はてなキーワード: 白髪とは
自分もそのテの者です。単に陣痛やら会陰切開やらが痛みが嫌だ+十月十日を無事故で健康に過ごすのがタイヘンだろーなー、仕事もきついしさー、とか言う理由だったんだけどもそれに加えて昨年、子供の産まれた友人宅に行ってさらに理由が増えた。
友人はまだ20代の、結構オシャレな美人さんなのだけれど、頭は白髪が伸び放題、花粉症なのに鼻をすすりながらも「甜茶飲んだけどきかないんだよね〜」と文字通りお茶を濁していた。そっか・・・母乳で育ててるっつーことは、産まれた後も髪染めたり薬飲んだり(+酒タバコ類も)できないんだな、と、同性ながらその時初めて気付いて、子を産み育てることに対するマイナスイメージしか持てなくなった。
まあ、酒飲んだり妊娠期間中から髪染めたりオシャレ優先な格好するというのはいまどき割と許容(?)されてきてるし、案ずるより〜とか言うように、実際出産して子供に会えたらそういう耐性スイッチ入っちゃうんだろうけどさ。しっかし生死をかけて妊娠・出産したかわいい我が子のためとはいえ、前後2〜3年近くそういうことができるのかと言われると・・・。そっから先も親業は続くしねぇ。
電車内で痴漢にあったことは何度かあるけど、実は満員電車であったことはないです。
別に満員電車で密着されたことがないってわけじゃないです。
お尻のあたりに手の甲がぴたっとはりついてたり、目の前に立ってる人が鞄を両手で抱きかかえてるその手の甲が胸にぐいぐい押しつけられてたり、真後ろに立ってる人が勃起してるのがわかるほどぴったりくっついてたりということはあるんですが、迂闊に身体も動かせないし、不可抗力の可能性だって高いよなあ、と思ってそういうのは痴漢にはカウントしてません。
もっと、明確な意志を持って触ってきてる例だけで何度も被害にあってるんです。
それなりにすいてる電車で、わざと女性の隣に座って寝たふりをして寄りかかってきては組んだ腕の前の方で後ろの方の腕を隠しつつ指でさすったりつついたりしてくるとか、座席は満席だけど立ってる人は数人レベルというそれほど混んでいない車内でつり革を持って立っていたらわざわざ後ろにぴったりくっついて触ってくるとか。
電車の中に限りません。本屋で本を手にとって内容を確認していたらその人から見て私の反対側にある別の本を取るふりをしながらわざわざ手を伸ばして胸を触ってくるとか、路上ですれ違いざま抱きついてきたり胸をさすって逃げていくとか。
小学生からこっち、数年に1回はそういう被害にあってます。
小学生で最初に被害に合ってから怖くて私服でスカートが履けなくなりましたが、その後もずっと被害にあってます。
ちなみに胸はAカップでほとんどまな板レベルなので、「胸に挑発された」もまずないと思います。
満員電車さえなくなれば痴漢の大半が解決するんじゃないかという意見は、痴漢は性欲が制御しきれなかった系の話と同じで痴漢行為の大半を不可抗力な密着として捉えてるんじゃないかという気がして、ちょっとなんだかなと思います。
不可抗力的な密着は痴漢行為としてカウントしなくたってかまいません。というかカウントしていない女性が多いと思います。
でもそれをカウントしなくたって充分恣意的な痴漢行為が多発してるんです。それを知って欲しいなと思います。
「痴漢は犯罪です」というポスターを初めて見た時、正直びっくりしました。
「犯罪行為」というのは、する人も躊躇うことで、そんなに頻発するものじゃないと思っていたので、自分や周囲の女性がこれだけ何度も被害にあってるということは犯罪として認定されていないものなんだなと思っていたのです。
痴漢をする人は「スピード違反」と同じような感覚でしてるんじゃないかと思います。法律で一応ダメなことにはなってるけど本当はたいして悪いことじゃなくてみんな陰ではやってることでばれなきゃOK、というような。
私に痴漢行為を働いた人はにきび面の中学生からスーツを着たサラリーマン風の人、白髪の作業服姿の50代ぐらいの人までみんな違う様々な人ですが、それでもほとんどの男性はそういうことをしてなくてごく一部の男性だろうと思っています。周囲にいる人たちがみんな陰では機会があればそういうことをしているとは思いたくないです。
痴漢をしてる人が「みんながやってるわけじゃない。別に我慢してるわけでもなく、無理矢理触ることなんて望まない男性が多数」ということを知って行為を躊躇してくれればいいなと思います。
けれど、ほとんどの男性は当たり前すぎてそういうことをわざわざ口に出して言わないんですよね。
ネットで目立つのは、増田にもあった「男はみんなレイプや痴漢を我慢している」というような言説ばかり。
言ってる本人も自信がないからわざわざ口に出して反応を確認しているのではないかと思いますが。
そういう発言を見かけたら「勝手に一緒にするな。そんなこと考えてるのは一部だ」と一言反応してもらえたらなあ、と思います。
高校の時の話。
俺はじゃんけんなんか絶対に運だと思っていた。確率2分の1で勝敗が決まるコイントスのようなものだと思ってた。図書室にいた数学の先生と話していたときに、どういう流れかは忘れたが、2人でじゃんけんをした。その先生は60歳くらいで、白髪のおじいさん。だけど凄く元気で活発な人だった。面白くて生徒にも人気があった。
じゃんけんは、3回やって3回とも負けた。悔しかったから、何度も挑んだけど1回も勝てなかった。
明らかにズルはしていない。俺がグーを出せば必ずパーが、チョキを出せばグ(ry
動きに特徴があって見抜かれているのだろうか?理由がどうしても知りたくて、
「なんでですか?」
と聞いてみた。先生はその問いに答える代りに、その図書室にいた生徒を20人ほどを1列に並ばせて次々にじゃんけんをしていった。
あいこが2回くらい続くこともあったが、負けることは一度もなかった。全部勝った。もしじゃんけんが確率2分の1だと0.5の20乗で0.000001の確率だ。ありえない。もう一度、
「なんでですか?????」
と尋ねたら、一言
「反射ですよ」
と答えた。それ以上は何も言わなかった。その時は常識が覆ったような気分だったなぁ。
穀物メジャーのカーギルのベネズエラ内の資産を強制没収したという話が流れてきた。
ベネズエラでは食料品に統制価格制度が敷かれている。カーギルは、ベネズエラ国内で、籾殻のついたままの米を蒸して乾燥させたパーボイル米を生産していた。パーボイル米とは、脱穀した米に蒸気を当てて加熱して胚芽部分を変質させて発芽できないようにしてから、水に漬け、芯まで水が浸透したら乾燥させた米である。この加工により、発芽しなくなる事から、いくら出荷しても種子を盗まれる心配をしなくて済む事や、籾殻が外れやすくなるので簡単に精白できるようになる事や、米粒が全体的に硬くなり、虫害の被害を受けにくくなるといったメリットがある。
籾殻を外して精米すれば食料品であるが、この加工によって加工品となり、統制品ではなくなる。統制逃れと言われればその通りなのだが、そうしないと、統制価格で売らなければならないし、そのルートに乗せると、利益は全部政府に吸い取られてしまうという事で、農民は、加工品となって市場で自由価格で販売される事になるが、カーギル等の米加工工場に米を売るのである。
政府の統制価格で売られる米が極端に少ないし質も悪いとなれば、人々は加工米を買って食べるしかなくなり、共産主義(ベネズエラ式社会主義)体制なのに貨幣経済が発生し、貧富の格差が発生する。
カーギルの工場は資本主義の手先であり、革命を妨害する存在であるという事になっているのであろう。
本当に邪魔なのは、肥料・農薬の使い方や手入れの状況や天候や病害虫によって作柄に変動が出てしまうという現実を認めない制度や、人々の欲望すらも管理できるという思い上がりなのだが、革命精神があれば、その程度の事は乗り越えられて当然だというのであろう。
ベネズエラは、石油の確認可採埋蔵量で世界6位の資源国であり、中国と仲良くなった事から、気が大きくなっているようである。安保理常任理事国で、核兵器と12億の人口・兵力を持ち、日本を追い抜いて世界の工場となった中国が後ろ盾になってくれるのであれば、アメリカとも戦えると思っているのであろう。
中国が、白髪三千丈の大風呂敷を広げる集団である事とか、都合の悪い事はバレるまで黙っている大嘘つきの集団であるといった事を、知らないのかもしれない。オーストラリアと同じで、移民を受け入れてしまって、政治的に乗っ取られている可能性もある。
オーストラリアには白豪主義があり、黄色い奴はアボリジニと同じだという思想が残っているから、ぎりぎりの所で対中包囲網に留まる可能性があるが、ベネズエラは止まらない可能性が高い。キューバに核ミサイルが運び込まれた時はキューバ危機となったが、中国とベネズエラの接近は、ベネズエラ危機を発生させるかもしれない。中国は人工衛星の打ち上げを成功させているので、弾道ミサイルの技術を持っているが、ベネズエラに予備のミサイルを設置する事は、決して無駄な事ではない。原油日量100万バレルを200年分の代価として、核ミサイルをベネズエラに配備というのは、十分にありえる話である。
ちょっと前、本日(2/7 17:00頃)、NHKの徴収員がやってきた。
マンションのインタホンが鳴り、NHKの徴収員を名乗りましたので、こちらは、「うちにはテレビがないのでお引き取りください」、と伝えました。
だって、テレビ見ると莫迦にしかならないでしょう。だから、ないんです。わりと、NHKはまともな番組も多いですけれどもね。
すると、とたんに対応が変わり「ドアのロックを開けてください!開けてください!」と云うので、インタホン(電話)を切りました。
その後も3回ほど、インタホンがなりましたが、そんなのに対応するのはバカバカしいので出ませんでしたが、室内カメラから同一人物であることを確認済みです。
また、しばらくして、階下に降りたところ、まだインタホンをすべて鳴らしているようでしたので、直接本人をみました。
こいつか!と思いましたが、ま、向こうは知らないわけだし、軽く無視して外に出ました。
NHKはいつもこのような対応をしているのでしょうか。こんなの悪質訪問販売と変わらないですね。
昔、学生だった頃にも同じようなNHK徴収員がしつこくインタホンを鳴らし、非常に迷惑でしたが、対応は変わらないんですね。
あー、最悪。
http://anond.hatelabo.jp/20081030031354 を書いた俺だよ!
今日、還暦を迎えた母親に「おめでとう。そして、今までありがとう」って言いました。俺自身、すっげえ照れくさかったし、風呂入ってなかったんで俺の体自体も鰹だしを濃くしたようなにおいがしてくさかったんだけど、ちゃんと言いました。母親は「おお」と一言だけで具体的な感情は表さなかったんですが、雰囲気は和みました。まあ言葉にして伝えられたんだから良かったかな、って思っています。
白髪もそんなに無いし、加齢臭でたまにくさいけど、まだまだ元気そうなところが安心。気性も明るいし血色もいい。田舎のじじばばの若さみたいなものは受け継がれている。ただ、母親も俺も貯蓄が一切ないんで、急に何かあったときがとても心配。特に車社会のど田舎だから、お互い交通事故にだけには本当に気をつけたい。
あ、今日バイトの面接行ってきます。食品スーパーで時給800円。フルタイムっぽい。実はその前にネットで見た某家電チェーンの求人(契約社員)に電話で問い合わせたんだけど、ご希望の店舗は新卒で全部まかなっています、だってさ。そんなこんなで地元にゃ正社員の求人が一件もないし、かといって無職だとさすがにやばいんで、30男非モテブサメンニキビ痕がバイト面接行ってきます。
ブク増田のコメントで借金について言及あったけど、俺の借金は約35万です。原因はパチンコとかじゃないです。パチンコで借金300万くらい作っている人とかがいるのをよく話で聞いているので、怖くてできないです。積み立て預金の貸し越し?みたいなものが約20万、小売系クレジット会社から15万。合わせて約35万です。都会の企業に勤めている人から見たら、「そんなのボーナスで返せるじゃんwwqqqwqえwwww」って思われるかもしれませんが、この地方の企業でボーナスが出るのは公務員だけ。年収ベースで考えるんじゃない、月収ベースで考えるんだ!って感じで。
まずはこの借金を返したい。あと、バイトしながらちゃんとした仕事を探したい。そして、親の負担を軽くしたい。そして、最終的には親を旅行に連れて行って、安らぎを与えたい。今のライフプランはこれです。これらを目標にしてがんばってみます。
249 :どうですか解説の名無しさん:2008/10/14(火) 19:14:24.84 ID:/UJ4CE1j
2016年 オリンピックに復活した野球が東京ドームで開催されていた。
その決勝戦、1点を追う9回裏2アウト1、2塁、最後のチャンスに
「ピンチヒッター、大道」
気持ちオープンスタンスでかがみ込む
そこからがこの男の見せ所だった。
251 :どうですか解説の名無しさん:2008/10/14(火) 19:14:54.02 ID:/UJ4CE1j
ファール、ファール、ファール、ボール、ファール・・・・
「俺は一体こいつに何球放ったんだ?」
集中力がやや途切れたまま、若いピッチャーが投じた13球目は
見入られたかのようにど真ん中へと吸い込まれる
――その失投を大道のバットが逃すはずがなかった。
大道はゆっくりとした足取りでダイヤモンドを回る
「あの男が大道か・・・・
男なら大道」
白髪も老化現象だけど?どうなの?
同じ駅で乗ってきた女の子が、吊革につかまっていたおばあさんに対して突然
「あなた座りなさいよ」
と云った。
紫色が落ちて白髪に近い色の髪で、背中に湿布をいっぱいつけている70代後半くらいの年老いた女性だった。
「席に座りなさい」
と続けて女の子は云った。
「はあ?」
おばあさんは不可解そうな顔で女の子に返事する。
「私の好意を素直に受け取りなさい。ここは優先席です。」
何度か女の子はおばあさんに「座れ」的なことを云うが、おばあさんは相手にしない。
次の停車駅で女の子の前の席のイケメン男性が降りて、おばあさんはそこにそそくさと座った。
「あなたのおばあさん?」
「いえ、でもこういうときは私たちが譲らなくっちゃ」
「そうよね」
「あの人日本語わかってるの?譲りますって云ってたのに」
それをきいたおばあさんが一言、
「そうだよ」
職場をバックれた自分の経験が少しは役に立てるかな。
ちょうど10年前の話。
自分の場合高卒だけれども、能力自体にはそれなりに自信があった。
高二の時にやった知能指数検査で、あとで一人だけこっそり結果を教えてもらえた。
学年一の結果だったそうだ。
先生としては褒める目的ではなくて、むしろ「なんで能力があるのにやらないんだ」という発破的な考えで教えてくれたのだが、なにしろ若いので、単にその上っ面の数字だけを見て舞い上がる。
(ていうか学年一でIQ124って低レベルすぎだろw)
そして「大学入試なんて単なる短期記憶能力のテストと根性試しでしかないじゃないか」と変な方向に悟り、上京してデザイン系専門学校へ。
が、無駄に高いプライドのためにロクに友達も出来ず、アパートに半ば引きこもり状態に。
水道・ガス・電気すべてが止まり、半年風呂に入らないこともあった。(当時、地元から遊びに来た元同級生は「浮浪者寸前」という感想を持ったそうだ)
深夜に半額になるパンを買いに近所のスーパーに徘徊する日々。
結局家賃を溜めてしまい、消費者金融から5万を借りてから退去。
工場の雇用試験の時もなんか知能指数検査っぽいことをやらされて、その時も試験官に驚かれた。
が、もうその時点で自分の能力などにはこれっぽっちも自信を持っていなかったので、かなりどうでもよかった。
コピー機の検査の仕事で寮に入り、期間工とはいえそれなりにいい給料をもらってた。
寮も個室でクーラーつきだし、工場の食事も格安で、待遇に不満は何もなかった。
友達がそれほど多くはないが、もともとそれほど人と付き合うのが好きではないので別にかまわなかった。
その数少ない友達の中に、自分の運命を変えるきっかけとなったT君がいた。
旅行好きなT君は、今までもオーストラリアにワーキングホリデーに半年行ったりするなど、チビで華奢なメガネ男子の外見には似合わず妙にアクティブな行動を取る性格。
でも基本的には気が弱く、人との共同行動を好まない。
類は友を呼び、彼とはいまだに友人である。
工場で働きだして約半年後。そのT君が、どこかに旅行に行こうと言い出した。
普段飲まない酒を珍しく飲んでいた自分。気が大きくなり、
「いいねー。どこにする?」
「インドに行きたい」
「トランプで決めよう」
トランプにそれぞれの行きたい所を半分づつ書いて、混ぜて1枚引く。
Tは全部インドと書いた。
そして当然のようにインド行きが確定。
さてここで彼の変な行動力が出る。
自分自身の工場への退職願いもとっとと出して、ビザの申請などもテキパキと済ませる。
それだけではなく、話半分のつもりでいた俺の分の航空券まで手配した上に、旅行代金は任せろとまでいう。
自分自身の金ならともかく、30万近い金を無駄に散らせてしまうのもあまりに悪い。
しかし自分は彼と違い、職場の上司にもまったくそのことを言っていない。
そのまま当日まであっという間に時が過ぎた。
どこまでも強引なTの手伝いにより仮住居(Tの友人マンション)に荷物を運んだあと、私は携帯をぶっちぎり、そのまま海外に飛んだ。
安宿のバルコニーで圏外表示の携帯電話を見て、「なにやってんだろーいいのかなー」と途方に暮れまくる俺。
そしてとっとと一人でインドに旅立つ友人(ビザの関係で自分は数日遅れの出発)。
英語もわからぬまま一人取り残される俺。
インドには約1ヶ月いた。
帰りのチケットの期日だけはしっかり覚えて、わけがわからぬままにそれなりに自由に動いてた。
駅で絵を描いて人を集めてみたり、北の山奥にあるダージリンに行ってみたり。
結局、Tに再開したのは帰国当日の空港だった。
帰国後、今までのツケは当然ながら来た。
しまいにはぶち切れた居候先の人に、借用書つきで追い出される。
彼に対してTは文句を言っていたが、自分としては追い出されて当然だったと思っている。
(ちなみにその彼はその後、今から数年前にAdsenseの小切手換金サービスを途中でバックれて警察沙汰になったようだ。そのサービスを彼が運営しているとも知らずに自分が使っていたということを知った時には声を上げるほど驚いた)
いよいよ行くところが無くなった自分、実家に帰ることにした。
バス停に降り立った時点で残金は数百円。
家に戻ると、親父が洗車していた。
50代だというのに白髪だらけだが、元気そうではある。
なんと声を掛けたかは覚えていない。
が、怒鳴り散らされるわけでもなく、両親も姉もなんというかいつも通りという感じ。(いつもといっても数年ぶりの再開なんだけど)
空いている部屋で、泥のように眠った。
その後、免許を取らされたり。
長年苦しんでいたアトピー性皮膚炎に特効薬が出来て、外見的コンプレックスがやっと消えたり。
T君に送ってもらったPC-9821CeになんとかWindows95を入れようとしてもがいているうちにいつの間にかパソコンを覚えたり。
商工会の課長さんが自分を信頼してくれて、商工会のホームページやパソコン教室の講師を任せてもらったり。
そして、地元でパソコンサポートをやることで、自分の存在価値をやっと見つけて。
それが、今は田舎の平凡な文房具屋のせがれの、昔あった出来事です。
でもきっと、まだまだいろいろあるんだろうと思う。
これだけいろいろなことがあっても、自分は一度も死にたいと思ったことがない。
きっと死ななければまたいいことがあると思う。
元増田(http://anond.hatelabo.jp/20080413193358)ですが
キャミ着てるんだよね?だったらそれが下着なのでは。
要するに他人への配慮と自己制御ができてるかどうかで、
ほとんどの女性が「下着を着ける」事でそれらをカバーしてると思うのですが
あなたの場合はそれが「キャミを着る」って事なのでしょう。
つまり(乳首が見えてなければ)無問題。
#あーでも肩ひもズレくらいの理由ならストラップ無しのつければいいじゃんとも思うけど。
#やっぱりブラしてないのはちょっとぎょっとするかなあ。
#40手前のおばさんのお小言と思ってくださいこれは。
胸は恐らくAカップ-Bカップくらいですが、やはりふくらみは見えますし、揺れますそれなりに。
やっぱり目がいきますよ。これが職場じゃなくて駅で通りすがりとかなら私はなにも思わないけど、
家族より長い間同じ部屋にいる女性がそんな状態だと、やっぱり色々考えてしまいます。
で、彼女化粧もしてないんですねえー。すっぴんで、長い白髪交じりの黒髪を首の後ろで一つにくくっている。
それが彼女のスタイルというなら全然問題ないんですけど、そういう彼女が何故か半ケツ、乳首突起。
だとしたら、なんていうか順番間違えてるよ、と言いたい。すごく言いたい。でも怖いから言えない・・・。
街で見かけるすごい可愛いゴスロリの服着てる女の子で、顔はすっぴんの子いますよね?
あの種の違和感。そこまでゴテゴテ、非ナチュラルな格好をしているのに、何故メイクしない?何故すっぴん?
もし、今まで男に興味なかったけど、恋しちゃったみたい☆っていうなら、まずは髪型、化粧、服装、のような。
いきなり半ケツ&乳首はちょっとなんていうか早すぎない?とかもうなんていうか色々考えすぎて
吐き気を催してきました・・・w
ちょっとスタバってくる
私はNEETである。人の慈悲にすがりながら生きている。そんなのと関係あるようなないような日記だ。
昨日、土曜日のことだ。よく晴れていた。桜は満開だった。街路の花はどれも鮮やかで、目に染みるようだった。
そんな素晴らしい天気とかには関係なく、体力のめっきり衰えている私はバスの座席に腰掛けて揺られながら病院へ向かっていた。脱NEETの為の精神科だ。
土曜日の昼間とあって、中心地に向かうバスには乗客がだんだん増えてきた。バスの座席がすべて埋まった頃、年配の女性が二人乗り込んできた。
一人は杖をついてよろよろしており、あきらかに席を譲った方がよい。もうひとりは矍鑠としているが、白髪で、席を譲ると憤慨するかもしれないお年頃にも見えた。
とりあえず、杖をついてるほうだ。杖をついてる方に席を譲らなきゃ。そう思うが、冷や汗が出て話しかけられない。後頭部も何だかしびれだした。
こういうことを病気のせいにするのはどうかと思う。人としてどうかと思うが、でも結果として他の人が先に杖の婦人にスッと席を譲った。しかも譲った人も50〜60歳に見える。私は落ち込んだ。
でももう一人の老婦人には誰も席を譲る気配がない。断られるのを覚悟で、話しかけてみた。
「あの、おっ、おいやでなければこの席どぅ・・」
めちゃくちゃ噛んだ上に語尾が消えた。キモイ。我ながらキモすぎる。なんだ「どぅ」って。しかもどんだけへりくだってんだ。ちょっとやり過ぎだ。やっぱり私は落ち込んだ。
「ありがとう」と婦人は座った。私のキモイ所作は全部スルーで。立派。立派過ぎ。もしかしたら気を使ってくれたのかもしれない。
思い出しながらまた落ち込んできた。世の中の人はほんとにみんな立派。そして私にはボキャブラリーがない。何回立派って使ってんだマジで。
で、その立派な婦人は、「ほんとにありがとうねえ」と両手いっぱいのキャンディを私の手に押し込んできた。
「いやあのこんな、いや、ありがとうございます」断ろうかどうしようかもごもご言ったあげく結局受け取った。なんか気まずくて、譲った座席のひとつ前に立った。
次のバス停で、二人の子供を連れたお母さんが乗ってきた。どちらも就学前くらいの幼さ。妹の方はちょうど空いたが、お兄ちゃんの方は席が見つからず、なんだかごねていた。
その次のバス停で、私の立つ横の座席の人が降りた。私はその席には座らなかった。
だってもう譲ったりするの面倒すぎたから。耐えきれない耐えきれない。おそと出るだけで怖いのに見知らぬ人と会話とかこれ以上無理。
そしたら、さっきの子供(兄)が座った。よかった。これでもう面倒ごとない。と思ったら、そのお母さんが話しかけてきた。「ありがとうございます」って。
「あ、いや、あの、もともと私の席じゃないです」って答えた。意味が分からん。お母さん律儀すぎだろう。バスの座席は早いもん勝ちだろう。そもそも私譲るみたいなことしてないだろう。私立ってただけ。ぬぼーっと立ってただけ。その子が座れたのは彼の空気読解力が高かったおかげであって、私何にもしてない。「お姉さんにお礼言いなさい」とかそういうのほんと、結構なんで。にも関わらず子供も「ありがとう」って言うの。なんか賢しげな満面の笑みで。引きつった笑顔しか返せなくてごめんね子供。
で、もうなんか、ほうほうのていでバス降りた。なんで病院行く前からキャパオーバーにならねばならんのか。
しかもその状態で病院に行ったら薬が増えた。なんか世の中に適応するどころか悪化してく病状にまた落ち込んだ。
もういっぱいいっぱいだったので、帰りは歩くことにした。なるべく人通りの少ない通りを選んで。そうすると、土曜の昼間の繁華街を歩くことになる。繁華街って書くと賑わってるみたいだけど、ぶっちゃけ風俗街だ。九州最大だ。昼なのに余裕で客引きがいる。暇そうに立ってるケバいおばちゃんは、噂によると、ほんとに天国のお使いらしい。本番天国へのお導きの。噂によると、ってか私が元気だった頃に本人から聞いたんだけど、噂ってことにしとかないと多分怒られる。誰にかは分かんないけど。
で、花壇があったのね、風俗街に。なんか一個だけぽつんとあって、でも華やかに寄せ植えされてたからこりゃ珍しいと思って写メを撮ったら、後ろから話しかけられた。
振り返ったらテンションのたっかい客引きのオッサンがニッコニコしてた。
「あ、いや奇麗だったんd・・・」やっぱり私の語尾はキモく消えた。
「そうですか!僕のポケットマネーでここ植えてるんですよ!イヤー嬉しいなー!」オッサンハイテンション。ハイテンションオッサン。
「ここ、ここだけちょっと寂しくなってるでしょ!」「・・あー、そうかもしれません、ね・・・?」正直オッサンの言ってることよく分からなかった。
「ここにねー、紫陽花を植える予定なんですよ!咲く頃になったら是非また見に来てくださいね」「あ、え、はい、じゃあ・・・」適当に同意してそそくさ逃げようとしたら握手を求められた。人生で初めて、風俗の客引きのオッサンと握手した。きっと二度とない経験だけど、嬉しくなかったし感動もしなかった。握手して今度こそそそくさ逃げた。
一度振り返ったらオッサンこっち見てて、にこやかに小さく手を振ってきた。皇族か。
疲れきって家についてちょっと考えた。こういう類のエピソードが2ちゃんコピペなんかで「和む」って紹介されてるのをよく見るけど、和む受容体がない私のような人間には、ひたすらに疲れる出来事ばかりだったなと。きっとこれらに和めたら、和む記録を蓄積してナゴムレコードになれるのだろう。
私の実家は千葉の片田舎にある。もっと言ってしまうと、田舎をイメージしたCMによく出てくる小湊鉄道沿線だ。その沿線(と呼ぶのも躊躇われるような僻地だが)にバブル最末期に出来た新興住宅地に私の実家は建っている。
駅に着きバスを待つこと20分。やっとやって来たバスに乗り込むと、乗客は私を入れて3人。本当に素敵な田舎だ。
実はこれでも便利になった方だ。去年まではバスも通らず、駅から家までは歩くかタクシーぐらいしか交通手段がなかった。歩けば相当速く歩いてやっと家まで一時間、タクシーだと1500円はとられる距離。まあこれがうすのろのろとしたバスに乗って200円になったのだから、桁違いに便利になったと言ってもバチは当たんないと思う。
さて、そんな素敵なバスに乗ってしばらくすると他の二人の乗客は降りてしまって、バスは私の貸し切りになった。この調子だとバスは長続きしないだろうと思っていると、急に10人くらい客が乗ってきた。みんな小柄でランドセルを背負っている。小学生たちだ。そこは、小学校にほど近いバス停だった。
この小学校も私の実家のある新興住宅地から遠かった。距離にして3.5キロ。子供の足で歩いて45分から50分くらいの距離だ。今さっき乗ってきた子供たちも、大方は私の実家のある住宅地の子供たちだろう。あの距離を歩かないですむようになったのだから、この子たちも嬉しがっているだろう。
さて、子供たちとバスに揺られて10分弱。目的地である住宅地が次のバス停になった頃だ。子供たちは誰が降車ボタンを押すか、みんなで相談し始めた。そんな子供たちを後目に、私は降車ボタンを押す。え、今の誰が押したよ?!と子供たちが騒ぎ始めるなか、私は黙って手を挙げた。
最初は私が何故手を挙げているのかわからない様子だった子供たちも、ちょっとするとなぁんだというような顔をした。けれども、あなたが押したのか、という意味合いのことは一言も言わなかった。きっと私のことをオバサンと呼んだらいいのかお姉さんと呼んだらいいのか分からなかったからだろう。賢い子供たちだ。
そしてそれをきっかけに、バス停までの短い間子供たちと話した。バスが出来てから通学が便利になったと子供たちは口を揃えて言っていた。けれども朝はバスの時間が上手く合わなくて、バスに乗っていると遅刻するとも。
一生懸命体全体を使ってコミュニケーションしてくる子供たちと話すことは楽しかった。しかしそろそろバス停に着いてしまう。私は簡単に降りる準備をした。夕日が眩しくて外していた眼鏡をかけ直しただけだが。そうしたら、子供たちは口々にこう言ってくれた。その眼鏡、カッコいい!と。大切な方から贈ってもらった思い入れのある眼鏡だったので、その子供たちの感想が余計に嬉しかった。
そして、田舎道に沿って突如現れる、総計200戸ほどの住宅地の中心にバスは着き、みんなで揃ってバスを降りた。そこからは散り散りで、みんな手を振って別れた。
私は心地よい余韻に浸りながら実家までの短い道のりを歩いた。10人くらいの子供たち。みんな仲良そうにしていた。
10人くらいの子供たち。
私はようやく気づいた。この住宅地にはもう10人ほどしか子供が居ないのかと。
この住宅地はバブルの最末期ほどに売り出されたものだ。その時三十代の戸主を持った核家族が移り住んできて二十年。彼らは五十代になり、その子供たちは二十代で自立のときだ。ここに建っている家々は皆核家族用のもので、複数世代が住めるものじゃない。私だってちょうどその世代だ。私が子供の頃はこの住宅地はもっと賑やかで、小学生だけでも百人近くはいたではないか。それこそ、あんな小さなバスでは乗り切れないくらいに。
この住宅地は、確実に斜陽の中にある。分かっていたはずだ。考えればすぐに分かることだ。そんなことだが、実際に子供たちの姿を見なければ、何も分からなかった。
この住宅地はこれから、ゆっくりと老いてゆくのだ。その事実に愕然としながら、私は実家の扉を開けた。そこには、もう随分と白髪の混じった母が、小学生だった私を迎えてくれるのと同じようにして待っていてくれていた。
http://anond.hatelabo.jp/20070925154752
↑この日記を書いたものです。
さて、別にここのURLは読まなくてもいいです、簡単に説明すると
私は昭和56年生まれの今年26歳になる女で、現在はなんと無職です。
関西の某四大を卒業後、とある企業の受付事務を約3年務めた後、辞めました。
+α情報としては、関ジャニ∞が好きだったりする痛い部類であるという事を付け加えておきます。
あと、白髪を毎週20本程抜いている・・・という事も。
あと、156センチ48.4キロで、体脂肪率が30%だという事も。
さて。
長い間、無職を続けてきた私ですが、
ようやく応募したい職種の仕事が見つかりました。
結果はどうなるか解りませんが、取り敢えず履歴書を投函してきます。
あと、今宵も勿論、ウォーキングに行きます。
きっと養分になる事でしょう(ノ∀`)