父が危篤の時、ボクは家にいた。
「いつどうなるかもわかりません。」
酸素吸入は、限界まで10リットル流されていたが、SPO2は60台だった。
内服のモルヒネは効果がなく、点滴に変更したためほとんど意識はなかった。
呼吸は下顎呼吸になっていた。
痛覚刺激も殆ど無かった。
「今夜か明日が山ですね。」
その日はそう言われていた。
そう父に言って、一度家に帰った。
ipadでエックスビデオを開いているが父のことが気になってなかなか硬くならなかった。
でも、とにかく出したかった。
パソコンにHDMI端子をつなぎ、テレビでエックスビデオを見た。
42インチテレビなら等身大に近い感じで映し出されるからより臨場感があるだろうと思った。
すこし硬くなってきた。
でも、なかなかぎんぎんにはならなかった。
ボクはそこで間違った行動に出てしまう。
そして、すぐにその時がきた。
父の呼吸が止まっていると電話があった。
その時、ボクはあまりに固くならないのにイライラしてバイアグラを服用ししてしまったのだ。
本当に情けない。
父の呼吸が止まった瞬間、ボクはギンギンになっていた。
しかし、その後はどんな動画を見てもボクのあそこは反応しなくなった。
大好きな女優の大好きな部分を見ても、父との思い出が頭をめぐりまったくの無反応だった。
父に面会したとき、ボクのバイアグラ血中濃度は結構あったと思う。
父の死に目の時にボクがバイアグラを飲んだ状態であろうとは父も思いもしなかったと思う。
父も死んでも死にきれないだろう。
ボクも今まで生きていた中で一番悲しかった日だった。
会話よりメシを食うことのほうが楽しいに決まっているというのに。
そういう講釈を垂れるなら「種の存続」「種の保存」はやめようよ今時
これまで気が付かなかったけど、ウォシュレットって肛門の周囲を洗浄するだけじゃなくって、
おれみたく常に下痢気味でうん切れが悪く、何度拭いてもペーパーにうんこがついちゃう人間が、肛門の内側を洗い流すのにも使えるんだな。
周囲の影響は当然あるでしょ。当たり前。
「理想の人生」としてパッケージ化されて入力されるものではなく、
外界とニューラルネットと不確実性の相互作用によって出来上がるものだ、ということ。
「育てる」ことにあまり興味がないのは確か。教えるのは割と得意だけど。
さっきのサイトにも書いてある通り、相互作用や不確実性のきっかけを与え、成長そのものは自己組織化に任せるべきだと思っている。
育成ゲームのような不確実性やループ・フィードバックの無いシステムには全くリアリティを感じない。
非線形を理解していれば、「育てたように育つ」または「育てたいように育てる方法が存在する」という発想には普通ならんと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20130604105020
料理をする人からすると、こういう人に食べられてもあんまりうれしくないんだよね。
調理手順とか調味料のバランスとかをレシピ覚えたりそこから自分で調節したりして出来る限り「おいしい」ところに持って行っても、
その味自体はどうでもいいってことでしょ?
「お弁当を余計に作っちゃったので、自宅に持ち帰って食べてください!」
って涙目で言われれば、目も合わさずに断る(静的に)
と某所で読んだけれど
その仮説にしがみついてるのは、どちらかといえば
《美人とヤれない男》の方だと感じる
僕は男だけれど
美人は性格悪いと言ったり仄めかしたりする女性には会ったことない
男性では何人か
背の低い女はちやほやされ慣れていて性格が悪いが背の高い女は逆で従順だから良い なんていう知人もいた
男の僕が観測できる範囲では
美人がいじめられているというシチュエーションにも遭遇したことがない
美味しいって何だろう?
そこまで美味しい食事に拘れるのって、なぜなんだろう?
味覚が優れているのか?
実際、俺は味がどうとか分からない。辛いとか甘いとかは分かるし、何を食べてもある程度は美味しい。
けど、その美味しいという感覚は、よくよく考えてみれば、作ってくれる人に対する感謝であったり、
一緒に食事をしてくれる人に対する感謝のような気がする。
だって、「一人で」「感謝しても意味が無い人が作った料理」を、わざわざ食べたいとは思わない。
たとえば、、、
「お弁当を余計に作っちゃったので、どーしても一緒に食べてください!」
「お弁当を余計に作っちゃったので、自宅に持ち帰って食べてください!」
って涙目で言われれば、目も合わさずに断る(静的に)
これって、前者ならクソまずくても美味しいと言うし、後者だったら、どんな高級食材を使われていようが捨てる。
もちろん、会社の上司とか接待とか「一緒に居たいと思わない人」と食事するのも嫌だ。要するに我儘か。
まぁ、こんなのは俺の考えであって、元増田とは考え方が違うから、始めの疑問にループする。
美味しいって何だろう?
そこまで美味しい食事に拘れるのって、なぜなんだろう?
うーん、そういうことになるのかな…。
俺が全然優秀じゃない(なんせ悔しいわけで)から、俺自身がどこまで行けるか見てみたい、と思っているんだけどね。
子供に対する態度は、前に性格診断をやったときに出てきたhttp://www32.ocn.ne.jp/~emina/typebox/intp.htmlに書いてあることが全くその通りだと思った。
ほぼ同意。
カニなんか、外食どころか、誰にも見られない自分の家で一人でむしゃむしゃ食べたいわ。
そのくらい集中したい。
一方、一人でフレンチだと皿と皿の間がもたなくて、携帯見るのもカッコ悪いし、そこで余計な気を遣っちゃうってのもわかる。
皿が来ている間は集中していられて一人の方が良いなと思うんだけどね。
つまり、どれだけ余計な気を遣わざるを得ないか、食事に集中できるか。
でも価値観を同じくする人と「これおいしいね」って言いながら食べるとおいしさは倍増したりもする。
黙って食べていてもお互い平気。余計な気を遣わないし、負荷は少ないし、そんなこともたまにはある。
適当にググっただけだが下瀬火薬製造所ってやつじゃね?