はてなキーワード: 伝統とは
http://d.hatena.ne.jp/sk-44/20090619/1245413020
地を這う難破船:懲罰としての去勢
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51225683.html
とりあえず今は普通の女ということで世の中に埋没して生きてますけど、昔タマタマとチンコありました。隠喩的意味で「去勢」ってあるとつい見ちゃう(笑)。
北原さんはね、ほんと男性ホルモンの力をナメすぎてると思う。というか、普通の女はみんなそう。実感できないのは仕方ないから、その代わり世の中的な決めごととか「慎み」とか、そういうので「お前よくわからんやろけど自粛しとけ。その方が身のためや」って仕組みになってる。だから、ダンコガイさんは結構正しい。マッチョでウザいかもしれないけど、それが現実。
念のためだけど、「襲っていい」って意味じゃないよ。実際に起きちゃったら、100%加害者が悪い。でも、「悪い」と言ってもやっぱり悪いことは起こるし、どうしようもない。その起こる仕組みを、普通の女はリアルに経験したことがない。あんたたちがいかに想像力フル活用してもわからん。だからオッサンの言うことは神の法律だと思って聞いておいた方がいいし、実際、それなりの数の女がそうしている。
もちろん、逆の仕組みで男のわかってないことも沢山ある。わたしはweb上にあるエロ表現とかがすごく辛い。これは人にもよるし、全然平気な女もむしろ好きな女もいるだろうけれど、ああいうのがいかに暴力的に突き刺さるか、ほとんどの男は知らないんだなー、って思う。「イヤなら見るな」ってのはその通りで、だから見ないけれど、普通に生きてたら視界に入ることもあって、憂鬱になる。でもまぁ、それを規制することによる問題の方が大きいと思うし、頑張っている。
レイプゲームが話題になったときも、それで初めてそういうゲームの存在を知って「知らなきゃよかった」と思った。そういうの、法律で縛るのはわたしは反対だ。そういうゲームやったからって、本当にレイプしたりする奴はまずいないと思う。やってなくてもレイプするやつはいる。だけど、そういうゲームが世の中にある、ってことだけで、それなりにしんどい気持ちになる。でも仕方ないし、目につかないようにして生きていくしかないと思う。法律で縛るのは反対だけれど、そういうの好きな人は、知るだけでしんどくなる人も世界にはいるんだ、ってことをちょっとだけ覚えておいて欲しい。それで、みんなの目につくところでは、おおっぴらにお話しないで欲しい。こっそりやるのは全然良いと思う。
有名なFtM(女から男に性転換した人)が著書の中で「男性ホルモンを打ちはじめて体が変わっていった時、皮膚が厚くなっていくようだった。バリアができて、外界から守られる感じだった」というようなことを書いていたけれど、わたしはちょうど逆の体験をした。もうずいぶん昔のことで、前のことがあんまり思い出せないのだけれど、皮膚が薄くなってバリアがなくなる感じだった。物理的にも薄くなるんだろうけれど、バリアというのは、むしろ心のバリアみたいなの。
なんてのかな、たとえば「死ね」って言われたって、そのまま死んじゃう人ってあんまりいないでしょ。気持ち悪い絵とかがあっても、絵は絵なんだから、とか、お話はお話なんだから、って、共感しつつもスルーしたりはじいたりする力があるでしょ。言葉は言葉、本当との間には皮一枚ありますよ、という。
そのバリアが、男と女で違うと思う。バリアが薄いと「真に受ける」というか、表現がそのまま突き刺さる感じ。もちろん「言葉はことば」って頭ではわかってるんだけれど、ものすごく精神的にしんどくなる。逆に、嬉しいことも、ズバ!と心に直で入ってくる感じ。人の喜びがそのまま流入してハッピーな感じ(もちろんそういう共感は男女を問わずあるだろうけど、程度の問題)。
バリアが厚いというのは、良く言えば強くて、割り切ることができるってことで、悪く言えば鈍感。
バリアが薄いというのは、良く言えば感受性が強くて、悪く言えば弱っちい。あほの子っぽい。
バリアが薄い人と厚い人がいるのは仕方ない。だってもういるんだし。個人差もかなりあると思う。
だから、せいぜい厚い人と薄い人がいるんだな、それが現実でどうしようもないんだな、ってことで、生きていくしかない。
話ずれたけど、「地を這う難破船:懲罰としての去勢」はかなりイイと思う。
普通の女は、男の子が生きていく上でいかに社会的に「去勢」されているかわかっていない。わたし、(病気の問題は除いても)今の方が全然生きてくの楽よ。女付き合いとかは面倒だけど、特に仕事とか楽。治外法権っぽい。その分、出世とかできないし給料安いけど。人生全体がバイトっぽい(笑)。(追記:それが子供持つと変わるのかな、とは思う。産める人はそこでオッサン級に縛られて、ちゃんとオバハンになるのかな、と思う。ただ、これは逆に、普通の女じゃないわたしにはわからない。産めなくてすいません。ほんとすいません。あと、小学校・中学校時代の女子社会の陰湿さとかも経験してないから想像でしか語れない。ごめんなさい)
男の去勢は目に見えない法とか上下関係とかルールとかでできていて、そういうのはほんと大変。
女にも暗黙ルールは沢山あるけれど、対男用の伝統的ルールが大分ボロボロになってきている気がする。北原さんの例みたいに。それはあかんよ。通らないよ。
別にそんなめちゃくちゃ厳しいルールにしようとか、リアル法律作れって言うんじゃないし、作っちゃだめだと思うけど、慎み大事だよ。
男も女も、去勢されないとだめ。
オイラはリアル去勢して、これで済んだと思ったら、世の中的にもう一回女の去勢があって、もう去勢されまくりやわ(笑)。
結論:
それができないならタマ取れ。
以上。
プログラムでよく使われる
ファイアウォールとか、デーモンとかウイザード の 語源が それこそワードナと一緒だって事に気がつけば、
アニメの名前を使ったぐらいで、何か言うのは、プログラム業界の歴史と伝統がわかってねーよ。アメリカ人も同じなんだよ。
そういう意味で、ファイアウォールを防火壁と訳す日本人はセンス悪いと思う。確かに役割は・・・防火壁なんだけど、
本来の意味は攻性防壁の方が近いんだよね。
個人とか企業とかではなくて、プログラマの世界に息づく伝統の問題。
まぁ、カーネルといえば、今時はプログラム技術のメモリ管理系の技術でCafeCafe BabeBabeって通じる人いますかー。って言っておく。
昔はよく使ったものだけど、Webが出来るよりも前の技法だし、資料化しないような、内部符丁みたいなもので、
他人のソースコードを読んでなるほどナーと、自分も利用するたぐいの技術だけど。
まぁ、そういう事なのさ。
金正日が、アメリカの大統領がブッシュからオバマに変わるのを期待し、六者協議での決定事項の実行を先延ばしにしていたのは、クリントン政権時代のような融和政策を取り、支援を流し込んでくれると期待していた為である。担当者が変われば政策も変わるし方針も変わる、その変化の方向が、これまでとは正反対であると予測するのは勝手であるが、その予測を実現するのに、何をなしたかが重要となる。
北鮮は、大統領の交代後の接触において、感触が良くない事から、長距離弾道ミサイルの発射、地下核実験と、矢継ぎ早にカードを切った。強硬姿勢を見せる事で、融和を引き出そうとしたのである。
しかし、融和を引き出せなかった。
そこで、今度は北鮮側の担当者を変える事で、時間稼ぎを狙い始めている。
金正日の後継者として、三男の金正雲なる人物が後継者に認定され、長男と次男の取り巻き達は粛清されているという話である。
単純に後継者が決まったという話では信憑性が無いが、その他の候補者の取り巻きが粛清されているとなると、信憑性が高まる。
この時間稼ぎを、どのように評価するかが問題となる。
たとえば、拉致や偽札や核やミサイルは金正日の暴走として押し付けて終わった事にして、民生支援を引き出そうとするという展開が予想される。食料や燃料、軽水型原子炉の供与といった支援を引き出しつつ、実際は、核開発や弾道ミサイル製造を続けるという展開である。
政権の正当性を確保するのに、前任者を犯罪者にして処断してみせるというのは、特定アジアでは普通に行われる政治手法である。
金正雲なる人物が、特定アジアの伝統的手法を選択して親を処断してみせるか、あるいは、儒教的価値観を優先して金正日の路線を引き継ぐかは、もうしばらく様子を見なければわからない。
独裁制国家における政権の正当性とは、前任者からの禅譲であると言うのであれば、金正日の路線を引き継ぐしかなくなるであろう。ただし、それでは、せっかくの代替わりを利用できない。亡命した長男か次男を中国が担ぎ上げ、軍事的に平壌を落として継承させるという手もあるが、この場合に、金正雲を悪役に仕立てるには無理がある。既に金正日が死亡していて、今いるのは影武者であり、金正雲が弾道ミサイルの発射や地下核実験を命令したというように話を作る事もできないわけではないのだが、それを行って軍事的に平壌を落とし、新しい中国の傀儡が核や弾道ミサイルの開発をしないと約束したとしても、それに支援をするのは中国の仕事となり、我々は一切手を出さないという展開にしかならないであろう。
かつてのソ連が大国であったのは、衛星国の面倒を見ていて、地球上の陸地の半分を制していたからである。中国に衛星国の面倒をみるようになるだけの余裕があるかという点は疑問であるが、大国を目指すのが中国の方針である以上、北鮮を衛星国として取り込む動きは、いずれ、発生すると考えるべきであろう。
http://bouzumekuri.jugem.cc/?eid=275
今話題の僧職系男子でリア住の蝉丸Pのブログを読んで思い出したことを、つらつらと増田に書いてみ増田。
俺の小学校から中学までの同級生に地元のお寺の長女がいてな……お寺のお嬢さんというと某マリア様がみているらしい学園の話に出てくる娘さんみたいな人を思い出すだろうが、実際にはバレーボールでならしたスパルタ思想でいじめっ子、でっかいねーちゃんである……の話をする。
等と言われていたそうだ。ひどいはなしだ。と他人事みたいに言うが、我が家も実は彼女のお寺の檀家であって、俺のじいさんは檀家のなかでも一応役をもらっていたので、それに荷担していたと言えるかも知れない。
当時俺は、ドッジボールとなるとまず真っ先にねらってくるいじめっ子としての彼女しか知らない事もあるし、特に興味もなかったのだが、後で聞いた話によると、女子高生にする話かと思うのだが、
等と話し、終いには
とまで言う大馬鹿者もいたそうである。
地域でも主要なお寺であり、檀家の数も凄く多く、お祭りだなんだと様々に伝統を持つ。地方ではもう珍しいお寺の建物で葬儀を今でもやっていて、盛大なお祭りがあるせいか、檀家の結束も強い。特に、一定の年齢より上の人々は、なんか某新興宗教と地域の宗教を巡ってやりあったとかで、自分がこの寺をまもってるんだー!と言う気質が非常に強いと思う。
酷い話であるが、その両親の言い分もよくわかる。彼女は「おじいさんですか?」と間違われるくらい高齢になってからの娘さんで、一人娘の長女である。高校生の時、父親はすでに60代、住職としては脂がのっている時期かも知れないが、あまり若いとも言えない。
その両親も20歳以上年が離れており、父親は養子で、それも檀家が世話したらしいと聞いた。
また、檀家だって必死である。寺が無くなったら確実にこまるからだ。都会だと葬儀をする専門の僧侶が詰めて宗教法人が運営している葬儀所みたいなのがあるらしいが(よく知らんけど)田舎には葬儀屋はあるが基本的に坊さんは自分たちの所の坊さんに依頼するしかないのである。辛口な言い方をすれば老い先短いジジイ共が自分の墓を心配する、つまり、刻一刻と近づく死への恐怖を別のベクトルで放出しているのである。
おそらく凄いプレッシャーがあったのだろう。
で、結局どうなったかというと、結局彼女は彼が僧侶になることを承諾して、修行だか学校だかに行ってから結婚することになっているので一件落着だった。だもんで大事にはならなかった。門前の小僧、近所の少年である彼女の彼を仏教へと進ませるために言っていたんだ、とその住職や周りの檀家のジジィ共は言うが、それは結果論じゃないかな。まぁいいけどさ。
蝉丸Pの話と違うところは、このお寺は檀家の人数も多く、地元の幼稚園、女子校、女子短大を経営する仏教系学校法人ともつながりがあって住職はその学校法人の偉いさんをやってい等々と経済規模が大きいところである。(その彼女も女子校の体育教諭である)それが救いかも知れず。
特にオチはない。
本当、有史以来変わらない伝統ですよね。
パリ名誉市民に輝くダライ・ラマ猊下、身辺に慌ただしさが滲む。「後継者は私の存命中にあるかも、外国人かもしれない。女性の可能性も」
ダライ・ラマ十四世の後継は、チベット仏教では形式的にパンチェン・ラマが指名する。
実際には法王の崩御から四十九日以後に輪廻転生があるわけだから、霊性に優れた赤ちゃんを、生前の法王の発言などのヒントに基づき、ブレーンらがチベット地区(現在のチベット自治区に限らず四川、雲南、青海省など、伝統的なチベット人居住区)をくまなく探し求めて、何人かを選抜して或る場所に集め、四歳か五歳に成長してからの霊性、知性をみて最終的に選び出す。
生前、「湖畔のほとり、山の緑ふかい場所」とかのヒントの集積による。
しかし、チベットは1951年に中国共産党に侵略され、夥しい僧侶が殺され、チベット寺院の多くが破壊され、先代パンチェン・ラマは北京に幽閉されていた。
1995年にパンチェン・ラマ後継をダライ・ラマ法王が選ぶと、その指名されたニマ少年を両親ごと中国は突如拉致し、どこの馬の骨だか分からない少年を洗脳して「パンチェン・ラマ」をいま名乗らせている。
行方不明の霊童=ニマ少年は、いま生存していれば20歳になる。
中国が“指名”した「偽パンチェン」は昨今、中国全土を行脚し、「私は共産党の指導の下で、仏教を説く」と講演して歩くため信者の中に失望が生まれている。
チベット仏教の輪廻の法則では、この「偽パンチェン」が次のダライ・ラマ十五世を選ぶことになる。
そうなれば中国共産党が指令、指示するがままの傀儡祭主が誕生することになる。
あまつさえ共産党は07年に「次期後継のダライ・ラマは最後に共産党の承認が必要」という法律を勝手に制定し、人事権とごっちゃに後継指名権を把握したつもりでいる。
チベット亡命政府のなかには、ダライ・ラマ十四世の穏健主義に反発し、独立をもとめるチベット青年党の存在が確認されている。
だが現在のダライ・ラマ猊下がインドへ亡命してすでに半世紀が経ち、十四世の後継問題は、いよいよ深刻になってきた。
最近、法王は「次期後継者は外国人かも知れないし、チベット以外の場所で育った者かも知れず、いや女性であることもある」と発言した。
ヘラルドトリビューンに拠れば、「後継者選びは私の存命中に行われる可能性もある」と示唆したという(6月9日付けIHI、一面トップ)。
当面、インドへ亡命してきたカルマパ十七世が、ダライラマ法王のもとに仕えており、周囲に拠れば、カリスマ性がともなっているという。カルマパ十七世は北京政府が指名した経緯があり、99年に亡命した。いま24歳。
「かれはおそらく後継が正式に決まるまでの暫定期間、精神的指導者の役を演じるだろう」(NYタイムズ)。
最悪のケースでは「ダライ・ラマが二人、この世に現れることになる」。まるで南北朝の再来、中国のチベット支配のえげつなさはとどまるところを知らない。
某取締役の「日本のウェブは残念だ」発言が物議を醸していますが、このままでは何の生産性も無い議論が続くだけです。そこで、日本のウェブの自慢できるところを百個くらいあげて、彼に送ってあげましょう。
日本は国土が狭く、木が多いので、建築の主体が木造建築でした。そうした伝統を受け継ぎ、日本のウェブは非常に燃えやすく出来ており、そこにこそ、日本の伝統と現在の知性の結びつきが見られます。
現代では、地域での交流が少なくなり、いたずらした子供を注して回るような、いわゆる「カミナリおじさん」がほぼ絶滅しましたが、ウェブ上では、そうした古き良き伝統が復活しています。ブログなどで少しでも倫理にもとる発言をすると、どこからともなく100名くらいのカミナリおじさん、おばさんがやってきて、コメント欄で「あなたは間違っていると思います!」「死ね、くず」といったコメントでいっぱいになります。中には、「半島人、帰れ!」といった、戦前の教育を復古するような、とても知性にあふれた人が出てくる事もあります。
あと面倒なんで、みんなで考えて。
改訂3版)以下の文章(改定2版)は言い訳ですが10分程度で書き上げたものなので、
普段の自分の主義主張と反するところがありましたので、改定3版としてこれを書きます。
そのことを鑑みると、「他人に迷惑をかける」という行為よりも先立って「女装をする自由」というものは
存在するはずです。またそれと同時に「リナカフェで女装をする自由」及び「女装を嫌う自由」というものも存在します。
前の主張ではこれを否定しているように見えますが、否定しません。
その上で「迷惑であると”思われる”からやめる」という言説には真っ向から反対したいと思います。
嫌う人がいる場所でそのようなことを行うことの良し悪しの判断というのは、個々人の倫理規範に
帰結されます。つまり、「常識的に」考えて「迷惑」であるからやめろという言説は、
それこそ「一般的」な倫理を押し付けることになります。これは、日本に存在する
悪しき伝統であり、あってはならないことです。
では、嫌いな人はどうすればいいのかという疑問が浮かんできます。
解決策としては、迷惑な人はきちんと「迷惑である」ということを、女装をしている人に
伝えればよいのです。女装をしている人はそのようにいわれて、なるほどと納得すれば
やめればよいし、自分はあくまで女装がしたいというのであれば女装を続けていれば
いいのです。女装がおかしいことであると考えること事態が「一般的な常識」を無批判に
受け入れている愚昧な民衆といえましょう。(私もですが)
今回はリナカフェ側で「他の客に迷惑ないなることはやめろ」といっているだけなのですから、
女装をしたい人は試しに女装をしていってたたき出されればリナカフェは女装を他の客に対して、
迷惑なことだと考えているということがわかるまです。
そこまでやる勇気がないのになんとなく女装をしていた人は自重すればいいことです。
改訂2版)増田にこのようなことを書くのはおかしいかもしれないが、それ以外に書くところがないので
ここに書きたいと思う。
まずtwitterユーザーの一部に有名なリナックスカフェというものがあり、twitterユーザーの
溜まり場の様なものになっていた。
そのような状況が下地となったかは分からないが、今回以下の様な事件というか醜態が起きた。
ttp://twitter.g.hatena.ne.jp/yuyu_yukky/20090518/1242643708
5/10 ついったったー2人がトイレで着替え女装して数人が携帯カメラなどで撮影
うち1人が少しustream配信したらしい
世間の一般的常識という言説を持ち出すのはためらわれるが、
喫茶店という営業形態を考えたときにこのようなことをした人たちによって
リナックスカフェは明らかに「逸脱させられている」。
元々リナカフェで立ったまま話したり部分的に固まっていて迷惑をかけることがあった
上記の様なこともあって、twitterユーザーには秋葉原における拠点の様に考えて
我が物顔に使っているかもしれないが、リナックスカフェから見ても、
邪魔な客に成っていると思われる。
その上で、2chのtwitterヲチスレでは犯人捜しが行われているような感じも受けるが、
女装を行い他のtwitterの内輪が分からない若しくは女装を嫌悪する客にその様な感情を抱かせることによって
リナックスカフェに迷惑をかけた、またその場にいた人々が静観を決め込んでいるように
見られるのは如何ともしがたい。
まるで雷雲が通り過ぎれば良いというような感を受ける。
今回の事件をそのような形で終わらせたのならば、まだ第二第三の事件が起こってしまうのではないか。
悪のりに悪のりを重ねて起こった今回の行動は総括される必要があると思う。
twitterを使っている人⇔妙な人となっても私は別にかまわないが、
その上で、今回の騒動を引き起こしたユーザーは静観を決め込むのでなく、
なんらかのアクションを取って欲しい。
追記)女装を行ったことに関しては個人差があると思われるので表現を訂正。
私としては「女装」を行うことに問題があるのではなく、女装を嫌悪する人がいるかもしれない状況、
今回の場合は店が見かねたか、または苦情が入ったかであろうが、でそのようなことを行ったことに問題があると思う。
ただ、以下の3ユーザーだけが問題なのではなく、その場に居合わせたユーザーにも「止める」ことをしなかった責任がある。
そうすると、今までこのような状況になる土壌をつくってしまったtwitterユーザーにも反省を求めることはできるだろう。
個人叩きに走ることは私の様に簡単だが、今回のことを受けて、リナックスカフェを使っている若しくは使ったことのあるユーザーは、
やはり自分の態度には落ち度がなかったか再考する必要がある。
怒ってないのかもしれないけど話の本筋とかまったく無視でやれ文章がどうのとか日本語がどうのとか。
そこまで言うなら正しく書き直した文を書いてみてよ。
そうしようかと思ったけど、「話の本筋」がなんなのかさっぱりわからないから無理。
本筋すらわからないからこんなこと書いてるんだよ。
大学行くなって人ほどキツく言う気はないし
俺も美術系学生の事情や学力程度は知ってるけど、17歳でこんな国語力はあかんよ。
美大行ったって作家様になれるわけでなし、わけわからん文章しか書けなくてまかり通る人生なんかない。
一応、こんな説教みたいなことだけじゃ不親切なので
元増田が言いたかったこと・聞きたかったことを推測で以下適当に見繕った
選べ
1・「伝統行事を突然中止にした教師の決定をどう思いますか?」
(この場合、何故中止にしたのかの背景がないと答えられない)
2・「既に決まったことに無駄な抵抗をする友達とスッパリ諦める私、どっちが良い子ですか?」
(これも「何故中止になったのか」次第なので答えにくい。無駄な抵抗なのかどうかも判断不能。
というかまあ、好きにする話だろう。表現を学ぶものとしてありがちなパンク性を発揮するもよし、
元増田みたいに「ソレに乗れない自分」に自意識をピクピクさせるもよし。思春期には俺は後者だったよ。)
3・「教師はああ言ってるがなんとか決行したい。抜け道はありますか?」
(これもレギュレーションや中止の背景が欲しいが、まあ一番答え易いか。
文章力云々については他の増田に任せる。
自分だったら、学校側が今までの伝統(非公式で、下品なものにせよ)を変えようとしている、その意図なり背景なりをまず知りたいと思うよ。
体育祭の中で「黄・赤・白・青」それぞれ自分のチームのTシャツを着るのですが
私の学校は美術科と普通科に別れていて、運動を苦手とする人が多い美術科はTシャツに
最後の体育祭なので、すばらしい絵をTシャツに描こうと意気込んでいたのですが
今年はTシャツに絵を描くことが禁止になりました。
私のクラスのギャル系の人たちは、署名を集め生徒会に提出すると頑張っていて
いくら署名を集めても、現状は変わらないと思っています。
先生はTシャツに絵を描いた生徒は体育祭に出場させないそうです。
美術科は絵を描くのですが、普通科はTシャツに文字を描く人しかいなくて
しかもその文字というのが「おっぱい大好き星人」「Gカップです」や性器の絵を描いたりしている人もいます。
美術科は なのはや初音ミク、モナリザやアジカンのCDジャケット等を描いている人が多いです。
私は皆が学校に反対してまで署名活動や、盛り上がってるのがよく分からないのですが
友達になぜそんなことをやるのかと聞いたら
「絵を描きたいから描く。Tシャツに絵を描くことを規制されるのはありえない」
とか言われました。
皆さんはどう思いますか?
書き直してみる
昔のゲームの方が面白い派 と 今のゲームの方が面白い派 の二種類がいる。(もちろんどっちも好きだって人も嫌いだって人もいるって。この話はこの両者の相互理解不足についての話で、前者と後者って言うために最初に上げてるだけ)
前者は昔のゲームだけ知っている or 今のゲームも知っているが昔のゲームの方が面白い と言う人がこれに当てはまる。
後者は今のゲームだけ知っている or 昔のゲームも知っているが今のゲームの方が面白い と言う人がこれに当てはまる。
1.前者は昔の傑作だけ上げて昔のゲームの方が面白かったと言っている。(昔の糞ゲーや普通のゲームのことは話に出さないor忘れている。)
このため特に昔を知らないタイプの後者は「昔のゲームは全部面白かった。今のゲームはつまらないのが多い」のような言われ方をしているように感じてしまう。
前者が傑作だけを上げて話している前提が後者には伝わっていないから誤解を生んでいる。
これは後者も同様で、今のゲームの方が面白いとだけ言うと、前者はとにかく今のゲームが昔のゲームよりすべて面白いかのように受け取ってしまう。
2.前者は思い出補正を含めて昔のゲームの方が面白かったと言っている。
後者には思いで補正が掛かっていることが伝わっていないし、前者も思いで補正が掛かっていることが分かっていないこともある。
3.前者はゲームに対する新鮮さが薄れているため昔のゲームの方が面白かったと言っている。
思い出補正と同様前者と後者では同じゲームでも感じ方が変わる。
これも後者も同様で、つまり先にプレイしたゲームの印象が強く残っているという前提を抜きにして両者が会話をしてしまっている。
後者はこれを侮蔑的に受け取っているが、後者は絵が綺麗なことを否定しているわけではない点が伝わっていない。
制作にかかるコスト内の比率が絵に寄らざるを得ないために、システムにコストがかけられずバランスや操作性に不満の残るゲームが出てしまうことへの懸念として「そんなリスクがあるなら絵を綺麗にしないでいい。PSやSFC位で十分だ」と言っている。
(ただしこの問題は単純に「絵を綺麗にするために時間を使うのでシステムに手が回らない」事が原因ではない。内容が複雑になっている点やプログラムの高度化、細分化、開発人数の増加、教育不足も原因の一つ。また昔のゲームもバグは多くあったが今のようにネットが発達してもいないのでバグがあっても耳に入ってこなかった、今はバグが出るとネットで大騒ぎしているのでバグが多くなったような気がしているだけだったりもして、絵を昔の水準に戻すことで一概にシステムが良くなるかは分からない)
結局の所これも前者が昔のゲームにもバグがあったりシステムがいい加減なゲームがいっぱいあったことを忘れているのか思い出で美化してるのか、後者には伝えていない点が問題。
また、昔のゲームでなれている人は絵がドットでもなんてことはないが今のゲームから入った人は昔のドットで満足しきれないでもしかたない。
これはバーチャルボーイの失敗から明らかだし(カラーが当然の時代にモノクロには戻れなかった点が失敗原因の一つとされている)、一般的にも今携帯電話がなくなったら不便みたいな話と一緒。
5.前者はシリーズ最新作より過去の作品の方が良かったと言う。
これは思い出補正もあるし先にプレイしたゲームの印象が強く残っている点もあるが、シリーズに対する期待の仕方が違うという点がある。
過去のシリーズをプレイした人はプレイしていない人に比べて最新作に対する期待値が高くなる。(あのシリーズの最新作なのだからもっと面白いハズ! という期待)なので同じゲームをプレイしても期待が高すぎるとつまらなく感じるし、全作にあった良いシステムが改悪(たとえ改善でも)されると違和感を覚えて不満を感じることがある。またシリーズの雰囲気ががらりと変わるとそれを受け入れられないこともある(伝統のようなもの。この辺は老害と言われてもまぁ仕方ない)
ということで、前者は以上のような話をもって昔のゲームが面白いと言う方が相手に誤解を与えずに良いと思う。
それと、ろくに遊びもせず見もせず今のゲームはつまらないと言うのはダメだ。
上に書いたように昔のゲームが面白くて今のゲームがつまらないというのは前者自身の勘違いや補正もだいぶ入っているのだから。
これは若者に対して「最近の若いもんは」と言うような思考停止と同じこと。
また今のゲームの方が面白いと豪語して昔のゲームが面白いという人には問答無用で懐古厨と言うのも同じことだ。
少しはまとまったかな
もう既に似たようなレスいっぱいついてるが、数のうちということで。似たような感覚で済ませた既婚女です。
蛇足だが。目の前に具体的な1人の人間がいるんだから、「いまどきの若いのってそんなものなのか?」じゃなくて、彼女個人がそういう人なんだと理解するきっかけにして欲しい気がした。これから長い人生をともにする人だよ。他多数のいまどきの若いのがどうかなんてどうでもいいじゃん。
他国に軍事介入を繰り返すアメリカは、一見「こわもて」の極右国家に見えるが、実はそうではない。
マイケル・ムーアが「アメリカは左翼の国」と言っていたが、正にその通りで民主主義のアメリカは基本的に左翼なのです。
民主主義の根底には革命があり、革命とは反体制の「左翼イデオロギー」である。
そもそも国民がサヨク的で政府を厳しく監視していなければ民主主義など機能しない・・・
アメリカが民主主義国家なら、当然アメリカも左翼の国と言う事になる。
左翼の「反体制」的傾向がアメリカの場合、国内ではなく国外に向けられているだけだ。
アメリカが「民主主義を広める」名目で対外戦争を繰り返しているのは、フランス革命後にフランスが「革命の輸出戦争」と称して侵略を行ったのとそっくり。
サヨク国家のアメリカから見れば本当の意味で「保守的」な日本は随分と遅れた国に見えているに違いない。
アメリカ人に「日本の皇室には2600年の伝統がある」なんて言っても自慢にはなりません。
革命の精神を重んじる彼らからすれば、革命が起こらない日本より共産中国の方がよっぽどシンパシーを感じられるのでは?
所謂「ネット右翼」と呼ばれる連中は、どんなに自民党が腐っていてもナショナリズムという飴玉を与えてやるだけで現政権を支持し続ける。