僕は低能先生と呼ばれている人から低能とののしられたことはない。
一度、偶然、宗教はエセ科学か?というネタで増田でレスバトルをした相手がいわゆる低能先生と言われている人だと最近気づいた(数週間前)。
で、その後、意識からは完全に消えていたのだが、昨日の事件でその時のやり取りを思い出した。
T先生(ここではこう呼ぶことにする)は論理的にはかなり隙の多い論を展開していたのだが、宗教というものに対する期待と失望みたいなものを内包した、複雑な感情を抱いているのかなと感じさせるものがあった。
正直、色々と知識不足だなと思わせるところはあったのだけれども、こちらとしても科学と宗教の線引きみたいなものを再考するまぁいい機会となったのを覚えている。
さて本題はその話の内容ではない。
僕が彼と議論もどきをしている間に、彼の事を低能先生と揶揄するレスがいくつかあったのだ。
ウォッチャーからすれば一目瞭然だったのかもしれないが、少なくともその瞬間の議論からすれば、彼はそのような揶揄を受けるようなことは言ってなかった(表現は攻撃的だったかもしれない)。
ここで僕が思うのはやはり、T先生に対するネットリンチ的なものは自業自得の部分を多分に認めるにしても確かにここに在ったのだと言う事だ。
彼をそうやって瞬間瞬間追い詰めていた人々(一人かもしれない)は僕から見ればT先生の悪しき部分を同様に発露している人々だと思う。
だが、T先生を揶揄していた人々はT先生の様になってしまう前に自省してほしいと僕は思う。
心の中でひっそりとでいい。
本当にいくか?っていう疑問は正しい。
現に、原子力が結局この40年で完全な制御下に置けなかったからな。
昔は本気でコントロールできる世界になると思ってたんだぜ?笑えるだろ。
そもそもの話、人間や生物が持つ考える力、自意識の構成要素自体が不明なのに同じ原理を作れるとは考えにくい。
毎日の楽しみが一つ減った。
朝、職場についたらHagex-day.infoを開いて、色々作業をしながら斜め読みするのが日課だった。
休みの次の日は、2日分の記事を読んだりして、ちょっとお得な気持ちを味わったりしていた。
増田がガス抜きと本人も書いてたけどブクマカ界とマスダ界でだいぶ在り方違ってたぽいからな
わかるーっていうか今目からうろこだった。
余計な空気が入ってきて胃が膨れてあとでげっぷとかもでるし結構めんどくさいです。
それと、味のバラエティがない点で
副菜食べたいとおもってたけどそればかりじゃなく一緒に食べるからってのもあったのかー。
ん?やっぱり途中で味に飽きると唾液が出なくなるのもあるか?
おなかがずっと苦しいのやだからなー、
なぜネット上で多少会話した程度で彼の内心を判断できる気でいるのでしょう
おそらく当人すらよくわかってないことをなぜ他人が決めつけるのでしょう
ホテヘル客で溢れてるのをどう思うかだな
それお前の感想じゃん