http://d.hatena.ne.jp/mala/20120830/1346309790
高木浩光はセキュリティについての啓蒙活動を行なっている。残念ながら日本においてこのような才能のある人間は高木浩光だけと言っていいだろう。malaもセキュリティ(特にJavaScriptが絡むやつ)についてはスペシャリストなのだろうが、いかんせん枝葉すぎる。重箱の隅をつついてるに過ぎない。部分的に特化した能力を持ってはいるものの、セキュリティ全般というとそうでもないだろう。
そもそも、高木浩光は個々の事例などどうでもいいのだ。個々の問題に言及することは手段であって目的ではない。セキュリティ全般の啓蒙が第一の目的なのだ。逆にmalaは、目先のことしか見ていない。全体を俯瞰して見れないのだ。これは年齢の問題もあるだろうが、やはり根本的な生まれついての人格の問題でもあると思う。高木浩光は非常に貫禄のある名前だが、malaはひどい名前だ。親が泣いてる。せっかく子供に素晴らしい名前(たぶん圭介とか)を付けたのに、こんなDQNネーム以下の名前を名乗るなんて。クリトリスにピアスをするよりも悲しいことだろう、親にとって。
大体、高木浩光は貫禄あるよね。なんか。よく分かんないけど貫禄ある。産総研っていうすごいところに勤めてるし、国のために戦ってる感じがする。それに比べてmalaの勤めてる会社はNHN JAPANだ。LINEという完全にセキュリティ的にアウトなプロダクトを中心に、NAVERまとめやアフィブログの運営を行なっている。セキュリティについて何か言っても説得力ないよ!
とは言え、malaはライブドアに勤める前に産総研に誘われたって前に読んだ気がする。うろ覚えだけど。ということは、malaは権威よりも自由を取ったというわけだ。おそらく日本赤軍の重信房子あたりに感化されたのだろう。しかし悲しきかな、自由を取って一般企業に勤めた代わりに、言論の自由を失った。逆に高木浩光は国家機関に所属することで、言論の自由を手に入れた。高木浩光が三島由紀夫だとしたらmalaはチャットモンチーだ。
高木浩光はすげえよ。あいつはすげえ。ヒールを演じてるんだよ。セキュリティを啓蒙するには劇場型にするしかなくて、劇場型にするには自分がヒールになるしかない。ネットで批判されてもいいから、自分が嫌われ者になってもいいから、日本のために立ち上がろうとしたんだ。あいつはすげえ。これはAKBで秋元康がやってるのと全く同じ戦略だ。風貌も似てるしな(笑)
それに引き換えmalaはなんだ。自由の戦士気取りか。お前は確かにネットで人気があるよ。はてなブックマークではお前の信者がわんさか褒め称える。でもな、その先に何がある。一時的な賞賛が得られたからって何になる。もっと未来を見ろよ。俺達の未来は輝いているべきだろ。
最近話題のひろみちゅせんせの件だけど、本来であればその豊富な知識や経験でもって翻意を促すべき相手(しかも権力者!)を逆に怒らせ態度を硬化させてるような人は技術者としては三流かそれ以下だという事を考慮しつつ、一歩引いて観戦するのが一番無難だと思うよ。大事なのはあの騒動とその顛末を各自どのように有効活用するかじゃないかなあ。
よく イノベーションをスティーブ・ジョブズ氏にたとえて言う人がいるけど
その スティーブ・ジョブズ氏 は 未完成品や アイデアレベルを 発表したりなどしないでしょ。
ちゃんと 完成して 明日から使えます。 もう 買えます。で発表する。 つまり それがイノベーション。
にも関わらず、未完成品やアイデアレベルをイノベーションである!という人が多すぎる。
ジョブスを見習うなら、完成品を出してくれ。
そこは賛成。市長は技術屋ではないんだから、そこは割り引いて考えてあげるべき。
武雄市長さん自体は 良い人なんじゃない? ただ、参謀に恵まれていないだけだと思う。
優秀なブレインがいれば、最初から 高木氏に指摘されないように防御してサービスを始めるけど
今指摘されている問題はべつに、昨今始まった話ではなくて、2000年ぐらいから、はては、もっと昔から、インターネットの黎明期あたりから言われている話で、あるていどこういう時はこうするって決まりごとがある。
たとえば、今回の件で言えば個人情報を取得することを『本人が認識するように』説明する。今までどおりのカードも用意する。
という事を 後からやったけど、最初からやっていれば何の問題もなかったし。それって、最初からやらなければならないことというのは多くの人は知ってたでしょ。
さらに、普通は ちゃんと説明しても、カードは作るでしょ。みんなTSUTAYA好きなんだから。 何の問題もないのに、説明しないからそうなる=説明できないやましいことがあるんじゃないのって言われる。おかしいでしょ。
そういう事を参謀の人が、きっちり市長に説明して、市長がツッコまれないように防具を用意しなければいけないのに、
何も渡さないでサービスインしようとすれば、それは こうなるでしょ?
市長は技術屋ではないんだから、今回の県は参謀というか、技術部門の調整ミスなのに、市長がいわれているから、おかしいんだよ。
意見を表明すると、自分も叩かれてしまうのではないかと、躊躇してしまう状況である。
こんな状況では匿名で声を上げざるをえない。
この場を借りて私の意見を表明することで、全力で応援したい。
非技術者の方にはピンとこないかもしれないが、武雄市長の取り組みは、全国の地方自治体関係者にとってコンセントに繋いだ豆電球であり、歪んだイノベーションである。
もちろん擁護も多いが、多くは既得権益を守ろうとする人々が、反発しているにすぎない。
擁護の多くは、取り組みそのものに意味があるというようなもので、具体的な返答は皆無に等しい。
擁護は「進歩的」かもしれないが、あくまでも枝葉であり本質を見抜いていないのだ。
もちろん、武雄市長を批判する人々も多く、本質を正しく理解した上で、企画の代案やこれからの地方のあり方を中心とした、有意義な議論が行なわれている。
だが、残念なことに武雄市長の過ちや対策を具体的に示したところで、それらに理解を示そうとする人は擁護者の中には少ない。
これは支援者が反省すべきところで、市長が今までどんな過ちをおかしてきたのか、もっと世間に示していく必要があるだろう。
武雄市長はあくまでも武雄市の首長なのだから、武雄市をロールモデルとする人々が世に知らしめ、反省していかなければならない。
でも、非モテ、ブサメンは美容院に行ったり、ファッション誌を見たり、メル友を探したりしても、相手が見つからないから地獄。
しかも、その上、はてサフェミや腐女子から性欲を向けるなと文句言われる
非モテやブサメン、はてサフェミ・腐女子にとっては性欲なんてない方がいいんじゃねえか
いっそのこと、12歳になったら、クラスの投票でイケメンランク5位以内に入らなかった奴は全員去勢するようにした方がいいと思う
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/24-7de8.html
大体において、社会政策に関わることに、一知半解で知った風な口をききたがるエセ経済学者の手合いに限って、ここに挙げられた本のかなりのものは、読んでもいないことが多いようですし。
経済学の業界にとっては、挙げられた本のかなりのものがママゴトレベルで読むに値しないという可能性も十分にある。もっとよいものをたくさん読んでいれば、挙げられた本のかなりのものを読んでいないということは何らのハンデにもならない。それが挙げられた本の過半を読みはした者の率直な感想。
今日フジテレビのニュース番組で東京オリンピックについて東京都副知事が話をしていた。
名前もわからないらしい柔道女子金メダリストを例にあげてJOCはやる気がないと言っていた。
秘策としてTwitterやFacebookを活用するのが効果的らしいが、またそれですか、と。
最近なんでもかんでもSNSさえ利用すれば全てうまく行くと思ってる安直な思考の人間が多すぎる。
SNSは神様なのか?テレビ局にしても無意味な視聴者の呟きをわざわざ時間を割いて紹介して満足してる。
いいかげん本気で考えてない、勉強してなのに部下に精神論叩きつけるのと、いちIT企業の商品にすがるように大組織が手を出すのは恥ずかしいからやめてほしい
何年かしたらバカな時代だと誰もがおもうだろうに
・子供を生むときは人間一人を腹に抱える苦痛やつわりと戦い、ひりだす折は陣痛と戦い
・個人の趣向やステイタスに関わらず、孕み増やし育てる本能ゆえ常に人生の終着駅を意識せざるを得ない
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-4b86.html
という声もあるようですが、そこでいう「経済学の知見」って、どんなものなのでしょうかね。
ケインズはいうまでもなく、ポランニーもアダム・スミスもアマリティア・センも、いわんや権丈善一も経済学者ではないのでしょう。「殆ど無い」というくらいなので。
プロフィールより
http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/profile/
「市場のダイナミズムを享受しながら、そこに生きる人たちが、尊厳をもって人間らしく生きていくことができ、かつ、ひとりの人間として生まれたときに備えもっていた資質を十分に開花させることのできる機会が、ひろく平等に開かれた社会はいかなるものであるか?」という問いを意識して研究している。 この問いに対して、現在のところ、医療・介護サービス(高齢者・障害者を含む)、および保育・教育サービスを、あたかもみんなが自由に使って良い共有地のように、所得、住んでいる地域、まして性別などにかかわらず、利用することができる、すなわちダイナミックな市場を共有地で囲いこんだような社会を作ればよいのではないだろうか。そしていまひとつ付け加えるとすれば、働き方を自由に選択しても不当に不利にならない、すなわち就業形態選択の自由が保障された社会を作ればよいのではなかろうかと考えている。 こうしたヴィジョンが、現代の社会経済がかかえるさまざまな問題と、具体的にいかなる関係をもっているのかについては、わたくしの仕事を参考にしてもらいたい。いま起こっている問題の多くは、人間が人間らしくない環境で生きているゆえに生まれているのであって、環境を整備すれば、多くの問題は自然と解消すると思っている。
もしかして、こういうことを考えるのは「ケーザイ学」じゃないのかな?
どういうことを考えているかだけでは経済学の知見を持った人であるかどうかは分からない。どんなに素晴らしいことを考えていますと言ったところで実績がともなわないのであれば、その人は経済学の知見を持った人であるということは言えない。学問なぞ一人でできるものではなく、これまでの多くの積み重ねの上に成り立つものであるから、思想信条がどうであれそれだけで経済学の知見を持った人であるとは第三者からは不明である。そして、客観的に経済学の知見を持った経済学者であるということを担保するものは、現代においては経済学の博士号と一流雑誌の査読付き論文しかない。本当に経済学の知見を持っているのであれば、これまでの研究を一流雑誌に投稿してもアクセプトされるであろう。それは本人にとって役にたつものであると同時に、所属する大学にとっても価値のある行為である。大学から禄を食む身であるならば、投稿すればアクセプトされる論文があるなら投稿するのは責務であろう。それをしないということは、つまり一流雑誌にはアクセプトされるような論文ではないということである。
権丈善一氏が「経済学の知見」を持った経済学者であるとみなされないということは、ある意味で当然であり仕方ない。いかに彼の目指すものや思想信条が優れていようと実力がなければ意味がなく、そしてその実力は誰からも見える形での実績として表れていないのだ。「経済学のものは殆ど無い」ということは「経済学のものは少しはある」ということであり、その少しに入るのはケインズ、ポランニー、スミス、そしてセンだけであろう。