神様なんて実際いないわけじゃん。でも宗教とか祈りとか、人間の中の存在というか思想風景っていう意味では、もう有史以来かれこれ数千年単位で行われてきた訳で、実際何かの意味はあると思うんだ。(確か)マイケル・ジャクソンがインタビューで言ってるのを見て、『既存の宗教は信じてないけど、スーパーナチュラルな存在は認める』とか、僕も云うことがある。そうはいっても、一通り宗教概論とか、いろんな書物の勉強はしたんだが。でさ。最近なんというか啓示を受ているような気がするのよ。神様、っていうと語弊があるけれど、なにか超常的な意識をそう呼んでいるだけで、気に入らなかったら好きに読み替えてくれ。
僕はなんていうか、死にそうな目にここ半年で何度かあったし、実際首くくってぶら下がったりしたんだけど、まぁうまく行ってない。そして今は中度の拒食症で、毎日一食食べてそれでおしまい。体重は15キロくらいへった。それでも生きてる。類は友を呼ぶっていうか、周りにいい友達も、よくできる友達も何人かいるし、その上で鬱持ちのひどいのもまぁほんの数人いて、そいつらとどっちが先に逝くか競争してるみたいなものだ。でも一回経験してみると、なるほどあいつはこういう気持ちでこういうことをしてたんだな、とわかってきたりして、それはそれで面白い経験なんだな。
話がそれた。啓示。なんか死にたいな〜って思ってすごい長い間歩き回ったりしてると『死ぬのはお前の勝手だよね』とか『狂うまではやってみないと面白くないんじゃないの?』とかフランクな口調で話しかけてくるのがいるわけですよ。たまにね。いや向精神薬とか飲んでないし、毎日会社でちゃんと働いてますよ。さっきも言ったけど、友達もそれなりにいるしさ。友達に話せないから増田にこっそり書いてる訳で。医者に行けとかつっけんどんに言わないでよ、ちら裏なことくらいはわかってるから。
この間、聞こえたのが、結構面白くて。『人に残された愛情は依存だけだ』って。あぁ、なるほどなって思った。僕らが具体的に感じられるものって確かに依存だけだ。愛してる、って言われても意味がわからなくて正直困るし、ただこの人は他の人に依存していることだけはよくわかる。それが性的な関係でも、お金の関係でも、ただ毎晩チャットするだけの関係でも、それが依存であれば具体的に『感じ』られるんだ。それ以外はほんとかどうか知りようがないじゃない?だから僕らは映画やら小説やら好きなんでしょ?本当と区別できないけど、手軽に気持ちを感じられるから。
じゃぁ、本質的に人間が生きていく上で必要なものって何かなって考えてみた。それが人の一番依存している=愛することができるモノコトなんじゃないかって。でもなんなんだろう?眠るとか食べるとかって欲求はあっても、今や僕ら無くても大丈夫な気がするなぁ。植物人間っていう状態があまり幸せな状態ではなくとも、有機物として食事をしない状態で続けられるでしょう?眠る、のは確かに少しずつは眠らないといけない。でも昔から言われているほどではないことがわかってきているし、ある種の薬はそういうのすら取っ払える。僕が生きていく上で僕は何に依存してるんだろう。そして、僕はまだ何か他のモノコトに依存したいのかな?
そう思ったら、僕はまた寂しくなった。
これは神様っていうより、悪魔や悪霊の類。あるいは魔境と言ってもいい。 神秘的な語を排して言えば、特殊な精神状態から来る幻覚。