はてなキーワード: 罵倒芸とは
長文の中にちょくちょく煽りが入って読みにくいことこの上ない。
煽るのは見出しだけにしとけ。でなければ罵倒芸の域まで高めろ。
やたらとぐだぐだ説明してるけど、誰に向かって説明してるのか分からない。
政治系ブログを読み込んでいる人、まったく知らない人、どっちも相手にしようとして空中分解している。
誰に向かって説明するのかを考え、説明すべき点としなくてもいい点を選別して、文章を刈り込め。
リンクも付けすぎ。削れ。
「!」や「?」や「w」の後は空白1つ空けろ。
とにかく論題を盛り込みすぎてぐちゃぐちゃ。
小分けにしてブログでじっくりやっていったほうが良いぜ。
はじめに
ログのすなどりに嫌気がさし、大半の人は「水伝」との係わりを渋ります。折りしも「●かな●さん(他称?のため)」のコメ欄で騒動が再開されました。予備知識がなく二の足を踏むのはもっともですが、人物が整理され、構図も実相も鮮明となっています。臆することなくフリーハンドで結び目を解く新人が参入して良い頃、読者にとっても良い機会ではないでしょうか。
人物(A・B・C・D)
!現在「共感派」を構成するのは、二年前の不用意な記事がやり玉となったブロガー同盟ではなく、Cを起点にはじけた「連座制が嫌で黙っていたけど、心中は穏やかではなかったです」タイプの中間層の繰り上げ。
四人には「蜜月時代が嘘のような」という紋切り型は相応しません。不即不離、木箱(親和的ではないサークルに向けるあなたの呼びかけは、共感、論理派以前の分岐点となります)に居心地良く収まった当時の様子はたやすく思い描くことができるでしょう。論理派(世間知を蔑ろにするトラブルメーカー!)が、数多のブログから応答が困難な共感派(反知性主義の擁護者!)の文章を今もこぞって俎上にのせるのは、私怨だけで説明がつくものではありません。
!水伝には「的確な人物評は罵倒と見分けがつかない」という魔法の言葉が存在する。
o A 「軽はずみな謝罪を行い、軽はずみに謝罪を求める」人物とされる。「怒りの表明と記事の削除、言明(反省)を促す行為は、謝罪要求にあたらない」といった理屈を受け止めることができるならば、あなたはこちらのグループ(論理派)に入る。
o B そのパートナー。踊り子の軽快なステップ、武道家の重厚なさばきを併せ持つ論客を自負する。まるで組み手上等の伊東富士子だが、場に響くのはきしみ、無理強いした関節の悲痛。
o C その友人。職業スキルに信頼を置く千の衆望を担った元メルマガ発行人。耳目をそばだてるフレーズを多用し、自身への火の粉を振り払うためでも、育成したスキルのネット社会での応用を頑なに拒む。
o D その崇拝者。コピペブロガーの上位にあたる引用ブロガー。三行を超えたコメントの通読が苦痛をもたらすのは、選択と長短が不適切だから。「違和感は読者を立ち止まらせるための文章術」という評判は拾えず。
人物(E・F)
先の四人とは趣が異なり、リアルで交流を楽しむ情景(たとえばBとEのテーブルを挟んでの談笑)は、どれほど想像をたくましくしても浮かびません。
左翼的言論を活発に展開していた四人は異質を迂回できず、受容か拒絶の択一を自身に課しました。Eグループが騎士団と呼ばれ、Fグループがカルト(信者)に喩えられたのは、EとFがシンボルに祭り上げられた(落とし込まれた)からです。二人への直接批判は無益と下部が了解している節があり、強い批判が引き受けた支持者らへ向きます(沈黙は肯定か逃亡とみなされます)。
E・Fにカリスマ性は露も認められませんが、サークルクラッシャーの資質は備えます。隙が多いのも特徴的で、Eはそれを「観測気球」、Fは「無頼」とする演出が見え隠れしますが、今に至るまでその効能は明らかになっていません。
背景
水伝一幕は、科学リテラシーを感情で語る者と品格を論理で語る者との争いでした。ネットの論争で前者に勝ち目はありません。その「論理」で科学を語り、ほころびが露になる前に敵失によりステージが一気に変動したのです(トラバ論争)。qed「水に脳はないから水伝はいんちき」は、外野の「理系」にも含みを招いたことでしょう(一人が対話を試みましたが、Eの「謝罪認定」で終了します。そのブロガーはようやく「事情」を悟り、取るに足りない汚名と引き換えに撤収できました)
前者が退いた後もネットリテラシー、主観論、運動論を引きずり、メンバーの参入と離合が劇的に行われます。グループ分け終了後の大きな対立軸としては、Eの「邪推が成り立つ」、Fの「ハラスメント」問題があります。語りつくされた疲弊感も漂いますが、「謝罪論争」直前のBの失言など踊る余地も残されています。
渦中へ
G(A)のコメ欄に向かう前に、読者は論点に対する見解を用意します。
o「双方論争」から引いた「卑怯者論争」は正当か?
o Gの回答(ハラスメント)はなぜ無効とされるのか?
o グループ内で発せられた嘲り、暴言に論理派が倫理の判定を「忌避」した理由は何か?(流れを読め、発言者本人に尋ねよ、罵倒芸だ、訴えればどうかと回答した人々の真意は何か?)
o 過去ログから相手側への謝罪が提出された場合、論理派は詰みではないか?
o 論理派の張った狭義(「双方」は頻度と深刻をデータ化し、等量である事を明示)、予防線(性的言辞は最大値、蔑称は最小値をとる)は妥当か?
o 一般認識、文脈大問題は「邪推が成り立つ」を問われた場合、詰みではないか?
o 「嘲笑」目的以外の、コメント削除を行いながら投稿禁止の処置をとらない理由は何か?
過去へ
ひと続きの古い結び目から解きたいと希望する読者は、出典をみずから発掘し、不明な部分の詳細を確認することが条件になります。引用を避けたのは、騒動の教訓に「人は埋め込まれたリンク先すら読まない」とあるからです。
関連を訪ね、水伝以前までログを遡ることで「神の視点」を体感し、デッドエンドの憂鬱な記録を「ハッピーな」団欒シーンで読み終えることができます。
「春樹受賞の弁」を踏み台にするのは良い考えではありません(デッドエンド)。会話はA・B・C・Dに限ること。他と応答する義務はなく、価値も認められません。四人は確かに傷を負い、自分に借りを作りました。伝言ゲームの応酬では勘定が合わないはずです。
おわりに
嘲笑や恫喝は慣れっこだが、家族への言及には耐えられない、尽力する保護事業に累が及ぶのは不当だと考えるなら、goo。
※劣勢の共感派への疑問を追加(しかしAE混成チームに痛み分け以上の戦績を残せる者が何人いることか)。
共感派は論理の不備を質されている訳ではなく、誰かのそれに乗じて済ました過去を見咎められている(みんなで笑ってやろう)。その「論理」が牙を向いたとき、なすすべもなく動転し、次に誰かの当てこすり、空騒ぎに乗った。以前の踊り場がどれだけ狭量なものであったかに目を背け、遥かに刺々しい場所を臨んだのではないか。
元増田だけど、集まりが悪かったからageとく。
なんか、ポジティブ方面なトラックバックは増田にはなかなかつかないみたいだね。
じゃあ、思いつきで有名どころをいくつかピックアップしてみるよ。
次は「浴びせて読ませるブックマーカー」とか
「じっくり読ませるブックマーカー」とか
「ガツンと突っ込むブックマーカー」とか
誰かやってくれないかなw
面白い問題提起だった。
ちょうど最近、何故「上から目線」という言葉が向けられるのか分からない用法が増えてきたと感じていたところだ。ああこれは「上から偉そうに言ってくんな」と言われてもしょうがない内容/言い方だなって心当たりが無くて、何か脈絡無く出てくるように感じていた。一方で、同じシチュエーションで「上から目線」という感覚を共有している人々も確実にいるようで、こちらとしてはちょっとしたアスペ気分だった。
これは、「上から目線」の用法が変わった、あるいは新しいニュアンスで使うようになって、それを自分が知らないだけなのか、それとも意味用法は大して変わってないが、「上から偉そうに・・・」と感じる閾値が変わってその感覚を共有出来なくなっただけなのか、どちらか知りたいと思っていた。あるいは、わざと通常なら言わないようなシチュエーションで(閾値をあえてずらせて)使う、罵倒芸的な使い方なのだろうか。
最近と言ったが、よく思い出してみると、はてな周辺を読むようになって、これまで知っていた「上から目線」が登場するシチュエーションと異なる場面で使われる例を目にすることが増えた気がするな。つまり、最近でなくて、はてなでの用法が特に違うのかもしれない。
http://b.hatena.ne.jp/y_arim/20080409 より抜粋
ありがちな反応「どう見てもモテるけど贅沢な俺アピールです。本当に有難うございました。」
よく訓練されたはてなー風の反応「非モテ界に新キャラ誕生!イケメン超モテあてつけ罵倒芸!よっマッチョ!しびれるゼ!イカしてるゼ!(拍手喝采=ブクマの嵐)」
http://anond.hatelabo.jp/20080125171910
リストは http://us.imdb.com/character/ch0028545/ これに邦題を付けただけなんだろうか?
だったらちょっと厳しい気がする。
でもあの「トリビア」はちょっと同情してしまう。
訴訟がどうのというのではなく、著者への罵倒芸に仕立て上げられんものかな。
ただ、この一件が原因で精神に異常を来してしまうってのも、…ちょっと繊細すぎるという感があるわ。
誰かにきつい事を言われたりしたんだろうか。
劇場管理人は生きていた!! 更なる研鑚を積み分裂勘違い君が甦った!!!
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その話題はすでに私がまとめている!!
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難読idの巨人! d:id:suVene!
……ッッ どーやらもう一名は超大作インモラルフリーシナリオゲーム「はてなRPG(仮)」 を作っている様ですが、完成次第ッ皆様にご紹介致しますッッ
一生フリーターってそんなにおかしいか?って問いで始まった増田。フリーターのデメリットを上げるなら。と考え始めたら、人手不足を実感し、これって景気回復?と半信半疑。同じ職場の問題でも美人の同僚が薄着すぎて困るんだがという増田はうらやましい。趣旨外れますがなんて愚痴る増田も出るわけだ。でも、本当に言ったらセクハラだよ。セクハラといえば旦那の面子が立たないという話もセクハラになりかねない。うー、世の中難しいぱわーばらんす。
友達がいない とりあえず思った事まんま書く増田さんの悩み。かと思えばこれいかに、と、いーんだかわるいんだか。人間関係って難しいよね。温暖化 DE 喧嘩なんて犬も食わぬうちが花、罵倒芸とファックコミュニケーションとの違いがわからないとかはてなには人文エリートが多い? 違うよ、全然違うよ。なんて否定されちゃ悲しいよ。
それにしても昨日の増田は罵倒だとか匿名だとかいうキーワードが舞った日だった。腐ってやがる。早すぎたんだ。なんていわれないように、こんなときこそ増田ねこの出番だよ。ぼうぼうさんも面白いネタよろしく!
ファックコミュニケーションでは一転して、罵倒が親しみの挨拶として両者に認識されている。それを見て不快感や疎外感を覚える人はいるのだろう。どちらか一方と交流があれば尚更だ。しかしこうしたことはあらゆる人間関係で起こりうる。すべての人とまったく同じように接することは難しい以上、どういうスタンスでコミュニケーションを取れるか/取りたいかが、相手によって違ってくるのはやむを得ない。
ファックコミュニケーションでのやりとりは、自分が蚊帳の外にいながらも強烈な不快感を覚えて観察していた。良くあんな状態で誰も不快感を口にしないよなあ、と思っていた。
所謂罵倒芸と呼ばれるものも同様で、言われた側がどんなふうに感じているかとかは部外者には全然わからない。わかりようもない。観察している人間が「それは罵倒」「それはクネクネ」と分けられる類のもんじゃないだろう。
『罵倒を芸風とかキャラクターだとして容認する場こそが問題』であるにも関わらず大野氏の言説に同意している-引用部にのみ同意しているのかもしれないが-id:kanose((idは敬称))の態度は理解出来ない。
罵倒をするのも罵倒を諫めるのも、罵倒芸を楽しむのも自分にとっては変わりはない。
id:Marco11の罵倒芸は見ていて腹立たしいし不快極まりないものがあるが、ファックコミュニケーションでワイワイキャッキャやって他の人間が不快になっていないとでも本気で思っているのなら頭がどうかしているとしか思えない。「内輪で楽しんでいるんだから構わない」という態度を示すのなら、罵倒芸を仕掛けられている側に楽しめているかどうかを確認する必要があるし、確認もしない儘に自分勝手な価値観で「これは罵倒だからダメ」「これはクネクネだからオッケー」などとレッテル貼りをして回る行為こそ断罪されるべきであろう。