日中、下着姿で包丁片手にうろつて目が合った相手を刺して回るなんてのが
年に1-2件必ず起こるし、自動車で人を轢いてもそのまま停車せず死体になる
まで体ごと10km以上走り続けたり、養子縁組して保険かけたとたんに殺しまく
いや、打ち込むならプロになるつもりでやれってこと。
趣味だけで人生に意味があると思えるってのが個人的には理解できないな。
プロフェッショナルになれなかっただけじゃんって思う。
もちろん俺自身の中にもそういうもんはいっぱいあるけど、
みんなどういう感じで趣味と割り切ってるんだろうか。
別に「趣味で関わるなんてあり得ない!」とまで言うつもりはないけど、趣味で関わって人生充実とか言ってる人を見るとなんか違うんじゃねーのと思う。
「国技」っていうのは俗称で、制度的な意味は一切無いし定義すら不明な言葉
そんな言葉を根拠に国民投票を呼びかける人と言うのはやっぱ阿呆ですねと思う
申し訳無いけど
1度でもうんざりすんのに何度も繰り返し。
同じ人間なんですから、同じ赤い血だって流れてるんですからって。
人間なのも血が赤いのも当然だろうが。
昔の人は血の色が違うと思っていたのかも知れんが、今の人間に何故そんな事をわざわざ力説する。
黄色差別のある国で「日本人だって私たちと同じ人間なんです、同じ赤い血が流れてるんです」とか言われる方の立場に立ってちょっと考えりゃ解らんかな。
そもそも、党が献金を禁止してるから、大概活動は持ち出しだしね。
多くの人が「議員」に抱いてるような、ウハウハな現状なんて何処にもなくて、いつも飛び回って問題解決してる。
でも、共産党の掲げる主義に賛同するかどうかは、それとは別の話だよな。
君が好いてるのは「創価の教義・活動」ではなく「君を気にかけてくれる近所の年上の人達」だろう
創価叩きが叩いてるのは「創価の教義・活動」であって君の身の回りの人達ではないだろう
ほら矛盾なんか何もない
横だが。
およそ趣味と言う話において、一生没入出来るとされる高尚なものと、アニメやエロゲがどう異なるかを示して欲しいね。
物心ついた時から「勤行」「御本尊様」「座談会(俺の地域では学会員が10人程度集まって、信心して良かった事を言い合ったり、お菓子を食べて世間話をしていた)」「勝利(「目標の達成」の意味らしい)」というような言葉が溢れていた。
北海道新聞に加えて聖教新聞、公明新聞もとっていたし、それが普通だと思っていた。
母親は学会員、父親は無宗教。俺は「創価2世」だった。
小学校ぐらいで創価学会というものを理解し、宗教団体であること、池田先生がトップであること、戸田先生、牧口先生という人物がいたことも理解した。
俺は純粋だったので……というか「こういう環境」で育ったせいもあるが、創価学会というものに何の疑いも持たなかった。
周囲の婦人部(おばさんの学会員を総じてこう呼ぶ)の人達、青年部(青年男女の学会員を総じてこう呼ぶ)のお兄さんたちはとっても親切で優しくて、母親にくっついて座談会に来ている俺を可愛がってくれた。
ある時、俺が「俺は学会に入らなきゃだめなの?」と座談会で発言したことがあった。
みんなは「それは〇〇ちゃんが決める事だよ、お母さんが学会員だからって無理して入らなくてもいい」と言い、また、
「入っても入らなくても、みんな〇〇ちゃんの事が大好きだよ」とも言った。
俺は創価学会の人が大好きだった。
中学の頃、ネットで創価学会の悪い噂を知った。それは多分、噂じゃなくて真実で、実際創価学会は悪い。
被害者の書き込みを目にする度に、申し訳ない気分になったし、創価学会の親を持った事、創価学会の知り合いがいる事が恥ずかしくなった。
思春期だったことも手伝って、座談会にも行かなくなったし、仏壇の前で手を合わせることも無くなった。もともと創価学会に入信してはいなかったので、フェードアウトは簡単だった。
近所で学会員の知り合いにあっても無視をしたし、母親に創価学会はダメだ、ネットにこう書いてあった、と力説し、「もう創価学会には関わりたくない」と告げた。母親は、〇〇が決めたことなら、とだけ言った。
今俺はフリーターをしている。専門を出た後会社に勤めたが、劣悪な労働環境で精神を病んで退職した。
バイト先と実家の往復で、だらだらと日々を浪費していると死にたくなる。妹は東京に行き、それなりの大学で勉強している。引け目はあるし、定職に就きたくないわけではない。ちょっと人生を休んでいるだけだ(と思いたい)。
最近外に出て散歩をする事が多い。近所を歩くと馴染みの婦人部の人に会うことがある。
「今日はお休みなの?」とか「仕事はどうしたの?」とか、そんなことは訊いてこない。世間話をするだけだ。それと、昔の話。
俺は今まで、ただの一度も、創価学会の勧誘を受けたことはない。嫌がらせも受けたことはないし(学会員の息子だからかも知れないが)、周囲の学会員はいい人ばかりだ。
青年部のお兄さんは飲みに連れて行ってくれて、病気の俺を「大丈夫だ、なんとかなる」と励ましてくれる。婦人部のおばさんは会うたびに手作りのお菓子をくれたりする。
「学会員じゃないのに」と俺が言うと、みんな「学会員じゃなくても〇〇くんが大切なんだよ」と言う。
「創価学会」ってなんだ? 一部の学会員が迷惑な事をして、創価学会は叩かれる。
俺は創価学会が嫌いだ。調べれば調べるほど最悪だし、正直自分がそんな目にあったらと思うとぞっとする。だけど、少なくとも俺の周りの創価学会員はそんな事をする人たちじゃない。
気を配りあって、助けあって生きているし、彼らはそれを信じている。俺が環境に恵まれていたのかも知れない。もしくは、俺が洗脳されているのかも。
創価学会を一纏めにして叩かれると哀しい気持ちになる。仕方ない事なのだと思うし彼らは実際迷惑なんだと思う。
だけど俺は、小さい頃頭を撫でて遊んでくれたおばさんに、たとえネット越しでも「草加市ね」とは言えない。
別に、おいお前ら、創価学会員にはいい人もいるんだから叩くのはやめようぜ、とか言いたいわけでもないんだけど。うーん。なんだかなー。モヤモヤ。
マスコミがこぞって相撲が悪いというような論調なのには違和感を覚える。
これまでの大麻問題などの経緯も含めてなんだろうが
相撲を中止すればいいというのは臭い物には蓋であって根本の解決になっていない。
我々は日本独特の文化が失われていくのを黙ってみていていいのだろうか。
マスコミやバカな政治家から好き勝手に我々日本人の日本人としての自尊心を傷つけられて、
そのうち「もう日本人でなくてもいい」という風潮にならないか心配だ。
この世の中を良くしていくために