正直ベースな話さ。プログラムの世界で、自分のパートもろくすっぽ作ることができず、
設計不良でデスマーチの原因ばかりつくって、俺とか他のエースに直してもらってばかりいて
彼もそろそろ、年季を経てきたし、もう少し広いパートの設計をやらせてみてはどうか?
ってさ。
設計はさ、プログラムができない奴の逃げ場じゃないんだけどな。自分のパートもろくに作れない。(つまり技術を理解してない)
人間が、他人に指示できるとは思えないんだけど。どうなんだろう。できるもんなんだろうか?
親会社だから設計だとか、子会社だからプログラマーだとか、その考え方に無理が有る気がする。
どう考えても、プログラムできない奴が、設計したら動かないからデスマーチになると思う。
俺間違ってるのかな?
同意。多摩ニュータウンの失敗を見ると美しい秩序は良くないよね。
その前に、碁盤の目のような四角四面な構造が美しいかと言われると、案外そうでもないと思うけどな。
単純すぎるし、テロ対策なんかを考えれば、道にある程度の複雑さは必要だ。
脱毛サロンのミュゼプラチナムは4月にワキ+Vラインセットでキャンペーン価格というのをやっている。
検討箇所としてウデアシをやるかどうかだと思うんだけど、
VラインがセットであることでIとかOとかほかの下半身の脱毛へのハードルがぐっと下がることに気づいた。
ワキ+ウデアシのひとが何もなければ下半身を晒すのはちょっと…とVやらIやらは敷居が高いんだけど、
最初からVがついているのであれば、どうせやるならIやOも付けようかな、となる。
あとからつけるのは面倒だけどいっぺんにやってしまえば一気に終えられるし。
一人あたまの単価があがるということ。
ミュゼすごいな!
土地代や機械代、原材料費に研究費、人件費以外の経費もかかってるって説明のほうが早いだろ。
労働者の取り分を引き上げるということは、原材料を作ってる人の取り分が減る
正社員の取り分を上げれば、派遣の取り分が減るみたいなもんだ。
中間搾取分はある程度再分配可能だとしても、原則的にはそうそう経済構造は変わらないから
貿易赤字なら
みたいなもんだ。 極論だけど。
言葉で説明出来ないような理のない考えのくせに、その考えを正当化しつつ責任の所在を有耶無耶にして、かつ恩をなすりつける最悪の言葉が「○○の為に~」という批判の言葉
この言葉を使った奴は言論の場において即座に全ての信用を失い、今後一切の発言権を奪われる
売り上げってか付加価値生産の6割くらいしか労働者に払ってないからそれを7割くらいにまで引き上げろってことだろ。
都内某所。同性2人のペアで参加。参加人数は男女計300人。
対象店舗は6店舗で、最初1店舗目・2店舗目は指定であとは好きなお店にいける。
同性2人のペアで参加。常に2対2のペアリングで座ることになるし、席替えもある。
8~12人くらいの異性と知り合える。
カンタンニヤレソウデスネ!
女は3Hで@4000円だったので安い値段で食べ飲み放題目的(+興味本位)で行ったが、
そこについては、食べ物が出れば人が殺到で並ぶ&すぐ無くなる・後半の店舗フリーの時間にはお店に入るのも待ちになる...残念な感じでした。
男性は高いから(@7000円くらい?)、みんな出会い目的なんだろう。
連絡先交換はラインなので、最低でもペアの1人はラインが入ってないとまごつくだろう。
逆に言えば、ライン交換なので気に入らなければブロックできるので安全かも。
③イケメンもいる
逆に女性は、ふわふわした感じの人が多かったから、黒髪の人なんかはいい意味で目立ってたとおもう。
④アフターフォローがめんどくさい
ほとんどが終了時間後に「これから二次会行きませんか?」だけど。
翌日以降も雑談やらずっと語尾に質問文章を飛ばしてくる人もいて、
○総評
行ってみたけど、いろいろな人がいて面白かったです。
自分は出会ったばかりのひとと恋愛しようとは思えなかったけど、
人それぞれなんだろう、行ってみないとわからない。
適当にFOしよう…
知ってる人は多いと思うけど、超会議に行ってきました
3回目にしてはじめての参加です
ビールは飲んでいませんが、運よく通路でZUNを見かけたので握手してもらった
「握手してもらってもいいですか?」
「ええ」
すごい優しい雰囲気で思ったより細見なかんじなのが印象的だった
ひろゆきはビールを飲んでいたけど、ネットで見るまんまだったかな?
安倍総理やふなっしーも生で見れてよかった(ふなっしーはテレビでみるよりでかい)
行ったのは昨日だけだったけど、充実した1日だった
来年も行きたいな
法を破ってはいかん。
法の以前にモラルとしていかん。
生物学的にもいかんな。
人間は群社会の生き物だから、子供即ち次世代を守り育てるのは大人の役割でさ。
非行に手を染めようとしている中学生がいたら、その道に進まないよう誘導しなきゃ。
職業としてはハクがついたという言い方もできるかもしれないが。
でも世間の目は厳しいよ。
厳しくなくともどこで見られてるかわからんよ。
叱責されるほうが彼のためだろうな。
でも現状はどうだ?興味本位の野次馬たちが他人事として拡散していく。
野次馬に愛はない。
これでいいのか?
娘と名作映画と言われるものを一緒に見たことがなかったので、若干無理やりにだけど、まずは共に「禁じられた遊び」からDVD視聴することにした(ちょっと抵抗されたけど・・・)。
見終わって感じたこと。昔何度か見たのだが、そのときからずっと不思議に思ってきたことが、東日本大震災後に報じられていたあることと符号し、一気に理解できた。
不思議に思ってきたこと。
・なぜポーレット(主人公の女の子)は死んだ父母の元から離れ、その後あまり父母のことを思い出そうとしなかったのか。
・そしてなぜあの動物の埋葬と十字架遊びを繰り返していたのか。
つまり主題である「禁じられた遊び」にどのような意味があったのか。
リンクにあるように、東日本大震災後、子供たちの中で地震ごっこや津波ごっこが執拗に繰り返されたと言う。それは大人の目から見ると、不謹慎な遊びであり、ある意味「禁じられた遊び」である。
これは実は東日本大震災だけでなく、神戸の震災のときにも見られた現象とのこと。
つまり、大人のように理解する枠組みを事前にもたない子供には、事態を身体で理解し受容するまでに、何度か遊びを通じて事象を繰り返す必要があると言う。いわゆるPTSDからの回復過程。
映画「禁じられた遊び」のポーレットもまた、機銃によって目の前で父母を殺されるという事態を受容していく過程として、まずは理解しやすい飼い犬の埋葬からはじめ、動物の埋葬を繰り返す埋葬遊びを通過する必要があったのではないだろうか。そして周囲の大人はそれを理解しなくても、同年代のミッシェル(男の子)はその必要性を感覚として悟り、協力していったのではないだろうか。
そう考えると、最後の最後で「ミッシェル、ミッシェル、ママ!」と冒頭より忘れ去っていた母の存在がようやくポーレットの中で浮かび上がってきた意味がよく分かる。
名作と受け取られる作品はどこか、時代にとらわれない普遍性があるからこそ名作なのかもしれない。
地震ごっこ、津波ごっこなどの子どもの遊びへの対応 その1 http://blog.livedoor.jp/pomr/archives/51870238.html
何をどこまで信じていいのかは知らないけれど・・・
エリートはエリートでブラックで、末端労働者は末端労働者でブラックやね。
なんだろう。関わらないほうが吉って世界も有るんだなというのと、
なんか、世の中トラップばかりで
なんだろう。俺このまま独り身なのかなぁと泣きたくなる。