はてなキーワード: ラブライブとは
今問題とされてるのは「どこで宇崎ちゃんやラブライブの自主規制に関して公的規制への脅威という話が出てるのか」という問いに対する答えとして
「自主規制は公的介入を避けるために行うことがある」が噛み合ってるかどうかじゃないの?
その問いに至る経緯を説明してどうしたいの
雲泥の差というのを言語化できれば、双方を表す言葉ができるんじゃね?
「公的規制を恐れて自主規制する」レベルと「宇崎ちゃんやラブライブは自主規制だ」のレベルで、同じ自主規制とは言っても雲泥の差があるのに、自主規制の一言でごっちゃにしちゃうのは詭弁では?と思ってしまう
このへんの話はごっちゃになりやすいよ。
宇崎ちゃんやラブライブは自主規制だよ。批判を受けて、売上や評判を心配して広告を取り下げることがあるよ。
公的規制というのは、行政による命令だよ。違法性があると逮捕されることもあるよ。そこまでいかなくても指導や注意があるよ。
この2つは全く違うけど、境界が曖昧だよ。公的規制を避けるために自主規制するからだよ。
公的規制が強化されたら、それを踏まえて自主規制するよ。公的な指導や注意を受けて、自主規制することもあるよ。
また、一般の人の批判が大きくなると社会問題になって、公的規制が強化されることがあるよ。
個人的には今風の絵柄で青い鳥文庫とかの挿絵になっても良さそうなぐらいおしゃれかなぐらいに思っていたけど、あれを批判する人には宇崎ちゃんもラブライブも見分けがつかないだろうから「アニメキャラクターの女の子は〜」と一括りにされるのも分からないでもない。
一方で、あのキャンペーンキャラクターを芦田愛菜とか藤井聡太とか実在する中高生にすればいいのかというと、それもそれで違うよなーとも思う。
なんか2次元にしろ3次元にしろ未成年をマスコットにして愛でる文化に嫌気がさしてるんだろうな。あと、理想の未成年を愛でて悦に入ってる大人たちに。未成年との年の差恋愛みたいなのも嫌だけど、甲子園とかスーパー小学生とかそういうのもウンザリ。
いや、その一貫している正しさにおいて、宇崎ちゃんはNGでラブライブOKって人はいるだろってこと。
下がり眉が性的という主張な人は宇崎ちゃんNGになるし、太ももが性的って人はラブライブダメなんじゃね。
これはたとえだけど、表現って複雑だから注目ポイントは人によって全く変わると思うぞ。同じ構図でも陰影の付け方やツヤの出し方で変わったりする。
表現がそこまで発達したのが原因だと思うけどな。
環境省のキャラクターが相対的に炎上していないと考えた理由は、togetterとはてなブックマークでのヒット数がラブライブや宇崎ちゃんのポスターに比べて少なかったからです。