本当みんな、今までの人生が一度焼き切れてリスタートしちゃうぐらいのカタルシスでも焼き付けられてしまえばいいんだ。
これさえ書ければその後の人生で『小説家になる』みたいな願望が実を結ばずとも少しは許せる気がする。
逆に青春が尽きないうちにこれを生み出さなきゃどれだけ安定した生活を得ても後悔し続けるだろう。
『失われた時を求めて』よりは短くとも『デイヴィッド・コパフィールド』ほどにはなりそうで、読む側も面倒だろうなあ。
もし出会ったら読んでくれるといいな。
さすがに増田にはそんなの晒さないけどw
とりあえず、増田に思いついたモチーフでも日記とか相談の体裁を取って書き込みつつ、反応を見ていこうと思います。
で、それを活かしつつ自分の未熟な価値観とかを反省しながらプロットを組み上げようかなと。
うれしかったので、また深夜のラブレターみたいなのを書いちゃった。てへ。
さあがんばるぞ。
ずっと小説家になりたかった。
幼い頃から本が好きで、物心ついた時には小説家になりたいと思っていた。
「みのり伝説」というマンガを読んで、ルポライターもいいなぁと思ったこともあったけれども、基本的には小説家になりたかった
学校でよく空想に耽り、小説を書いていた。ストーリィはいくらでも思いついたし、どんどん膨らんでいった。
大学3年のときにようやく気がついた。自分には才能はないのだと。
諦めて今の会社に勤めてもうすぐ3年になる。
最近自分を見つめなおす機会が多くなってきた。そして小説が書けない自分がいることに気がついた。
昔はあんなに書けたのに。思いついたのに。考えるのは自分の仕事やプライベートのことばかりなのである。
mixiの日記ならすぐ書ける。どこに行った、何を食べた、楽しかった。
でも私はそういう日記を書く大人になりたかったわけじゃないのだ。
何で小説が書けなくなったのだろう。
答えは考えても出ないのだけれど、まず言えるのは私が小説を書くことを捨てたことが起因だと思う。
人生において小説を書く時間を不要なものとして、切り捨てたのだ。
私から捨てたのに、今こうして喪失感と寂寥感にとらわれているのはエゴの塊だということは理解している。
その程度で切り捨てられて、小説をまったく書かなくなる時点で小説家になる才能がないことも理解している。
けど、私は小説家になりたかったのだ。
「外に出て闘っている」という実感が有れば何も問題は無い。
敏感さんでもそのうち馴れる。反面馴れって怖い物で、
「グラウンド・ゼロ」が起こった時はそりゃぁもう具合悪くなったけど、
今じゃテポドンが明日命中しても「別に...。」と成るかもしれない。
「ひょっとしたらワタシも関与してるかも。運が良ければ止められたか?」という思惑が頭をよぎり、
メチャクチャ具合が悪くなった。顔面蒼白って奴で、会社休むか?とすら思った程だ。
何でも、病院に行った方も居たそうだ。その人はギリギリまであの通り魔を落ち着かせようとしたらしい。
これはここだけの話な。でも1000人ぐらいは既に知ってそうな話だが、
...。まぁ、でもそれも日常になってしまったし、事件は凶悪化の一方だ。
これは「大人の事情」って奴で表向きには絶対に出せないようになっている。
だから、裏に仕込む。小説家はここぞとばかりにネタにするだろうし、アニメの脚本にしても良さそうだ。
タフを気取ってもこの有様よ。全くふがいない。
〜T.H.