パーソナルカラー見てもらって似合う色を好きな色とするとか
辛い辛い。案の定、正論に溢れてるブコメも辛い。ブコメは正しいし、私もそう思うんだけど、結局発達障害持ちは人間に擬態しながら生きていかないといけないのかと思ってしまった。
初めて発達障害と診断されて、コンサータ処方されて、「やったー!これで人間になれるー!!」と喜んだのも束の間、薬を飲んでない私はなんなんだ、人間のできそこないかと絶望したことを思い出した。
帰り道、親に「すいません、あなた方の要因もあるかもしれませんが、私は出来損ないの人間でした(とても偏った意訳)」って言うの想像しただけで泣けたわ。もちろん親には言ってないが。
ブコメの総意ではないだろうけど一部コメントにあるように、発達障害者なら結婚前にじゃなくて付き合って最初の方に言っとけよ後出しは騙された気分になるぞっていうの、多分発達障害という概念が人口に膾炙すればするほどこういう意見が増えるんだろうなと思って悲しくなる。
「最悪。結婚考えてたうちの彼氏(彼女)が発達障害者だったわ、子供にも遺伝するのにずっと黙ってたとか、詐欺じゃない?」
って言われるんだよ。
何が悲しいって自分が発達障害者じゃなかったら、自分もそう思う側になるんだろうなって予想出来るのが辛い。
あのブコメが彼氏を叩く方向にいってたら、自分はトップコメみたいなことを思っただろうし書いてたかもしれない。
区別する側の気持ちが理解できるゆえに、自分の特性に絶望する。
特に理不尽でもなんでもなく、皆んなが当たり前に行動した結果、区別されることに絶望する。
極端な思考かもしれないが、こういう罪悪感とか絶望感みたいなものを抱いてる発達障害者もまあまあいると思うので書いておいた。
先祖がなんだったのかなんて全く知らない、おそらくただの農民だったであろうワイの家は習い事も家庭の文化的行事も全く無く大学出てる親族の方が少なく特に何もない家やで。
という夢を見たのだった
しょうがないにゃあ...
我が家はいわゆる青侍の家系だ。幕府や大名ではなく、公家に仕えており、公家の使い走りや護衛をしていた身分の低い武士である。明治維新で転機を迎え、その時の当主とその息子、その孫(俺の曽祖父)の3人が頑張ったおかげでようやく曽祖父が男爵となるも秒で終戦を迎えた。
現在の我が家は別に家訓があるとか、厳しいという訳ではない。しかしなんとなく「我が家はこう」という暗黙のルールがある。
・生まれも育ちも東京だが本籍地は京都。祖父は自分のことを京都人だと思っているが一回も住んだことはない。
・姉や妹、叔母などは大学も学習院だが、元々学習院は高等科までだったため男は一般入試で国立か早慶、防大に進むべきとされている。
・大手の民間企業よりも教師、公務員、研究者、自衛官が良い進路とされている。
・俺含め男は習い事は乗馬、弓道、剣道。大昔のご先祖が身を興した地方の神事に参加するため流鏑馬も習う。