はてなキーワード: ポリシーとは
具体例として、OpenSSLなら、実際に作るよりも、使ったほうが早い場合のほうが多いし、今回はそうだろう。という話だよ。
今回の話はそうじゃないよ。後輩はもう実装物を持ってきた。
実際に作るよりも、使ったほうが早い場合のほうが多いけど、今回は違ったんだ。
どうする?じゃないだろ。もう物はあるんだから。
オープンソースに対して後輩の持ってきた物が劣ると言うのであれば、
何処が劣っているのか、つまり何処が要求仕様を満たしていないのかって部分をコメントするのが最初。
で、例えばドキュメントの厚みが足らないって話になる。そこからが交渉。
増「代案としてオープンソースがあるよ」
後「それだと手戻りになりますよね」
って話だ。
それを素っ飛ばして、元増田にあるように、
「オープンソースの読み込みが足りないなぁ。それ、わざわざ自分で書かなくても、有名なオープンソースあるのに。」
っていうのはオカシイ。それもうお前の中で結論出てるやん、となる。
オープンソースは何でも神なんて、ヒトコトもいいってない。
僕もヒトコトも聞いてないし、増田の神が誰だろうと構わない。興味が無い。
だから、両方の可能性にずっと言及してる。
オープンソースを知ってる事が、そんなに大事なら、→教えてやればいいじゃない。
どっちでもいいなら→自由にさせたらいいじゃない。
言うわけ無いねぇ。でも外注なら言うわけだ。つまり、そういう状況にならないのが一番にいいねぇ。
元増田は、後輩がオープンソースを使ってない点を惜しいと言った。
俺はそうは思わなかった。
ああ、これは簡単。僕は最初にこういった。
http://anond.hatelabo.jp/20110122011509
そしてこう〆た
「まぁ良し悪しの話じゃなくて、ポリシーの話だけど。」
以下は本筋と関係ない話。
今の世の中そうだけど、他人のガキを怒らねーだろ。 他人にコメントするのはスゲー労力なんだよ。 嫌いな奴は何も言われない。もしくは褒め殺し。
増田がその後輩の事を好きかどうか、僕は知らない。
でも、例えば、僕と増田の間には親愛の情は無い。
そしたら、それを見た第三者は
「こいつらは、言いたい事があったら、相手が他人でも労力かけてコメントする人種なんだ」
って思うよ。仕方がない。それは仕方がないよ。
以下もポリシーの話
・相手が好きでも嫌いでも、一緒に仕事をする相手に対して言葉数は変えるべきではないと思う。
自分で気を付けていても勝手に態度は変わる。加えて褒め殺しとかやりだすと、周りの空気までおかしくなる。
・言うべき事というのは、嫌いな相手でも言うべきこと。
・その人に任せたプログラムに悪い点があったら、その人に直してもらう。
受入れ側が黙って直すのは納期間際の緊急手段。
で、オープンソースでテストを省けるかと言うと、そうは思えない。
そのソースを組み込むことで、仕様を満たしバグが無い事を確認するのは自分。
有るか無いかも解らないライブラリを探す時間は無駄になる事もあるが、
自分で作っていれば作った分だけは完成に近づく。
事前に勉強するのは大事だが、最中になったれば、その時に持っている力を使えばいい。
(持てる力を超える要求に応える場合は、また別)
・能力は使わなければ錆びる。
「使う能力」と「作る能力」がある時、どっちの経験値を積みたいか?という話。
仕事なんだから、こういう事は脳内に留めておくべきだが、脳内には留めておくべき。
まぁ良し悪しの話じゃなくて、ポリシーの話だけど。
横だけど
理念の是非は置いとくとして
理念は何より重要、おかしいと感じた商品を買わないのは殆ど義務に近い
これについては、現在、現実的にその通りだけど、そのモンスタークレーマーが力を持てる源泉は何か?
理不尽な対応をしても見捨てない消費者が居るから、理不尽な対応をした方が儲かるから
つまり、差別用語をデフォルトで変換出来ない様にする事でクレーマーへの対処費用が減り
クレーマーも購買者層に含める事が出来る。
企業の側でこの問題に対してポリシーが無いなら、そりゃ儲かる方を選ぶ
しかし、クレーマーへの対処費用を掛けようとクレーマーが買ってくれなくなろうと
Unixサーバーには、uptimeという変数がある。マシンが稼動し始めてから何秒たっているかを参照できる変数なのだが、この値は、それぞれのサーバーごとに公開するかどうかを決定できる。公開されているサーバーにおいては、この変数を参照すると、そのマシンが最後にリブートしてから何秒たっているかがわかる。で、この値が、世界中の主だった匿名プロクシ等のサーバーで0リセットされているのである。
これは、それらのサーバーが、片っ端からリブートされているということである。
通常、リブートされると、アクセスログもリセットされる。ラウンドロビンされているログを残す設定にしてある場合もあるし、根こそぎ消してしまう場合もある。その辺は実装次第、運営者のポリシー次第なのでわからないが、少なくとも、リブートされている事だけは、外部から見て取れるわけで、時期的に、ログを消去する為にやっていると判断できてしまうわけである。
尖閣ビデオ問題で、日本政府が令状を取ってデータの差し押さえを始めたので、それが回ってくる前に、データを消去してしまえという事である。
データを残しておくと、令状が来たら提出しなければならないし、その真正性について、裁判で証言しなければならない。手間を取られる上に、踏み台にされていたという事でセキュリティに問題ありと見られる事になりかねない。
そんな面倒事に巻き込まれるくらいならば、適当な理由をつけてリブートかけて、ログは消去されてしまいましたと答えたほうが、遥かに手間がかからない。
相手が中国なので、心情的に、応援したいという気分もある。
日本政府・与党は、日本国民だけでなく、国際的な民意まで敵に回したわけである。
支持率調査で下り最速レコードをたたき出しているが、本当の不支持率は下駄を突き抜けてしまっていて統計的に不自然になってしまっている。
自分に自信がないと言ってしまうような、地味な女性に妙に好かれる。昔から。もちろん友達としてではなく、恋愛対象としてだ。ただ俺自身の好みはそのような女性ではないので、いくらアプローチをされても付き合うことはない。しかしこのタイプの女性は妙に粘り強いというか、執念深いというか、いくら断っても「私は○○さんのことが好きなんです!」としつこく言ってくる。面と向かって「あなたと付き合うことはない」と言ってもそれは続く。友人は「相手にするからだ」と言うが、別に邪険にする理由もないので、メールがくれば返信はするし、話しかけられれば会話もする。モテて羨ましいと言われても、はっきり言ってこんな状態は全然嬉しくない。
俺自身は気が強くて口も悪くて小言も多い、議論になったらとことんまで突き詰める、彼女たちとは真逆に位置するようなタイプだ。世間的にやらなければならないことは一応やっているが、休日ともなれば遊び歩いている。地味で大人しい彼女たちに嫌悪されるのならまだ分かるが、なぜ好かれるんだろうか。実際、同性のそういうタイプからは嫌われたこともあったし。彼女たちに好かれる理由を考えてみてもよく分からないので、直接「俺の何がそんなにいいの?」と聞いてみた。答えはシンプルだった。「なんか分かってくれそうなんですよね」とのこと。正直に、「全然分からないよ」と返信しておいたが、これでよかったのかな。ただ、そういう女性に好かれる理由はなんとなく理解できた。
おそらく、彼女たちにはかまってちゃん気質のようなものがあるのに、それをうまく外に向けることが出来ないんだろう。男に媚びを売ってまで相手をして貰おうとは思えないというか。だから俺のようなとりあえず反応だけはある人間に「分かってくれそう」などと思うのだろう。しかも休みの日も何をするわけでもなく家にいるタイプだから世界も狭く、たまたま見つけた俺のようなタイプに執着する。無駄なのに。女版非モテみたいだなあと思ったが、彼女たちは人並みに告白されたりしてるみたいだし、そういうわけでもないのかな。
ここまでの話が正しければやはり、友人の「相手にするから悪い」という忠告は正しかったことになる。だがどうでもいいから切り捨てるというのは俺のポリシーに反する。問題は、彼女たちの気持ちをどうやって供養するかだ。今まではなんとなく諦めてくれるまで相手をしていたが、そうではなく何かアクションを起こしてすぱっと諦めさせたい。対応を誤ると必要以上に傷つけそうなので、何かいい方法はないかと考えてはいるのだが、思いつかない。まいった。
単純なハードウェアとの比較で考えるなら「安い」けど、ぶっちゃけ「2万5千円」って去年までのWiiと同じ値段なんだよな。
つか、「2万5千円」って伝統的に据え置き機の価格だったはず。スーファミ以降の据え置き機は全て2万5千円で発売してるんだよね。
ここで俺が疑問に思った点が一つ。
じゃあWiiHD(とかWii2とか言われてる『Wiiの次』)はいくらなの?と。
もしかして3DSと同じ2万5千円にすんの?携帯機と据え置き機が同じ値段って前例無いよね?
出さずに当分の間Wii(2万円)を継続?だとしたら据え置き機より携帯機が高い逆転状態が続くよ?
ポリシーを捨てて3万円前後で発売?そしたらPS3(29,800円)と競合するんだけど、後発ハードが逆転するのってかなり難しいよ?
ほんとどうするんだろうね。
これでは、我々個々人がその暴漢に対して何か対策ができるように思えてしまう。いや、実際そういう勘違いをしているのだろう、君は。
基本的に、個人が暴漢に対してできる対策は何もない。
出来るよ。
高い関心と意識を持つこと。
個人個人の出来る範囲でなるべく正確な知識を持つこと。
その上で政治にたいして視線と声を送り続けること。
逆に、我々有権者が何も出来ないなら誰が出来るのかね。
それで繰り返し言うけど、
「全員が当事者だ」という言い方で人を焚き付けたり責めたりするのを好むんだが
国益に関するようなサヨクポリシーから見て気に食わないトピックでは
「お前は関係無い」「お前は無力だ」という言い方で切断や行動の妨害をしたがる。
合理的な思考を行った上でやめない方策はないだろうか。
四年前、本気で好きになった人に捨てられました。
この四年間は、何をしてきたのかわからないくらいぼんやり過ごしました。
いい会社に入って、大きな仕事を担当するようになって、それなりに成功したキャンペーンも手掛けてきたのに、どこか抜け殻のようです。
どうすることもできない、もどかしさと想いだけが募り、今でも心の中に彼がいます。
今日、夢を見ました。
彼が部屋に遊びにきていました。
目が覚めて、まだ私は辛いんだな、と実感しました。
もう、会社では、後輩を育てていく年になってきている。
彼がいなくても大丈夫なように、ちゃんと地に足をつけたい。
ちゃんと明確なポリシーを持って仕事に取り組んで、彼を目標にすることはやめたい。
やれば終わるというだけで仕事をするのはよくない。
今、洪水のように流されるままに誰かに笑顔を振りまいたり煽てたりしている。
このままだときっと私は彼の幻想に勝てない。
その為に、彼がいなくても生きていける体になりたい。
ここで言うイスラム金融とは、してぃとかうおーる街とかの対比。
イスラム金融の主なポイントは金利。利息や利子を交えないところがポイント。他方、20世紀に猛威をふるった資本主義は利子、複利万歳の世界。リスクを計算して投資対利益比率だのなんだので利率は「%で」、だからサブプライムみたいのが売れる売れる。
お金でお金を稼ぐことができるのに、なんでお金のために労働するのか意味わかんないよ!
バカでお金がねえやつを働かせればいいじゃない。
大企業に就職するのがそんなに安定ならその大企業の株をかえばいいだけじゃないか。みたいな。
ひとにぎりだけどそういう傾向があった。ぐりーどだ。
世界で流通するお金は倍々で増えていき国家間でも制御できない事態に。で、資源高で先物市場が暴走して、あげくサブプライム爆弾。だけど、これも振り返ればびっくり水ぐらいの効果しかなかった。今でもお金は膨らみつづけている。
というのがここまでの流れ。
日本はここにきて、キムタケの銀行をつぶした。それもペイオフ発動という形で。
これは日本の近代史的にもとんでもないことだとおもうのだけど世間的には存外おちついていて社会不安に発展していない。ある意味でいいことだが、あるいみで悪いこと。民衆の愚鈍さをあらわしている。
せめてブログ界隈ぐらいでも盛り上がってよさそうだけど、みんなおっかないのか口をつぐんでる。おれもおっかない。
まだオールドメディアがある程度コントロールできるのだなと思った。
話しがそれた。
この銀行がやろうとしたのは一貫してリスクマネーの取り扱い。リスクがあるお金の貸出をやって、その分きちんと利息をつけようとした。実態はともかくポリシーは悪くない。今の日本の銀行は雨の日に傘をとりあげて、晴れの日に傘を貸しつけようとするとか揶揄されちゃうぐらいのやくたたず。そこに立ち向かおうとした。無茶しやがって。
政治だか官僚主導だかしらないけれども、消費者金融をしめだ作戦は順調にいっている。
消費者金融は現在ほとんど銀行に吸収されている。全てが低金利におさまろうとしている。
キムタケ銀行がああいう形でやられちゃったのをみるとなんかもうイスラム金融でも標榜しているのかなと思う。わるくはないが市場主義ではない。
この揺り戻しは違う形になってまたどこかで現れるとおもうのだど、それがどういう形であらわれるのかは今からハラハラドキドキ。いままでの既存の道を明確に否定したのだけど、じゃあどこにいくのかがいまだ見えない。
多分イスラム金融なのかなとおもうのだけどどうだろう?
だとすれば次に来るイベントはなんだろうね。
為替の介入はほとんどないとおもっていたので、正直おどろいた。
意味ないよね?あらがえないよね?
関係組織のために逃げ場をつくったのかなとかかんぐっちゃう。
さて、
膨大に仕事が溜まっているが、
やっぱり書くことはやめられない。
いつ死ぬかわからないので、
記録しておく。
これってさあ、基本的にどっちかっていうと、
あんまりイイって感じじゃないよね。
だけど僕にとってはマジ基本的な思想で、
成長するにはもってこいのこと。
たとえば、すごい人がいると、
僕とどう違うのかを考える。
読んでる本、習慣などなど
あと、話し方とかから、ざっくりとした考え方や思想、
行動様式などを考える。
何が成功要因で、何がその人間を突き動かす要因になっているのかを常に考える。
で、今なにやってて、これからどうしたいのかを考える。
ってな感じで、ぼくと比較する。
この人に追いつくにはどうすればいいのかなー。
いまこの人は○○歳だから、あと○○年後には、
僕はこの人のレベルにたどりついていないとな。
○○やって、○○と○○を○○くらいやらないとだめだな。
とりあえず○○しよう!
ってな感じでざっくりとした筋道ができる。
これを何十人もやってると、
重複してくるところがいっぱい出てくるので、
それのプライオリティーを高く設定し、リソースを集中していく。
ってなことをやる。
ここで大切なことは、
修正条件として、時代のちがい、生まれた環境育った環境の違い、
思想信条のちがい、方向性の違いなどをちゃんと考慮しておくことだ。
全て負けているからといって、その人の模倣に尽力してちゃダメ。
オリジナリティがなくなるし、そんなんじゃうまくいかないからね。
あの人には勝っているとか、この人には負けているとか、
ただ常に成長したいと考えているだけだ。
これらをちょこっと抽象度を高めると、
一気に収斂し、凝縮しオリジナリティを加味し、質を高める。
やってみてあわんかったら、原因を把握し、修正するか破棄するか考える。
良かったらα版にして、完全に組み込む。
その過程でも常に改善、修正、調整は行われるよ。
人は不完全な生き物で、完全な把握もできないし、完全な方向性すらわからないからね。
つまり、人というものは矛盾した生き物であって、
だんだんとストックもされ熟成していって個人のその時期の意思とか判断が生じる。
だからね、複雑でいろいろだから変わるのは当然。
でも、たった一つの原理原則、ポリシーはあんま変えちゃいかんけど。
まあそれも20代では抽象的でいいと思う。
まだ社会のことをそんなにわかっとらんからね。
僕も今は適当に日々修正しながら、インプットアウトプットを繰り返している。
その中で今までのものとは全く異なった属性のモノを手に入れることが在る。
これはけっこううれしい。
レベルアップの源泉になる可能性が秘めているからだ。
けっこうあぶないものもあるけど、その辺は臨機応変に対処すること。
だからね、まずはベータ版で導入することが大切。
ってな感じで、生きていく。
んでもって時間ができると、
哲学者、政治家、文学者、慈善家、科学者、企業家、文明学・人類学者…
たんまりといるわけでかなり勉強になる。
一度、3年くらい集中して勉強したいが
日々のタスクを考えるとまあ無理だろう。
僕の頭の中はほとんど仮説で構成されている。
それを実証したいと思うが、
そのためにはかなりのリソースが必要なので
現実的でない。
よって、これをやったら大体の仮説に、ある一定以上の確実性を
与えることができる、というようにもっていこうと考えている。
いま渋谷にいるのです。
おわり☆
はてなID:ykkjhrk
はてなキーワードに投稿しましたが、編集合戦を避けるため、こちらに転載します。
エホバの証人とは
● http://www.watchtower.org/j/ 雑誌のバックナンバーや聖書研究の手引き書などがいくらか読める。
● http://www.jw.org 機関誌のポッドキャストフィードの受診、書籍、電子雑誌などがダウンロードできる。
● http://www.jw-media.org 広報室の公式サイト
名称の由来は旧約聖書のメシア預言のひとつであるイザヤ43章10~12節に基づく。
エホバの証人についての解説(公式サイト): http://watchtower.org/j/jt/article_02.htm
(個人サイト): http://biblia.milkcafe.to/thesis009.html
「ものみの塔聖書冊子協会」は、彼らが用いる代表的な法人の名称である。世界本部はニューヨーク法人ものみの塔聖書冊子協会にあり、出版物の著作権表示はペンシルバニアのものみの塔聖書冊子協会となっている。(ただし、「わたしたちの王国宣教」は、2009年4月以後、著作権表示がエホバの証人のクリスチャン会衆"Christian Congregation of Jehovah's Witnesses"となっている。)
なお、ものみの塔とは1879年に創刊された雑誌の名称であり、ジェームズ王欽定訳のイザヤ21章8節などを由来としている。聖書預言と照らし合わせながら世界情勢を見張っている、という意味がこめられている。さらに、1884年、この雑誌の出版社として現在のものみの塔聖書冊子協会が米国ペンシルバニア州の非営利法人法に則って登録された。したがって、彼らは自分たちを「ものみの塔の信者」とは言わない。ものみの塔協会は法人名に過ぎないからである。
また、「エホバの証人」という語は彼らが構成する集団社会と、信者各個人の両方を指す。(英語などの場合、複数形と単数形で区別する。)したがって彼らは、「エホバの証人の信者」という表現は使わない。ちょうど、「クリスチャンの信者」とか「ムスリムの信者」などと言わないのと同様である。
1870年米国にて、チャールズ・テイズ・ラッセルらが聖書研究会を結成したことに始まり、1931年、米国オハイオ州コロンバスの大会で、「エホバの証人」という名称を採択する決議が可決された。この大会は短波放送で中継されており、日本にいた数名の信者も決議に加わった。(なお、戦前・戦中の大日本帝国下では、「灯台社」という名称で活動しており、天皇は被造物であるなどと主張し、本土および台湾・朝鮮において、治安維持法違反で検挙されている。―参考: 灯台社または燈台社または燈臺社を調べるぺえじ http://www.geocities.jp/todai_sha/)
聖句と聖句を比較しながら論題別に掘り下げてゆくという19世紀の聖書研究者ヘンリー・グルーの聖書研究のポリシーが、現在でも一貫して守られており、エホバの証人出版物の特色となっている。聖書は文字通り神の霊感(インスピレーション)を受けた神の言葉であり、普遍、無謬であって、絶対に矛盾していない、という前提で聖書を調べ、矛盾と思われる箇所がある場合には、ほかの聖句を持ってきて説明しようとする。聖書で聖書を説明するのである。(ものみの塔2006年8月15日号12~15ページを参照。)
((聖書は矛盾している、との主張に対するエホバの証人の反論については、「ものみの塔出版物索引」の「聖書の信ぴょう性」の項の「聖句間に見られる調和」という見出し以下から資料を探せる。))
信者数は日本で21万人ないし30万あるいは40万とも言われ、2009年現在全世界で731万余の伝道者が活動している。
全世界の統計(公式): http://www.watchtower.org/e/statistics/worldwide_report.htm
エホバの証人の実勢信徒数の数え方: http://jwpc.milkcafe.to/media03.html
機関誌「ものみの塔」や「目ざめよ」などを配っている。最近は雑誌の朗読版(mp3およびaac(m4b))やオーディオブックのポッドキャスト配信、アメリカ手話(ASL)や日本手話(JSL)をはじめとする手話版のビデオキャスト配信、オーディオドラマやPDFによる電子書籍のRSS配信も行っている。
「目ざめよ!」は2006年以後月刊誌となり、「ものみの塔」は2008年から一般大衆向けと研究用(信者向け)とに分かれた。
出版物のダウンロードサイト(公式): http://www.jw.org
モルモン教、統一教会と並び、カトリックの総本山であるバチカンの法王庁(教皇庁)からキリスト教系三大カルト(または異端)の一つとされている。
また、カトリックと対立関係にあるが、プロテスタントではない。プロテスタント諸派もエホバの証人との教理上の相違が大きく、エホバの証人自信も自分たちをプロテスタントであるとは主張しない。
http://www.watchtower.org/j/20091101a/article_01.htm
エホバの証人のスポークスマンによると、ときおり、日本基督教団の牧師が「保護説得」などと称してエホバの証人を拉致、監禁して強制棄教を試みるといった事例が生じており、アメリカ大使館は日本の警察当局に、これを事件として取り締まるよう勧告している。((なお、宗教監禁の実態(統一協会の信者)に関する情報は、こちらの月刊現代の記事を参照。))
参考:2003年 国別人権報告書 http://tokyo.usembassy.gov/j/p/tpj-j20050601-50.html
ただし、SDA―セブンスデー・アドベンチスト教会―はエホバの証人に比較的好意的であり、国によってはセブンスデー・アドベンチスト系の病院がエホバの証人の望む無輸血医療を積極的に提供していることもある。
神の名はエホバであり、敬意を込めてその名を積極的に用いるべきである。
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_01.htm
なお、「エホバ」であるか「ヤハウェ」あるいは「ヤーウェ」であるかは彼らにとって大きな問題ではない。マタイ福音書の主の祈りの冒頭にあるように、神の固有名を用い、それが神聖にされることが重要である、とする。(マタイ 6:9)
さらに、聖書を翻訳する際、神聖四字(YHWH(JHVH)テトラグラマトン)を「神」や「主」といった称号に置き換えると、読者は一般名詞としての神と固有名であるエホバとの意味の相違が識別できないという弊害が生じる。「神」(エローヒーム)と「エホバ」の違いについて、インペリアル聖書辞典(P・フェアベアン編、ロンドン、1874年、第1巻、856ページ)は次のように例証している。
「それ[エホバ]はどんな箇所でも固有の名であり、人格的な神を、そしてただその方だけを表わしている。一方、エローヒームはどちらかと言えば普通名詞の特徴を帯びており、確かに普通は至上者を表わすが、必ずしも、またいつも一様に至上者のことを指しているわけではない。……ヘブライ人はあらゆる偽りの神々に対立する方のことをthe Elohim、つまりまことの神と言う場合があるが、決してthe Jehovahとは言わない。なぜなら、エホバとはまことの神だけの名だからである。また、わたしの神とは再三言うが……決してわたしのエホバとは言わない。というのは、わたしの神と言う場合、エホバのことを意味しているからである。また、イスラエルの神について語りはするが、決してイスラエルのエホバについて語ることはしない。それ以外のエホバはいないからである。さらに、生ける神について語りはするが、決して生けるエホバについて語ることはしない。生きている方ではないエホバなど考えられないからである」。(訳文は、聖書に対する洞察、第一巻、「エホバ」の項より。)
ヘブライ語聖書中に「サタン」が登場するすべての箇所において、定冠詞が使われており、悪魔は固有の実在者であって、人の心に内在する抽象的な概念などではない。(ヨブ 1:6 脚注)
http://watchtower.org/j/20091001a/article_01.htm
神は愛の動機からすべての良いものを創造された。生きる喜びを分かち合うため、み使い(天使)や人間を、倫理的に自由な行為者、つまり神に仕えるか仕えないか、どのように仕えるかを能動的に選択できるものとして創造された。
やがて天使のある者が自由意志を誤用・悪用して神に反逆し、神の主権の正当性、妥当性、義にかなっているか否かに疑念を差し挟むようになった。その天使は、ヘビを使ってエデンの園にいた最初の男女アダムとエバ(イブ)を罪へといざなった。こうして、完全だった人間は不完全になり、原罪を受け継いで死ぬようになった。
悪魔となったその天子が投げかけた問いは、もっぱら倫理的な論争であった。つまり、悪魔は神の力を否認していたのではなく、宇宙の主権者としてエホバがふさわしいか否かを問題にした。したがって、悪魔と叛逆した人間を即座に滅ぼしても、この種の問題の解決とはならなかった。
神からの独立を望む人類社会には、神から倫理的に独立してやっていけるかどうかを試す時間が与えられた。そして、数千年の歴史の中で、君主政治、軍国主義、全体主義、共産主義、自由民主主義などあらゆる政治形態を試みることが許された。
神を愛する人には人間の政治に希望を寄せるのではなく、エホバによる神権政治を支持する機会が差し伸べられている。人間一人一人は、エホバの側につくか悪魔の側につくかを選ばなければならず、エホバの主権を受け入れることによって神の心を喜ばせることができる。―箴言 27:11。(←この側面は「忠誠の論争」とも呼ばれる。)
http://watchtower.org/j/bh/article_11.htm#q10_src
http://watchtower.org/j/bh/article_12.htm#q6_src
なお、悪魔の投げかけたこの論争は、当初から矛盾(論理破綻)していた。悪魔は、自分が論争に勝つなら、エホバは自分を生き続けさせる義務を感じるであろうと考えていたからである。神の公正に疑念を差し挟む一方で、神の公正をあてにしていたのである。(聖書に対する洞察、第一巻、「主権」の項を参照。)
イエスは、人類を罪と死から救済するために天から地に遣わされた。イエスの贖罪死と流した血によって、罪の許しの法的根拠が据えられ、人類には永遠に生きるみこみが差し伸べられた。
http://www.watchtower.org/j/bh/article_05.htm
http://watchtower.org/j/bh/appendix_04.htm
http://www.watchtower.org/j/20091101/article_05.htm
http://www.watchtower.org/j/20090401a/article_01.htm
http://www.watchtower.org/j/20091101/article_02.htm
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_07.htm
http://biblia.milkcafe.to/21-ec-12-07.html
クリスチャンは天に設立された神の王国の国民であるゆえ、地上の政治論争には一切「内政干渉」せず、神の王国の大使また公使として振舞うことが期待される。―ヨハネ 17:16。
http://www.watchtower.org/j/bh/article_15.htm#q12_src
神を愛する者は暴虐を憎まなければならない。―詩編 11:5。
http://www.watchtower.org/j/kn37/article_01.htm
(誤解されがちな点だが、彼らはいかなる戦いをも否定する絶対的平和主義者ではない。旧約聖書(ヘブライ語聖書)にある数々の戦いの記録は、将来神があらゆる悪に報復されることを表しており、「復しゅうは神のもの」と聖書にもある。また、クリスチャンは各自「信仰の戦い」をしなければならない。なお、戦争には不参加となるが、政治的な中立の観点から、戦争反対のデモなどの活動に加わることもしない。)
http://www.watchtower.org/j/hb/index.htm
地抜きされていない肉を食べてはならないという聖書の禁止事項は、イエスの流した贖罪の血に敬意を示すべきであるという考えを根底にしている。したがって、これはもっぱら宗教的な性質のものであり、物理的な意味で1ミクロンも血を摂取してはならないという意味ではなく、血抜きのための合理的な努力が払われていればそれでよしと彼らは考える。
日本臨床麻酔学会誌Vol. 26 http://www.jstage.jst.go.jp/browse/jjsca/26/3/_contents/
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_10.htm
エホバの証人はユダ王国の滅亡を西暦全607年に起きたと考えている。考古学の主流の学説とは意を異にしているが、この点は、「聖書に対する洞察」というものみの塔協会発行の聖書百科事典の「年代計算、年代学、年代記述」の項で、かなりのページを割いて論じられている。
http://www.watchtower.org/j/20051115/article_02.htm
http://www.watchtower.org/j/20051201/article_02.htm
裁くのはイエスであり、誰が救われ、誰が救われないかを決めることに、エホバの証人は関与しない。―ヨハネ 5:22。
http://watchtower.org/j/jt/article_08.htm#saved
週に2回ある集会への参加および非信者への証言活動が求められる。(ヘブライ 10:24-25; マタイ 28:19-20。)また、年に1回、地域大会、巡回大会、特別一日大会という、より規模の大きな集まりがある。(詩編 35:18。)
http://watchtower.org/j/rq/article_14.htm
唯一の式典として、年に1回、キリストの死の記念(主の記念式)が行われる。これは、いわゆる最後の晩餐(最後の晩さん)を記念するもので、カトリックのミサ(聖体祭儀)に当たる。―ルカ 22:19。
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_06.htm
彼らは「新世界訳聖書」という独自に翻訳した聖書を用いている。
オンラインバイブル(インターネット聖書)新世界訳: http://www.watchtower.org/j/bible/
「恣意的な翻訳だ」「自分たちに都合の良い内容に改竄している」という批判もある。
また、エホバの証人側はこれに反論している。
公式: http://www.watchtower.org/j/20080501a/article_01.htm
個人サイト: http://biblia.milkcafe.to/
機関誌・書籍などで、しばしば古今の有名人の発言・著作を引用するが、前後の文脈を無視して極めて恣意的な引用をする傾向にある。(例えば、有名な古生物学者であるスティーブン・J・グールドの著作を、あたかも彼が進化論を否定しているかのような形で引用する)
しかし、この点は近年改善されてきており、2010年に発表された創造を指示する小冊子では、相当の配慮が示されている。
近年では全人類の平等を謳っているが、同協会に批判的な主張によれば、ローマカトリックを始め、他のキリスト教諸派よりもずっと後(1970年代)まで「黒人は神に呪われた種族であり、知的にも劣っており、終わりの日に遂に彼らが救済される時、彼らの肌は白くなるだろう」と主張してきたという。(下部の参考リンク「エホバの証人情報センター」の記述による。同センターは論証的な立場に立っているが、エホバの証人に対する論調は全般に批判的。1970年代およびそれ以前の、エホバの証人における有色人種の扱いについて、より信頼性の高い情報源があればご教示ください。)
世界各国に支部があり、信者のうち白人は1/3程度と推測される。「統治体」と呼ばれる最高指導部は、設立以来多年にわたり白人男性のみで構成されてきたが、1999年にメンバーにサミュエル・F・ハードが加わったことにより、統治体にも有色人種が加わることとなった。
1933年、ドイツで政権を握ったナチスがエホバの証人の弾圧を始めると、協会のドイツ支部は大会を開催して(ベルリン大会)、ナチスの政策を支持し、自分たちとユダヤ人は無関係だと主張する「事実に関する宣言」を全会一致で採択した。この大会には、当時のものみの塔協会の会長ラザフォードも出席している。しかし、世界各国に支部があり、本部がアメリカにあるエホバの証人は、この「宣言」以後もナチスの弾圧の対象となり続けた。
しかし、エホバの証人側は、ナチスを政治的に支持していたわけではないと反論する。
公式: http://www.watchtower.org/j/19980708/article_01.htm
個人サイト: http://biblia.milkcafe.to/07-jg-11-40.html
1985年、ダンプカーに轢かれたエホバの証人の子供大ちゃんが、両親の輸血拒否にあい、死亡。輸血をしても助からなかったとの見解もあるが、マスコミに大々的に取り上げられた。大泉実成著「ASIN:4768455646」に事件の様子が描かれている。
1994年、過剰な体罰、虐待によりエホバの証人の信者の子供が死亡した。
参考:http://www.jwic.com/abuse.htm
エホバの証人である高専生が宗教上の理由で剣道実技を許否した結果、退学処分を受けたが、1996年3月8日、最高裁判所は、この退学処分は違法であるとの判決を下した。
判決文(PDF): http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319123008290359.pdf
なお、これは教育と信教の自由に関する日本国憲法下における重要な憲法判断である。
エホバの証人の婦人が、事前にいかなる場合においても輸血を施さないでほしい、なおかつ輸血しないことによって障害を負っても医師に責任を問うことは一切しないとの合意書に署名していたにもかかわらず、医師たちはひそかに、事前に示し合わせて、当初から輸血を断行することにしていた。手術後、内部告発によってこのことが明らかになり、裁判となった。2000年2月29日、最高裁判所は患者の人格権を侵害したと判決した。
ここでの問題は、強制的に輸血を施したことの是非ではなく、また緊急事態には輸血を施すというその病院の方針が裁かれたのでもない。むしろ、病院はそのような方針をもっているならば、密約をしたりダブルスタンダードをとったりするのではなく、誠実に病院の方針を説明し、患者の信条に沿う別の医療機関を紹介すべきであった、ということである。
エホバの証人のプレスリリース(英語): http://www.jw-media.org/jpn/20000229.htm
判決文(PDF): http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319120604218580.pdf
このほかにも、エホバの証人は国内外で、後に重要な判例となる裁判を起こしている。
参考:衆議院議事録―第159回国会 憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会 第2号(平成16年3月11日(木曜日)) http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/010715920040311002.htm?
【日本の未来を考える】東京大・大学院教授 伊藤元重 企業任せの雇用に転換点
日本社会はなぜ「解雇規制緩和論」を受け入れようとしないのか~大竹文雄・大阪大学教授に聞く
http://diamond.jp/articles/-/8098
http://www.jcer.or.jp/column/takenaka/index124.html
八代尚宏 解雇ルールを法制化した労働市場が必要- nikkei BPnet
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/cover/bigbang/070905_5th/
個人的にあたりまえと思ってることが、他の人にとっては貴重な情報だったりするので書きます。
放送・通信業界に身をおくものです。36歳です。
だいたい同世代の、会社を経営していたり役員だったり、広告代理店・放送局・IT系勤務だったりの、年間1000〜1450万くらい稼ぐ男が自分の周りに結構な数いて、大抵これが浮気をしています。てか自分の周りでは100%してます。
(まあ僕が浮気していない人を知らない、というだけかもしれません。類は友を呼ぶ形で自分のまわりだけヒドいやつばっかりなのかもしれないし。とりあえず「結構な数=2ダース」くらいの頭数の話です。)
この男たちは、出張ついでに立ち寄る本命とは別の彼女に部屋を借りてたり、デリヘル呼ぶ用の部屋を都内に別に借りてたり、かわいげがある方でも呼べばすぐ来るキャバ/ガールズバー/スナックの女の子を何人かキープしていたり(もちろんいろんなお楽しみアリで。)、をふっつーにしています。
既婚/未婚はまちまちですが、結婚してるひとはやっぱお嫁とはレスが多いです。
結婚してないひとはちゃんとポリシーがあってしてない人が多くて、曰く「ちゃんと考えると結婚とか絶対損!」。
別に年収が高いひとが仕事ができるとは限りませんが、眺めてると、ひとそれぞれとにかく年収が高いだけのワケはあると思います。親のコネがあったり、人に懐柔するのが異様に上手かったり、言葉に妙に説得力があったり。
「親のコネ」は実力じゃない気がするかもしれませんが、金持ってたり仕事できる親の子はやっぱりちゃんと教育にお金をかけられていたりして良い友達に恵まれたり頼れる先輩がいたりします。親父がデキるやつだと奥さんが美人だったりするので息子であるそいつの容姿がいい、みたいな良ループもあります。
よく「奥さんが財布の紐を握っとけば大丈夫」みたいな話がありますが、こういうひとたちは給料以外の収入とか自由にできる会社のお金とかが都合しやすいひとたちでもあります。まあとにかく、そいつらがみんな何とかして上に書いたような浮気をしているわけです。
さて、どうでしょう婚活女子のみなさん。男にとって完璧な女がいないように、女にとって完璧な男もきっといません。35歳で1200万稼ぐ男は45歳で1600万くらい稼ぐようになったりするのでしょう。でも、年収で選ぶと結構な確率でこんな感じです。もしそれで割り切れるならそれ狙い全然アリと思います。でも、もしあなたが財布の紐を握ってうまいこと旦那さんを飼いならしたいなら、35歳時の年収650〜850万くらいの男子が個人的には断然おすすめな気がします。
育メンとか流行ってるんだね。
この間電車で見たよ。
歩けない子供一人乗せるのにこのサイズかよ!ってデカくてゴツいベビーカーに
上は小学校の3,4年生?って年齢の子供を更に4人連れたお父ちゃん。
電車に乗るなりはしゃぎだした上の子に
「静かにしろ。それから、人が座れるようにお前ら壁に沿って立ってろ」
子供達、すんなりお父ちゃんの言う事聞いて左右に2人づつ別れた。
静かなもんだ。
時々ちょっかい出し始めたけど、
その度に同じ事言って静かになってた。
けどさ、お父ちゃん。
左右に子供を並べたら、
その先にあるシルバーシートも、誰一人座れないんだ。
ベビーカーがみっちり通路塞いでるだろ。
ほら、隣の車両から入ってきた人が通行止めにびっくりして戻っていっただろ。
おばちゃん、カニ歩きで席ゲット。
子供、再び通路ふさいだ。
勇気があるの、おばちゃんだけだった。
満員じゃないけど、そこそこ混んだ車両の中で、
なんかそこだけすぽーんと席が空いてて微妙な気分になった。
俺は小3~4と中2以降学校に殆ど行っていなかった。
小学校時代は小さい頃から住んでいた伯父が仕事の関係で家を出て行き、寂しくなったのと親父の独立が多分あったんだと思う。
けど小5からは学校が楽しくて楽しくて、中1の終わりまではそんな苦痛じゃなかった。
しかし、中1後半からうっすらうっすら勉強についていけなくなり、部活もサボり気味になり
中2の春に風邪で1週間ばかり休んで久々に学校に行こうとしたらその行く途中で気持ち悪くなり、それから毎朝学校に行くのが苦痛で布団から出てこなかった。
布団の外では、親が罵声と物が少し飛んだ音がした。
小学校の恩師が心配してフリースクールに行くようになり、ネットでも友達が以前より増え、ひきこもりと言われる人物に該当するようになったが
地元の人と色々出会い、それが恵まれて外出出来るようになったが学生の多い時間帯はどうも苦手でその時間帯だけは避けてた。
そのころから、親父の会社は不景気で毎年4月になるのが不安だった。
うちは住宅設備会社。公共事業も少しずつ入ってくるようにはなったが個人・法人のお客様が中心
18歳からこの業界にいて、仕事が趣味という親父には色々な人が助け船を出したり、逆に親父をだましたりしているのを後から周りの噂を聞いた。
だけど、うちの親父は『だますならだまされろ』という変なポリシーの持ち主。俺も今更ながら尊敬する
社員は親父とおふくろ以外は、常に2~3人で回してあとは外注という本当に零細企業
心配性の母親をよそに、親父はコツコツ石橋をたたいて渡り気がついたら14年目に入っていた。
俺は途中から親と距離を置くためにカウンセラーの勧めで、上京してWeb制作会社に一年務めたが何回も無断欠勤し親や職場に迷惑をかけて辞めた。
次の仕事は新聞配達の住み込みで、これが意外に良い仕事だった。そこからはなかなか休みも取れなかったし、金もかかるので一年に一度帰れればいい方だった。この仕事は思いのほか長く続き4年目で一度アルバイトを退職し、別な仕事に就いたが辞めてしまい、半年で出戻ったが周りは温かく迎えてくれた。その職場も出戻ってから長引く景気の影響もあり折込が減り、新聞購読を辞めるお客さんも増えてきて先がないと思い先日退職した。
今はGSでアルバイト勤務をし一か月になる。まだまだわからなくて覚えきれなくて困っている日々だけどそれはそれで楽しい
そんな中で親父の会社とはHPを更新する以外関わりがなく今どんな社員さんがいるかもわからない状況。多分もう3年くらい事務所に行っていない。
今日ネットサーフィンで親父の会社の評価サイト(?)なるものが出てきた。
ここ2年分の売り上げや損失、建設業界の評価?みたいなのがあったが思いのほか赤字がなくてびっくりした。
おふくろは大変だー大変だ―と騒いでいるが、親父はそんななかでも苦労しながら頑張っているのだと思った。
昔は折り合いが合わなくて大変だと思ったけど、今の不景気の中、色々とイベントやらアイディアを振り絞っている親父を見ると
尊敬してしまう。俺の頭では出来ない事をやってのけるんだから。
今度実家に帰省したら、ゆっくり酒でも飲んで親父が好きなフォークソングでも一緒にカラオケで歌おうかと思っている。
俺に出来るのはそれぐらいだ。
報告するよう促す。
連絡するよう促す。
自分の席で連絡待ってるってどんだけ?
昔は俺も相手を信じて報告するだろうと思ってたけど、かなりでかい会社のリーダーたちでも、悪い連絡なんて遅い時がある。
報告なんて信じないというポリシーを貫くことにしている。
自分で定期的にポーリングして、様子見て、どう?って聞くようにして、内容見て確認するようにしてる。
でないと、介入が遅れて、大変なことになる。
いいか悪いかは別として、上に立つなら、もう、そうするしかない。
そう思うと、連絡が定期的にやってきて、その内容が正しいひとって、どんだけありがたいかと思う。
趣味とかは無いのでそういうスペースはいりませんが、本だけは絶対に譲れないですね。
結婚・子育てにおいて「譲れるかどうか」という話をする際には、前提をはっきりさせとく必要があるよ。
「本より子供を優先できないなら云々」というフォローもついてるけど、そういう議論の前提は、「どうしてもどちらかを選ばなければならない状況に追い込まれたらどうするか」っていう話ね。自分なりに「子供に絶対必要な最低限のモノ/スペースと、本と、どちらかを取らなければならない」って極限状況を考えてみて、それでも本を取るって思えるなら、確かに親になるには向いてないかもしれない。
でも、自分の人生のポリシーとして「本だけは絶対に譲れない」と思ってるなら、議論の方向は逆になる。本の心配をしなくちゃならないような生活にならないように頑張ればいい。子供育てて、かつ本も置いとけるだけの広さのところに住めるようにすればいい。配偶者がどう思うかではなく、全てはあなた次第ってこと。
恥ずかしい話。
厳密にいうと、投票したのが初めて。事前投票とかもしたことがなかった。逆に、投票所まで付き合いなどで足を運んだことはあったんだけど。
前回の衆議院選挙がいやに盛り上がってて、これで行かなかったらもうずっとこのまま権利を行使することなく墓場まで行くんじゃないか、と思ってたけど、あっさり覆った。
それこそ中学2年生くらいの頃から、「選挙」が嫌いだった。生徒会とかそういうのでも、無効票を入れるか学校を休むかという対応を極力とってきた。別に確固たるポリシーがあったってことではないつもりなんだけど。とにかく、当選者に対して後から文句をいう人を見るのが嫌でしかたがない。票を入れた人が「期待外れだった」というのも嫌だし、入れなかった人が鬼の首をとったかのように非難するのも見ていて辛い。だから、先に自分だけでも文句をいう事が許されない立場に置きたかった。
なんで今回、投票したのかは自分でもよくわからない。年をとって鈍くなったんだろうか。どんだけ中二病拗らせてたんだって話だけど、まあ、行かないより行った方が良いのは多分間違いないから、よしとするか。