はてなキーワード: 白髪とは
●11月26日
16:15頃 気仙沼市本吉町地内路上 年齢40~60歳位、やせ形、黒色ジャンパー、紺色ジーパン着用の男 10歳の女の子 に「走ると危ないよ。いい女」と声をかけた。
●9月16日
14:00頃 泉区将監1丁目地内路上 50歳位、中肉、黒色オールバック、緑色シャツ 7歳の男の子に 「ごめんね」と声をかけて、肩に手をかけた。 自動車(塗色青色)
泉警察署
●4月19日
6:50~7:20頃 東松島市浜市地内路上 年齢40~50歳位、白髪交じり、眼鏡着用 8歳の男の子に 「トイザらスの場所教えてくれ。」と声をかけた。 白色軽トラック使用
●4月19日
16:30頃 東松島市牛網地内路上 年齢40歳位、黒色トレーナー、ジーパン、黒色野球帽着用、サングラスかけた男 9歳の男の子に 「トイザらスに行く道教えてくれ。」と声をかけた。 白色ワンボックスカー使用
●11月28日
13:15頃 仙台市宮城野区福室1丁目地内路上 年齢20歳位、身長170cm位、中肉、黒色短髪、灰色の服、青色ジーパン、銀縁眼鏡、自転車に乗った男 10歳の女の子に 「警察の者ですけど、話したいことがあるので人目につかないところへ行こう」と声をかけた。 黒色自転車使用
●3月23日
15:08頃 気仙沼市南町1丁目地内 年齢35歳位、やせ型、灰色フード付きジャンパー、黒色ジーパン着用、黒色四角型のメガネを使用した男 11歳男の子に 「死刑好きなのか。死刑にしてやる。」と声をかけた
●9月8日
15:50頃 宮城野区福室2丁目地内路上 70歳位、170㎝位、小太り、青色上着、黒色ズボン 7歳の男の子に 「虫いっぱいいるところ知ってるから一緒に行こう」と声をかけた。
●7月3日
16:30頃 石巻市貞山地内路上 20歳代後半、身長不明、がっちり型、角刈、ピンク色ワイシャツ、黒色スラックス 17歳の女の子に 体を触り「もう一度触らせて」と声をかけた。 ピンク色自転車
27歳。某国駐在中。
現在進行形の女との関係について書きたい。
相手は22歳の風俗嬢。超をつけてもいいと思うほどの美形かつ巨乳。
(風俗嬢なんかに入れあげて・・という意見は非常によく分かります。ただ、自分の価値観では、風俗嬢かそうでないかということより、どれだけ美形かということがより重要だったりします。)
2回客として通った後、向こうからデートに誘われ、そうこうしている内に、セフレ以上彼女未満という関係に。
そして、8月中旬までは、特にどうということも無かったと思う。
8月中旬のある日、風邪で寝込んでいる彼女の見舞いに行くと、気のせいか、若干、態度がよそよそしい。
その時は、風邪なんだから、まあしょうがないことだろうと思っていた。
が、その2日後、電話をかけてみると出ない。いつもは、風邪だろうが何だろうがコールバックがあるが、それも無い。
翌日、翌々日と電話をかけてみるも、やはり無視。メールにもやはり返信なし。
二日ほどあけて、痺れを切らした自分が、「会いたくないのなら言ってくれ、こちらも無理に電話しない」とのメールを送ると、すぐにコールバックあり。
曰く、「本当にごめんなさい。のどが痛くて寝込んでた」と。・・・明らかに嘘だ。
お前、この間、風邪で寝込んでた際は、普通に電話出来てたじゃん。
しかも、メール送る前にも電話したが、それすら無視だったよな。
ていうか、のどが痛くて電話できないのに、今は友達と遊んでいる最中だと。
何をどう考えても嘘なんだが、こちらも現地語でそれを追求できるほどの語学力も無く、うやむやに。
それに①何かがきっかけで気持ちが冷めてしまったなら、急いでコールバックする意味が無い、②気持ちが冷めていないまま、他の男と会うなら、いくらなんでももっとうまくやるはず、と思えた。
財布代わりのキープ?それはどう考えても無い。
店で会った時の代金(それも最初、こういう関係になる前に2回遊んだだけで、それ以降は一度も顔を出していない。)は別として、それ以外に金をあげたことは一度も無い。
デートの時の飯代なんかも、交互に支払いあっている。というか大概の場合は、自分で率先して払おうとする。
次の日、2度ほど電話をかけてみるも、やはり出ない。返電もなし。
その後、「正直、疲れた。君が何を考えているか分からない」という旨の恥ずかしい長文メールを送り、就寝。
翌日は、疲れもたまっていたのか、体調を崩してしまった。
メールの返信は無かったため、電話をかけてみると・・なんとつながった。
曰く「昨日ものどが痛かった。」だと。・・・嘘が下手すぎる。
が、「今日は、会いに行きます」とのことだったので、やはり追求せずに、そのまま電話を切る。
そして、深夜2時。おかしい。来る様子が無い。
いつもなら、仕事の終わる12時過ぎには電話があるはずだと思い、電話をしてみると、「今日は残業があった。あなたはもう寝ていると思い、電話しなかった」だと。
これについては、さすがにありえることだと思ったので、特に追求せず。仮に男といたなら、電話には出ないはずだし。
結局、その夜、彼女は来た。
ちなみに、態度は、よそよそしくも無く、以前の彼女と同様。ぽつぽつと有る白髪を抜いてくれたり、自分の昔の彼女の写真を執拗に見たがったりする様子からは、どう見ても冷めているようには見えず。
その後、2日ぐらいは、なぜ、昔の彼女の写真を見せてくれないかとの追求メールがあったが、それ以降、また音信不通に。
前回会った時に、「あなたは2,3日に1度くらいしか電話をくれない」というようなことを言っていたので、数日間は、毎日2,3度電話してみるも反応なし。
なんか自分がストーカーのように思えてきたため、「自分が不必要になったら、遠慮なく伝えてくれ」というようなことを柔らかくメールで送ると、すぐに返電有り。
こちらからは何も追求せず、向こうも特に言い訳はせず、たわいも無い話をして電話を切った。
何なんだろうね、これって。
浮気をしているにしては下手すぎる。いや、もしかすると自分に対しては、浮気していることを隠す必要すらないということか。
その割には、自分と縁を切ることは考えていないように見える。
それとも、男には想像のつかない深遠な理由があるのか。
この話、男と女が逆だったら、非常に分かりやすいんだが。
そういえば、自分も、昔は意味も無く電話を放置したことがあったっけ。
それは決まって、信頼関係の有る相手、たとえば家族や古すぎる友達からの場合だ。
やばい、何か思い当たってきた。
彼女は稼ぎのほとんどを溺愛している田舎の弟に送っている。そして、自分が見初められた理由も「あなたは本当にかわいい、一緒にいると落ち着く」だった。
日本人故の童顔、それに片言の現地語(分かる人には分かると思いますが、これ、相当幼く見えます。)、彼女が弟と重ね合わせるのは納得出来ないことも無い。
ちなみに、彼女の以前の相手は、皆、父親ぐらいの年の人。単なるファザコンかと思っていたが、そうじゃなかったのか。
と、まあこれは前向きな推論。
翌々週あたりに捨てられている可能性も普通に大。
資格試験に落ちた
年下の後輩に先輩頭悪いっすね!って笑いながら言われる日々
じゃあ今までどうやって人生やってきたんだ?やる気が足りない?
白髪が突然増えてきた
自分は思っていた以上に何もできない無能みたいだ
後輩が笑って言っていた
確かにそうかも知れない。何もできない。何もできない。見られる箇所が一つもない。
努力したってどこにも届かない。努力なんてしてるのか?叶ってないなら、ただの時間の無駄遣い。
新しい環境が辛い。だけど皆辛いことがあっても頑張って生きてるんでしょ
自分にだってできるはず
時々手が痙攣して動かないけど、
自分がそんな大層なことになるわけない
気合が足りないからそんなことになるんだ
誰かに話したいけど、その誰かだって辛くても頑張ってるんだよね。
じゃ私の話なんてして時間とっちゃいけないな。
明日の朝目が覚めなければいい。
僕は生まれつき髪の毛が茶色がかっています。別に西洋系の血が混じっているわけではなく、正真正銘、生粋の日本人です。
日本人であっても、髪の毛が茶色がかっている人など別に珍しくもなんともないと思います。学校や職場に行けば、だいたい同じクラスもしくは部署に1人2人くらいはいませんか。そもそも髪の色なんて程度の問題で、加齢などによる白髪は除けば、むしろ茶色気のない人の方が珍しいのではないでしょうか。
しかし、それでもこの日本という国は茶髪の人間にはなかなか生きずらい面が色濃く残っており、いまだ茶髪について多くの人から異端の目で見られ、何らかの言及を受けることになります。
僕もそんなこんなで20余年この色で生きてきた一人であるわけなのですが、そうした中で大いに思うところがあるので、ここに書き記しておくことにした次第です。
それは、以下のようなことを言われることが、かなり多いということです。
「・・・」に入る文言は「黒く染めろ/染めた方がいい」だとか「大変だね」とかです。
問題なのは、実際の社会ではこの手の人が圧倒的大多数を占めているということです。「別に気にしない」人が大多数なのに、なぜ茶髪に対する偏見がなくならないのでしょうか。おかしいと思いませんか。実は、こういった人たちこそ、最もたちの悪いタイプの一つ、すなわち無自覚に差別を助長するタイプなのです。このタイプが多い社会では差別をなくすことなんて不可能に近く、その社会そのものも硬直的で変化に弱く構築されます。
僕の経験から見て、実際には、彼らの言う「口うるさい人」なんて本当に僅か一握りしかいません。むしろ彼らは、変わり者とか頑固者といったカテゴリーに属する人たちです。むしろ、一番やっかいなのは、数の多い普通の人なのです。
例えば100人の社会を考えてみてください。(a)口うるさい人が2人、(b)生まれつき茶髪が5人、(c)「俺は気にしないけど〜」の人が93人とします。(c)の人が本当に本人たちの自称するように、純粋な無党派層であれば、(a)よりも(b)の方が社会的意見として力を持つはずです。しかし実際はそうはなりません。理由は簡単、(c)の人が足を引っ張るからです。
僕がこれまで見てきた限り、(c)タイプの人の主張はかなりワンパターンです。曰く、
驚くべきは、本人たちは正論を言っているつもりというところです。彼らは自分たちでは他者性を重んじているつもりなのです。社会人(笑)。スイーツなんかよりよっぽどたちが悪いです。われわれ茶髪は、こんな説教は聞き飽き飽きしています。こちらはそれを踏まえて議論しようとしているのですが、思い込みの激し人が多くてなかなか通じません。
彼らが所与に「仕方がない」とみなす常識や慣習を構築しているのは、いったい誰だと思っているのでしょうか。自分たちマジョリティなのに。まるで「社会」というものが他人事のようです。「社会」なんて人が作り出した単なる概念です。社会は人間で構成されていて、実際にあるのは人と人との相互作用です。おかしいのは、彼らの言う「社会人」の自覚に、社会の構成員としての当事者意識は含まれないところです。
実際に僕らを困らせているのは誰でしょうか?「口うるさい人」なんて滅多にいません。むしろ僕たちからすれば、この「なにかあったときに困るのはお前だ」というお説教こそ、最も遭遇する確率が高い「困ったこと」です。
幸いにも、これまで僕が茶髪によって受けてきた扱いなんて本当に些細なものばかりでしたが、茶髪仲間の中には、肉体的・精神的苦痛を伴う、本格的な差別を受ける人も少なからずいます。最近はさすがに髪を剃られて坊主にされたなんて話は聞かなくなってきましたが、黒く染めるのを強制されることは今でもザラにあります。
日本の社会には未だマイノリティにたいする非寛容が残っています。その非寛容さが根絶されない最たる原因は、以上に見たような「社会人」の、社会構成員としての自覚のなさのように思います。彼らが多数を占める社会は変化に乏しく硬直的になるのです。(a)タイプの人が一人でもいる限り、(c)の論法はある種の妥当性を持つからです。しかし、そんな近視眼的な妥当性でいつまでも攻撃されるのは我慢なりません。
そういえば、よく、日本では真の意味での市民社会は根付かないという議論を耳にします。社会にいる「口うるさい人」という架空の他者のせいにする思考パターンは、まさに市民社会の思想とは相容れないものではないでしょうか。
話が拡散して結局何がいいたいのかわかりにくくなってしまいましたね。要するに、「空気読むな、空気はつくれ」ということです。
ここまで読んでくださった方はありがとうございました。長文での乱筆、失礼いたしました。
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追記 6/26 2:23
http://anond.hatelabo.jp/20100626022244
下校時間になった。小学校1年生(黄色い帽子をかぶっているから、すぐわかる)の女の子2人が小学校の校門を出ると、その後ろを、白髪頭の男が付いて行き始めた。男はつなぎの服を着て手ぶらだった。2人の女の子は手をつなぎ、ときおり笑い声を上げながら通学路を歩いていった。平日の昼間からブラブラしている男が気になって、私はその3人を尾行した。1年生の初期は保護者が大きな道まで出迎えに来ることになっている。同じ通学路を歩いている子供は保護者に迎えられて分かれていく。1人減り、2人減り、とうとう、2人の女の子だけになった。1人が帰れば、女の子1人になってしまう。何かあったら男と格闘する覚悟を決めて、さらに尾行を続けた。
ある家に着くと、1人の女の子が門を開けて入っていった。鍵を開けて中に入り、もう1人の子に手を振ってドアを閉めた。とたんに、男が女の子に近寄って手を取った。
「ありがとう。パパ」
2人は親子だったのだ。そして、元来た道を戻り始めた。私はとっさに近くの家のインターフォンに話しかけて、親子をやり過ごした。私の家も親子が歩いていく方向にある。後ろから付いていくと楽しそうに話し始めた。断片をつなぎ合わせてみると、さっきの女の子の母親が今日迎えに出ることが出来ないので、友達である女の子が父親に家まで送ってくれるよう頼んだということらしい。
だったら校門で会ったときに目礼くらいしろよー。3メートルも離れて歩くなよー。とても親子には見えなかったよー。不審者だと思って身構えちまったじゃねーかー。
その答えも会話の中にあった。友達の親が迎えに来られないときに、自分が親とベタベタするのは悪いと思ったんだってさ。
いや、こっちが勝手に間違えただけなんだけどさ。むしろ、親切なお父さんなんだけどさ。友達思いのいい子なんだけどさ。
まあ、何事も無くて良かった。
なんてことを思い出したなあ(←遠い目)。
困っている子供に出会ったら。
1、「どうしたの? 何か困ってる?」とまず声をかける。
2、本人が自分で解決できると言うのなら深入りしない。
3、会話の成立しない年齢の子だったら、自分1人でなんとかしようとしないで、隣近所のインターフォンを押しまくって、回りを巻き込む。
4、自分たちでなんとかなりそうにないことなら警察に通報する。
こんな感じで気をつければ、不審者扱いはだいぶ免れると思う。
それと。
小さな女の子をトイレに連れて入る若いお父さん。申し訳ないんだけど、何かの手段で「父親であること」を強くアピールしてくださーい。その光景、かなり怪しいですー。不審者と間違えてごめんなさい。
処女厨は処女とセックスしたら、100%その女性と結婚して、100%一生添い遂げる覚悟なのだろうか?
もし彼女と結婚せずに別れる、結婚しても離婚するとしたら、自分がゴミを生み出すことになる。
そのことに関しては、何の罪悪感も持たないのだろうか?
当方キリッキリの処女厨ですが、一行目そのものだと思っていただいて結構ですよ
当たり前じゃない
だいたい「結婚するなら処女がいい」「遊びなら非処女でもキニシナイ」って言ってるのは処女厨じゃないでしょ
それは処女厨「以外」の一般的男の本音だと思うよ
処女厨は当然のこととして貞操思想になるわけだからあなたの言ってる一行目みたいな人間像を想像していただければよい
若い頃からただ一人の大事に出来るような人がいて共白髪、出来たら少し先に死ぬ、それでいいです
いないけどねそういう人が
ttp://2chcopipe.com/archives/51305420.html
先週の話だが車椅子の女性(推定40代~50代)を電車から降ろすのに4人がかりで「よいしょ」って持ち上げたんだがホームに着地するタイミングが合わず、ガタッって崩れるような形になった。(女性は車椅子からは落ちていない)
「アンタたち何やってんの?」
「人のこと荷物と思って嫌々やってるんでしょ」
そこへやってきた白髪の婆さん。と言うか「お婆さま」
『アンタ 足と一緒に人の心も無くしたんかい』
「怒るってことは人の心を失くしてない証拠」
「人の心があるなら、感謝の…」
ってな感じで諭し始めた。
上手く書ききれてないけど…
婆さんGJ
久々に品の有る凛とした高齢者を見たよ。
簡単にかんがえてやれ。これをやれば必ず就職間違いなし。
いくぞ。
●まずは髪を短く切れ。
いくら靴や服装をきれいにしても髪がながかっただけで印象がわるい。
でもボンズはだめだ。マジだ。
白髪の奴は染めろ。若々しい奴でないとだめだよ。印象が大事だ。第一印象で大体きまる。
女は清楚にな。飲み屋のね~ちゃんみたいなのも好きな役員いるけどそれはだめだw
●次は肌をきれいにしろ
どんなにご託を並べる奴でも肌がきたない奴はだめだ。できれば面接の前に髭は剃れ。
青々している長島みたいな奴はだめだ。トイレで髭をそってから面接うけろ。直前だぞ。
青い奴より油で光った方がまだましだ。
●メガネはやめろ。
視力の悪い奴はコンタクトにしろ。
コンタクト買えない奴は裸眼でいけ。メガネは営業でも圧迫するから裸眼がいちばん。
目が見えない方が面接でもぼやけてみえるからちょうどいいぞ。受かってからメガネをかけろw
●しゃべるな
ぺちゃくちゃしゃべるなよ。
一言いうぞ。しゃべるな。話せ。
ポイントは一つだ。いつもの自分の話すスピードより1/2にしろ。
コツはiPhoneなどでPodcastで2倍速でちょうど良く聞こえるくらいがいい。
そうだな。参考にしてくれ。ココを。もやもやトークでぐぐれ。そして聴け。
2倍速で聴けない奴はiPhoneくらい買え。
●ノート
相手の話を聞くときは聞くんでなくて聴け。
耳をそばだててきけ。そしてきいたら書け。書いた振りでも良いぞ。
大学ノートはやめておけ。皮の手帳に入れておけ。大判だぞ。基本は。
●首をたてに振れ
ノートに引き続き、首をたてにふるとあいては満足する。
相手の会話に合わせてうなずけよ。かならず。首振り坊やになれ。
おまえは社会人一年生になってない幼稚園児だからな。そこんところ肝に銘じてうごけ。
あたりまえだが、企業or諸先輩とのメールのヤリトリでは一番の返信スピードを狙え。
そのためiPhoneでまめにPCメールで企業とやりとりしろ。きたらすぐに返信しろ。すぐにだ。
●ドメイン
個人ドメインをもて。年間1000円くらいで維持できるだろ。
できればHP@Blogを書けよ。就活以外のことをな。あえて書かないで観にこさせろ。
フリーメールなんてつかうなよ。フリーメール使う奴は自己投資できないやつと思われるぞ。
あとは気合いで乗り切れ。
小さいころ「子どもは遊ぶのが仕事」と言われた。でも周りの大人たちが一生懸命に汗を流して働いていたから、自分だけが遊んでいちゃいけない気がしてた。だから何かに取り組むときに、自然と一生懸命にやるクセがついた。かたくなに取り組む姿勢がついていた。「これをやらなくちゃいけない」
大人になると、その姿勢は仕事に向かった。だから仕事ばかりやった。そしたら何だか疲れた。30を越えたら白髪も増えた。そんな生活の中で自転車に乗りたくなった。自分のカメラも欲しくなり中古の一眼レフを買った。面白い。世界がファインダー越しに見える。今はカメラを構えていないのに、画角や光や構図を、自分の瞳のレンズを通して見てる。
まるでボクシングをしていた時みたい。「もし今、右(ストレート)が来ても、この距離なら(カウンターで)いける」「この人のクセなら潜ってよけて左フック」と普段の生活中にいつも考えていた。山手線で居眠りしながらパンチを打った。世界がボクシングを通して見えた。遊びを通じて世界の見え方が変わった。遊びに夢中になっていたら、遊びの技術も向上した。ボクシングは遊びすぎてプロになった(2006年に目を壊して引退)。
今になって分かる。「遊ぶことは、まだ知らぬ自分の感覚を掘り起こすこと。自分の可能性を引き出すこと。」遊びの行為を通して世界の見え方が変わる。技術を伴う遊びが見知らぬ自分を掘り起こしていく。だから「積極的に遊んでいこう」と思えるようになった。この考え方なら遊ぶことに罪悪感がない。
ということで年末は海外旅行に行って遊んできた。知らない世界は新鮮で、新しい言語を使った交渉は面白かった。言葉を覚えて、また行きたい。カメラも自転車もボクシングみたいに遊んでしまいたい。ついでに仕事に関しても、遊ぶようにやってしまおうと思う。そういえば、幸いにも自分で勝手に研究していた技術が、社内で有用なものとして取り上げられた。なんだ遊んでいたら仕事が広がったじゃないか。