泣きわめいて介抱されておきながらちょっと叩かれたぐらいでブツブツ文句言うなよ。
何を言ったか覚えてないなら、その人を侮辱するようなことを言ってたのかもしれないじゃないか。
若い時は特殊になりたい・特別な存在になりたいって、尖った方へ行こうとするけど
働き始めて世間を知ってくうちに、普通が良いと思うようになったわ
特殊な存在になればなるほど共感者は少ないし孤独になるもんだよ
理解しあえる友人、理解してくれる誰かを探すことが特殊であるほどに困難になる
自分はメジャーのど真ん中からは外れてはいるけど、それでも十分に平凡の範囲でよかったと思える
会話や行動、思うことや考え方にしても、普通からそこまで外れない
少ないながらも友人と気持ちをわけあって生きてくことができる
私が特殊な人だと思った人は2人いる 高校の同級生と、会社の同僚
どちらも興味を持ったことには強い集中力で詳しくなるような感じのタイプ
若い時にはこういうキャラクターに憧れたし、自分もそっちのタイプだと思ったりもしていた
けど一方で同級生も同僚もコミュニケーションがかなり特殊で、自分はついていけなかった
苦労するだろうなと傍から見ていて思う
テレビはよく見るけども
ドラマはもっぱら録画で必ずOPEDはとばすうちの母みたいな人はいるかも
劇中起こってることはフィクションっていうのは当然わかってるだろうけど、
それがどう作られたのかっていうことを考えるのはタブーのように避けてる。
結婚してほぼ1年経った。
2ヶ月前までは夫しか見えてなかったし、夫の一挙一動にときめいてばかりだった。
でも2ヶ月前からはあの人のことばかり考えてる。
あの人は好かれなれていて、自分との関係は単なる友人止まりなのもわかってる。
でもあんな思わせぶりな態度されたら好きになっちゃうに決まってる…
ずるい…
全然知らない他人の子のお遊戯会なんてほとんどの人にとって見る価値ゼロだから仕方ない。
問題は同じ園のおそらくは自分の子の友達だったり、知っている親の子だったりする子どもたちを「全然知らない他人の子」と同レベルの認識でしか見れないことがどうなのかって話だよね。
意地の悪い穿った見方をすれば、そういった子ども周りの人間関係に関して配偶者まかせで他人事だからそういうふうにしか見えないんじゃないかと邪推してしまう。
クリスマスは駆け込みの仕事に追われ、疲れきった状態で忘年会に突入。
おかげさまで泥酔した俺は机に突っ伏し、泣きながら何かを喚いていたという。
発言内容は覚えていないが、自分の無能さにみじめな気分になっていたのは覚えている。
そして体が言うことをきかず、助けてほしい、と思いつつも、
周囲に迷惑をかけている現状が、改めて自分の無能さを示しているなーと、
余計にみじめな気持ちに追い討ちをかけていた気がする。
家についてから何度か吐いて、気づいたら眠っていた。
今朝起きてからはなんとなく体がダルく、頭もぼんやりしていたので、
酔いに効く薬を飲んで大人しくしていた。
盛大にやらかしたわけだけど、思い出して恥ずかしくなるわけでもなく、
ただ、家まで返してもらった人には、特にしっかりと謝ろうと思ったくらい。
あとは、薄れる意識の中、俺の頭をぶったたいた奴がいたのを思い出した。
もちろん迷惑をかけているのは俺だ。介抱してもらって当たり前、というのは違う。
でも、よくまぁ死人に鞭打つような真似をするもんだな、と思った。
俺もいつかああやって死人に鞭を打つようになれるだろうか。
人の趣味に口出しするのも野暮なことだし、自分は信じられない、金は使いすぎるな、変なのに引っかかるな、ということだけを折にふれて軽い調子で何度も伝えておくだけでいいのではないだろうか。
しかし
これ理系感無くね?
女には合理主義は冷たすぎる。