facebookが全地球上の利用者の行動データを黙々と集め続けているというブログ記事が多くの注目を集めて、ガクブルする人のうめき声や罵詈雑言が飛び交ったことは、これを見ている人はまだ記憶に新しいと思う。
さて、日本語圏の、だいたい日本国と重なるネット社会はどうだと思う?
2ちゃんねるで有名人の殺害予告を書き込んだ奴の家に警察がやってくるというニュースはそんなに珍しくなくなっている。ヤバげな書き込みがあれば、奴らはあっというまにきみの発信者情報を特定してドアをノックするというわけだ。
そういう意味で、すでにぼくたちは「公権力に」よってネット上での行動を監視されているわけだ。
これもよくいわれるんだけど、こういう状況は、ミシェル・フーコーというフランス人が「パノプティコン」と呼んだ状況に似ているかもしれない。
パノプティコンというのは、ベンサムというイギリス人が考えだした刑務所のモデルのこと。監獄がドーナッツ型になっていて、中央の穴の部分に看守の建物がある。囚人たちは、四六時中看守に見られているような気がする。たとえ看守の建物にだれもいなくてもそうなんだ。いつのまにか、囚人は看守の視線を自分の中に取り込んでしまうから、下手なことをしようという気を起こさなくなるというわけ。ようするに、その監獄にいる囚人はどんどん自主規制するような、監視者に都合のいいシステムがパノプティコンだ。
2ちゃんとか自分のブログに何か書こうとしているとき、自分の心の動きを思い出してみて、どうだい?
アイドルを殺すとか、新宿駅を爆破するとか、そういうことを書き込んだら、たとえ冗談でも警官が家に来るらしいってことは漠然と「知って」いるだろ? だからめったなことではやらないだろ? そもそもやろうと思わないだろ?
なぜなら、きみは自分が監視されていることを「知って」いるから。
でもさ、きみはほんとに、どっかの地下司令室みたいな所で、日本中の掲示板やブログの内容を膨大な数の監視員がチェックしているところを見たのかい? SF漫画の中で見ただけじゃないのかい?
たとえそんなところが本当にあったとしても、そこで働いている奴はいま夜食のビッグマックを頬張るのに夢中になっていて、きみの書き込みなんか見ちゃいないかもしれないんだよ?
でもきみは心のどこかで自主規制するよな。だって、ヤバいことを書き込んだら、奴らが来るって「知って」いるから。
ところで、そういうネット上のパノプティコンみたいなものは、べつに「公権力」じゃなくてもこの国では勝手にどんどん作れることは知ってたかな。
ほかでもない、ネット上の風評被害対策とか、「ソーシャルメディアマーケティング」をやっている民間企業だ。こいつらはネット上の自警団というよりは、傭兵だ。金で雇われれば誰でも手にかけるから。
たとえば、きみが2ちゃんか自分のブログである企業の批判をしたとする。傭兵たちは独自のクローラーを毎日ネット上に走らせているので、君の言葉はすぐに見つける。そしたらすぐに2ちゃんの運営ボランティアかブログのプロバイダに削除依頼をかけるか、訴訟をちらつかせながら発信者情報の開示を始める。
誰だって、どこの馬の骨とも知らないやつに自分の居場所を突き止められたくない。弁護士の対応なんてしたくない。
まあ、きみがただ単に相手を傷つけようとして、根拠のない誹謗中傷を垂れ流そうとしてそういう目に合うのなら、自業自得というものだろうね。
でもさ、他人のでたらめを見かけてそれを指摘しようとしたときに、ナイフをちらつかせられたらどう思う?
とくに、企業に雇われた傭兵たちが嘘八百をいい散らしているのを指摘しようとしたときに、訴訟を恐れて自主規制しようとしたら?
そもそも、指摘する声を出せないように傭兵たちが街中の広場をすでに封鎖してしまっていたとしたら?
なんのことはない。きみは気がついたら彼らが勝手に作った「民間刑務所」のなかで監視を恐れながら粛々と労役に励んで、傭兵たちが大声でおすすめする臭い飯を、きみ自身の苦役で稼いだ労賃で買いつづけるわけだ。日本語圏のネット社会は、気がついたらそういうプライベートな監獄で何重にも囲まれていたという話。
たまたまそういった「民間刑務所」の看守見習いがヘマをしでかして、刑務所のオペレーションに関する書類を落としてしまったとする。それを拾った奴が広場で騒ぎ出し、市場のゴミ拾いが日課で壁新聞の好きな奴がその書類を市場の外に、街のいたるところに見えるようにして貼り出してしまった。でもそのゴミ拾い人は傭兵たちの訴訟攻撃にぶるってしまって早速自主規制したまま黙っている。その間に市場での騒ぎは手際よく鎮圧されてしまった。傭兵たちは普段からそれで飯を食っているので、自分たちのこととなると作業は早い。
市場の住人たちも、その外で壁新聞を読んでいた人たちも、なにかおかしなことが起こっていることをばくぜんと感じ取っている。たとえ騒ぎが収まった後でも、そのおかしな感じは消えるだろうか。自分たちが「民間刑務所」の中で暮らしていたことに気づいた後で。
プルサーマルのやらせ
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65767105.html
株式会社J-Paymentがヤフー知恵袋を使って「やらせマーケティング」.
実は根本は同じ
それってさ、死体を放置すると悪鬼になって祟る(死体が腐って病気が流行るって事だろう)から、仕方なく手順の通りに葬ってやるってだけだろ?
アスペルガーと言っても色々いると思う。もっと違うアスペの人と関わった事もある。
論理体系は概ね崩れてない。けど概ねであって、やっぱり事実と仮説の区別が弱い。主観と客観の逆転までは行かないか全てに対してそうではないとしても、そういう部分もある。やり取りして気味が悪いのは、狂ったその人の主観の中に引き込まれるみたいになっている事。気味が悪いし独特なものがあった。
はてなにもブクマされている評判が良くない記事に、共感した前からの知り合いの人に、データの読み方に問題があると、何の断りも前置きも気遣いも無しで言い放っていた。そう考える面はない事もないが、そのデータからそれに結ぶ付けるのは、おかしいのではないか、というような事だったが、そんな前置きや気遣いは無し。親しい間柄だから、と言うわけでもないのがわかる他人行儀な言葉遣いで、それだった。
何の迷いも無くと言うより、むしろ他人の揚げ足取りのような事が、したくて溜まらないのかも。たまらないというような一般的な人の感情の動きとは違っても、むしろ積極的にそっちの方向でいきたいみたいな。
ブクマはこれなんだが
http://b.hatena.ne.jp/entry/zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110928-00000011-pseven-pol
これのおかしさを指摘できるあたまはあるのに、まだどっちとも決め付けられない事で言ったら激しく相手の人格否定をしているような事や、大きなショックを与えるだろう事を、むしろ積極的に言う。
このあたりは、論理的じゃない。論理の飛躍をたくさんしている。
こういうの、アスペルガーかもしれないけど、アスペルガーを隠れ蓑にしているのではないかと思った。
つけたし、今、少し訂正してて思い出した事がある。他人行儀な言い方をする間柄では、反感持たれそうな事を、あてこすりのようなある意味持って回った言い方で言う。直接は関係ない例だが、そこでその例を出すと、相手にあてこすってる意味にもなるというような事を言う。
なんで、そんな事が言いたくなるのかはわからないけど。
あと、この人、相手と自分の区別が付いてないんじゃないかと思った。
書いてる文章が、誰がなのか、わかりづらい書き方をしていた。
それに、失礼さが相手を他人と見てないようで、怖かった。
ギリギリいっぱい相手にとって、不利な可能性を想像して(妄想して)それを、確定してる事実のように、決め付けて書く。
このへんには、かなり論理の飛躍があると思う。
こっちも、その可能性を考えるから怖いと言っているのに、それを敢えて言う。
一見第三者的で客観を装ってるところが不気味だ。
でも、本当に悪気が無いのなら、しかも自分がアスペと診断されたと言うなら、自分の認識がおかしいと多少の自覚もありそうなものなのに、謝罪したり、譲ったりと言うことは無い。
気味が悪い。
深刻なエラーから回復しました、このエラーには以下の添付ファイルが含まれてます。
と出たのでそれを見ながら添付ファイルを探して、あー見つかったとダイアログのOKをおした。
今までのかゆみは、掻きたくないけどかゆいから掻いてるようなものだった。
でも今回のかゆみは違う。
掻きたい。死ぬまで掻きたい。ずっと掻き続けていたい。
掻き壊すまで掻きたくて、掻き壊してはじめて掻きたくなくなる。
こんなかゆみは今までなかった。
そのあたりはカットしてるだけで訊いてるような気がする。
こういう閉塞感、大学に入った時点で味わってよかったのかもしれない。
あの人は、「“暴力団を構成することで救われている、生きづらい人々”が生きやすくなって暴力団から離れていく社会」についてはどういう態度を取るんだろうね
どこ行っても中国語(広東語、北京語)で話しかけられたので多分現地民かもしくは中国大陸からの移住者または旅行者と思われていたのだろう。
こちらの反応がないのを見て外国人だと悟り英語で話しかけられる。
世界中から人が集まる上海の空港でも香港マカオの一流ホテルでもそうだった。
外国人と分かったら「日本人?」「韓国人?」「日本人?韓国人?」と聞かれることが多かった。
空港や著名な観光地では白人などもたくさんおり、彼らには最初から英語で話しかけていたようだった。
「これはマカオパタカで表示されているのか?香港ドルか?」と聞かれたので、
わざと現地民のふりをして英語で答えた。
最後に
「Are you Japanese? You spoke Japanese,I heard.」と言ったら
「Yes,you understand Japanese?」と返されたので
「Yes,of course,because I am Japanese!」と言ってやったので相手もびっくりしていた。
ローカルなコンビニでのことだったので、地元民しかいないと思っていたらしい。
日本でもほかに情報がない限りはモンゴロイドの人間がいたらまず自国民だと信じて日本語で話しかけるだろうし、
西洋人だったら日本語を理解する可能性を想定せず英語で話しかけると思う。
日本語に堪能な非英語圏の白人が日本に帰化して日本人になっても、
白人というだけで英語でしか会話させてもらえないということで、
「自分はいつまでたってもガイジン扱いだ」と嘆いていたのを思い出した。
中国とか韓国とかでもモンゴロイドなら自国民と信じ、白人だったら最初から自国語など理解することのできない英語話者とみなすのだろうか?
中国本土内でも上海の都市部やローカルな田舎とでもだいぶ差があった。
ローカルなお店を除いては大抵英語併記。マカオに至ってはポルトガル語も加えて三言語併記。
少なくとも通じる人をどうにかして捕まえられる環境は常にあったと思う。
ところがマカオから海をフェリーでものの10分渡って中国の片田舎に入ると、
オンラインゲームに負けてフラストレーションが限界を超えたのでペットボトルを10個潰してそのゲームのディスクを割ってケースを背から裂いて昼に食べたカップラーメンのプラを握りつぶして消しゴムを外に放り投げた。
リアルだったら死ぬまで殴ってたかもしれん。ムシャクシャしてってのは本当にあるんだな。
というよりゲームの影響で暴力的になるというよりそれで溜まったストレスによって暴力的になるのではないかと思った。
それなら納得するし、それで規制するというならもうしたいだけすればいい。