娘と名作映画と言われるものを一緒に見たことがなかったので、若干無理やりにだけど、まずは共に「禁じられた遊び」からDVD視聴することにした(ちょっと抵抗されたけど・・・)。
見終わって感じたこと。昔何度か見たのだが、そのときからずっと不思議に思ってきたことが、東日本大震災後に報じられていたあることと符号し、一気に理解できた。
不思議に思ってきたこと。
・なぜポーレット(主人公の女の子)は死んだ父母の元から離れ、その後あまり父母のことを思い出そうとしなかったのか。
・そしてなぜあの動物の埋葬と十字架遊びを繰り返していたのか。
つまり主題である「禁じられた遊び」にどのような意味があったのか。
リンクにあるように、東日本大震災後、子供たちの中で地震ごっこや津波ごっこが執拗に繰り返されたと言う。それは大人の目から見ると、不謹慎な遊びであり、ある意味「禁じられた遊び」である。
これは実は東日本大震災だけでなく、神戸の震災のときにも見られた現象とのこと。
つまり、大人のように理解する枠組みを事前にもたない子供には、事態を身体で理解し受容するまでに、何度か遊びを通じて事象を繰り返す必要があると言う。いわゆるPTSDからの回復過程。
映画「禁じられた遊び」のポーレットもまた、機銃によって目の前で父母を殺されるという事態を受容していく過程として、まずは理解しやすい飼い犬の埋葬からはじめ、動物の埋葬を繰り返す埋葬遊びを通過する必要があったのではないだろうか。そして周囲の大人はそれを理解しなくても、同年代のミッシェル(男の子)はその必要性を感覚として悟り、協力していったのではないだろうか。
そう考えると、最後の最後で「ミッシェル、ミッシェル、ママ!」と冒頭より忘れ去っていた母の存在がようやくポーレットの中で浮かび上がってきた意味がよく分かる。
名作と受け取られる作品はどこか、時代にとらわれない普遍性があるからこそ名作なのかもしれない。
地震ごっこ、津波ごっこなどの子どもの遊びへの対応 その1 http://blog.livedoor.jp/pomr/archives/51870238.html