「夫は家事をやってくれるけど、やり方が自己流で気に入らない」みたいなクレームが正当なものとしてまかり通るのはなぜなんだろう。
食器をしまう位置だの、洗濯物のたたみ方だのについて、いちいち妻が夫にこだわりを押し付けるのは家庭内でのハラスメントじゃないの。
https://twitter.com/ncc170116/status/1184592526516375554
「差別だ、入れてやれ」と叫ぶ人は感情論で、入れない理由を挙げる人たちは理性的だという声があるけど、本質的にはどちらも感情論だと思う。
見殺しにするということで、あとでホームレスが死ねば気まずい罪悪感を覚えるだろう
一時的に隣に臭い奴がいるのと、のちのち罪悪感をごまかして生きる気まずさ
どっちがイヤかといえば、死ぬまで続くという点で後者の方がイヤである
自分も区民だか市民だかの一人として数千分の―、数万分の一の責任を追うことになる
つまり自分もホームレスを合法的に死なせた殺人者の一人となるわけだ
そんなの精神的に耐えられないよ
――という"感情論"で、俺はしぶしぶホームレスも助ける方に賛同する
オタクの陣営としては、ある程度「安心」していい時代ではあるんだろうな。「油断」はできないけど。
一度安心してみれば、感情的になっていた自分の理論の隙も見えてくる。そうして一旦腰を据えて、今まで以上に隙のない筋の通った理屈で反論することを心がけていこう。
明日の空腹を満たす余裕もなく、鍬を持って暴れるしかなかった以前とは違う。頭のいい軍師の話をよく聞いて、きちんと作戦を立てて、少しでもよく研いだ刀を持って戦おうな。
些末なことで反論するのもまあ自由だけど、本来は支持してくれるはずだった分厚い中間市民層が、なだれを打って反対側に回っていること(山田議員の54万票など参照)に危機感を持つ方が、判断としては正しいと思いますよ。
「表現の自由は票になる」現実を招いたのは誰なのか。— 丹治吉順 a.k.a. 朝P (@tanji_y) October 16, 2019
どこの話なんです?