自分はもっとできるはずだ、という妙な自信があった。むしろ不当に高いくらいだと思っていた。
しかし実際は、もっとできるはずなのにできない自分はダメなやつだ、という自己否定に染まっていた。
親はいつも、あなたはもっとできるはずだ、と言葉で態度で示してくれた。
私を評価してくれている。期待してくれている。愛されている。
こんなに期待してくれているのに、投資してくれているのに、なにもできないダメ人間で申し訳ない、と罪悪感に押しつぶされそうになっていた。
「他の人に迷惑だから、以後はメールで議論しましょう。こちらのメールアドレスはxxx@xxx.comです」とか言うと相手は逃げてたな。
「あなたにメールアドレスなんて教えられません」とか言い出しても「ヤフーとかジオシティーで使い捨てのメアドを作ってください」って食い下がったら「余計なメールアドレスは作らない主義ですから」とか言い訳をはじめて、ほとんど逃げてた。
あの時はエネルギーあったから、本当にメールで議論をはじめてもとことんやるつもりだったけど、今はそんなエネルギー無くてガチでメール送ってきたら困るから、もうこの手は使えない。
まったくそういうことはないな
同じ体験したら「おおっ同じだ!」と思って作品がより面白くなるし感情移入するけど
嫌われても自分のままで振る舞う方が楽だという結論に達して、この半年以上そうしてみた。
だけど駄目だ、好かれないことの負担の方が大きい。
元増田は、妻が「子育てってそんなに大変かなあ?」と感じる程度には育児参加している。
しかし世間では「それは妻の本音ではない、夫の努力が足りない」というような、ステレオタイプな反応をされる(ことに元増田は辟易している)
会う日にせくーすすること前でに会うことにしてる。
テレビは生々しい映像によって、台風という自分たちには制御不能なものが、
自分たちの住む世界を今荒らしている、更に荒らそうとしていることを伝える。
巨大な脅威がやってくることが確かな状況で、危機が過ぎ去ることを祈る。
恐怖を感じている一方で、「非日常」に置かれていることにある種の楽しさ、新鮮さも感じている。