バカめ。そのガス抜きこそが全能感の拠り所よ。
日本国債は基本的にすべて引き受けられるという一般的な仮定
口に入る食べ物を疑わなくて良いという安心
今携わっている仕事や会社が無くなることを想定しないという怠惰
いずれ景気も良くなるだろう、という希望
原発を再稼動させないと首都圏の電力事情が解決できないのは明白で、
春までは節電でなんとかなるとしても、真夏には確実に電力が足りなくなる。
当然だろ。
もっと原型にまで戻しても当然だよ。
「行動」が常に「日頃の言動」と合わせて参照される。
自分が行動する段になって初めて
自分が普段人に言ってきたことの実現困難性に気付いた、
…というならそれは勝手だ。
ただその場合、言動に対する信頼性や本人が得てきた尊敬は著しく傷つく。
そんだけ。
だから、何で「防災意識」を実践するコストとして、「日頃の言動」を支払うのが当然だと思うの?
まさか、「みんなそう思うに決まってるから」とか言わないよね。
つまり、非常時だから手ごろなスケープゴート(「逃げ出した奴」とか)をバッシングすることで、不安を解消してしまうのは致し方ない、と。
まぁ、事実としてはそういうこともあるかもしれないけどね。
「日頃」と「非常時」を混ぜて嘲笑するのってそんなに楽しいかねぇ。
状況が変化してるのに、変化する前の状況に即した言動を貫くことを期待するのは矛盾してるとは思わない?
「日頃」と「非常時」というのが恣意的に運用されるならなんでも言い放題じぇねえか。
それなら日頃から注釈しとけよ、「私の発言は私が設定した『非常時』には全てチャラとなりますのでご了承ください」って。
防災意識としては恥もプライドも投げ捨てて逃げるのが正解、そこは君の言うとおり。
両取りは出来ないってだけのこと。
また
状況が変化してるのに、変化する前の状況に即した言動を貫くことを期待するのは矛盾してるとは思わない?
誰が遊びに行ったら経済は回るのか
「日頃」と「非常時」を混ぜて嘲笑するのってそんなに楽しいかねぇ。
「言論の自由」を「免罪符」のように盾にするのはいかがなもんですかね?
人に迷惑をかけた場合,「言論の自由」って叫べばなんとかなるって思ってるでしょうか?
問1.
「言論の自由」があれば人に迷惑をかけても許される。
みんなでじっくり考えてみましょう。
そうだよ、正義でもなんでもないよ、感情や劣等感や嫉妬の問題さ。
だがね、周りみてて思う。それが気に障ってる奴は少なくない。
俺は当事者じゃないから、彼らの愚痴をかなり客観的に見れてると思うが、それでもそう思うよ。
まあうちのばあいは、トップが真っ先に京都に逃げて「豪遊中w」なんて言って来たから仕方ないかもしれないが。同じような目にあってる会社の人はそう思うんじゃないか。
戦後の混乱期に闇市を拒否して餓死した裁判官がいたけど、彼は「法に殉じた」という意味では
首尾一貫しているが、その行動が総合的に見てどうだったのかは別問題であるように
(彼には妻子はいたんだっけ?)。
その話は聞いた事があるけど
その裁判官が平時から「いかなる場合にも法を守れ」と言ってたのなら
彼の言動は最後まで一貫してたわけだ。
誰も彼に「言ってる事とやってる事が違いますねw」と言えなくなった。
いざ事に臨んで自分にそんな覚悟無かったと気付いたとかで
節を枉げるのは大いにやればいいのさ。
それで助かる命や不安解消の方が大事って判断は当然あるだろう。
ただ、その場合は言ってきたこととやってる事が合わなくなったわけだから
その人のこれまでの発言は検証されて笑いものになることがあろうし
その人のその後の発言が冷笑や侮蔑を持って迎えられる事もあり得る。
いわゆる「生き恥」っていうのはそういうことだ。
なにもかもが都合よくチャラになるわけないだろう。
自分が出来もしない事は述べたり人に強いたりしなきゃいいだけだ。
普段は考察厨の強引過ぎるこじつけにうんざりしてたりするんだけど、まどかマギカとその放送中に起こってしまった東北関東大震災(東日本大震災)に関しては共通点を思い浮かべずにはいられなかった。
第9話でQBが"エントロピー"という言葉を出してまどかに対して語っているが、このシーンを見て「ついていけない」と感じた人もいるかもしれない。でもこれは現実でも起きる可能性のあるエネルギーの問題を抽象化したものだと考えられる。QB曰く「エネルギーは形を変換する毎にロスが生じる。宇宙全体のエネルギーは、目減りしていく一方なんだ」 実際に化石燃料などの資源から発電する時や、遠距離の送電をする時、あるいは電化製品などで別のエネルギーに変換される時に起きるロスが生じている。化石燃料は無尽蔵では無いし、一度発生させた電力を増やすことができない以上は、エネルギーは問題自体はいつか直面せざるを得ない状況にあった。多く国では比較的効率の良い原子力発電を使うことで問題を先送りできていたが、実際に福島第一原発が危機的状況になりさらに関東地方を中心に電力不足に陥ってはじめて、これまでの原発が抱えていたリスクがどういうものだったのか誰にでも理解できる形で表面化した。QB達のような異星人と同様に、なんらかの新しい発電システムを模索していかないといけないのは間違いないだろう。
また、魔法少女は"魔女"という人間に害をもたらす存在と戦っているが、そのことを他の人に気づかれることは無い存在として描かれている。これはリスクというものがいざ問題に直面しないと認識するのが難しいと言うことを表現してるように思える。もちろん事前にリスクに対してある程度まで対策を行うことは不可能ではない。しかし、未来を完璧に予知できない以上はリスクに対して完全に対策を行うことはできないし、なによりも普段の生活だけで精一杯な全ての人々にこのようなリスクの本質について認識させるのは難しいし時間もかかる。しばしばマスコミによってパニック的な消費行動が起きているが、それを避けるためにも個々人で様々な分野の研究結果やフィクションなどに目を通して悪い可能性というものについて普段から考えておくことは有益だと思う。本当に起こるかどうか不確定な物事へ、対策を行うと言う判断をしてそのための時間的・金銭的なコストを支払うことになるのは他でもない自分自身である。そういう意味で「徹頭徹尾自分のためだけ」なのだと思う。
ヒットしたフィクションの作品には、その時代の人々が抱えている問題を何らかの形で表現していることが多い。このような作品は将来的に生じるかもしれないリスクというものについて考えをめぐらす絶好の機会になり得る。だからこそ、自粛や自主規制は最小限に抑えて欲しいところである。しかし、すでに放送された「ワルプルギスの夜」後の破壊されて水に沈んだ町並みについては、被災地の現状を強く連想してしまう。もちろん偶然の一致によるものだろうが、現実問題としてそのような映像は被災者のPTSDの回復に悪影響を与える可能性もあるので、放送する側がどういう判断を下すのか気になるところである。
そりゃ言ってる事とやってる事が全然違えば笑われるだろ。
「口では何とでも言える」って奴だ。
物書きに限った事ですらない。
「非常時ですら」と書いたんだけどな。状況に応じて行動を変えられない奴って、むしろ危険だろ。
戦後の混乱期に闇市を拒否して餓死した裁判官がいたけど、彼は「法に殉じた」という意味では首尾一貫しているが、その行動が総合的に見てどうだったのかは別問題であるように(彼には妻子はいたんだっけ?)。
でもそれって、つまり単なる「嫉妬」ってことだよね? 少なくとも、それは「正義」でも何でもない。