http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2009/02/post-cb7f.html
私は、死ぬことによって私が存在しなくなってしまうことを恐れる。もはや、朝の太陽の輝きや、新しく出版された小説や、友人の冗談に接することができなくなることを恐れる。私という歴史は、私の死とともに終わる。
このような私の死に対する恐れも、生に対する執着も、全て私と言う「システム」を考えたときに初めて成り立つ。
私を構成している電子や、陽子や、中性子にとっては、私の生も死も、何の意味もない。私が死に、私の肉体が朽ちてしまうことは、私や私の周りの人間にとっては一大事だが、私の体を構成している原子や分子にとっては、何の意味もない。