表現の自由は大事とした上で、社会でうまくやる共生を考えなきゃいけない。
たとえるなら家の料理。おれはめちゃスパイシーな本格インドカレーや、花椒がしっかり効いた四川風麻婆豆腐が好きでレシピを研ぎ澄ませたい。でも、家族には「辛い」「癖が強すぎる」「もっと日本っぽい、普通のカレーや麻婆豆腐がいい」と不評だ。この状況で、インドカレーや四川風麻婆豆腐を出し続けると家庭に不和が起こる。だから家族には妥協したノーマルレシピを出し、休日に自分だけが楽しむオリジナルレシピを探求する。
そうとは分からないようにする技術を既に中国が開発してしまっている可能性、がゼロではないのでは。データをどこかへ送るとかならさすがに発覚するだろうけど、例えば一定時間機能停止に外部からできるような信号の受け入れ口を作られるとかなら、新技術次第で可能性はあるとかさ。
それ私じゃない…
元増田は細かい定義はお嫌だそうで、「娘を持つ私の絶対的感覚」によって定義された「ロリエロ」は「公共の場」ではアウトらしいよ。
表現物それぞれについてグラデーションのある話だから、そんな雑な切り取りじゃお気持ちと揶揄されても仕方ないと思うんだよねえー
そんなこと言い出したら、新海誠の新作映画が封切りされても、BTSのメンバーが兵役に就いても、村田兆治が亡くなっても、ポケモンの新作が発売されても、大河ドラマが最終回を迎えても、別にお前の人生には関係ないのに喜んだり悲しんだりしてるじゃん
実際、(サッカーはもちろんのこと)これら全てに興味が湧かないので喜びも悲しみもしてないんだよな……。俺は「日本代表が勝ってもお前の人生には関係ないじゃん」なんてわざわざ言ったりはしないけど。
作ればよいのでは?
いずれその辺りもだめになるんじゃねーの?
結局のところは労働需給の逼迫度合いがどこまで高まるか、どれだけ高い状態が継続するかでしょ。個人でやれることはまあ基本的に無いよ。
あるとすればちょっとのインフレにブーブー言う家計を極端にとりあげるマスコミに影響されて、景気を引き締めてしまおうとするよう動くような政治家に、そんなことはやめてと陳情するくらいかな。
共依存(きょういそん、きょういぞん、英語: Co-dependency)、共嗜癖(きょうしへき、Co-addiction)とは、