はてなキーワード: 福岡空港とは
結婚もせず何者でもなかった時だった。
たった1人で夜を明かした。
あの吸い込まれそうな闇の中でたった一人で寝るというのは
普段味わったことのない恐怖であったが、不思議とワクワクして
いたのを今でも忘れることができない。
会津城まで向かおうとしたのだがスケジュール的に無理があったので
福岡空港をちょっと見てそれで帰った。ただそれだけの旅だった。
途中で寄ったガソリンスタンドで対応してくれたおじいちゃんのなまりが
強すぎて何を言っているのかはよくわからなかった。
2日目の朝がひどいどしゃぶりで
かっぱを来たまま心の中でワーワー叫びながら必死にアクセルを回し続けた。
ひどい雨の中なぜかゼロの使い魔のOP「YOU'RE THE ONE」を口づさんでた。
体は汗でギトギト、炎天下の下体は黒くなったのに不思議と心が真っ白になる感覚を覚えた。
心が綺麗になっていく感覚だ。
その時にオレが思ったのは極限状態に追い込むと人間はシンプルになるってことだ。
炎天下で晒されて汗だらけのなかで水が飲みたい涼しいところにいたい風呂に入りたい
というシンプルな欲望が頭の中をしめて
普段考えている雑念が消えるのだ。
それは自分自身が今、生きてるってことを本当に気づくってことだ。
サーバ室は携帯の電波が届きにくく、最低限の仕事上の連絡以外は誰とも連絡を取らなかった。
ただただ、作業に集中した。何も考えず。
病院と家との往復。帰宅したら、疲れて眠るだけだった。食べることすら忘れていた。
彼の事を忘れたいわけではもちろんなかった。
でも彼の事を思い出すと、どうしても後悔の底に落ちて這い上がってこれなかった。
そんな生活を2ヶ月続けて、私の心は壊れそうになっていた。
「例の彼とはどうなったの?」」と聞かれるのが怖かったから。
壊れていたのは心だけではなく、体もだった。
1年前に普通に着ていたはずの服が、ぶかぶかで着られなくなっていた。
5年間使っていた金属バンドの腕時計も、コマを詰めなければいけない程になっていた。
会う人会う人に「痩せたね」と言われ、そのうち「大丈夫?」と心配されるようになっていた。
着られる服は全くなく、買いに行ってもサイズが合わないような状態だった。
もう、限界だった。
仕事に没頭する事で彼の事を考えないようにしていたはずなのに、
仕事に集中できず、彼の事ばかり考えるようになっていた。
それまで私は、夏休みを1週間取る以外で長期休暇を取ったことは一度もなかった。
そんなに仕事が好きだったわけではないけれど、
盆・暮れ・GWが書き入れ時の医療SEは、簡単に長期休暇は取れなかった。
それに自分の仕事には責任を持ちたかったので、あえて休暇を願い出ることもしなかった。
そんな私が、初めての長期休暇を上司に申し出た。
激務が数ヶ月続いていたこともあり、休暇はあっさり認められた。
少し心と体を休めようと思った。
私のスケジュールが突然「休暇」になった事を心配した別の部の同期から、電話がかかってきた。
「大丈夫だよー。ちょっと忙しくて疲れたから休んでる。すぐ戻るよ」
そう言ってごまかした。本当の事が言えるわけもなかった。
当時私がいた部は、元々希望していた配属先とは違っていたし
仕事内容自体も、どうしても好きにはなれなかった。
プログラミングができない、サーバの知識もない、そもそも大学は文系の私に
SEなんて務まるわけもなかった。
配属されて初めてのプロジェクトでは、仕事がきつすぎて毎日泣いていた。
何かうまくいかないことがある度に、辞めたい辞めたいばかり言っていた。
実際、その年の頭には、転職活動を始めようとしていた。
そんな私に、彼がこんな事を言ったことがあった。
舞ちゃんがいつも頑張ってるの知ってるよ。
どんなに夜遅くなっても、自分の仕事に責任持って最後まできっちりやってること知ってるから。
そういうのちゃんと見てるから、辛いのは分かるけど、でも簡単に辞めればいいなんて言えないよ。
彼にそう言われてから、私は辞めたいと言わなくなっていた。
彼は仕事ができる人だった。だから彼に少しでも追いつきたくて必死で勉強して、プログラミングアレルギーも克服した。
今の私を彼が見たらどう思うかな…。
そして私は、当初の予定を1週間延ばしたものの、3週間で職場に復帰した。
復帰後は、少しでも負担の少ない仕事を、という上司のはからいで、
同じ部内で別のグループに移って、全く違う仕事をすることになった。
(というか無理矢理食べさせようとしたんだろうが)
でも、彼とよく会っていた福岡にはどうしても行きたくなかった。
福岡だけでなく、彼と一緒に行った場所を私は避けるようになっていた。
ただ、九州支社はその年の5月に別の場所にできた新しいビルに移転していて、
いつもなら、空港内にある有名なクロワッサン屋でクロワッサンを買う。
彼に「美味しいから一度買ってみなよ」と言われて買ってからお気に入りだった。
もう、クロワッサンを買う気ににもならない。
仕方なく、売店でお土産を買って時間を潰して搭乗時間を待った。
羽田で福岡行きの飛行機を待っていたら、偶然同じ便で福岡に向かおうとしていた彼に会ったこともある。
博多駅から九州支社に向かう途中の道、彼と電話しながら歩いたこと。
色んな事を思い出しすぎて潰れそうだった。
結局その日は、ほとんど眠ることもできず朝になった。
翌日は土曜日で、午後から横浜に行く用があったものの、他にする事がなかった。
ふと、ある男友達の事を思い出した。
その人は会社の同期ではあるものの、職種が違うため仕事での関わりが全くなく、勤務地も違っていた。
それでも入社してすぐの研修で同じクラスになって仲良くなってから、
定期的に二人で飲みに行っていた。彼と付き合っていた時も月1程度で会っていた。
私にとっては完全に「友達」で、恋愛対象として見たことは一度もなかったし、
それは相手も同じで、私を女として見ることはなかった。
だから、二人で会っても大丈夫だと思っていたし、彼に対して、悪いことをしている気持ちには当然ならなかった。
その友達に彼のことは話した事は一度もなかったし、
私の色恋沙汰について何か聞いてくることもほとんどなかった。
ちょうどいいや…。
さすがに当日に連絡しても空いてないだろうなー、と思いつつ、メールをした。
いるー!
その日は横浜で待ち合わせをし、東急ハンズで買い物をして、飲みに行った。
それからの週末はしょっちゅう旅行に行き、家にいることはほとんどなかった。
そして、旅行のお土産だとか色々理由をつけて、その男友達と頻繁に飲みに行った。
色々深く聞いてこないその友達が、一番都合がよかった。
そしてその人と一緒にいると、不思議と気持ちが落ちついた。
前年の年末は、彼がリーダーをしていた病院で正月にシステム本稼動があり、彼は当然仕事をしていて、一緒にいられなかった。
来年は一緒にいられたらいいね、と言っていた。だから、日本にいる事すら嫌だった。
そうやって、現実から目を逸らすことで、どうにか自分を保っていた。
F1が好きだった彼と私は、いつも月曜日にF1の話をしていた。
這い上がれなくなるので、私は見るのをやめた。
二人とも読書が好きだったので、会うとよく読んでいる本の話をした。
仕事が早く終わった時はいつも本屋に行って本を買っていたのに、本屋に近づくことすらできなくなっていた。
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┃ コラム ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
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http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/130/index.html?cd=sjm
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当連載の125回、『新福岡空港にみる財界人の駄目さ加減』で、わたしは福岡空港
の移転を目論む勢力を批判した。皆さんもご存じのことと思うが、わたしはおよそ
日本の公共事業を褒めることはない。公共事業、わけても土木と名のつくものはほ
ぼ例外なく、財界と一部政治家・官僚を潤して終わりだからである。
念のため書いておくが、わたしは必ずしも財界が(あるいは政治家・官僚が)潤
おうことをとがめるのではない。地元の人々に、ひいては国民に利益が還元されな
いまま、財界「だけ」が潤うことを批判するのだ。しかも新福岡空港に関しては東
アジアのハブとなる千載一遇のチャンスを逃すことにつながる。相応の妥当性があ
り、それなりの経済効果が見込める公共工事ならば積極的に応援することだってや
ぶさかではない。
あれれ、リニア新幹線の賛成理由が、夢があるからというのは、随分と論理的でないですね。
新幹線の利用率は、めいっぱいになってきているというのも分かるのだが、それはいいことではないのか。
別の路線を作れば、利用率は単純に半分になる。経営的にはどうかと。別の路線を作れば、利用者が2倍、いや、それ以上に上がるというのであれば作ればいい。また、JR東海もカネがあるなら作ればいいと思うが、不採算を税金でどうにかしてやろうとか、通常路線の価格に転嫁したりすれば、それも問題だろう。
で、結論。いらない。