2013-06-04

http://anond.hatelabo.jp/20130603143816

いい年をして「恋」と「愛」の区別がついてない輩は得てしてこういう錯乱したことを言う。

やや古いネタだが、いわゆる盲目的な「恋」の持続期間は、一般的に3年程度であるという説がある。

これは、恋愛本能的な目的であるところの妊娠出産育児に最低限必要時間が3年と設定されているためと言われている。育児期間が2年なのは、子が親なしには食物の正しい摂取行動ができない期間、すなわち生物として本当に最低限の保護期間がこれだけだということだろう。

まり、それを過ぎたら次の出産に取り組んでよい、そしてその際にはパートナーを変えてより遺伝子スクランブルを起こすべし、ということ。

それは本能プログラミングであり、人間精神活動が作り出した社会における倫理とか理想とか善悪とか、そういうものとは無縁なありよう。いいも悪いもない、生命体として種の存続を優先する合理的な手続である

とまぁ、そんな説に従うならば、カップル情熱というものは生まれた子供を途中で放り出さないための安全装置に過ぎず、子供生命体として独り立ちをする3年が過ぎれば解除されるものと言える。

かつて「3年目の浮気ぐらい大目に見てよ」という歌詞があった。実に興味深い符合である

しか現代の多くの人間社会において、カップル最初の3年は平均的に結婚、つまり正式な番(つがい)にこぎつけるまでの時間になった。うまく事が進んでもせいぜい種付けするかしないかという頃合いである。

そんな段階で安全装置が外れてしまっては、生まれた子供がうまく育たない。子供生物として安定するまでは、その子イコール新しい自分遺伝子を守ろうとする親に命がけで保護され、せっせと食べ物を運んでもらわなければならないのだ。

そこで人間は理性を操り、「愛」というものを編み出した。ついでに「結婚」という契約も作った。3年を超えてもパートナーと一緒にいる理由を作り上げ、これをもって安全装置の動作期間延長を図ったのである

「恋」は種の保存を後押しするエネルギー源だ。出産育児には少なからぬ困難がつきものなので、これを乗り切るための原動力として大いに燃えてもらわなければならない。

対して「愛」は情熱である必要はない。本能根付かない感情からあれこれ理由付けや美化をして維持する努力必須だが、うまく運用できれば複雑化した人間社会における生活感情を安定させる手助けになる便利なものである

「恋」の主成分である情熱激情ドーパミンを大量放出する不安定なものであるため、これを「愛」にまで持ち込まなければならないという事はない。

そのかわり、ハゲだのシワだのデカパンティーだのといった生命体における衰えを示す外的要因などは「恋」においてはマイナスに働く可能性があるが、結婚という人生における一大契約の礎たる「愛」の理屈の前には無力である

「恋」の期間を過ぎた者は、新たなパートナー、つまり次の「恋」のアテがないのならば、「愛」の運用について前向きに考えるのが社会的かつ精神的に賢明と言えるであろう。

※ 言うまでもないことだが、子供のいない夫婦存在的に悪であるという趣旨ではない。「恋」「愛」は脳の機能、「出産」は精子卵子子宮機能である

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