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はてなキーワード: オリエント急行殺人事件とは

2023-07-09

車両にいた12人が1回ずつ被害者を刺した復讐殺人事件といえば、アガサ・クリスティーの『オリエント急行殺人事件』だが

組織犯罪の話も人物や団体が多く、彼らがどうして繋がったか…という部分にポイントがありそう

2021-12-27

薄いオタク年末見る予定のコンテンツめも

追加情報求む。特に、オタ向けじゃなくてもいいか映画情報

あとゆくホロくるホロ今年はどうなったんだろう

12月27日(月)

22:00 ~[NHK]岸辺露伴は動かない (4)ザ・ラン
19:00 ~ 21:48[テレ朝]国民5万人がガチ投票テレビゲーム総選挙多分くだらないけど見る

12月28日(火)

22:00 ~[NHK]岸辺露伴は動かない (5)背中の正面

12月29日(水)

19:15 ~ 21:00[文化放送]伝説作曲家 すぎやまこういちhttps://radiko.jp/#!/ts/QRR/20211229191500
ラジオでの追悼特集
ゲストイトケン
22:00 ~[NHK]岸辺露伴は動かない (6)六壁坂
24:59 ~ 25:59[日テレ]プロジェクトV ブイチューバアワード2021大空スバル猫又おかゆシスタークレア、夜見れな、周防パトラ

12月30日(木)

25:25 ~ 27:40[フジ]映画 オリエント急行殺人事件2017年版。ジョニー・デップ

12月31日(金)

15:30 ~[YouTubeにじさんじユニット歌謡祭2021竜胆主催のやつ
https://www.youtube.com/watch?v=zoynMroawZw
16:30 ~ 18:00[Eテレ]映画 魔女見習いをさがして
18:00 ~ 23:45[フジ]RIZIN
19:30 ~ 23:45[NHK]紅白
18:00 ~ 26:00[YouTube]年末ホロライブ ~ゆくホロくるホロ2021~https://www.youtube.com/watch?v=fuuLvt16aDQ

2021-03-15

エヴァのようなネタバレ自体コンテンツになる作品はもうでない

ネットではエヴァネタバレに対してかなりシビアになっている節がある。

理由簡単でそういう戦略から。長年温めて来たエヴァンゲリオンというコンテンツに対して企業が取る最も効果ある宣伝手段だと思う。

これは何もエヴァに限らない。殆どコンテンツは発表前までその存在は秘匿される。Appleポケモンがいい例。新IPhpneや新ポケモンのお披露目は然るべきときに然るべき場所で行うことで最大限の広報になる。

エヴァ特殊なのは、その秘匿性を公開後も維持しようとしているからだ。それによって劇場に足を運ぶ人が大勢いるのだから大成功といえる。言い換えれば、拗れたファン信仰心を試す儀式というのが正解だろう。プペルとは全く違うがどこか似ている。

現在SNS偏重日本では公開前に内容がバレることすらあるのに、エヴァは公開後も映画館に足を運んで自分の目で確かめたい層がいるため、ネタバレへの過度な反応が多い。尤も公開から1週間なので沈下しつつあるが。

ただしこのようなコンテンツエヴァが頂点であり、今後はないだろう。なぜならネタバレという行為には、あらかじめ「ネタバレを良しとしない忌避感」が備わっていなければならないだらだ。知りたくない情報があるからネタバレがあり、誰でもしれるモノはネタバレとは言えない。

ここからは俺の個人的な考えだが、ネタバレを嫌う風潮自体が今後廃れていく、もしくは主流とは言えなくなると思える。ゲームで言えば、買い切りソフトパッケージが主流だった時代から無料アプリ内の課金に移行したように、同じようなモノでも価値観が変わっていくはずだ。

今回のエヴァ騒動で思ったのはネタバレという行動自体コンテンツになっているということ。

エヴァプロモーションとして冒頭12分を無料公開するなど宣伝に多くの費用かけている一方で、肝心の本編は徹底的に伏せている。今もなお。

自分のようにエヴァ世代からやや外れた人間からしてみれば、公開後にもネタバレを秘匿することには違和感がある。そしてさらに考えると、そもそも多くの作品が公開後もネタバレに敏感な風潮に気づいた。なぜ世の中に放たれた作品にもネタバレ抑制する動きが働くのか。


例えばアガサクリスティのような有名作品であっても、殺人犯人トリック等はネタバレとして扱われる。それは推理小説やそれを扱った作品にとって重要且つ核心に至るものだ、というのがネタバレを阻む抑止力だろう。「このオリエント急行殺人事件犯人は~」などと読もうとする人に告げたらかなりの確率で縁を切られかねない。

だけど世の中にはネタバレを知ることに忌避感を持つ人がいると同時に、ネタバレでもいいか情報が欲しいという人間一定数いる。具体的には作品内で猫や犬が死ぬかどうかだ。ペットもつ人間犬猫の死の描写に敏感になる。もっと言えば推理小説犯人最初から知りたい人間もいる。そういう人は作品を読むに当たり、誰が犯人なのかをあらかじめ知っておかなけれ不安になる傾向があるらしい。推理小説ラストから読む人がいるが、まさにそういう人が身近にいる。

自分推理小説犯人まで知りたいとは思わない。だがその作品の核となる部分や面白さをあらかじめ砕いた上で自分に合う形で取り込もうとする考えには、決して嫌な気はしない。

例えば、自分の親はポケモンGoを一人で3台のスマホを常に操っている上に、雨の日は位置情報任意で動かして楽しんでいる。それらはポケモンGo自体面白さを消すことになるだろうし違反ではあるが、彼らからすれば効率性や安全性の確保が重要なのだ作品面白さに反してでも自分に合うモノを得たいという感情尊重するのだ。


今までは、ゲーム自分の力で攻略するモノ、小説自分読破するモノ、アニメ最初から最後までみるもの、という考えが偉かった。しかし、ゲームは誰かのプレイを眺めることが増え、小説はあらすじだけで済ませ、アニメは途中の話を倍速で見る、という行為も決して珍しくない


何が言いたいかというと、劇場に足を運んで事前情報を得ていない状態自分の目で作品を見る、という行為面白いと感じるのはこの「シン・エヴァンゲリオン」が最後になるだろうと、ということだ。映画という舞台をキチンと使ったある意味最後邦画かもしれない。あらすじも匂わせもなく、純粋作品最初から連続して楽しむという体験は、かなり貴重だ。


今後はネタバレ自体への忌避感が薄い人がいることを世間が知る段階になるだろう。そういう人は主流にならないだろうが、無視するほどではない。そうすると必然的に「答えはCMの後で」戦法は通用しなくなる。

例えば同じ作品宣伝で「この中の誰かが死ぬ」という予告では食いつかず、aとbが死にcが犯人、と伝えたほうが受けがいかもしれない。


コンテンツがあふれる世の中では、結末を匂わせるのではなく、ストレートに伝える手法ドンドン出てくるのではないか

予め結末を知るか他者言葉感想を求めた上で自身で内容を確認する人々の声が高まれば、まず結末や誰かの死が先行し、そこにストーリーが入ってくる形が出てくるかもしれない


とりとめも無い話だが、身近にいる何人かを見ているとそうなって行きそうだ

2019-09-12

言語とは陸軍海軍を備えた方言である

 そんな格言があるそうだが、まさにその通りだ。言語方言を隔てているのは何かと問われれば、国家によってそれに公的地位が与えられているかどうかだけで、本質的な違いはない。現に、気仙方言翻訳した福音書ケセン語聖書として発表し、時の教皇ヨハネ・パウロ二世から祝福を受けた例もある。

 そこで気になるのが、出版との兼ね合いだ。よく、海外文学ミステリを手に取ると巻末に「翻訳独占権取得」がどうこうと書いてあるのだが、たとえば「オリエント急行殺人事件」か何かをケセン語翻訳することはできるのだろうか。つまり出版から私たち翻訳独占権があります」と訴えられたとしても、「これは日本語ではありません。ケセン語です」と言って反論することは可能なのか。

 どう考えても東北方言だって立派な日本語だろう。しかし、「今日は海さ釣りっこしさ行ぐべし!」ならまだしも、「おぼっこさおづっこあげろでば」「あぞごにあったちかいぼっこしてしまったのっさ」という文字列を見て、東京弁話者理解できるだろうか。東北方言話者をおとしめるつもりはまったくない。ただ、神奈川県で育った私に取っては、仮名交じり文でようやく何を言っているのか推測できるのが実情だ。ましてや、母音発音が大きく異なる地域場合、口頭でのコミュニケーションはそれなりに困難になるだろう。現実的ケセン語版が出るかどうかは疑わしいが、出版されたとしても、独占権を持っていた側は、現実的にはそれほど懐は痛まない気がする。

 さて、こうしてケセン語が立派な言語とされ、ケセン語で「オリエント急行殺人事件」が出版されたとしよう。そうすると、今度は関西弁出版したらどうか、などという話になるかもしれない。関西弁は立派な独立した言語だろうか。大阪府人口八百万を超え、ブルガリアを超える。というか、近畿全体を含めるなら、チェコ語話者の一千万に及ぶだろう。ちょっとした規模の言語だ。いや、もっと深刻な問題がある。もしも、ウチナーグチ日本語とは別の言語として認め、翻訳出版されることになれば、自治独立問題を含めた政治的問題にまで発展するだろう。私たちは別の言葉を話す、別の民族である、と。

 もっとも、私が言いたかったのは、「おらおらでひとりいぐも」や「面影と連れて」みたいな方言文学自分日本語境界がぐらぐらするような小説が読みたいな、みたいなことなのだ。特に後者は、池澤夏樹世界文学全集短篇コレクションで読んだのだけれど、東京方言とはまったく異なる語りを、感じ仮名交じり文にすることで、沖縄言葉が全く分からない私にも理解できるようにするテクニックがすごかった。

 そう言えば、円城塔が「プロローグ」か何かで、「古語とは外国語日本語の間をふわふわ漂っているような印象だ」という趣旨のことを述べていた気がするが、僕にとって方言とは、そんな魅力を持つ存在だ。

 記事中の方言wikipediaケセン語」より引用した。

2017-12-11

映画オリエント急行殺人事件」を本編開始10分後から観る(観れない

連れが、映画館に遅れてきたのよ。

入場係のお兄さんにきいたら、思ったより予告の上映が短くて、入場した時点でもう本編開始から10分が経っていた。

映画の、しかミステリーもの作品の、アタマ部分10分間を観ないで途中から本編を鑑賞するのは、私の神経では無理だった。

実際はその10分間が、全体の内容に深く関係なくても(そもそも映画関係ないシーンなんてないと思ってるけど)、「最初10分でなにがあったんだろう」という気持ちが終始先行して、ぜったいに鑑賞の妨げになる。それも致命的な。

ということで、私は座席についたものの、スクリーン直視することができず、映画が終わるまでずっと目をつぶって鑑賞を拒否した。

気にせず作品を途中から最後まで観た連れは「面白かった」といっていたけど、私なら、最初10分を見逃して観た作品に正当な評価をつけることができない映画を作った人に失礼な気がすると感じて、もし今回のように鑑賞を拒否せず途中から観たとしても、「最初10分を観ない限り面白いかどうかを判断できない」というだろう。

まあ、連れとは長い付き合いということもあり、自分が遅れてきたことを謝るだけで、私のこのアスペ行為否定したりはしなかったが、冷静に考えたらこの鑑賞拒否行為はなかなか極端なことだったのではと今になって思う。

でも、はてなには私みたいな感性の人もけっこういるような気もする。

2017-10-28

anond:20171028122415

映画の『この世界の片隅に』はそれをうまく利用して

サスペンス?というか娯楽にしてたよね

忠臣蔵とかオリエント急行殺人事件なんて、筋知らない人の方が少ないだろう

でも新作が作られ続ける

 
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