2021年07月23日の日記

2021-07-23

anond:20210723233250

お前いる場所違うぞ

平和の祭典らしくないね

争うなよ

anond:20210723233226

政治の季節は総選挙あるんだし、楽しむときには楽しめばいいんじゃないの。

四六時中怒ってるのってやばいでしょ。

anond:20210723232947

アメリカテレビの都合で中継の尺が決まっていてそれを埋めるために演出カットができないって前に聞いた

anond:20210723233041

残念ながら運転中で見れなかったんだけどマツケンサンバやった?

anond:20210723233041

良かったの行進の曲一巡目だけだろ

悲報五輪反対派、なんとか五輪ケチをつけたくて意味不明なことをいいだす

出羽守で有名なTrinityNYCさん、NYTの記者に釣られてバッハ天皇と同格に扱ってる!とか意味不明なこといいだす




過去オリンピック写真で速攻で論破される

エリザベス女王の横にはジャック・ロゲIOC会長

胡錦涛の横にもジャック・ロゲIOC会長

アホのはてなーは既に釣られてしまっている模様

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/TrinityNYC/status/1418536591769935873

今更政治に何か期待しても無理だからいいとこ取りして楽しんだ方がいいということにウェイのみんなはもう気付いてたんですかそうですか。。。

割とピクトグラム演出テレビ向けに面白いなと思った。

会場で見ると冷めそうだが、無観客だし。

anond:20210723232704

見てないけど不興を買う開催式だったか

anond:20210723223439

少なくとも開会式は失敗じゃないの?

よかったのは最初だけ。

開会式けっこうおもろいやん

本人も反省しとるみたいやし

オナニーしながらユダヤ人ウンコ食わせてバックドロップした過去はもう許したろうや

anond:20210723232758

過剰反応しすぎでは?

さすがにハテサいうだけに、単なる開会式に殺気立つ人多いんだね

無観客に見えないように地味に客席の色が変えてあるのは苦労が伺えるなあ

ルックバックのアレは統合失調」という無自覚差別の根の深さが恐ろしい

別に作中にそういう描写は一切ない。

突然ヤバい人が襲ってきたシーンとして描かれている。

しかしたら薬物中毒かも知れないし、アルコールによる酩酊などが影響しているかも知れない。

それなのに何故か

「これは統合失調症揶揄しているに違いない!!」

と決めつける人たちが現れた。

彼らが単に統合失調症差別者であるのなら話はまだシンプルなのだが、なんと彼らは

「我らは統合失調症患者を護るものなり!これは統合失調症患者馬鹿にしている描写なり!許せね!」

と言い出したのだ。

まあこれで終わるなら自分他人境界曖昧ちょっとヤバイ人たちなんだろうねで終わる。

だが彼らは

修正しろ修正されるべきだと思うよな?世論はそう思うよな?よっし!答えを待ってる時間はねえな修正させるよう要請するぞ!」

ドンドン声のトーンを上げていくではないか

落・ち・着・け。

まあこれで終わるなら盛り上がりまくってんなで終わるんだが、そこについて

「いいえそういう描写ではないですよ。そもそも統合失調症って貴方思い込みでは?」

と言われたときの反応がやばかった。

いや、言ってる本人の反応じゃない。

本人の外野から新しいヤバイやつらが現れたのだ。

「は?統合失調症っぽいと受け手が感じた時点でアウトだぞ?」

「いや、これおかしくないでしょ。俺は統合失調症だと感じたけど。統合失調症差別反対!」

と次々に統合失調症差別反対論者が集まってきたのだ。

落・ち・着・け。

作中のどこに統合失調症であることが確定する描写があるんだ。

しろ差別してるのは自分たちだろ。

自分が日頃

「俺は差別は大嫌いだけど、突然キレて暴れまわってる人がいたら無条件で統合失調症と決めつけていいと思ってるよ」

と考えてるだけだろう、と。

なんということだ。

漫画感想について語っていたはずが、

無自覚差別者にどうやってそれに気づいてもらうか」

という難問が始まってしまった。

描写されていないことを読み取るな」

というのは簡単だが、簡単に学べるものじゃないしどうしたらいいのだろうか。

ただ一言言わせてほしいんだが

描写されてもいないのに何かを読み取ったなら、その原因は受け手の側にこそあると思え」

というのは原則として認識してほしいかな。

結局の所ですよ

「突然キレて暴れだすようなやつは結局障害者なんだよね」

と思ってるのは自分自身だと自覚してくれってこと。

別に障害なんてなくてもストレス溜まってたりお酒飲み過ぎたら皆意味わかんねー事いって突然凶器で人殴ってくるもんだよ。

人間の理性なんて元からめっちゃいから。

それなのにどうしてキレてる人が居たか障害者だと思ったのかを、作品のせいにする前に自分の心に聞いてくれよな。

性格とは他人が決めるもの

 たとえば、「私は優しい人間だ。何故なら私がそう思うから」というのは通用しない。他人に対して優しくない行動を繰り返していれば他人から「優しくない人」と決めつけられる。 

 それは現実だけではなく、創作においてもそうなのだが、現実とは違い、創作物の登場人物性格はたいていまず最初に作者が設定する。設定がまずあって、それからその登場人物の優しさを表現する小さいエピソードの積み重ねにより、登場人物のその性格証明してゆくのだ。

 ところが、プロアマわず登場人物性格を「この人は優しい人なの。何故なら私が優しいと決めたから」とでもいうような、設定とは異なる人物像を書いて平気な作家がけっこういる。

 私がとくに気になるのは、地の文主人公一人称モノローグになっている物語で、主人公性格設定・他の登場人物から主人公人物評が地の文から読み取れる主人公人物像と大きくかけ離れている場合である

 よくあるのが、主人公が何らかのポジティブ性格を有していると、作者も物語のその他の登場人物も認めているが、主人公モノローグが糞ひねくれていて物事他人を酷く意地悪で斜に構えた態度で見てはネガティブジャッジを繰り返している、というもの

 それは、根は腐れているが表面的にはいい人そうに見えるキャラクターだというのとは違っている。糞ひねくれた地の文に引き摺られるように、言動もやはり糞ひねくれており、しかし何か物語が動くポイントで形だけ良いことっぽいこと(これも深く考えてみるとなかなか怪しい)をしているだけなのだ

 物語を書くとき登場人物人物描写をするときというのは哲学時間だと私は思う。優しいとは何か、意地悪であるとは何か、残酷だというのは何か。そういうことを突き詰めて考える時間だ。

 と、思うんだけど、世の中には設定と実際の性格がちぐはぐの登場人物を書いて平気な作家はいくらでもいるし、そこらへんを一々つつく読者も滅多にいないので、「このキャラは優しいんです!」と言い切ったもん勝ちなのかな。

 ちなみに私は、『鬼滅の刃』の竈門炭治郎の「頭が固い」という性格と、鬼舞辻無惨の身勝手ワガママ性格が、徹底的に首尾一貫としていてすごく良かったと思う。

開会式ピクトグラム演出すごい良かったな

そもそも発明されたのが64年の東京大会であり、

動くピクトグラムとしてすべて人力で再現したのがすごい

いちばんおもしろ演出だった

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