陸の上では死んだ目をしてるのに海ではキラキラしてたよ
ワイの時で既にフィリピンの船乗りさんがメインで日本人の船乗りさんは数名乗船って感じだった
海賊情報とか未だにやり取りしたりでいろいろすごい業界だなって思った
あと船舶と全然関係ない寄稿をマリンエンジニアにしたことあるよ。何でもいいって言われたので本当に適当なこと書いた
乗船したのは千葉の港で小型船を運転してた人は船乗りさんと別にいたぞ
そして転覆しそうって思った
漫然とした毎日だった。
プライベートなことがひと段落し、転職もして、新生活(皮肉)でダラダラしてたのがまずかった。
心の余裕に悪魔が入り込んで、囁くんだよ。
「何のために生まれたの?で?何をして生きてんの?お?」
不快で、目の前の小さな快楽を得るためにYouTubeをぐるぐるする毎日だった。
さすがキティさん、社会的に意義のある活動を矜持を持ってなされていることがとてもよく分かる内容だった。敬意を覚えた。
その動画の中でも一番印象に残ってるのが、
"男性がキティちゃんを好きになるのは変ですか?"みたいな質問に対しての神返答。
「誰のどんな好きも、否定されない、否定しない、そういう世界になったらいいなって思うから、がんばる」
サビでしょこれ。
キティさんは、がんばる。
なぜなら、キティさんは、そういう世界になったらいいなって思うから。
そういう世界とは。
何を?
誰の、どんな"好き"も。
キティちゃんをかわいいって思うおじさんだっていい。ロシアに詳しい丸の内OLだっていい。
キティさんは、がんばる。
なぜなら、キティさんは、そういう世界になったらいいなって思うから。
「誰のどんな好きも、否定されない、否定しない、そういう世界になったらいいなって思うから、がんばる」
Hello Kitty, 2021
この言葉に救われた気がした。俺が今まで言われ続けた自分の"好き"を否定した言葉を減らしていくために、キティさんががんばると言ってくれた気がした。
気がしただけで、嬉しかった。
ぶつかることはあっても傷つけることはないようにしてる。
「誰のどんな好きも否定されない否定しないそういう世界になったらいいなって思うからがんばってる」
キティさんのこと、かっこいいと思ってる。
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"好き"とは。キティさんとは定義が異なるかもしれないので、仮に『対象を知覚した時に反射的に起こる、時に持続性のある快感情のこと』と定義しておく。
歌を詠む平安貴族の間では中国の漢詩漢籍の知識は全員知ってて当然みたいな土壌があって
基本的にその知識をもとにしていかにヒネッたイケてる歌を作れるかのマウント合戦みたいな部分があった。
現代日本のネットーミムも「吉野家コピペ」「高菜食べてしまったんですか」みたいなのはもうこの先何十年も
残り続けそうな気がする。すでにリアルタイムでそれを経験してる世代より10年20年後の世代でも使っていたりする。
どんな人間でもちょっと調べればどんな内容か理解できるしその面白さには普遍性があるし、それに絡めて語れるようなニュースがあったりしたら
仕事できる人も他人や若者には教えるのがくっそ下手。(自分ルールを押し付けがち)
40代後半が多いのは、その世代が団塊ジュニアちゃんだからではないのん?
ちなみにおじさんおばさんが多い日本で石投げたら、おじさんに石当たるのかな
風「照れるわ」
凄い風だー。
なんで?
馬鹿の話は必ず長い
中で雨が降ったら大変だろ