たまに落書きとしてコピー用紙にコマを割って漫画を描きたくなるときがある。
頭の中にはだいたいのストーリーができている。
各場面の一枚絵の構図ははっきり思い描くことができる。
真っ白い紙にコマを割って、思い描いた一枚絵を各コマに描いていけば漫画は完成するはずだ。
しかし各コマにキャラや背景を配置していくと、絵でコマを目一杯使ってしまって吹き出しを置くスペースがいつもなくなってしまう。
いつでもどこでも被差別者の内面を出すな、TPOを考えろと言っているんだ
なんかあるたびに議論停止語を出すようになると、「自分は弱者だからこのワードを出す権利がある」と主張する泥仕合になるからだ
じゃあ、かーちゃんのメシは残していいの?
給食のおばちゃんの気持ちとか考えないの?マナー悪いね、日本人?
農家の人や死んだ豚や牛に顔向けできんのか?
漫画とかアニメとかラノベとか、そういうのが好きなのでよく見たり集めたりしている。
Twitterもラノベ作家とかアニメーターとか漫画家とか、そういうクリエイターをたくさんフォローしている。
でもはちまやJINのURLが流れてきた時点でその人をブロックしている。
なぜそんなに具体的な名称を使う?
専門知識をつかってもいいけど、〜という〜のような〇〇、のように知らない相手を想定した説明の仕方をなぜしない?
そもそもお前の技術力は十人並みなのになぜ対人能力を磨かない?
分野が多岐に渡れば知識の漏れがあることは仕方ないのになぜ補い合おうとしない?
なぜ他人が知らないことを見下し、自分が知らないことは知る必要がないと正当化する?
お前をかばい続けてきたけど、成長が見込めないからもうこれ以上無理だ。
一生唯我独尊を貫いて生きていればいいさ。
もう12年近く前になると思うが、「釣りバカ日誌」がアニメがやっていた。
僕の家はビッグコミックとオリジナルをずっと買っていて、僕もわからず漫画という事で読んでいたので、「釣りバカ」を家族みんなで夕飯時に見られるのが楽しかった。
アニメになって印象的だったのが、ハマちゃんがやらかして、佐々木さんが思わずトイレに駆け込んで胃薬を飲むという一連の流れだった。
僕はそれが全く理解出来なかった。学生だった自分にはストレスを感じる事自体はもちろん、胃が痛くなるという経験すらなかったし、父も母も胃薬を飲むシーンはほとんどなかった。
だから胃薬を飲む事自体が創作の中で大げさに何かを表現する時の出来事の一例だと思っていたのだ。(驚くと目玉が飛び出るのと同じだ)
大人になって仕事をするようになってしばらくすると僕は逆流性食道炎を患い、胃酸を抑える薬を常に持ち歩くようになってしまった。
もどすような咳をして、個装になった粉薬を飲む。飲むたびに医者に「逆流性食道炎は花粉症みたいなもので、対処療法しかないんだよね」と言われたことを思い出す。
僕はハマちゃんにもあるいは山口六平太のようになることも、かといってC級さらりーまんになることも出来ずに、今日も胃酸を抑える薬を飲む。
寝る前に飲む薬は錠剤で、効き目の少し強いやつだ。