はてなキーワード: 長野オリンピックとは
何年か前の2chで見かけて、なんとなく気に入って心の辞書に載せているweb廃墟という言葉
オリンピックでいろいろあった今日、ふと長野オリンピックのサイトを思い出した
web廃墟のところは生活感が漂っているところで、別に続いてもいいのだが特に理由もなく更新が終わっているところだ
そういう点から見ると、長野オリンピックのサイトは明確な目的とその期限があり、公的なものなので更新停止してもしかたない面があった
自分と同じように、東京オリンピックの話題をきっかけとして訪問者が増えることは予想されるので、更新してくれたことにはむしろ関心すら覚える
何年か前の2chで見かけて、なんとなく気に入って心の辞書に載せているweb廃墟という言葉
オリンピックでいろいろあった今日、ふと長野オリンピックのサイトを思い出した
web廃墟のところは生活感が漂っているところで、別に続いてもいいのだが特に理由もなく更新が終わっているところだ
そういう点から見ると、長野オリンピックのサイトは明確な目的とその期限があり、公的なものなので更新停止してもしかたない面があった
自分と同じように、東京オリンピックの話題をきっかけとして訪問者が増えることは予想されるので、更新してくれたことにはむしろ関心すら覚える
エンブレムとかメインスタジアムとか、いろいろゴタゴタしているけれど、
それはそれとして、開会式がどんな感じになるのか、勝手に心配している。
個人的に、ああいうパフォーマンスを見るのが嫌いなほうじゃないのだが、
ここ最近の、北京とかロンドンとかソチとかの開会式は、それぞれの国柄が出ていたと思う。
まあ、好みはあるだろうし、長すぎじゃね、とか意見はあるだろうが。
ソチなんか、ああ、ロシアって作曲家とか文豪とか、バレエとかサーカスとか、ああ、自国の文化がいろいろあるんだなあってのを
ここぞとばかりに見せつけた感じである。
で、どうしても思い出さざるを得ないのは、長野オリンピックだよ。
いま思い出しても、恥ずかしい。
善光寺の鐘と、土俵入りと、御柱で始まって、なぜか森山良子が歌うたったりして。
全般的に「役所の人たちが考えた、外国人の喜びそうな日本的演出」が随所にあふれてた。
で、恥ずかしさのハイライトが聖火の点火だよ。
なぜか、十二単を安っぽく現代アレンジしたような衣装をきた伊藤みどりが、なぜか、イタリアオペラ「蝶々夫人」のアリア「ある晴れた日に」をBGMにして、点火してやんの。
なぜ、蝶々夫人? あれ、「ゲイシャのハラキリ」をエンターテイメントにしたオペラだよね?
今だったら、ネトウヨに怒られんじゃね?
で、ベートーベンの第9でフィナーレ。
もうね、アホか、バカかと。
ロス・オリンピックでジョン・ウイリアムスが作曲した伝説的なファンファーレとまではいかないまでも、
総合プロデューサーは、劇団四季の浅利慶太だったわけだが、もうほんと、政治的な力学でああいう仕事をやらせないでほしい。
パラリンピックのほうは、久石譲が仕切っていて、オリンピックよりはよっぽどましだったけど。
で、今回の東京オリンピックだが、まあ、まさか本気で秋元康にやらせるようなことはないとは思うが、
日本的意思決定方式で、誰からも文句が出しにくく、森喜朗でも名前を知っているような大御所、とかに任せることになると、
確実に時代からずれたジジイが仕切ることになるのは必定だ。となると、もう絶望しかない。
あと、ジャニーズとかAKBとかEXILEとかは、どうしても出したければ、大量に出てくるダンサーの「その他大勢」として出しとけばいいと思う。
まあ「クールジャパン」っぽいことやりたければ、BABYMETALとか呼んで来ればいいかな?
あと、ケン・ワタナベあたりに何かやってもらって。
ロンドン・オリンピックの「女王陛下の007」的な演出をやるのなら、ドラえもんが皇居にお迎えに上がって、どこでもドア開けたら両陛下登場ってのをやってほしいが、
まあ、難しいだろうな。
熊本訪問のときに、事前打ち合わせで「くまモンには会えるのですか」とお尋ねになって、実際にお会いになった皇后陛下は、けっこうお喜びになると思うんだけど、そういう演出。
...
ここまでは田舎なら大概ある。
ただ、長野市住みなんだろうけど、長野市、って言っても他の県庁所在地に比べたら僻地側がホントに僻地で
元村みたいなところが多いのでそういうとこに住んでんでしょ?
・移住者、善光寺御開帳や北陸新幹線延伸、長野オリンピックなど外側のものにばかり固執、期待し新たに自分で生み出す気がない。
善光寺は長野のものだし。オリンピックも長野でやったものだし。
逆に他の都市が何をしてるのか、と。
お前ほどじゃないだろ。
???
土地の性格上、「長野市を中心にして集まる」と言う県ではないので。
上の理由も。
ってか、スケールメリットをどうしたら発揮できるのか、他でどう発揮してるのか、1つでもいいから挙げてみてくれない?
ちなみに、県のトップ高である長野高校のセンター試験の平均値が奈良県全体の平均値より低かった事があったとか。
・北東北並みの気温のくせに二重サッシ、追い炊き等の住居が少ない。
・めしやがまずい。
・仕事でお弁当を頼んでみても、まるで洗練されていないお重ではなく、平べったい持ちにくいやっすそうな弁当容器、パッとしないお弁当の中身。
だ(ry
住んでしばらく経つようになったが、長野が嫌い。
全く愛着わかない。前住んでいたところだって同じくらい経てば愛着湧くようになってたのに全くわかないどころか嫌いすぎる。
考えてみると
・年に1回初夏に自治会でどぶさらいをさせられる。出欠がとられ、欠席した場合は2,000円も徴収される。意味が分からない。
・隣組という名のおどろおどろしい自治組織→回覧板回したりなど。
・自治会単位での運動会などがあってヨソモノのアウェー感が半端ない。
・白バラ会という名の選挙推進の女性の自治会の下部組織?がある。
・移住者、善光寺御開帳や北陸新幹線延伸、長野オリンピックなど外側のものにばかり固執、期待し新たに自分で生み出す気がない。
・車がないとまともに移動もできないのに駐車場のつくりがへったくそ。
・国道ですら右折入庫・出庫してきてもう激突してやりたい。
・歩行者に偽善的な優しさを見せ、後一台行き過ぎれば歩行者も普通に渡れるくらいでも停車して歩行者を渡らせる。
・県庁所在地にも関わらず県内の他の都市よりも文化・芸術・ビジネスに圧倒性がない。
・(長野県全体的に)おらが村にも式で小さい市町村にもホールや施設が分散し、スケールメリットという言葉を知らない。
・ドヤ顔で教育県とか言ってくる割に全国規模の大きな本屋もない。
・北東北並みの気温のくせに二重サッシ、追い炊き等の住居が少ない。
・めしやがまずい。
・仕事でお弁当を頼んでみても、まるで洗練されていないお重ではなく、平べったい持ちにくいやっすそうな弁当容器、パッとしないお弁当の中身。
今子供が気に入るか気に入らないかじゃなく、その時が来たらどれくらい楽しいことが起こるかを伝えてあげることが、親や大人としての正しい役目なんじゃないかな?
ときめかない理由は日本で開催される世界的なスポーツのビッグイベントを体験したことがないから。
http://anond.hatelabo.jp/20130911131939
今の子供達は日本で開催される世界的なスポーツのビッグイベントを体験したことがないから、どれくらい楽しいかを知らない。
今の大人は1998年の長野オリンピックと2002年の日韓ワールドカップを体感してる。
どれくらい世の中が大騒ぎになり、それが目の前で見られることがどれくらい素晴らしいことか身を持って知っている。
かくいう俺だって長野オリンピックもワールドカップも直前まで「ふ〜〜ん」って感じだった。
けど、幸運なことにどっちも現地に見に行けたおかげで、その雰囲気や楽しさを身を持って体験できたし、今も忘れられない思い出になってる。
それに現地でみていない時もいつものオリンピック以上にTVでずっとやってるおかげで楽しかったし、なにより日本選手団が強化され、活躍するので最高に楽しかった。
東京オリンピックを否定したいのかもしれないけど、ときめくべきタイミングは今じゃないし、子どもたちがなにかしらの目標や夢を抱くきっかけになるのも7年後だ。
読んだ中で秀逸だったのは、長野オリンピックの結果を見ろ。という物だね。
結果が出ているので振り返ってみると、ざっくり言うと、数兆円の経済効果はたしかにあったが、それを上回る財政負担が合って、収支は赤字という事みたいだね。
また、首都高の整備などはオリンピックとは関係なく必要なもので、仮にオリンピックがなくても行われたものだから、オリンピックの経済効果ではない。(直接的に関係のない効果だ)
カンフル剤としての、投入効果は期待されるけど、実際問題は、経済効果を上回る財政負担になるかどうか?というところだとは思われる。
が、反面、不況は根強い。 公表される数字ではなく、大きな街小さな町を回ってみると、閑古鳥が鳴いているところも多いのではないだろうか。数字が実市場の反映されてない気がするよ。
酷い言い方ではあるけど、批判的に見ても、必要悪には入ると思う。
チケットはそう簡単に取れんがな、、、
まあ、電通とか、その辺、物凄い勢いでチケットのやりとりが上の方で行われて、
優先的に手に入れるやつらが出てくるんだろうね。
各小中学校には、何かしら1競技、見に行けるチケットが配布されてたけど、メインな物はなし。
地元民として、親もチケットを取ろうとしたけど、結局取れたのは、スキーのクロスカントリー。
(そもそも会場っていうか、スキー場全体に人が入れるわけだから、定員がなくていくらでも入れる。それでも凄い値段だったみたい。)
世界中で大人気! Youtubeでもランキング1位! という触れ込みだったPSYだが、ランキングをクリック重視から再生時間重視にしたら、ランク外に落ちてしまったという話。
痛いニュース(ノ∀`) : Youtubeが再生回数から視聴時間を重視するようにした途端、PSYが消滅する - ライブドアブログ
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1734805.html
スキージャンプ競技の日本代表は90年代「日の丸飛行隊」ともてはやされ大変強かったが
長野オリンピック後のルール変更により、急に日の目を見なくなった。
どちらも文字通り、game-changingな事態がおこったわけだ。
きっとPSY関係者たちも、毎夜毎夜必死になってF5連打していたと思う。(比喩表現)
そうすれば勝てるから。そうすればランク上位にきて売れるから。
AppStoreやGooglePlay、その他、電子書籍のランキングもそうだ。
結局、他人の作った基盤は、ルール変更のリスクがあるという訳だ。
*ちょこっと加筆・修正
バンクーバーオリンピックで盛り上がってるが、98年には長野で冬季五輪があった。自国開催というのはやはり盛り上がる。ワールドカップも然り。
で、自分も長野五輪には1日だけ観戦に行った。アイスホッケー。アメリカvsカナダの試合を見たかったが、さすがに人気カードなのでチケットは売り切れていた。そこでカナダvsスウェーデンの試合を見る事に。ちょうど土曜日で休暇をとる必要もなかったし。チケットはゴール裏で15000円くらいだったと思う。まだ社会人掛けだしの自分には交通費含めいい値段だったが、オリンピックだし仕方ないと思った。
開幕する前の長野五輪はいまいち盛り上がりに欠けていたような気がする。でも開幕すると一変。スキージャンプやらスピードスケートやら、それはそれは盛り上がった。直前になって他のゲームのチケットも欲しいと思ったがその頃には既に売り切れており、あとは現地のダフ屋頼み。
当日、開通間もない長野新幹線でひとりではじめての長野に行った。試合は夜だったので、まずは街をぶらぶらした。チケット買えれば午後の試合を観ようと思ったが、意外とダフ屋はいなくて、いてもやはり値段が高くて手が出なかった。駅前でスポンサーのテントを覗いたり、善光寺にいったり、「おやき」を食べたりした。寒いながらも街は日本人、外国人入り混じってカラフルで 華やかな様相だった。
会場はビッグハット。駅前からシャトルバスが出ていた。駅まで戻ってさらにぶらぶらしていたところ、郵便局の露天が出ていて記念切手などを売っていた。外国人もいたがどうやら局員さんが言葉がわかってなかったらしい。片言の英語で通訳をしてあげたところ、無事買えた様子。お礼にピンバッチをもらった。SUOMIと書いてある。要するにフィンランドのこと。嬉しかった。
ビッグハットには少し早めに着いたので、ビッグハットの前にあるNHK長野放送センターで展示品など見て時間をつぶした。現地の人とも触れ合いがあった。ボランティアをやられているとかで、本番は見れないが練習とかリハーサルを見たとかお話を聞いた。ビックハットもNHKも新しい施設。オリンピックに向けて街や道路も整備されたという。そして別れ際、折り紙で折ったマスコットをもらった。今でも家にあるはず。
時間になったので、ビッグハットへ。ほとんどの観客は日本人だが、地元チームを応援するカナダ人やスウェーデン人もいたし、演出はNHL風で、まるで外国のようだった。席の近くに座っていたカップルとお話した。既に何試合か見ているそうだ。普段、知らない人とはあまりしゃべらない人見知りな自分だが、そうさせる高揚感がオリンピックにはあった。
ハーフタイムか試合前か忘れたが、周囲が騒がしかったので何かと思ったらフィンランド代表のスター選手、ティム・セラニら選手がゴール裏で観戦してた。セラニしか知らなかったもので選手が何人いたかは不明だけど。サインや写真を求めている人がいたので自分もサインをもらいにいった。そういうことは普段しないんだけど、やはり高揚していたんだろう。セラニは快く応じてくれた。ちなみにセラニはバンクーバーにも出場している。
残念ながら試合の内容は覚えていない。観に行く事が目的だったので何となくそれで満足しちゃったのかも。
試合が終わると既に22時近くで、シャトルバスで長野駅に戻る。そこからは夜行列車で東京に戻ってきた。夜行列車というのも初めてで、なんか楽しかった。
オリンピックは競技だけではなく、人との交流や街の至る所でのイベントも含め楽しかった。その後、日韓W杯やドイツW杯も現地で体験する事になるが、世界的スポーツイベントに参加することは本当に楽しい。若い頃にそういう体験が出来てよかったと思う。将来、日本でこのような機会があれば、是非皆さんも参加してイベントを楽しんでもらいたい。もちろん、外国に観に行ってもいいと思う。
以上、12年前の思い出。