おっほーーーーーーーーーーー
ゼミでいつも、「うーんよくわかんなぁい!パス〜」「調べてないから知らない!」とかまともな議論の一つもしたことがない子が、某超大手企業に内定決まった時は笑った。大学生活がんばってよかったね。おめでとう。
こんなもんだと思う。真面目に結果を受け止める方が馬鹿だよ。
かまってほしいんだろうけどスパムかよって思う 誘い受けみたいなのもなんなんだろうな、「えーそんなことないよぉ」待ちなのかな
先日10年経ったが、いくつかの後悔が折に触れて思い出されるためここに書いて供養したいと思う。
家族の形や関係性は多様だと思うので、一個人の感想だと思って読んで欲しい。
先によかったことを書いておくと、母親はホスピスなどに入らず死ぬ前日まで自力で風呂に入り、自分の布団で寝て、そして自宅で息を引き取ったので幸せだったと思う。
自分は家族全員で最期の看取りができて本当に良かったと思っている。
うちは3兄妹の5人家族と雑種の犬が1匹で自分が長男。当時高校生~大学生。スマホはまだ持っていない時代。
自分は闘病期間中に大学生になったこともあり、長期休暇には病院への送迎や入院中の見舞いなど介助をする時間がたくさんとれた。
海を見にドライブに行ったり、浮腫んだ足をオイルでマッサージしたり、手をつないで病院を歩いたり、寝る前に話をしたり、たくさんの時間を過ごせた。
生前母親も見舞いに来た友人らにそのことを話していたらしく、四十九日で来訪した母の友人からそのことを聞いて泣いた。
ここからが本題。
この10年でよく思い出す後悔は2つ。
母親からの最後のメールが「ツナのおにぎり買ってきて」だった。
スーパーでの買い物帰りに母親からのメールを受信し、コンビニに立ち寄った。その日は母親の好きな手巻き寿司のツナがなく、三角おにぎりのツナしかなかったため自分はおにぎりを買って帰らなかった。
帰宅しそのことを告げると残念そうな顔をしたが、柔らかく煮たうどんを作ったら美味しそうに食べていた。
その翌々日、母親は亡くなった。
自分に最後に来たメールが「ツナのおにぎり買ってきて」だったこと、
それを叶えてあげられなかったことがのどに刺さった小骨のように引っ掛かっている。
だから私は今でも墓参りに行くときは手巻き寿司のツナを買っていく。
当時階段を上るにも、介助をしたうえで手すりを使ってゆっくりとしか上れない程になっていた母親に対し、
次の予定があった私はノロノロと車に乗り込む母親につい大きな声を出してしまった。
やっと乗り込んだ母親が椅子に座ることも確認せず、スライドドアを叩きつけるように閉めた。
大した予定でもなかったのに、どうして優しくできなかったんだろう。
乱暴に支えた母親の腰周りの感触、スライドドアの重みがまだ手に沁みついている。
母親が死んだらもっと楽しく美しいことばかり思い出すと思っていた。
しかし実際は、もっと若いころの話を聞いておけばよかったとか、色んな料理を作ってあげればよかったとか、
目的のないドライブに行ったり、犬をなでさせてあげたり、新しい歯ブラシをおろしてあげたりすればよかったとか、
そんな自分を責めるようなことばかりこの10年思ってきた。これじゃ母親もうかばれないだろうと思う。
幸せだったと死んでいった母親に、自分は今こんなに幸せなんだと子を紹介する。
このお盆を節目にしたいと思う。
VTuberは、実際には「中の人」が演じているものだと言うことを認めつつ、
VTuberがプロフィールの設定を守り切れずに「中の人」のボロが出ることに対して、コメントでいじるような動きもしつつ、
また、本人の意図的・非意図的を問わず、「中の人」の素が出てくるようなネタを、楽しんで受け入れつつ、
なんなら中の人が元々は何という名前で活動していた誰であるのかを、ほとんど把握していて、
それでいながら、VTuberのVTuber的プロフィールに沿ったロールプレイに対しては、コメント欄でも協力する動きを見せ、
当人のVTuber的プロフィールに乗っかった反応コメントを基本的には投げかけ、
それでもやはり、中の人が素を見せればそれを喜び、
理系が恋に落ちたので証明してみたってフィクションじゃなくて現実でも起こり得るのか…
「理系男子が好きすぎて沢山勉強して理系に進学しました」って話が創作だとしても実話だとしても理系男子好きが居る事は何となく分かった