いやで~~~~~す
良かったの行進の曲一巡目だけだろ
出羽守で有名なTrinityNYCさん、NYTの記者に釣られてバッハを天皇と同格に扱ってる!とか意味不明なこといいだす
開会式、天皇とバッハをまるで同格に扱っている、といって、ニューヨークタイムズのアメリカ人記者が驚いているんだけど、
わたしは見てなかったけど、そうだったの?— TrinityNYC (@TrinityNYC) July 23, 2021
This is INCREDIBLE. https://t.co/qKgR9AmV7j— TrinityNYC (@TrinityNYC) July 23, 2021
ロンドン五輪開会式 pic.twitter.com/Fuclnkwry2— Ko--- (@kohkohkoh2019) July 23, 2021
北京五輪開会式 pic.twitter.com/RsSBtrvaOU— Ko--- (@kohkohkoh2019) July 23, 2021
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/TrinityNYC/status/1418536591769935873
見てないけど不興を買う開催式だったか
無観客に見えないように地味に客席の色が変えてあるのは苦労が伺えるなあ
突然ヤバい人が襲ってきたシーンとして描かれている。
もしかしたら薬物中毒かも知れないし、アルコールによる酩酊などが影響しているかも知れない。
それなのに何故か
と決めつける人たちが現れた。
彼らが単に統合失調症差別者であるのなら話はまだシンプルなのだが、なんと彼らは
「我らは統合失調症患者を護るものなり!これは統合失調症患者を馬鹿にしている描写なり!許せね!」
と言い出したのだ。
まあこれで終わるなら自分と他人の境界が曖昧なちょっとヤバイ人たちなんだろうねで終わる。
だが彼らは
「修正しろ!修正されるべきだと思うよな?世論はそう思うよな?よっし!答えを待ってる時間はねえな修正させるよう要請するぞ!」
落・ち・着・け。
まあこれで終わるなら盛り上がりまくってんなで終わるんだが、そこについて
「いいえそういう描写ではないですよ。そもそも統合失調症って貴方の思い込みでは?」
と言われたときの反応がやばかった。
いや、言ってる本人の反応じゃない。
「いや、これおかしくないでしょ。俺は統合失調症だと感じたけど。統合失調症差別反対!」
落・ち・着・け。
自分が日頃
「俺は差別は大嫌いだけど、突然キレて暴れまわってる人がいたら無条件で統合失調症と決めつけていいと思ってるよ」
と考えてるだけだろう、と。
なんということだ。
という難問が始まってしまった。
「描写されていないことを読み取るな」
というのは簡単だが、簡単に学べるものじゃないしどうしたらいいのだろうか。
ただ一言言わせてほしいんだが
「描写されてもいないのに何かを読み取ったなら、その原因は受け手の側にこそあると思え」
結局の所ですよ
「突然キレて暴れだすようなやつは結局障害者なんだよね」
たとえば、「私は優しい人間だ。何故なら私がそう思うから」というのは通用しない。他人に対して優しくない行動を繰り返していれば他人から「優しくない人」と決めつけられる。
それは現実だけではなく、創作においてもそうなのだが、現実とは違い、創作物の登場人物の性格はたいていまず最初に作者が設定する。設定がまずあって、それからその登場人物の優しさを表現する小さいエピソードの積み重ねにより、登場人物のその性格を証明してゆくのだ。
ところが、プロアマ問わずに登場人物の性格を「この人は優しい人なの。何故なら私が優しいと決めたから」とでもいうような、設定とは異なる人物像を書いて平気な作家がけっこういる。
私がとくに気になるのは、地の文が主人公の一人称モノローグになっている物語で、主人公の性格設定・他の登場人物からの主人公の人物評が地の文から読み取れる主人公の人物像と大きくかけ離れている場合である。
よくあるのが、主人公が何らかのポジティブな性格を有していると、作者も物語のその他の登場人物も認めているが、主人公のモノローグが糞ひねくれていて物事や他人を酷く意地悪で斜に構えた態度で見てはネガティブジャッジを繰り返している、というもの。
それは、根は腐れているが表面的にはいい人そうに見えるキャラクターだというのとは違っている。糞ひねくれた地の文に引き摺られるように、言動もやはり糞ひねくれており、しかし何か物語が動くポイントで形だけ良いことっぽいこと(これも深く考えてみるとなかなか怪しい)をしているだけなのだ。
物語を書くとき、登場人物の人物描写をするときというのは哲学の時間だと私は思う。優しいとは何か、意地悪であるとは何か、残酷だというのは何か。そういうことを突き詰めて考える時間だ。
と、思うんだけど、世の中には設定と実際の性格がちぐはぐの登場人物を書いて平気な作家はいくらでもいるし、そこらへんを一々つつく読者も滅多にいないので、「このキャラは優しいんです!」と言い切ったもん勝ちなのかな。
ちなみに私は、『鬼滅の刃』の竈門炭治郎の「頭が固い」という性格と、鬼舞辻無惨の身勝手ワガママな性格が、徹底的に首尾一貫としていてすごく良かったと思う。