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2013-12-04

かぐや姫の物語』と親の愛という暴力

かぐや姫の物語』を観てきた。本当は観るつもりなど全くなかったのだけれども、色んなところでいろんな評判をきいて、思い立ってその日に観に行った。

映像の美しさや、帝の顎の話や、上川隆也の女たらしっぷりだとか、そういうこともいっぱい思ったけれど、そういう話は割愛しておいて、ただの子育ての話として感想を書きたい。

ガンガンネタバレをしながら書いていく。自己語りも絡めながら書いていく。

から愛情というもの暴力の別名にしか思えなかった。むしろ愛情善意からきている分拒絶することすら出来ない性質の悪い暴力だと思っていた。

かぐや姫の物語を観たとき、やっぱりはっきりと親の愛情というのは暴力であり同時に呪いであるのだなと思った。

かぐや姫は竹から生まれたうちの子じゃないから、あんなに猫かわいがりされたのかといったら絶対そうじゃない。金のなる木だったから可愛がってたわけでもない。翁はきっと、あの竹からこぼれでた金を全て「かぐや姫のため」と思って使いきっただろう。もしかしたらあの金だけでは足りなくて、翁は別の仕事で金を儲けそれすらもかぐや姫に費やしたかもしれない。

実子であったならあのお金がやってくることはなかったから、仕方がなく「竹の子」として育っていったと思うけれど、お金があったら翁はきっと同じことをしたように思う。

将来子どもに苦労をしてほしくない。幸せになってほしい。どうやったら幸せに一生を過ごせるだろう。

親ならきっと誰だって思うことなのだと思う。そう思いながら出ないと子育てなんて多分出来ないのだろう。子どもどころか結婚すらしたことのない私には想像しか語れない世界ではあるけれど。

そう思うのは当然で、非難されるべきことではなくて。

翁はそこで「姫にして、良家に嫁いで一生不自由のない生活を送ってもらう」という発想になったのだろう。一般的幸福として想像するととても不自然ではない。不自然ではないけれど、それがかぐや姫にとっての幸せとは限らない。それも当然の話だ。

もしもかぐや姫がそういうことに幸せを覚えてくれる子であったのならば、もっと話は単純だったのにね。

村で「竹の子」と呼ばれ、楽しそうに笑うかぐや姫をちゃんと翁が見つめていたらそうならなかったのかもしれない。翁が見つめ続けたのはあくまでも「姫」で「女の子」だった。

じゃあ、翁が理解の無い親だったのかと言われればきっとそうじゃなくて。こういう親はたくさんいる。私の親もそうだ(私の場合は母だったけれど)。

かぐや姫が望まぬ翁の思う「姫の幸せ」を享受し続けたのは、それが翁から無償愛情であったと知っているから。翁が自分幸せなんて全く考えずにそれがかぐや姫幸せであると信じて一心に行動していた。かぐや姫は何度も「それは私の幸せではないのだ」とアピールをしてきたけれども、翁は最後まで受け取らなかった。翁にとって「自分のしていることはかぐや姫幸せにつながることである」と頑なに信じていたから、もはやそこには本人が入ってくる余地すらなくなってしまっていたのだと思う。

でも、これが翁が自分が裕福になり贅沢な生活がしたいからといった下心があればかぐや姫もっと簡単に拒絶できただろうにって思うの。

そういう下心や私欲が入った願望の押し付けの方が、拒絶することはとても簡単だし、罪悪感がないから。かぐや姫にとって翁を傷付けてしまうことよりも、自分を殺して翁の希望にある程度まで沿ってあげることの方がきっと楽だったんだろうなって思う。

愛してくれている人の愛情を拒絶することはなかなかできない。それも、大事に思っている人からだと余計。

愛情の力ってすごい。翁の愛情がなければきっとかぐや姫は帝に求婚されるようなところまでいけなかった。本人が望もうと望まなかろうとそこまで人をそこまで変えてしまう力が愛情にはある。

から愛情暴力なんだ。

親の愛って無償の愛とよく言われるぐらいだから(それが本当なのか私はしらない)きっとものすごく膨大な力なんだろう。多分、親本人ですら時にはセーブ出来ないほどの力になっていくのだと思う。

その力は「あなたのためだから」という魔法言葉と共にダイレクト子どもに送られていく。子どもは受け止めるしかない。本当は受け止めきれない量の愛情であったなら、愛情の重みで気付かぬうちに自身を押しつぶしていって、少しずつ壊死していくのだと思う。

愛情は怖い。愛情はいものだけれども、いいものからって押し付けないでね。

そして、自分自身も「愛しているから」を免罪符に色んなものを相手に押し付けないでいたい。そして、そのやり方が当分分かりそうにもないから、やっぱり私は子どもを作ることなど出来ないんだなってぼんやりと思った。

2013-12-02

彼氏がほしい

フレイザーの『金枝篇』とか文庫上下プレゼントしてくれて

一緒に読んで盛り上がってくれる彼氏がほしい

「なんで金枝なんだろうね?蓬莱?そういえば『かぐや姫の物語』観たいね!今度観に行こう」

くらいの脱線ぶりも許容してくれる彼氏がほしい


サンタさん彼氏ください

2013-11-26

かぐや姫の物語を見てきたが好きになれなかった

というわけで感想書き殴り。

ただの穢れた地球人の個人的な感想ですので、技術的なことも歴史的背景も考えてません。

最初の方は嫌いだったところで、後ろに行くほどそうでもないです。

あとネタばれ注意



特別版日本むかしばなし(対象年齢上)にしか見えなかった

絵柄のせいだと思うのですが、どうも特別版日本むかしばなしのイメージをぬぐえませんでした。

アニメ制作に詳しい人がみるときっとすごい手間と技術が感じられるんだと思うんですが、なにも詳しくない自分にはただの余り手間のかかってない絵に見えました。

前に絵を描いていたときラフ鉛筆で描いた絵はとてもかわいく描けたのに、清書で線をはっきり描くとてんでダメになってしまうことがよくありました。そのときラフのまま描いたら案外良いかもなあ」と思って描いてみたのを思い出しました。ただの人が描くとただの雑な絵でした。

捨て丸にいちゃんがクズ

最初登場したときは「あー、典型的ジブリヒーローポジションだなあ」と思ったけれど、ゲス野郎でした。

いや、全体的にはきっといい男として描かれているのかもしれませんが、私にとっては胸糞悪い男しかありませんでした。

特に妻子とさっきまで一緒にいたのにかぐや姫に「あなたがいれば…でももう遅いの;;」といわれて「一緒に逃げよう☆」と即答してしまうのは(えー…)という感じでした。

侍女女の子があざとい

登場人物の中で一人だけ明らかに違う雰囲気キャラクターがいました。

見た瞬間「あ、これグッズ売ってるな」と思いました。やっぱり売ってました。

頭の片隅にお金けがちらついてしまい少し気が散りました。

虫めづる姫君

調べてないんでわからないけど、竹取物語原作かぐや姫自然大好き設定ってあったっけ?

そのへん虫めづる姫君っぽいので混ざっているんだったら、宮崎駿リスペクトか共通項なのかなあと思いました。

恋愛要素必要だったんだろか?

捨て丸兄ちゃんとの恋愛エピソードはなんだかとってつけたようであまり面白くありませんでした。

翁と媼がかわいそうだった

姫は高畑勲の思惑通りわがまま娘だと思いました。

でも姫以上に翁と媼がかわいそうでした。あんなにかわいがって(姫が喜んでいたかは別としても)姫のためにいろいろやったのに最後に姫を持っていかれるとか本当に悲劇。この映画主人公は翁と媼かと。

あと翁が媼と姫に「うわぁ…」って顔されてるのがきつかったです。

絶対に関係ないけど

一瞬某かぐや姫キャラに似てるシーンがありました。

2013-11-24

女の子かぐや姫の物語は見せてはいけない

かぐや姫の物語は、この世は美人、金、高名がモノを言うのを丁寧に教えてくれる映画である

この映画化原作より非常に分かりやすくなっている。

超絶美人ならいかなる我儘が許され、自然とちやほやされ、普通金持ちぐらいではお顔も拝見できない。

一般人美人といい関係になるなんて夢でしかないというのもしっかり教えてくれている。

問題がこじれて面倒になれば逃げて新天地でやり直せばいい。

これを見て非美少女勘違いされても困るし、美少女に真に受けられても困る。

風立ちぬでも見て育ってもらいたい。

2013-11-07

ノスタルジーからSFまで「かぐや姫の物語ネタバレ

夏ばっぱこと宮本信子さんのナレーション「今は昔、竹取の翁といふ者ありけり」で始まる本作。そういえば、学校古典で習ったなと思い出すこともしばしば。細やかな動きと描き込まれた絵が、新鮮な映像美となってスクリーンに映し出される。

〜約2時間

退屈な古典の授業に苦しむ学生のために、教材として使用すべきだと強く思うほどに、見事に竹取物語そのまま。

性欲むき出しの帝に、いつの時代も変わらない人間くささを感じたり、嫁も子も捨てて青臭い不倫に走ろうとする幼なじみの軽薄さを嘲笑いながら、物語はいよいよクライマックスへ。

からかぐや姫を迎えに来る使者たち。

彼らは陽気な音楽をかき鳴らしながら、巨大な雲に乗ってやってくる。彼らの強大な軍事力の前に、我らが地球防衛軍(弓矢&長刀)はなす術も無く崩れ落ちていく。

情の欠片もなく、かぐや姫記憶を奪い、あっさりと月へ戻っていく使者たち。あいブッダじゃね?などとツッコミを入れたくもなるが、それはさておき、月の使者たちの軍事力は圧倒的ですらある。

彼らがその気になれば、地球を征服することなど雑作もないだろう。

それから千数百年後、アポロ11号が月面に降り立ったとき、どこにも月の民はいなかった。あれだけの科学力をもった月の民はいったいどこへ消えたのか、あるいは滅びたのか。

月の謎は解けないまま、ある日スペースシャトルが大破、この広大な宇宙空間の中に投げ出される宇宙飛行士2人。絶体絶命の状況の中、漆黒宇宙で二人をつなぐのは、たった1本のロープ。

残された二人の運命はー。

映画ゼロ・グラビティ』は2013年12月13日公開です。

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