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はてなキーワード: 伊藤元重とは

2024-09-23

anond:20240922210651

しか鳩山イニシアチブと称して原発推進だしな

「今回の代表選脱原発議論トーンダウン」とかいうけど、むしろもともと民主党はそっち側なわけで

あとグランドキャニオンの策の話は日本改造計画で出てくるんだけど、

あれを書き上げたゴーストライター伊藤元重がいるわけで、果たして小沢一郎がどこまで関与してたのかは疑問が...

2015-02-12

デフレが続く元凶=経済学者伊藤元重氏等)が経済を知らないこと

日本デフレの元凶の一つは、政府にいる「経済学者」が経済を何も分かっていないことだ。

シェイブテイルさんのブログhttp://d.hatena.ne.jp/shavetail1/20150210 この記事コメント欄を見て腰が抜けそうになった。

東京大学教授伊藤元重さんが民間委員立場で、基礎的収支の年2.5兆円改善を提案をしたそうだ!

東大教授と言っても実体経済については素人なんだよな。

誰かの債務裏付けにならなければそれに見合う資産はないし、経済を回すマネーとは誰かが作った債務の証文(債権)の流れですから、唯一不況でも健全債務を負えるはずの政府債務返済に励めば、実体経済はその分悪化しますね。

そんな、シーソーに乗ったことがある子供なら理解できそうなことを伊藤元重らは理解していないのか、国民生活を脅かすような提案を「民間」の立場でしています

まったく万死に値する愚行と言わざるを得ません。

まったく、おっしゃるとおりなんだよね。

象牙の塔学問をやっている経済学者ではなく、現実経済をしっているシェイブテイルさんのような方に政策担当していただきたい!

2010-08-26

2010-06-17

[][]きょう、義務教育意味がわかった。

今日義務教育意味がわかった。

実は、単なる「年齢制限」だったのだ。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

昼飯を喰いながら、日本放送協会番組を見ていたんだ。

そうしたら、小学校入学前の、ある女の子の話題だった。

その女の子は体が弱いらしく、毎日、病院注射を打つような状態だ。

年代と比べて、発育が遅いらしい。

だから、その女の子の両親は、小学校就学を1年遅らせようか迷っているそうだ。

だが、ここに問題があった。

それは、1年遅らせると、その女の子は、中学2年生までの教育しか受けれないそうだ。

そんな馬鹿な、と思った。「義務教育だぞ」、と。

しかし、コメンテータによると、義務教育は、「15歳の3月まで」、ということだと。

そのように決められているそうだ。

年齢で切られるのだ。

だから、もし就学を1年遅らせたら、その女の子が「15歳の3月」を迎えるのは、

中学2年生が終わったとき、というわけだ。

それでわかったのだ。

つまり、義務教育というのは、

「どのような内容の教育を受けるか」、によって定義されているのではなく、

「15歳の3月」までに受けた教育を「義務教育」と呼ぶのである、ということだ。

言い換えれば、学習内容の達成度を見るわけではない、ということだ。

年齢を見ているだけなのだ。

だから、日本義務教育制度には、

留年もない。

能力クラスもない。

学習させる内容も、ふらふらと定まらない。

なぜなら、そのようなことを気にする理由がないからだ。

「15歳の3月まで」という、単なる制度上の都合の、操作的な定義に過ぎなかったのだ。

まるで、ベルトコンベアに乗せて、「15歳の3月まで」という一定期間、「教育」という塗料を吹き付けていき、卒業したら、あとは知らん、というのが、日本義務教育なのだ。

標準原価計算的に考えれば、かなり「歩留り」は良かったのであろう、いままでのところは。

だがこれは、大量生産の発想だ。教育資源が乏しかったころの発想だ。

経済学者伊藤元重が、「日本教育配給制度です。いまでも」、と言っていたのは、正しかったのだ。

重要でない追記(読まなくてよい)

  • この文章の意図したものについて

いくつかいただいたコメントで、義務教育の「義務」に関してのものがありました。

わたしとしては、この文章の意図は、「義務」うんぬんの話ではなく、

義務教育」の定義を問題にしたつもりでした。

つまり、教育の内容に関してです。

もし、

義務教育」が上記の文章のように定義されるならば、

その教育の内容は、無意味なものになりがちなバイアスがあるのではないか、

ということを言いたかったのでした。(学校に通っているだけでいいんだから)

その点で言えば、問題は、この女の子に限ったことではなく、われわれすべてと関係するでしょう。

これは誤解を招きがちな部分だと思います。なぜなら、

たとえば、不登校の人に対して、

「義務なんだから学校へ行けや」、と恫喝する人がいるであろうからです。

また、それに対する反動として、

「これは、親が子供学校に通わせる義務だ」、という意見が出てくるのだと思います。

わたしの理解では、

「義務」は、「権利」と対になっているはずのものです。

すなわち、

まず子供に「教育を要求する権利」があり、保護者は、「それに応える義務がある」、

ということになるのだと思います。

「それに応える」というのは、具体的には、学校に通えるようにしてやる(ランドセルや定期を買ってやるとか、昼間に児童労働させないとか)、ということだと思います。

なので、義務教育の「義務」は、「教育義務」ではなく「就学義務」、ということだと理解しています。

サポートする義務です。

つまり、「教育する義務」は無いのです。(現状の制度では)

なお、上記のとおりだとすれば、不登校場合は、本人が望んでいないので、保護者にも義務は発生しないのでしょう。

ここは、法律専門家意見を伺いたいところです。

なぜなら、ウィキペディアで調べただけだからです。

わたしの考えでは、保護者が昼間に働くために、一時的に子供を預ける、というのが、主要な機能だと考えます。

場合によっては、高校も含みます。

 
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